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    teimo27

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    teimo27

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    20220724のノベルティです。夏油をスカウトしたのが五条だったらのIF話です。

    Spring Prologue 夏油傑が他者と異なる目を持つことに気付いたのは幼少期の時だった。

     人でも動物でもない異形――呪霊と呼ばれる存在を認識した時、お化けがいると母親に泣きついた。お化けが怖いと震える夏油に母親は慰めてくれていた。
     だが、日中でもお化けがいると頻繁に訴える息子に次第に母親は困惑していく。
    『お母さん、お化けが見てるよ』
     幼い夏油が指さす方を見ても、何もいない。
    『あそこには何もいないわ』
    『お母さん見えてないの?』
    『何もいないわ』
     母親には見えないものがいると言う。普通でない我が子の様子に、戸惑いが強くなる。
     ――まともな子供でなかったらどうしよう。
     母親の中に小さな不安が積もっていく。
     そしてある日、幼い夏油は、自分を見る母親の目の中に少しだけ恐怖心が混じっていることに気付いてから、お化けが見えると言わなくなった。
     幼いながら、自分の見えているモノが他人に見えてないことに気付いたからだ。
     そして、人は理解できないモノに恐怖を感じることを知った。
     だから、見えていないふりをすることにした。
     しかし、お化けを見えないふりをすることは、幼い夏油にとっては容易ではなかった。
     そんな時に出会ったのが、テレビで見た格闘技だった。
     強くなればお化けなんて怖くない。
     両親に格闘技を習いたいと強請ると幸い近所に道場があったため通うことができたのだ。それから夏油は心身を鍛え、格闘技に夢中になるにつれお化けは気にならなくなっていった。


     夏油が小学生だったある日のこと。
     たまたま下校途中にお化けと目が合った。いつもならばすぐに逸らすはずなのに、その日はなぜかお化けの方へと近づいていった。そして、それの前に右の掌をかざすとお化けは吸い込まれるように黒の球体へと変化した。
     掌にある直径数センチの黒い球体を目にしたとき、無性に夏油は食べなくてはと思った。無意識の内に口を大きく開けて黒の球体を飲み込む。
     喉を通ったとき強烈な吐き気に襲われた。気持ち悪い。何度も何度も咳き込み球体を出そうとするが出てこない。喉に指を突っ込んで無理やり出そうとしたが駄目だった。
     荒い呼吸をしながら、夏油はふらつく足取りで家を目指す。途中見つけた自動販売機で買った水で喉を洗い流すと少しだけ落ち着いた。
     やっとの思いで帰ってくると自室のベッドに寝転がった。まだ、喉が気持ち悪い。帰る前にはあった食欲もすっかりとどこかに行ってしまった。
     夏油は仰向けになりながらあの球体は何だったのか考えた。
     喉を通った後、身体の中ですっと消えてしまったような感覚を受けたのだが、もし胃で消化されずそのまま出てきたらどうしようと不安になってくる。
     夏油は腹に手を当てた。あの球体のサイズは丸飲みするには大きかった。消化されていなければ、今も胃にあるはずだ。
     すると、だんだん腹と掌が熱くなってくる。今までない不思議な感覚だった。パニックになることはなく、夏油が本能に任せて手に力を籠めると術式が発動する。
     そして、先ほど見たお化けが空間を裂けて現れた。そのお化け――呪霊は夏油をずっと見つめているが、他の呪霊と違ってその視線に嫌な感じがしなかった。
     恐る恐る夏油が呪霊に手を伸ばして触れてみる。呪霊は逃げずにされるがままだ。
    「お前話せるのか?」
     意思疎通を図ってみるが、呪霊は言葉を発しない。だが、夏油の言葉は理解しているように思えた。
     夏油は少し考えた後、右に動けと指示をした。すると、呪霊は言われたとおりに動き出す。他の動きを何通りか指示してみたが、全部指示通りに動いた。
     夏油の命令を忠実に従う呪霊。
     躾の良い犬のようだ。
     自分の言うことを聞くならば怖がる必要はない。
     どうして突然呪霊が従うようになったのか。
     あの球体は呪霊で、それを飲み込んだことで仲間になったのだと夏油は考えた。
     そして、その考えを検証することにした。
     夏油は再び家を出た。そして数分歩いた空き地でそれを見つける。
     呪霊に近づき、目の前で掌をかざすと、呪霊は吸い込まれた後黒い球体になった。
     やはり、この球体は呪霊なのだ。
     夏油はそれをもって急いで家に帰る。自室に入ると、その球体を机の上に置いた。
     これを飲み込んで、呪霊が出てきて夏油の言うことに従ったら先ほどの考えは正しいことになる。だが、あの気持ちの悪さを思い出すと、進んで飲み込みたくない。
     しばし迷った後、夏油はそれを飲み込んだ。強烈な不味さから吐き気に襲われた。やっぱりやめておけばよかったと後悔してももう遅い。事前に用意しておいたドリンクを急いで飲んで上書きする。数回飲み込むと何とか落ち着いた。
     息を整えてから飲み込んだ呪霊をイメージしながら心の中で出ろと命令すると、空間を裂いて呪霊が出てきた。この呪霊も夏油の命じることには素直に応じる。
     やはり夏油は飲み込んだ呪霊を操ることができるようだ。
     だが、それができるからといって、夏油の日常が変わるわけではない。
     検証を終えた夏油はベッドに仰向けになると、瞼を閉じた。宿題をしなければいけないが、今日は精神的な疲労が大きくて、何もする気が起きない。
     夏油の母親は、夏油が小学校高学年に進学してから、フルで働きに出るようになった。共働きの両親が帰ってくる時間帯は決まっていないが、繁忙期の今は連日帰宅が遅い。今日の朝も、夕飯は自分で済ませてねと申し訳なさそうな顔をして出かけたのだ。
     宿題をやる、夕飯を買いに行く、風呂に入るとしなくてはいけないことが次々と浮かんでくるが、ベッドに仰向けになった身体が動いてくれない。
     もういいや、起きてからやろう。
     夏油は襲いくる睡魔に逆らうことなく目を閉じた。
     
     
     その後も夏油の日常は劇的に変化することなく淡々と過ぎていった。
     その中で一つだけ変化したところがある。
     それは、呪霊を見つけると、夏油は球体にするようになったのだ。飲み込むことはなく、自室のクローゼットの中にある箱の中にしまっている。球体がもとの呪霊に戻るかもしれないと初めは警戒していたが、数ヶ月経った今も球体のままだったため今ではほぼ放置している。
     呪霊を球体にするようになってからわかったことがある。
     一つ目は球体にできる呪霊とできない呪霊がいること。ただし、できない呪霊は弱らせれば球体にすることが可能だ。
     二つ目は取り込んだ呪霊で呪霊を攻撃することができることだ。
     三つ目は夏油が呪霊を攻撃できることだ。
     以前、球体にしようと思った呪霊に反撃されたことがあった。その時、とっさに呪霊を殴ったのだ。殴った後右手に不思議な力が込められている感じがした。この力で呪霊を殴れたのかもしれないと夏油が考えていると、突如取り込んだ呪霊たちが出現し、夏油に殴られて吹き飛ばされた呪霊を攻撃した。
     呆然として見ていた夏油が我に返ったとき、襲ってきた呪霊はだいぶ弱っていた。慌てて手をかざすと、その呪霊は球体になった。
     出会った時は球体にすることができなかったけれど、弱らせて球体にすることができた。
     その様子が不思議な生き物を捕まえて仲間にしてバトルを行う某ゲームに似ていることに気付いた。
     そのゲームと考えが同じならば出会い頭に球体にできなかったのは、単純にその呪霊のレベルが高いからだ。
     すでに取り込んだ呪霊よりも強いのだろう。
     夏油は家に帰ると、今日見つけた呪霊の球体を机の上に置いた。口直しのドリンクはすでに用意してある。
     深呼吸をして覚悟を決めると、球体を手に取り口に運んだ。ゴクリ、と丸飲みする。口にいれた瞬間の不味さと喉を取ったときの不快感に苦しみながらもなんとか飲み込むと、急いでドリンクで口の中を洗い流した。
     一息ついたところで、夏油は飲み込んだばかりの呪霊を呼び出した。突如出現した呪霊を観察すると、他の呪霊よりも一回り大きいことに気付いた。大きさも強さに関係しているのかもしれない。
     夏油が呪霊を操れるようになったことで分かったことがあった。呪霊は人の敵だ。誰かが襲われている瞬間をこの目にしたわけではないが、本能的に敵だとわかったのだ。人の世にいていいものではない。
     そのため、夏油は呪霊を見つけると球体にするようにした。取り込みは苦痛を伴うため控えているが、呪霊同士で戦うことができるならば、この先見つけた強い呪霊対策に数体飲み込んでいたほうがいいかもしれない。それに、夏油の攻撃が有効ならばもっと身体を鍛えたほうがいい。
     呪霊は飲み込みたくないが、家族や友達が呪霊による被害を受ける方がもっと嫌だ。夏油に大切な人達を守れる力があるならば守りたい。
     幼い頃に憧れたヒーローのように。
     人々に知られることなくひっそりと街を守っていたヒーロー。
     ヒーローを見ていた時のドキドキとした高揚感は年齢を重ねた今でもひっそりと夏油の中に残っていた。
     彼のように自分もなれるかもしれない。そんな未来を想像して、夏油は静かに笑った。


        §§§


     数年後の夏油が中学三年生の春、人生の転機が訪れた。
     夏油の地元は都心から新幹線とローカル線を乗り継いだ東北南部にある。この地は海には面しておらず、小さな山岳のみの平地であり、北部や山沿いに比べると積雪量は少なく比較的暮らしやすい気候をしていた。
     夏油が通う中学校は毎年三年生の修学旅行先は京都だ。二泊三日の日程で一日目と三日目が移動とクラス単位での伝統芸能の体験学習があり、二日目にグループ単位で行動となっている。
     夏油はクラスで仲の良い友人たちとグループを作り、事前に各々の行きたいところをまとめて旅のしおり作り、修学旅行を心待ちにしていた。
     そして、やってきた修学旅行の日。
     訪れた京都の街で、夏油がトラブルに見舞われたのは、二日目のグループ行動の時だった。
     夏油たちは午前中に京都の中心部から離れた嵐山に来ていた。観光地である有名な橋や竹林や列車に乗って楽しんだ後、次の目的地に向かっているときだった。
     グループの一人が少し目を離した時、先ほどまで隣を歩いていた生徒が一人いなくなっていることに気付いたのだ。
    「あれ? ■■、どこにいった?」
    「■■? さっきまでそこにいただろ?」
    「そうなんだけど、おかしいな……」
    「トイレか?」
    「この辺にトイレあったっけ?」
    「ここに来る途中、トイレの看板を見たけど」
    「なら、トイレか? 行くなら行くっていえばいいのに」
    「直ぐに戻ってくるから、ここで待ってよう」
     グループ行動中なのに勝手なことをするなと文句を言うメンバーもいたが、直ぐに戻ってくると思って、この時は誰も深刻に考えなかった。だが、十分、十五分経ってもその生徒は戻ってこない。
    「あいつ、遅くない?」
    「迷子になっているのかもしれないな……みんなの携帯に連絡来てる? ちなみに、私の携帯はきてない」
     夏油の言葉で、グループの生徒たちが一斉に自分の携帯に連絡が届いているか確認したが、誰にも届いていなかった。
     夏油はいなくなった生徒に電話をかけてみる。プルルルと呼び出し音が鳴るばかりで、電話を取る気配がなかった。
    「でない……」
     いなくなった生徒と連絡がとれない。その事態に、他の生徒が慌てだした。
    「これってやばくない……?」
     地元ならいざ知らず、ここは遠い京都の地だ。土地勘がない場所では、迷子を捜すのは容易ではない。さらに、連絡手段があるにもかかわらず、それを使えない状況に陥っているとすると、子供だけで対処できるとも思えなかった。
     だが、寄り道をしていて、着信音に気付いていないだけの可能性もある。いなくなった生徒本人が、自分が迷子であると自覚していなければ、少し友達から離れて道草をしていると思っている可能性もあるのだ。後者ならば、探せばすぐに見つけ出せるかもしれない。
     夏油は努めて冷静に言った。
    「とりあえず、周辺を探してみよう。一人にならずに二人組で、連絡は直ぐに取れるようにしてくれ」
    「二人組って、俺たち五人なのに?」
    「私は一人で探すよ。何かあったら私の携帯に連絡を入れて。私も彼を見つけたら、すぐに知らせるから」
     一人にならずに済んだからか、生徒たちの硬くなった表情が少しだけ緩んだ。そして、夏油は連絡する時間、集合する時間や誰がどこを探しに行くのか細かく決め終わると、いなくなった生徒の捜索へ向かった。


     夏油が担当したのは人通りの少ない、寂れた小屋がある場所だった。
     なぜこの場所にしたのか? その理由は、嫌な感じがしたからだ。もしかしたら呪霊がいるかもしれない。その呪霊がいなくなった生徒と関係しているのかもしれない。もしそうなった場合は、他の生徒達では対応できない。だから、呪霊と対応できる夏油が一人で来たのだ。
     嫌な感じは小屋の方からした。夏油は足音を立てずにそっと小屋へと近づく。
     小屋の外観は古く人が住んでいるように思えなかったが、周辺の草木は整備されていて人の手が入っているようだった。恐らく、近隣住民が倉庫代わりに使用している小屋なのだろう。
     夏油は入り口の扉に耳を当てて中の様子を確認するとずずと何かを引きずる様な音がした。室内に何かがいる。そのことで、夏油の中に緊張が走る。相手に気付かれないように慎重に息を殺しながらゆっくりと扉を開けると、僅かに空いた隙間から室内を覗いた。
     見えた範囲に人影はない。だが、何かの音は聞こえるが、人の話し声のようには思えなかった。
     夏油は格闘技を嗜んでいる。人相手ならば、勝算はある。だが、呪霊だった場合は少し不安があったが、今まで見つけた呪霊はいずれも弱体化することで黒い球状にすることができた。操れる呪霊は年々増えている。中にいる呪霊が今まで会った呪霊よりも強くても対処はできるだろう。
     決断した後の夏油の行動は早かった。
     夏油は扉を開いて、室内に飛び込んだ。室内は明かりがついてなく薄暗かったが、窓から張り込む光で部屋の中は確認することができた。前後右左をすばやく確認するが、人影も呪霊も見当たらない。
     音がしたのは気のせいだったのだろうか、と夏油が自分の考えが間違っていたのかもしれないと思い直そうとしたとき、頭上から助けを呼ぶ声がした。
     はっとなって夏油が声をする方に顔を上げてみると、そこにはいなくなった同級生と呪霊がいた。呪霊は同級生を取り込もうとしているのか、粘性のあるドロドロしたもので同級生の身体を封じていた。意識を失いかけているのか、同級生はぐったりとして動かない。
     夏油は呪霊が人を襲っているところを見るのは初めてだった。あり得ないモノを目にしてとっさに動けず、初動が遅れた。
     呪霊の目らしきものが新しい獲物を捕らえて、何かが伸びて夏油に迫ってきた。それを後ろに避けて躱すが、避けきれず制服の裾が裂けた。
     そしてすぐに呪霊から距離を取ると、取り込んだ呪霊を数体呼び出す。
     目の前の呪霊は今まで見た呪霊よりも強い。人質をとられているが、数ではこちらが有利である。
     身体は動ける。目の前の敵に対しての恐怖心はない。
     短い時間で人質をどうやって助けて呪霊を倒すのか、算段を付けると夏油は呪霊に向かって走り出した。


     掌の上に黒い球があることを確認すると、夏油は肩の力を抜き、息を吐いた。そして、襲われた同級生の元へと駆けつける。意識はないが見たところ外傷はなく、呼吸も安定している。生きている。それがただ嬉しかった。
     とはいえ、本当に問題がないのか早く医師に見せたほうがいい。他の場所で探している同級生たちに見つけたことを伝えようと、携帯電話を取り出したとき背後から声がした。
    「前髪、どこの術師だ?」
     夏油が振り向くと、出入口のところに立っている男がいた。身長は夏油と同じくらいだったが、恰好が奇妙だった。見えているのかよくわからないほどの黒いサングラスと白髪に着物を着ている。声はまだ若そうな気がしたが、顔が見えないため年齢が判断できない。
     それ以上に夏油が気になったのは、今までまったく人の気配がしていなかったのに、突然現れたことだった。
     夏油が、サングラスの男を怪しいやつと判断し警戒する。
    「前髪、シカトかよ」
    「前髪とは私のことか?」
    「オマエ以外に変な前髪してるやつがどこにいるんだよ。で、オマエどこの術師だ?」
     夏油は前髪の一部を垂らして、それ以外を後ろで括ってお団子にしている。前髪に特徴があると言えばあるが、変な前髪と言われるほど変ではない。夏油は少し苛立ちながら返した。
    「どこが変なんだ? 私の前髪は普通だ」
    「普通? どこが?」
    「どう見ても普通だろ。君の目は節穴か?」
    「節穴? 俺のどこが節穴なんだよ」
    「私の前髪が変に見える時点で節穴だろう」
    「絶対に俺以外にもお前の前髪が変だっていう奴はいる。賭けてもいい」
    「そうか、それなら私はいない方に賭ける」
     今までこの前髪にしていたが、学校の生徒からかっこいいと言われたことはあっても、前髪が微妙だと言われたことはない。夏油は絶対に自信をもって言い切った。
    「負けても吠え面をかくなよ」
    「そっちこそ」
     夏油がサングラスの少年と視線が合い、その間にバチバチと火花が飛ぶ。
     夏油も好戦的な性格だが、目の前の彼も同じらしい。両者一歩も譲らずに、にらみ合った後、ふと我に返ったのは夏油の方が先だった。
    「……何の話をしてたんだっけ?」
    「ああ?」
     夏油が記憶を探り、サングラスの少年の言葉を思い出した。
     そう、彼は夏油に術師かと聞いてきたのだ。
    「術師と言っていたな。私が術師かどうかと君は尋ねてきた」
    「そうだけど、オマエ結局なんなわけ?」
    「なにって、学生に見えないか?」
     今の夏油は制服姿だ。僅かな違いがあっても学生服はどこも似たり寄ったりだ。制服を着ていれば学生であることは直ぐに思いつく。
    「オマエが学生なのはわかってる。そうじゃなくてオマエが術師かって聞いてんだよ! 呪霊を操ってただろ?」
    「呪霊? ……ああもしかして、こいつらのこと?」
    「それ以外に呪霊がどこにいるんだよ?」
     呆れた口調からこの男が、化け物に詳しいと感じた夏油は、聞くことにした。
    「君は、その呪霊に詳しいのか?」
    「何言ってんの?」
    「私はこいつらのことを何も知らないんだ。だから教えてくれないか?」
    「は? 何も知らないって、オマエ術師じゃないの……?」
    「期待に沿えなくて悪いが、その術師とやらもよくわからない」
    「……非術師出身かよ」
     的が外れたのかサングラスの少年はチっと舌打ちをする。そして夏油に近づいてくる。遠目で見た時は夏油と同じくらいの身長だと思ったが、目の前で止まったサングラスの少年の方が身長は数センチ高い。
     声が若かったから同い年くらいだと思ったが、もう少し年齢が上なのかもしれないと、サングラスの少年を観察しながら夏油が考える。
     サングラスの少年はさらに夏油に近づくと一気に距離が縮まった。そしてサングラスを外す。その下から現れたものを目にした夏油が瞠目する。
     そこには美しい碧眼と端正な顔があった。芸能人だと言われたら信じてしまいそうだ。この顔で口説くことができない女子はほとんどいないだろう。
     ――だから、サングラスをしているのか。
     唐突に夏油は理解した。
     これほどの美形がもし街中にいたら、女性の視線を独り占めしてしまう。それでは生きにくい。それを隠すための黒いサングラスをしているのだと思った。
     夏油がサングラスの少年の顔立ちについて感心していると、少年は身体を屈めて夏油の腹をじっと見た。
    「何?」
     腹の一点だけを見つめられたことで、夏油がたじろぐ。
     そんな夏油の様子を全く気にも留めない少年は、顔を上げると口を開いた。
    「オマエ、色々飼ってるな?」
    「かってる?」
    「呪霊を取り込んだろ?」
    「……ッ!?」
     夏油が少年から距離を取ると腹を片手で押さえた。
    「どうして知ってる?」
    「それはこの眼で見えたから?」
     少年が人差し指を瞳に向ける。
    「眼?」
    「そ。この眼は特別な眼で色々見えるわけ。呪霊もオマエの持ってる術式も」
    「術式?」
     また、知らないワードが出てきて、夏油が訝しげに見る。
    「オマエの術式は取り込んだ呪霊を操るものだよ」
     少年の言う内容は確かに夏油の状況と一致していた。だが、夏油が知りたいのはそういうことではない。
    「術師とはなんなんだ? どうして私は化け物を見ることができる。化け物を操るのは私の術式と言われてもよくわからない。教えてくれないか?」
    「いいけど、それよりもそいつをどうにかする方が先じゃない?」
     夏油があっと呟き少年が指をさした方を振り向く。呪霊に襲われた同級生の意識はまだ戻っていない。少年の言う通り、彼を病院に運ぶ方が先である。
     夏油が制服のポケットに入れた携帯電話を取り出すと、同級生に見つかったと連絡を入れた。そして、緊急連絡先と教えられていた担任の元へも一報を入れ終わると夏油は少年と向き合った。
    「君はこのあたりの住んでる? 私は修学旅行でこっちに来たんだ。もしよかったら連絡先を教えてほしい」
     ずっと知りたかった呪霊のことや自分の力のことを知れる機会が訪れたのに、それをみすみす逃すつもりはない。夏油の京都滞在は明日で終了だが、彼の連絡先を知ることができれば、電話で聞くこともできる。絶対に連絡先は聞いておきたかった。
    「オマエどこのホテルに泊まってんの?」
    「■■■ホテルだけど」
    「どこそれ?」
     ホテル名を告げても少年はピンとこなかったのか、不思議そうな顔をした。京都は観光地のため、ホテル数が多い。地元の人でも名前だけで場所を判断するのは難しいのだろう。そう思った夏油がホテルの住所を告げると、少年はああと頷いた。
    「携帯貸して」
     言われるた通りに携帯を渡すと、少年が指で操作したあと直ぐに返した。渡された携帯電話の画面には知らない電話番号が入力されている。
    「これは君の番号?」
    「今夜電話するから出ろよ」
    「今夜?」
    「だってオマエ、修学旅行でこっちに来てるんだろ? 明日か明後日には帰るんじゃないの?」
    「ああ。明日には帰るけど」
    「それだと今夜しか時間がない」
    「今夜?……会ってくれるのか?」
    「オマエが教えてほしいって言ったんじゃん」
    「そうだけど……」
    「見つからないように出て来いよ」
     今夜少年と会うとしたら夜の時間になる。寝静まったあとに少年に会いに行くのは問題ない。栞のスケジュールに書かれていた就寝時間以降になると伝えると、少年はわかったと言った。
    「私は夏油傑という。君の名前は?」
    「五条悟」
     カタカナ文字が返ってくると予想していたのに、普通の名前で夏油が目を丸くする。
     五条の見た目が日本人離れしていたため、外国人だと思っていたのだ。
    「……日本人?」
     ぼそっと呟いた言葉を五条の耳が拾う。
    「純日本人だ」
    「……その見た目で?」
    「この見た目で」
    「……それは疑って悪かった」
     夏油が申し訳なさそうに頭を下げて謝罪した。人の見た目はセンシティブな問題である。軽々しく口にしていい話題ではない。
     反論せずに謝罪した夏油が意外だったのか、五条が面白くなさそうに「優等生かよ」と呟く。
    「不服かな?」
    「別に。俺もう行くから」
     五条は手に持っていたサングラスを再び掛けなおすと、夏油の方を見向きもせずに背中を向けた。その背に「ありがとう」と伝えても、反応はなしだ。一筋縄ではいかなそうな相手だなと夏油は思った。
     五条が出ていった後、外の方からクラスメイトの夏油を探す声が届いた。夏油は頭を切り替えると、小屋の外に出てこっちだと叫んだ。


     呪霊に襲われた同級生はあの後救急車で病院に搬送され診察を受けた後異常なしと診断された。クラスメイトの無事に夏油が胸を撫で下ろした。
     襲われた同級生が病院に運ばれた後、夏油達同じグループのメンバーは何があったのか大人たちに事情を聞かれた。
     突然いなくなったこと、そして手分けして彼を探しに向かったこと。そしてあの小屋で倒れている彼を見つけたと、夏油が淀みなく答えていく。夏油の言ったことは他の生徒たちの証言と一致していたので、特に不信に思われることはなかった。
     そして、その夜。
     夏油はこっそりとホテルを抜け出すと五条の指定する場所に向かった。ホテルの同室のクラスメイトは襲われた同級生で彼は今病院にいる。誰に見つかることなくあっさりと外に出ることができた。
     夏油は身長が高く成人男性の平均よりも高い。服装はシンプルな黒一色にしてキャップを深くかぶって顔を隠せば成人男性に見えなくもない。
     京都は観光地とはいえ中心部から外れてしまえば街灯は少ない。闇夜に紛れてしまえば、気づかれにくくなる。誰にも不審がられることなく五条の指定した場所に来ることができた。
     夏油が到着した十五分後に五条がやってきた。約束の時間から五分の遅刻であるが、教えてもらう立場の夏油はそのことに触れずに、「やあ」とにこやかに挨拶をした。
     五条は夏油を横目で確認した後、こっちと一言告げるとスタスタ前へ進む。遅れたことに対しての詫びはなかったなと心の中で呟くと、その後に続いた。
     途中夏油は自動販売機が目に入ると、五条を呼び止めた。
    「飲み物いらない? 奢るけど」
     自動販売機の前に立ちどれがいいと尋ねると五条が自動販売機の方へやってきて、順番に商品を眺めた。そして目的のものを見つけるとこれと商品を指でさす。
    「ココア?」
     戸惑っていることが伝わったのか、五条が音に出して言う。
    「ココア」
     五条は紅茶を優雅に飲んでいそうな見た目をしているのに、ココアが好きらしい。意外と甘党なのかもしれない。見た目とのギャップが面白くて笑いそうになったが、それを堪える。
    「甘いものが好きなの?」
    「そうだけど。オマエは?」
    「私はあまり食べたり飲んだりはしないな。あっ、でも、コーラは好きだよ」
    「あっそ」
     聞いてきたのは五条の方なのに、夏油の好きなものは興味がないという素っ気ない態度だった。
     夏油は五条の態度に気分を悪くすることなく、ポケットにしまっておいた財布を取り出すと冷たくなった指先で小銭を数枚掴んだ。それを自動販売機のコイン入れに小銭を入れると、まずホットココアのボタンを押した。がたっと缶の落ちる音がする。取り出し口から缶を取り出すと「はい」と言いながらそれを五条に渡した。
     続いて自分の分を買おうと夏油はコイン入れにコインを入れると温かいお茶のボタンを選択した。先ほどよりも軽い音がした後、取り出し口に手を入れると小さな加温用のペットボトルを取り出すとその様子を見ていた五条が歩き出した。
     夏油はペットボトルを両手で持ちながらその後を追う。冷たかった指先が段々と温かくなっていった。
     五条の足が止まったのは古い寺院の前だった。
     五条は寺院の方へ歩いていき途中にあったベンチに座ると、持っていたココアが入った缶の蓋を開けてごくごくと飲みだす。三分の一減ると容器を口から放して、「座ったら」と空いた隣のスペースを見ながら言った。
    「ああ、そうするよ」
     夏油が隣に座ったのを横目で確認すると、五条が口を開く。
    「それで、何が聞きたいんだっけ?」
    「……君が言っていた呪霊や術師のことだ。呪霊とはこいつらのことで合ってるのか?」
     夏油が取り込んだ呪霊に出てくるように命じると、空間を裂きながら呪霊が一体姿を出した。そして、それを見た五条が面白そうに「それそれ」と言った。
     五条の視線は完全に呪霊の方を向いていた。自分と同じように化け物を見ることができることに偽りはないと夏油は判断する。
    「こいつらは何なんだ? なぜ私と君にだけ見えるんだ?」
    「呪いだよ」
     五条がゆっくりと言った。
    「呪い?」
    「人の負の感情から生まれたのが呪いだ。それが集積して形を形成したものが呪霊。それを祓うのが呪術師。わかりやすいだろ?」
    「……いや、わかりやすいって……ちょっと待ってくれ。人の負の感情から生まれるってどういうことだ?」
    「どういうことも何もそのままの意味だけど。オマエだってストレスとか感じたことあるだろ?」
    「ストレスって……まさかそれが負の感情なのか?」
    「そ。色んな人から生まれた負の感情が集まると呪霊になる。日本で怪死者や行方不明者が年間何人いるか知ってる?」
     五条の質問に夏油は首を横に振った。
    「年間約一万人。そのほとんどが呪いよるものだ」
     初めて知る事実に、夏油が目を見開きながら「まさか」と呟いた。
    「呪いを放っておくと人が襲われる。オマエも見ただろ?」
     夏油の脳裏には、呪霊に襲われた生徒の姿が浮かんだ。
     今回クラスメイトの彼は生きていた。だが、もう一つの可能性が浮かび、夏油はゴクリと唾を飲み込んだ。
    「もし、助けるのが遅れたら彼は……」
    「死んでた」
     迷うことなく告げられた言葉に、夏油はショックを隠せなかった。彼を見つけることが遅れたら、彼は亡くなっていたのだ。その結果を想像して悪寒がする。
    「だから、俺みたいな呪いを祓う呪術師がいるんだ」
    「君もあれと戦っているのか」
    「それが仕事だからな」
    「そうか……君はすごいな」
    「はあ?」
    「だって、君は化け物と戦って人を守ってるんだろう?」
     五条の話を聞いて、呪術師が人々を守るために呪いを祓っていると解釈した夏油が疑問をぶつけた。
    「間違ってないけど……」
     口では間違っていないと言いながら、五条の口元は嫌そうに歪んでいた。
     どうしてそんな顔をするのだろうか? 人を助けることは良いことで尊いことなのにと、夏油が不思議に思う。
    「話を聞いていてヒーローみたいだと思ったけど、違うのか?」
    「違う。つーか、ヒーローじゃねえし」
    「……? 人を守ってるんだろう?」
    「結果的に守ってるだけだ」
     それを守っていると言うのではないかと思ったが、そのことを言うと長くなりそうなので空気を読んで夏油は口を閉じた。
    「わかった。君はヒーローではなく呪術師で、呪いを祓っている。それと、私のこの力はどう関係があるんだ?」
    「オマエの呪霊を操る力は術式によるもので、俺たちの言い方をするとオマエは呪術師になる」
    「私が呪術師?」
     五条は夏油の身体に指をさした。
    「オマエの中に術式が刻まれている。それに呪力――人の負の感情から生まれるエネルギーを流し込むことで呪術が使える。オマエが無意識の内に使っていたのがそれ」
     向けられた指の先に術式があるといわれても、実感がない。だが、呪霊を操る力が夏油にあることだけは理解できた。
    「……君も術式を持ってるのか?」
    「あるよ。俺は五条家の相伝を持ってる」
    「相伝?」
     聞きなれない言葉に、夏油が問いかけた。
    「親から子供へ代々受け継いできた術式だ。術師の家系は、大体この相伝を持ってる」
    「ちょっと待ってくれ。術式が血によって継がれるものならば、私の術式は? 私の親も親戚にも私のような力を持っている者はいない」
     術式が血によって受け継がれるならば、夏油の力はどこから来たのか。両親、祖父母、親戚、どこを探しても呪術師は存在しない。
    「呪術師の家系じゃなくても、オマエみたいに術式を持って生まれてくる奴が稀にいる。つっても、その場合の術式はほとんどしょぼくてオマエみたいに強い術式を持ってるのは相当珍しい」
     夏油の存在が呪術師の中でもレアケースであることはなんとなくわかった。ただ、今まで身に起こったことを考えると、素直に喜ぶことではない。
    「……」
     夏油が額に手を当てながら、天を仰いだ。
     呪霊のこと、呪術師のこと、術式のこと。一度に情報を摂取したためまだ頭の中が整理できていない。自分がこれからどうするべきなのかもまだわからない。もっと情報を集めて、じっくりと考える必要がある。
     幸い、五条は呪術師であるため、素直に教えてくれるかどうかわからないが、夏油の聞きたい情報はすべて持っている。この先、呪術師に会うチャンスがあるかどうかもわからない。そうならば、この時を逃すべきではない。知りたいことは全部訊こう。
     夏油は五条に近づくと両肩をがっちりと掴んだ後、にっこりと笑顔を浮かべる。
    「五条君、まだ時間大丈夫?」
     口では打診しながら、両肩を掴む手に力を込める。駄目だと言われても話すつもりはない。五条にもその意図が伝わり、面倒くさそうにしていたが、途中からいいことを思いついたときの悪ガキが浮かべる顔をした。
    「いいけど、その代わり俺の用事にも付き合え」
     心情的に用事に付き合いたいが、夏油は修学旅行で京都に来ている身で、明日帰る。明日や一週間後に付き合えと言われても正直困る。京都は遠方の中学生が頻繁に来れる場所でもない。
    「……明日は地元に帰るからあまり時間は取れない」
    「今からの予定だから問題ねえよ」
    「それなら大丈夫だ。だが、先に私の質問に答えてくれ」
     はいはいとだるそうにしている五条の機嫌が変わらないうちに、夏油はさっそく質問をした。


     夏油からの五条の質問が終わり、次は俺の用事に付き合えよと連れてこられた場所は、人気のない古びた建物だった。その場所は街灯も殆どなく、月明かりだけが頼りだった。
     五条は建物の前に立つと何かを唱えた。すると空から建物全体を膜みたいものに覆われる。
    「これは?」
    「帳。結界術で、これをすると術師たちを見えなくして呪いを炙りだすことができる。さらに帳の中は非術師――一般人からも見えなくなる」
     夏油がへえと珍しそうに空を見上げた。
    「だから、呪術師や呪霊の存在は世間に知られていないのか?」
    「そうだよ。呪霊の存在が公になったらどうなる?」
    「パニックになるな」
     呪霊は負の感情から生まれるためか、見た目は怖いものが多い。呪霊のことを全く知らない人が見てそれに襲われたら阿鼻叫喚になることは想像できた。
     自分たちが化け物を生み出している。それがすぐ傍にいると考えるだけでも背筋が冷たくなる。
     夏油が世間から事実を隠すことは当然だなと考えていると、ふとあることに気付いた。
    「……さっき、呪いを炙り出すと言ったか?」
    「言ったけど?」
    「……ということは?」
    「呪いが出てくる」
     口元を緩めた五条が言うや否や、夏油は背筋がぞくっとするような殺気に襲われる。夏油が後ろを振り向くと、数十メートル離れたところに、呪霊がいた。身体は小さくても圧迫感は今までの見た呪霊よりも強い。
     五条は呪いを祓う専門家である呪術師だ。彼がいれば大丈夫だと隣を向くと、そこにいたはずの五条がいない。どこにいったと辺りを見回せば、離れたところに白い髪を見つけた。ドリンクを飲んでリラックスしている姿に、これから呪いを祓うように見えない。
    「君が祓わないのか?」
    「オマエがそれを祓ってみろよ」
    「私が?」
    「言ったろ、オマエも呪術師だって。死ぬ前に助けてやるかも」
    「かもって……」
     夏油が五条の言葉に絶句していると呪霊が動き出し、対応を余儀なくさせる。
     終わったら五条を一発殴ろうと決めると、夏油は呪霊と向き合った。


     パチパチパチ。夏油が呪霊を丸い球状にすると、背後から拍手する音がした。後ろを振り向くと、そこには案の定五条が。両手を叩いていた
    「オマエ、やるじゃん」
     面白そうな声をした五条の元へ、無言の夏油が歩いていく。五条と向かい合うと、初期動作なしで右の拳で腹を殴った。
     綺麗に決まった右ボディー。
     殴られると思ってなかったのか五条は前のめりになりながら一瞬息を飲むと、腹を右手で押さえた。そして、体勢を低くしながら脚を繰り出し夏油の足元を狙う。それを夏油がジャンプして避けるとそのまま後ろに重心を落として距離を取った。
    「なにすんだっ!」
    「いきなりあんなのと戦わせておいて随分な言い草だな」
    「ああ?」
    「君の話が正しいならば、君はあれを祓う専門家だろう。それを素人に祓わせるなんて……」
    「何が素人だ! 素人だったらあんなに呪霊を取り込めるわけねえだろ!」
    「いいや、素人だよ。例え私が呪霊と取り込めて、使うことができたとしても、私には呪術師としての知識はゼロだ。私は君から謝罪される立場だ」
     どうにかできたから良かったものの、本来ならばプロがやる仕事を素人にさせたのだ。夏油の怒りはもっともだ。だから、謝罪を要求したのだが、五条は素直に謝るタイプじゃなかった。
    「ごめんなさいって謝ってほしいなら、力づくで言わせてみろ」
     五条が挑発するように言い放つ。謝るつもりはないらしい。
    「……つまり、やり合うと」
     夏油が目を細めて構えのポーズを取った。夏油は別に平和主義ではない。言葉で解決できなければ、拳で殴り合うことに異存はない。
     五条がサングラスを外した。綺麗な碧眼がまっすぐに夏油を貫く。そして、闘いのゴングが鳴った。


    「ハアハア……オマエ、変な前髪のくせにやるな……」
    「ハアハア……変な前髪じゃない。君こそ、やるじゃないか……」
     建物の外のアスファルトの上には、殴り合ってボロボロになった五条と夏油が大の字で転がっていた。
     術式は使わず呪力のみで殴りをした結果、お互い最後の一発を決めたところで、力尽き勝者なしの引き分けに終わったのだ。
     夏油は格闘技が趣味で習って数年経つ。自分から喧嘩を仕掛けることはないが、売られた喧嘩は軒並み買っていて、地元で負けたことがなかった。
     同世代は夏油に一発でも殴られれば起き上がることができない。二発以上くらって、立っていられた者を今まで見たことがなかった。それなのに五条は何発もくらっても、立ち続けていた。同世代では初めての経験だった。
     負けなかったけれど、勝てなかった相手――五条に夏油は興味を持った。
     殴り合う切っ掛けなど、もはやどうでもいい。
     なぜ彼がこんなに強いのか、その理由を知りたかった。もし、呪術師に強さの秘密があるのならば、それを教えてほしい。
     どう切り出そうか、夏油が悩んでいると五条の方が先に話しかけてきた。
    「オマエの名前何だっけ?」
     五条が上体を起こして夏油を見下ろす。
    「……夏油傑だ。君は五条悟君だったか?」
     夏油も体を起こして、五条の方を見ながら答える。
    「傑、呪術師にならない?」
     五条は夏油の質問に返事することなく、突然スカウトしてきた。
    「呪術師?」
    「呪術師を育てる高等専門学校が東京都と京都にある。俺は来年、東京校に入学するつもりだから、傑も一緒にそこに入ろう!」
    「高等専門学校?」
    「ああ。高専って知らねえ?」 
    「知ってるけど……」
     夏油の知っている高等専門学校のことだったらわかる。数は少ないが、夏油の中学校の先輩の中に高等専門学校に進学した者もいる。同級生の中には進学先に検討している生徒もいた。
    「傑は修学旅行ってことは、今中学三年生だろ? 中学卒業したら俺と一緒に高専に入ろう!」
    「……五条君は私と同級生なのか?」
    「悟でいい。俺は中三の十四歳。傑は?」
     見た目よりも言動が幼く思えたが、五条は夏油の同級生だった。
    「私も中三の十四歳だ」
    「タメじゃん。なら、来年は高専に入学できるな!」
    「ちょっと、待ってくれ。高専ってことは、ちゃんとした学校なのか? その呪術師は公にされていないんだろう?」
    「されてないけど、ちゃんとした学校だ。確か京都校は府立で、東京校は都立だった気がする……」
    「府立と都立? 東京都や京都府は呪術師のことを知ってるのか?」
    「大勢の人が被害にあっているんだ。国や地方は呪霊や呪術師のことは知っている。そこから要請されて呪いを祓うこともある」
     呪いの規模にもよるが、現代社会で呪術師だけで暗躍するのは難しいが、そこに国のバックアップが入るならば情報規制等の難易度は格段に下がる。
     なるほどと夏油が納得する。入学するかどうかはおいて、学校がきちんとした機関であることはわかった。夏油は次の疑問をぶつけた。
    「……悟が強いのは呪術師だからなのか? 正直同世代で私とやり合えるのは初めてで、悟が強い理由が知りたいんだ」
    「……俺が強いのは俺が最強だから」
    「はあ?」
     何言ってんだこいつという残念そうな目で夏油が五条を見る。呪術師の中では当たり前のことでも、呪術師でない夏油にわかるわけがない。
    「……ええと、悟が強いのは呪術師だから、で合ってる?」
    「呪術師でも弱いやつはいるけど、まあ概ね合ってる」
    「呪術師全員、悟みたいに強いわけじゃないのか?」
    「違う。呪術師にも才能があって才能があるやつは強いけど、ないやつは弱い。俺は才能ありまくりで強くて最強なだけ。ちなみに傑も才能があるから今よりも強くなれる」
     五条の話が本当ならば、夏油は今よりも強くなれる可能性があると言うことだ。
     呪術師になれば人々を呪いから護ることができる。とくに進みたい進路があるわけではない夏油にとっては悪くない選択肢だった。
    「どうして、私を誘ったんだ? それに、君はもう呪術師なんだろう? 呪術師を育てる学校に入らないといけない理由があるのか? 資格があるとか?」
     質問ばかりになってしまったが、五条が殴り合いの喧嘩をしていた相手と一緒に入学して呪術師になりたいと思った理由を知りたかった。夏油が入学すれば五条と同級生になる。呪術師が世間に公にされていないと言うならば、入学者も少ない可能性が高い。五条と仲良くやっていけるのか判断したかった。
    「俺が傑を誘ったのは、傑とだったら高専も面白そうだったから。それと高専に行かなくても呪術師になれるけど、家から出たいから高専に行く」
    「家から……ああ、だから東京校なのか……」
     五条の家族についてはわからないが、実家から離れた東京校に進学するのは、相当家が嫌だと言うことだ。それは進学する十分な理由になる。
     夏油が腕を組みながら悩んだ。
     五条は失礼な物言いはあるが、いつまでも根に持つタイプではなくあっさりしている。自分を最強だと言う自信家なところも嫌いではない。最強かどうか判断つかないが、強いことは十分伝わった。口だけでの男でもない。今まで身近にいないタイプの男であるが、嫌な感じはしなかった。むしろ付き合いやすそうな気がする。
     この時すでに夏油の心はある程度決まっていたが、ここで高専への入学を即答することは避けた。
    「もう少し考えさせてくれ。さすがに親にも相談しないと決められない」
    「……いいけど」
     そう言いながらも五条の顔は不満だらけで、その顔がおかしくて夏油がぷっと吹いた。
    「そんなに私と入学したい?」
    「わるい? ……俺と同世代でこんなにやれるやつ初めてだったんだ」
     五条が唇を尖らせる。
     強いがゆえに他者と分かり合えないことはある。夏油もまたそうだったからだ。
     だから、自分と同等の相手を見つけた時の喜びを理解できるのだ。
    「まあ、そんなに悪い結果にはならないと思うよ」
     その言葉を聞いた五条の顔がぱあと明るくなる。彼は喜怒哀楽がはっきりしてわかりやすいのかもしれないと、夏油が微笑ましそうに見ていた。
     ふと、夏油が腕時計を確認すると日付が変わってから大分時間が経っていた。一日くらい徹夜しても問題はないが、寝れるならば少し眠っておきたい。
    「そろそろホテルに戻らないと」
    「……その顔で?」
    「あっ……」
     その指摘に夏油がはっとする。夏油の顔には殴り合った後が残っている。見れば一発で喧嘩したことがばれるだろう。
    「まあ、なんとかなる」
     信じてもらえなくても階段から落ちて壁にぶつかりましたと言い張る。クラスメイトがあんなことになったのだ。つい、足を踏み外したと言えば、そこまで追及されることはない。
    「じゃあ、私はそろそろ戻るから、私が戻れるところまで案内してくれ」
     ここまで、五条の後を付いてきたので、ホテルまでの帰り道が良くわからないのだ。五条は別れが惜しいのか、仕方ないなと言いながらも案内してくれる。その道すがら、自分たちのことの話しをする。思いがけず話が盛り上がり、ホテルに着くのはあっという間だった。
    「それじゃあ、またね悟」
    「またな。後で連絡しろよ」
    「ああ、必ず連絡する」
     それじゃあと夏油が片腕を上げて手を振った後、ホテルの方へ駆け出した。

     
       §§§

     
     二〇〇五年四月、東京都立呪術高等専門学校正門前。
     道沿いに植えられた桜が満開となり花道を作っていた。そこに一人の男子学生が歩いていた。
     百七十センチを超える身長に黒い艶のある前髪をひと房残し、残りはお団子にして後ろに括っていた。制服の上は通常だが、下がボンタンで昔のヤンキーのようだった。正面から見た時にヤンキーに見えないのは、理性的な眼をしていたからだろう。
     その男子学生は正門をくぐると、口に弧を描きながら足を止めた。その視線の先には呪術高専の制服を着たサングラスをした白髪の学生がいる。
    「おせーよ、傑」
    「待たせたね、悟」
     黒髪の学生――夏油傑は、白髪の学生――五条悟の元へ向かい隣に並ぶと、二人はそろって歩き出した。
     十年来の親友が久しぶりに再会したかのような楽しそうな笑い声が響いていた。
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