アナザーモーニング「ウルフウッドとはぐれた?」
メリルの言葉に困ったなと頭を掻いた。
大きな瞳を潤ませながら私のせいですと肩を落とすメリルから大まかな話を聞いたロベルトがしゃくりあげて言葉出てこなくなった彼女の代わりに経緯を教えてくれた。
買い出しの途中でメリルがガラの悪い男たちに絡まれ、因縁をつけられたところをウルフウッドが庇ってくれた。男達を煽り、引きつけるように路地裏へと消えていったままウルフウッドが帰ってこないと。
「頬を殴れているのが見えましたわ。大怪我で動けなくなっていたらどうしましょう」
オロオロとメリルが呟く。僕とロベルトは顔を見合わせてそうしてお互い頷いた。
「メリル、あいつは強いから大丈夫。たぶんその辺で煙草吸ってるだけじゃないかな?僕が連れて帰るからロベルトとホテルに戻ってて」
告げた言葉に嘘はない。ただ、帰ってこないというのは確かに心配ではあった。迷子だろうか。
日暮れが近い。ダイナーに入るならまだしもいつも文無しのあいつに夜の外はこたえるはずだ。早く連れて帰らねばとメリルに最後に分かれた場所を聞き出す。
「僕、探しに行ってくるね」
あとはよろしくとロベルトに視線を送ってウルフウッドを探すために駆け出した。
* * *
「どこやここ」
周りを見渡してため息をひとつ吐いた。
騒動になってはたまらないとメリルから離れ、駆け込んだ路地裏でパニッシャーを展開したのは少し前のことだ。男共は銃口が向けられた途端に蜘蛛の子を散らすように逃げていった。そないなこんまい神経しとるなら最初から喧嘩売ってくんなと心の中で毒づいた。
殴られた頬が痛い。頬に触れればビリリと痛む。熱を持って腫れているそこはおそらく赤黒いあざになるだろう。困ったことになった。こんなの嬢ちゃんに見せたら泣かれるか、怒られるか……どちらも嫌だ。そこまで考えてため息をもうひとつ溢した。
とっとと応戦すればよかったものをどこかの平和主義のせいで穏便に済まそうとしたのが不味かったのだと項垂れる。
ずるずると壁に背を預けたまましゃがみ込み、煙草に火をつけた。ニコチンでクリアになった頭でこれからのことを考える。おそらく新陳代謝の良いこの身体であれび明日には頬のあざも消えるはずだ。そうなってから宿は帰ったほうがいいだろう。どうせ帰り道は分からない。探すのも億劫だ。
こんな風に路地裏で過ごすことは久しぶりだと考えながら目を閉じた。
初めて路地裏で夜を明かしたのは母親にもうこの家には帰ってこないでと告げられた日の夜だった。
「この家引き払うことにしたの。知ってるでしょ?いつも遊びに来てたあの人と暮らすことにしたの。だからあんたも出て行ってね」
そう言って母は古いバッグにニコラスの片手で掴める量の私物を詰めて投げてよこした。
「私、幸せになるの。だから、邪魔しないでね」
最後の言葉はそんな言葉だったはずだ。
放り出されてどうしていいか分からず途方に暮れているうちに夜が来た。
膝を抱え、バックを胸に抱いて蹲る。
「どうしたの?」
投げかけられた言葉に母かと思って顔を上げると知らない女性が立っていた。
「迷子?お家に帰ろう……」
心配そうに掛けられた優しい言葉にウルフウッドははじかれたように駆けだした。
知らない人からの言葉なんてなんの役にも立たない。望んでいたのはただひとりからの言葉だ。
その言葉はもちろんかけられることはない。翌日こっそり覗いた家にはすでに新しい人が住み始めていた。
帰る場所はもうなかった。
最後にこうやって過ごしたのはウルフウッドが孤児院に預けられた後のことだ。脱走した子供を探して走り回った結果、知らない町まで来てしまったのだ。
迷子を捜して迷子になるなんてと自分に絶望したのを覚えている。
逃げ出した子供は見つかっただろうかと考える。探しに向かったのは自分だけではない。もっと年上の兄貴分も探しに出かけたのだからきっと見つかっているだろう。なんてたって兄貴分達は自分たちよりもずっと人探しが上手だった。誰が迷子になっても、かくれんぼでもすぐに見つけ出してしまうのだ。
「ニコ、もし迷子になった時は動かずにじっとしてるんだぞ。俺たちが見つけてやるからな」
そんな言葉を思い出す。きっと自分も見つけ出してくれるだろう。
確信があったから何も怖くなかった。
「ニコ、ここにいたの。帰ろう」
見つけ出してくれた兄は怒ることもなく手を引いて帰ってくれた。
ほんの数年前の話のはずなのにずっと遠い過去の話に感じがれるのはこの身体になってしまったせいだろうか。
あの時の兄達と同い年のはずの自分の身体はその倍ほど年齢になってしまった。
今自分の顔をみてもだれもニコラスだと気づいてくれる人はいないだろう。
もう見つけてくれる人はいない。
ニコラスはパニッシャーになったのだから。
* * *
「ウルフウッド!」
かけられた言葉にびくりと肩を振るわせた。もう名前を呼んでくれる人なんていなかったはずなのにと顔を上げれば肩で息をする男が立っていた。
「君、どうしたの?」
「それはこっちの台詞や。そんなに走ってなんかあったんか?」
「何って探しに来たんだよ」
探しに来た。その言葉を反芻する。まさかそんなことが起こるだなんて。いい大人になってしまった自分を探してくれる人がいるとは思いもつかなかった。
「怪我してる。痛くて動けない?」
ひんやりとした義手が殴られた頬を撫でる。冷たさが頬に気持ちよかった。
「煙草吸うとっただけや。あと嬢ちゃんにバレたらアレやから帰れんなぁって……」
「いやいや帰ろうよ。メリルもロベルトも心配してるだけで怒ったりしないよ」
微笑まれ、当たり前みたいに手を差し伸ばされる。
思わず取った生身のそれは暖かい。
「大人でも迎えに来てくれるもんなんやなぁ」
呟けばヴァッシュは当たり前だろうと呆れたように言う。
ニコラスじゃなくても迎えに来てるれる人がいるのか。
そう思うと新しい自分が受け入れられそうなそんな気がした。