意思 ――オレはガストのことを信じてる。裏切ったのは何か理由があったんだ。
――オレは出来ることがあるなら何だってやる。たとえ無駄になったって、何もしねーヤツより何倍もマシだからな。
「クソっ」
ずっとマリオンンの脳裏からアキラの言葉が離れない。
「アイツはバカだ。ガストは裏切ったのにどうしてそこまで信じられるんだ」
ずっと苛々している。直属のメンティーは軍のスパイだった。エリオスの機密情報を持ち出して世間にリークした。
非人道的な人体実験がエリオス内で行われていた。そのせいで、エリオスは市民から非難されて、活動の休止を余儀なくされた。
オズワルドの罪も公になり、マリオンの育ての親であるノヴァも憔悴している。父親が罪を犯したとしても息子の罪ではないのに、父親を止めることができなかったことをノヴァは後悔しているのだ。
マリオンはオズワルドの研究で生み出された存在であるが、そのことについてはあまり気にしていない。本来ならば気にすべきだが、いびつな誕生の仕方をしてもノヴァはマリオンを慈しんで育ててくれた。その事実がマリオンを生かしてくれる。それだけでマリオンは十分なのだ。
マリオンの気持ちはノヴァにも伝えてある。だが、気にしなくていいといくら言ってもノヴァの自己嫌悪はなくならない。ノヴァが自分を責め続けるのは、全部ガストのせいだ。
ガストが軍のスパイでなければノヴァは傷つかずに済んだ。
ガストは裏切り者だ。あいつだけは絶対に許さない。
そう決めたはずなのに、マリオンの心はずっとくすぶっている。
心を落ち着けようとピアノを弾いてみても駄目だった。
ずっとアキラの言葉が、ガストの顔が消えてくれない。
腹が立ってピアノに八つ当たりをした。
ジャンジャジャンと乱暴に指を鍵盤に叩きつけると不協和音が響いた。まるで、今のマリオンの心境のようだ。
裏切り者。
スパイ。
許さない。
「クソ、クソ、クソッ!」
ガストは敵だ。軍はエリオスとの敵対関係を示している。それならば、今まで通り倒せばいい。いなくなったガストを鞭で打って痛めつけて拘束したように、また同じことをすればいい。ガストはそれをされても当然のことをしたのだから、仲間だったからと気を遣う必要はない。
もう、仲間ではない。メンティーではなくなった。マリオンがメンターとしてガストの弁護する必要はない。
ガストは敵だ。
今まで通りに邪魔をするものは誰であろうと排除する。
マリオンがすべきことは明確でわかりきっている。それなのに、身体が重い。感情が抑えられない。心が嫌だと悲鳴を上げている。
「クソッ!」
ーーでも、オレはエリオスに入る前のアイツを知ってるんだ。スパイでもなんでもなかった頃のガストを。
「そんなの、ボクだって知ってる。エリオスに入る前のアイツを……アキラの知らないガストをボクだって知ってる」
ガストと初めて会ったのは幼い頃の旧研究所の庭園だ。女の子と間違えられて怒った前後の記憶は感情が昂ってあやふやになっているが、それ以外のガストと遊んだ内容も話したこともはっきりと覚えている。
ガストは優しかった。マリオンのやりたい遊びに嫌な顔をせずに付き合ってくれた。
同年代の子供と遊んだのはあの時が初めてで、出張から帰ったノヴァにガストと遊んでもらったことを話したのだ。
女の子に間違えられたことと、自分よりも弱い相手に守ってあげると言われたこと。そのことは今でも腹が立つが、そのことを忘れてしまいそうなくらい幼い日の出来事は、マリオンにとって特別な一日になった。
「アイツは優しかった……」
子供の頃に出会ったガストが軍のスパイで演技をしていたと思っているわけではない。幼い頃のガストの面影は、いまでも残っている。
不良時代もそうだ。アキラや弟分たちが出会ったガストは、本来のガストだったのだろう。ガストが本性が冷たい人間ならば、彼らがあそこまで懐くわけがない。
弟分たちがガストを慕っている姿を何度も見てきた。スパイでも四六時中演技をしているのは難しい。関わっている人間が多ければ多いほど、必ず綻びが生じる。それがなかったということは、エリオスに入所してからのガストもまた本来のガストだったことだ。
仲間に甘い世話焼き。
瞼と閉じれば、過ごしてきたガストの顔が次々と浮かんでくる。
「本当はアレも全部嘘だったとボクは思いたくなかったんだ。アイツを信じたかった。でも、信じられなかった。何が本当で何が嘘なのかわからない……」
もし、アキラの言う通り、ガストが裏切らないといけない理由があったとすれば、それは間違いなく妹のことだろう。
ガストが母親の違う妹を可愛がっている様子は何度も見てきた。もし、父親に妹を人質に取られて言いなりになっているとしたら、裏切らないといけない理由になるのかもしれない。
実の父親が娘を人質に取る。そんなことがあり得るのか信じたくはないが、この世に倫理観が欠落している者が一定数いることをマリオンは知っている。
もしエリオスの敵対組織にノヴァを人質に取られて、ノヴァを助けたかったらエリオスを裏切れと命じられたら?
そんなことはありえないとわかっていても、ノヴァとエリオスのどちらかしか選べなくなったとしたら?
どちらを選べばいいのか、考えるまでもないことだ。マリオンの中で答えがはっきりと出ていた。
「ボクはどうしたい……?」
ガストを裏切り者として扱いたいのか、それとも信じたいのか。救いたいのか。
本当はどうしたいのかわかっていた?答えはとっくに出てい。でも、それを簡単に認めることが出来なかった。ノヴァを傷つけられたことも大きい。だから、イライラして感情が昂ってしまうのだ。
マリオンは立ち上がると研修ルームの出入口へと向かった。廊下に出て目的の場所へと足早に歩いていく。
マリオンのやりたいことを実現するには、自分一人だけでは難しい。同じ考えの、ガストを信じている協力者の存在が必要だ。アキラでは力不足でダメだ。もっと冷静に具体的に作戦プランを立てられる者。そして、その協力者に心当たりがあった。
マリオンは目的地のラボの前に付くと、ノックもせずに扉を開けて中に入る。
「どうしました? マリオン」
マリオンの行動を咎めることなくヴィクターが尋ねる。
「ヴィクター、ボクに協力しろ」
マリオンは尊大な態度でメジャーヒーローに言った。
***
「アイツはどこにいるんだ」
マリオンの問いかけに応える声はない。
マリオンが追い付いたときには既にガストはいなくなっていた。父親と妹と置いて、ジュニアの声を振り切って一人でどこかに行ってしまった。
裏切り者だから、エリオスにこれ以上助けてもらうわけにはいかないと判断したのだろう。
ガストを引き留められなかったことを、ジュニアは頻りに悔いていた。
なにがなんだかわからなかった。わからないことが多すぎた。
行方不明のガストとジェイ。いつの間にかいなくなった軍の関係者たち。
それでも、はっきりしていることはある。
――……助けてほしい。頼む……。妹を……俺たちを、助けてくれ……
あの時、初めてガストはマリオンへの頼みを口にした。一番、聞きたかった言葉をガストが伝えてくれたのだ。
妹のハンナはエリオスで保護している。娘をサイボーグにしようとした父親の元へ返す気はない。
たとえ軍と揉めたとしても、マリオンはガストと妹を助けると約束したのだ。だから、絶対にハンナを見捨てることはない。必ずガストの望みを叶える。
「……助けてほしいと言ったのはアイツだ。ボクはオマエを諦める気はないからな。絶対に戻ってきてもらうぞ、ガスト」
今この場にいない助けを求めたメンティーが自らの意思で去ったとしても見捨てる気はない。
ガストとハンナの二人を助けること。
それが、メンティーと交わした約束で、マリオンのすべきことなのだから。
アメジストの瞳には強い意思が宿っていた。