掴むその手を握り返して「わわ!かんちょう、じぶんでできますから!」
「ずぶ濡れで帰って来た悪い子の話は聞けないな」
「そんなあ!」
わしゃわしゃとアーサーの濡れた髪をタオルで拭くコノエの顔は険しかった。普段ミスをしてもここまでコノエが険しい表情を見せる事がなかったため、アーサーは困惑していた。
コノエがここまで怒る理由がアーサーにはわからない。先程から続く説教も、アーサーにはどこか遠い世界の話でしかなかった。
コノエは自分を何だと思っているのだろうか。
「コノエ大佐、あとは俺がやります」
ノイマンが代わりを買って出るが、コノエは自分がやると受け入れなかった。ノイマンもアーサー同様びしょ濡れのため、シャワーを浴びて体を温めるといいと逆に気を遣われてしまう。
「ですが」
「のいまんくん、さきにしゃわーあびてきて!ボクもすぐいくから!」
「……わかりました」
アーサーを気に掛けるノイマンに心配かけまいと、アーサーは笑顔で手を振って見送った。
コノエの説教が終わったら一緒に入れるかな、とその背を見送っていると、普段より低い声音で名を呼ばれた。
「アーサー」
「はい」
見上げた先、コノエの表情が曇って見えた。
「かんちょう?」
アーサーは首を傾げる。
「随分ノイマン大尉と打ち解けたようだが、何かあったのかい?」
踏み込んでくるのは珍しい、とアーサーの思考が疑問で埋め尽くされる。心配されているのか、それとも別の思惑があるのか、アーサーには判断がつかなかった。
けれど、とアーサーはにっこり笑ってみせた。つられてコノエの頬が緩む。
「ひみつです!」
その笑みが凍り付いた、場の温度が数度一気に下がったとは後方から見守っていたクルーの談である。
「ボクのとくべつのばしょにいってきたので、ひみつなんです!のいまんくんにもひみつにしてほしいとおねがいしたから、ボクもひみつなんです!」
アーサーもコノエが固まったのがわかり、一生懸命説明をするが、逆効果だとは気付かない。
「っ!?」
アーサーの両肩をコノエの大きな手が掴む。
「秘密の場所とは、僕にもかい?」
「か、かんちょうにもひみつです。ボクだけのばしょで、」
「でもそこにノイマン大尉を連れて行ったんだろう?」
「それは、のいまんくんだからです。かんちょうとはいけません……」
「理由を聞いても?」
「っくちゅん!」
「……ああ、すまない。シャワーを浴びて温まりに行こうか」
アーサーを抱き上げシャワー室に連れて行こうとするコノエにアーサーは驚き、声を上げた。
「かんちょう!ひとりであるけます!」
「今日一日ノイマン大尉に抱っこされていただろう?」
「のいまんくんだからいいんです!あ、ボクもいっしょにしゃわーあびて」
「駄目だ」
「かんちょう?」
「私の部屋のシャワーを使うといい」
「できません!」
「アーサー」
「だめですー!」
「あ、こら!」
コノエの腕の中から抜け出し、通路を走り抜ける。後ろからコノエが追い掛けてくるのがわかったが、止まれなかった。
あの腕の中にいるのが今は怖かった。
「のいまんくん!」
ちょうどシャワー室から出てきたノイマンが見えた。
「アーサー?」
「だっこしてボクのへやにつれていって!」
「え、何が……」
「ノイマン大尉!彼を捕まえてくれないか!」
「コノエ大佐?」
背後から切羽詰まったコノエの声がとんできた。
ノイマンは暫し逡巡した後、飛び込んできたアーサーを抱き上げて走り出した。
「大尉!?」
「申し訳ありません!今日はアーサーの気持ちを優先させたいんです」
ぎゅ、とアーサーがノイマンの服を強く掴む。
「大丈夫だから。それより部屋の場所教えてくれないか。まだ覚えきれていないから」
大丈夫だからと伝えるようにノイマンはアーサーの背中をさする。それに安心したのか、アーサーは息を吐いて呼吸を整え、道案内の声を上げた。
「つぎをみぎにいって、そのあとすぐのかどをひだりに……」
そうして辿り着いたアーサーの部屋に素早く入ると、その場に2人して座り込んだ。アーサーを抱き抱えて本気で逃げたことでノイマンの息が少し上がっている。
「また怒られちゃいますね」
苦笑しながらアーサーを見ると、眉を下げて今にも泣き出しそうな顔をしていた。
「まきこんじゃってごめんなさい」
出来れば違う言葉が欲しいのだが、その話はいずれするとして、今のアーサーに必要な事から済ませる事にした。
「……それよりシャワー浴びちゃいましょうか、体少し冷えてますね」
もう一度アーサーを抱き抱えて部屋備え付けのシャワールームに入る。温かなお湯を頭から被って、アーサーの気が緩んだのがわかった。
暫くして、ノイマンがアーサーの髪を洗い始めた頃、ポツリとアーサーが呟いた。
「かんちょう、こわかった」
「そうですね」
よくコノエに捕まらなかったな、と思う。全力でいけば簡単に捕まえられるのを、怯えさせてしまうと気を遣ったのか。
「またやらかしちゃった」
「そうなんですか」
アーサーの体を洗いながら返答する。
「ひみつのばしょのこときかれたけど、いえなかったの」
「まあ、ひみつのばしょですからね」
髪と体の泡を洗い流し、ふわふわのタオルで髪を包み込む。
「ひみつはわるいこと?」
アーサーは大人しく髪と体を拭かれていた。
「悪くはないですけど、寂しいんじゃないでしょうか」
「どうして?」
首を傾げる様子から、本気で言っているのだとわかった。少し考えて、ノイマンは逆の立場の話をしてみることにした。
「アーサーはコノエ大佐が自分の知らない場所にフラガ大佐と出掛けてたらどう思いますか?」
「なかよしさん?」
これは厳しいな、とノイマンは思った。
シャワールームから出ると、ノイマンはアーサーに服を着せた。自身も服を借りて着込む。
「自分も行きたいとは思いませんか?」
「かんちょうがいっしょにいきたいひとといってるんだから、じゃましたくないとおもう」
「大佐はアーサーと行きたいのでは、と俺は思うんですが」
「のいまんくんのきのせいじゃなくて?」
「気のせいだったらあんな殺気だって俺を見ませんよ」
「かんちょう、こわかった?」
「すごく」
アーサーが考え込む仕草をする。と同時に瞼が少しずつおりてきていることにノイマンは気付いた。
これ以上話していても流されるだけだろう。それならば。
「アーサー」
おいで、と両手を広げて名を呼べば、何も言わずに胸に飛び込んできた。抱え上げ、ベッドに寝かし付けると、ノイマンはそのまま隣に横になった。アーサーが一瞬驚いた顔をして、ふにゃりと頬を緩ませて笑った。
「いっしょにねてくれるの?」
「ちょっと疲れたので。迷惑だったら床で寝ます」
「ううん、このベッドひとりだとおおきすぎてさびしかったから、ここにいてほしい」
ぎゅ、とアーサーがノイマンの胸元を握り、体を寄せてくる。ノイマンは小さなその手を包み込むようにして手を重ね、胸に抱いて眠りについた。
今日一日何度となく繰り返されたその行為は、まるで置いていかないでと言っているかのようだった。