明日世界が終わるなら「ねえ、明日世界が終わるなら、何がしたい?」
ありきたりな質問だとは思った。無人島にひとつなにか持っていくなら〜とか、100万円手にしたなら〜とか、そういった類の。現実的ではない話に、正解など存在しない。だが、目の前の享楽主義者はそんな答えなど求めてないのだろう。ふと、付き合ってやることにする。
「急に言われても思いつかないけど、でもまあ、いつも通りすごすんじゃねえの?」
「んー、ちがうよ、そうじゃなくって。君の願望が聞きたいの。あるだろ、童貞卒業! とか」
「それを俺が言っててめえは喜ぶのか?」
「悲しみと怒りとその他諸々の真っ黒な感情で死にます」
「アホのひと?」
既に想像して死にかけてるアホは放っておく。ともあれやりたいこと、か。そもそも自分に何かを施す、だとか自分のために何かをする考えることが苦手な俺に聞くものでもない気はする。きっと面白い回答はできないし、それこそありきたりな答えしか導き出せない。頭に浮かんだソレを素直に伝えるのも、なんだか小っ恥ずかしいものであった。
「で?どうなの」
「……べつに」
「ん…?」
「べつに、お前といられりゃ、なんでもいい」
「ロナルドくん……」
顔面が熱い。らしくないことをしているのはわかってる。茶化すなり、馬鹿にするなりすればいいと顔を伏せる。けど、予想にないことを、ドラルクはした。ふわ、と香るのは落ち着く匂い。頼りない力で包まれて、耳元でこしょこしょ話をするような声のトーンで、言う。
「ありがと」
照れくさくて、けど幸せそうな顔を見て、顔が綻んだ。なんだ、いいのか。これで。二人顔を合わせ、ふわふわと笑いあった。
――そんな日常を、思い出したのは、明日、本当に世界が終わる日だ。
なんてことはない。吸血鬼には色んな奴がいて、その誰もが変態だけではなかった。S級の、悪意のある吸血鬼のせいで、世界はてんやわんや。ドラルクの爺さんでさえ手に負えないなんて、世界が終わることを信じる他なかった。終末が、こんなにもあっさり訪れるなんざ、思っちゃいなかった。元凶の吸血鬼はもういない。最期に世界を道連れていくと逝ったからだ。馬鹿にならないほどでかい隕石は、くっきりと空に見えていた。これが衝突するのが、明日だそう。どうすることもできない。だから、皆、各々諦念し限りある時間を過ごしている。
「ロナルドくん」
「なあ、なんで、なんでこんなことになってんだ?誰も守れない。皆が絶望してる。明日なにもかもが終わるだって?ふざけんなよ」
吸血鬼退治人であるのに。何も出来ないまま、運命だと受け入れなきゃならないのか。吸血鬼の悪行を、止められないまま死ななければならないのか。昨日までそんなこと微塵もなかったのに。昨日まで、平和だったのに! 刻一刻と迫る死が、こんなにも怖いだなんて。
「明日世界が終わる。俺は、それが有り得ないから、あんな呑気なことを……」
「呑気、か……なあ、今でも私は、君の言葉を信じてるんだよ」
「黙れよ、喋んな。俺は、最後まで、諦めねえ。諦めてたまるか……ッ」
「どうせ何も出来ないのに?私と過ごすって、言ってくれたじゃないか」
どこまでも利己主義な吸血鬼に腹が立つ。吸血鬼。そうだ、吸血鬼だ。お前らがいなけりゃ、こんな事態にならなかったのに。カチャりと、銃口を向ける。最愛だった、家族に。相棒に。恋人に。
「……なんのつもり?」
「俺は、吸血鬼退治人ロナルドだ。最後まで、それは変わらねえんだよ」
「私を殺してなんになるのさ。どうせ君も死ぬのに。どうせみんな死ぬのに」
「ッ、なんで……平気で、受け入れる?死が身近だからか?俺らは、俺は、ちがうんだよ……おまえらとはちがう」
強大な力も、永い寿命もない。たった一人の気の触れた吸血鬼によって、壊されるほどの簡単で、脆い世界。耐えきれない人間。ああ、そうだよ。
「……なあ、怖いよ、ドラルク……死にたくない」
「……明日、世界が終わるとしたら、君は何がしたい?」
あの日と同じ質問。胸に抱く答えはちがう。でも、気持ちは何ら変わってない。
「……おわらせたくない。しにたくない。お前ともっと、明日よりも先も、ずっと、生きたいんだよ……」
カチャンと銃が落ちる。俺も膝から崩れ落ちる。みっともない。しかたない。本心だから、しかたない。
「そっか。ふふ、そっかあ」
「……は、?」
「じゃあ、生きよう」
ドラルクがパチンと指を鳴らす。と同時に、今まで外に居たのにも関わらず視界に広がるのはいつもの事務所だった。呆気に取られて思考が停止している俺の前にしゃがみこんで、ニコッと不健康そうな笑みを見せつけられた。
「覚えてる?幻覚見えるくん。御真祖様に頼んで、効力強めてもらったんだあ」
「あ……?」
「君の答え、どうしても知りたくなっちゃって。意地悪とか、茶化すためじゃないけど、ちょっとやりすぎたかな」
ごめんね、と涙を拭われ頭を撫でられる。説明を受けても何も分からなくて、ひたすら瞬きを繰り返すしかできない。ズッと鼻が鳴る。なんだって?
「外見てみな。嘘だって、わかるから」
「うそ……?」
油の切れたブリキドールのようにぎこちなく後ろを見てみる。窓の外の絶望がまさしく消えていて、その雰囲気はいつもと変わらない。嘘? じゃあ、なんだ。踊らされたってことか……?
「あした、くる?」
「明日も、明後日もくるよ」
「おまえが、しくんだの?」
「…………まあ」
肯定の意を見せた瞬間、俺は奴を殴った。抜けた腰は戻らないままだから追い討ちは出来なかったが、一発に全てを込めて殴った。返せ。俺の涙と気持ちと言葉と時間とその他諸々全て返せ。弄ぶにしても、酷いだろ。お前が死んだフリするくらい酷い。
「しね、しね、しね…ッ」
「わぶ、やめッこら、はなッし…!きいてッ!」
「うっせ、俺で、遊びやがって、クソ、最悪、死ね…!」
「ちがうってばあ!」
ザクザクと十字架で砂をかき混ぜる。一生死んどけばいいのに。けど、何か言いたそうだったから、少し待ってやる。モゾモゾと動いて十字架から離れ、人型に戻っていく。弁明とやらをやってみろ。
「本当に、切羽詰まっても同じ答えなのか気になったんだよ。明日滅んだら、なんてありもしないことだから……なんでも言えると思って」
「で?感想は?」
「私と生きたいって言ってくれて大変満足ですありがとうございます」
「うーん、死ね」
事務所が賃貸でよかったな。そうでなければ銀の弾で貫いてるところだ。泣いて喚いて叫び疲れた。金輪際しないでほしい。
吸血鬼はニコニコとしている。気色悪くて、そのままを伝えると軽く砂になっていた。何故そんなに浮かれてるのか、聞きたいような聞きたくないような。聞かなくたって、ペラペラと喋るのがコイツだけど。
「ロナルドくん、いつか一族になろうね」
「あ?ならねえよ」
「ふふ、いいよそれでも」
奴の眼光が、赤く見えた気がした。
(――だって、本心では退治人の使命より私と生きる方を選ぶんだから)
(ヌン)