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    月海 故

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    月海 故

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    2022年3月27日発行の無配。
    事故物件に住むことになった縁壱の話。
    キャラクター崩壊等、色々と捏造。なんでも許せる人向け。
    ホラーではなく普通にらぶです。

    💝冊子版の頒布が終了したためエアブー230212にて公開いたします。
    お手に取ってくださりありがとうございました。

    心理的瑕疵 熱めに沸かした湯を張り、ゆっくりと湯船に浸かる。
     一日の疲れを癒す時間だが、この時、俺の口から零れるのは深く重い溜息。このところ、鬼舞辻無惨に関してとても大きな悩みを抱えている。
     ……と、その話の前に、少し。
    「プライベートな場所は遠慮してくれと言ったはずだ。今はやめてくれ」
     浴室の扉、その磨りガラスにぼんやりと映る人影に言う。するとそれは煙のように散って消えた。
     素直に退散してくれるからいいものの、風呂とトイレは勘弁してくれと何度も言っているのに。


     先に話した通り、悩み事を抱えている。
     どうにもならない事実に、どうしようもない己の想いを上乗せにした、雁字搦めにこんがらがった俺の悩み。
     思い煩い半年ほど経った時、当時住んでいたアパートの契約更新を迎えた。日々儘ならず過ごしていた俺は、心機一転このマンションに移り住んで、それから三ヶ月と少し。

     ここは物件情報の備考欄に〝心理的瑕疵あり〟とあった部屋だ。

     どういうことかと不動産屋に尋ねたところ、前居住者が自ら命を絶ったのだと説明された。詳細は話せないと言われたが、こちらも特に聞く気はなかった。
     だって、人はいずれ死ぬ。
     誰かの死の記憶を持たない土地を探すのなら、高い山のてっぺんか海の底にでも行かないと。
     通勤の立地がよく、家賃が安い。食費が嵩むので家賃を抑えられるのはありがたいことだった。
     間取りは1DK、風呂トイレ別。ダイニングキッチンから続く和室を障子襖で仕切ることができる良い部屋だ。
     内見の際に、和室の吊り下げ照明の下だけ真新しい畳に替えられていたのを見て、ああそういうことかと思ったが、替えてくれているなら何も問題は無い。
     そして迎えた入居初日。花を手向け、線香をあげて手を合わせた。
     その後も今日まで花だけはずっと、部屋の一番日当たりのいい場所に供えるようにしている。亡くなったのは女性だと入居後すぐに分かったから、花は好きかと思って。


     風呂から上がり、脱衣所で着替えを済ます。
     これまでは入浴後、汗が引くまで暫くタオル一枚、下着一枚でいることが多かったのだが、先述の通り相手は女性。
     こちらがプライベートな空間への干渉を禁じている以上、礼儀として彼女への配慮もしなければならない。
     俺の家なのだが……仕方ない。だって彼女はまだそこに居るのだから。
     現世への未練があり成仏ができないようだった。そんな相手に出ていってくれと言うわけにもいかないし、きっと他所へ行くこともできないのだろう。

     部屋の中は独特の雰囲気がある。
     曖昧だが確かにある自分以外の存在を感じながら、風呂上がりにビールでも、と冷蔵庫を開けた。すると中には、こんなところにあるはずのない俺のスマホが。
    「今夜は電話はしないよ。用事がない」
     缶ビールと冷えたスマホを取り出し、和室へ移動しながら呟く。これは独り言ではない。
    『言……て……』
    「無理だ」
    『言って……言って……』
     ぴたりと背後に張り付くような気配。耳に吐息がかかる感覚も。けれどもう、わざわざ振り向いたりしない。
     俺が何をしようが何を言おうが、いつだって彼女の反応は同じだった。こちらを恨めしげに見つめ、口にするのは『言って』のただひと言だけ。
     それが毎晩ともなれば相手などそうそうしていられない。
     プルタブを上げると、炭酸の抜ける音が彼女の声に重なり部屋に響く。グラスは使わず缶のままひと口。畳敷きに直に座り込み、別段見たくもないテレビを点けた。
     すると即座に電源が落ち、ついでに部屋の電気も消える。
    「いい加減にしてくれ……今夜は無理だと」
    「もしもし。どうした縁壱」
     手にしている缶を落とすところだった。
     スマホだ、やられた。ロックを解除されて勝手に電話を掛けられた。
     ハンズフリーで通話の繋がった相手は——件の悩みの種。
    「遅くにすみません、鬼舞辻さん」
    「まだ社内にいるのか? 何か問題でも?」
     不意に漏れる溜息と一緒に暗がりに缶を置く。闇の中で煌々と光る画面を頼りに手を伸ばし、常温に戻ったスマホを掴んだ。
     ハンズフリーをオフに切り替え受話口を耳に当てると、またぴったりと背中に張り付いてくる気配を感じた。なんだかいつもと違う。首筋に、さわさわと粟立つ悪寒が走る。
    「……いえ、自宅です。間違って掛け、っ……ぅ……」
    「なに? よく聞こえない」
    「ん、ぐ……!」
     俄かに首の絞まる感覚。何かが食い込んでいるようだが、触れてもそこには何もない。ただ、首の肉が抉れるようにデコボコとしているのを触れた指先に感じた。
     瞬く間に意識がぼんやりと霞み始める。脳裏に浮かぶのは彼女の姿だ。その首に絡まるのは、細いビニール紐。
     音がすると錯覚するほど強く、きつく首が絞まっていく。
    「カハッ……何をっ……やめ、て、くれ」
    「おいどうした」
    「苦し……ッ……きぶ、つ…………」
    「縁壱……? 縁壱‼︎」
     遠退く意識の向こう側、耳鳴りに混じって聞こえるのは繰り返し俺を呼ぶ声。

     鬼舞辻無惨。悩みの種。
     彼は俺の、好きな人。
     そして、前世で俺が死の淵まで追い詰めた、鬼の始祖だ。



     昏く、深いところへ沈んでいくような心地。
     走馬灯のように巡るのは、あの人とのこと。

     出会いは新社会人として入社した会社の配属先だった。
     当時の俺には前世の記憶などなく、彼の下についてこの二年、社会人としての心得から仕事の仕方までを手取り足取り教わってきた。
     前世の鬼舞辻無惨について知っていることといえば、鬼の始祖であること、人を喰い、鬼に変えてしまうことだけ。たったそれだけだ。パーソナルな部分はひとつも知らない。
     けれど、現世の彼のことは二年も傍で見てきたからよく知っている。
     遣り手なだけあり厳しく難儀なところもあるが、面倒見の良い人だ。
     見た目の良さに竹を割ったような性格も相まって、上からは目を掛けられ、慕う同僚も多い。同じだけ敵も多いが。
     そんな彼の対外的対応は、俺から見て完璧に近かった。
     よく聞き、よく見て、話が上手く、余裕があって、人を魅了する。頭の回転の速さだけは真似できないが、俺なりに仕事をこなす一方で、彼の姿は良き手本となった。
     だが、彼の見習うべき部分は対外的なことに限って。
     後輩、とりわけ俺への叱責や暴言は日常茶飯事。おかげで鍛えられ、今では舌打ちで済むことが多くなった。
     しかし鞭だけでなく飴を与えるのも上手い。努力した分だけ頑張りを認めてもらえるのは嬉しかった。
     初めて飲みに誘われた時には、あまりの感動に涙ぐんだほどだ。そんな俺を見て大笑いした、あの時の彼の笑顔は今でも忘れることができない。
     飲みの席では仕事の話をしない人だ。見聞の広い彼からは色々な話を聞くことができた。人としての魅力に溢れる彼と、共に過ごす日々は心地よかった。
     公私を使い分ける彼の〝私〟の部分を知ってからは慕う気持ちも増し、その憧れが恋愛感情に変わるのも早かった。
     それから程なくして、運命が見計らっていたかのように俺は思い出した。できれば知らずにいたかった。

     己があの人の命を奪うためだけに生まれた存在であった、そんな事実。

     そうやって思い煩い、彼に恋焦がれ、それをきっかけに引っ越しを決めたこの家。越してきてすぐ、一度だけ彼を招いたことがあった。
     招いたというより、引っ越したことを話したら彼が来たがったから。しかしこの部屋は所謂〝事故物件〟だ。それを抜きにしても、引っ越しの直接的理由である彼を自宅に呼ぶというのも避けたかった。
     だから前居住者の死があったことを話したのだが、彼も俺同様そんなことは気にしない性質で、それがどうしたと言われてしまえば他に断る術は見つからなかった。
     彼女がまだここに留まったままであることは伏せ、彼とこの部屋でささやかな酒宴を楽しんだ。
     悪しき因縁深い相手とはいえ今や想い人。プライベートな空間に彼とふたりきりというのが嬉しくて、あの日の俺は舞い上がっていた。
     酒の量も、ペースもいつもの倍以上。昂る気持ちのままに甘えた声を出し、必要以上に彼に近付いて、無遠慮に瞳を覗き込む。話す声に聞き入っては、うっとりとして返事も忘れた。とにかく酷い有様だった。
    「お前は酔うと甘えたに拍車がかかるな」
    「酔ってないよ」
    「それに敬語も忘れる」
    「今は業務中じゃないし。ここは俺の家だから」
    「それは関係ないだろ」
    「そうかなぁ」
    「おい、デカい図体で寄り掛かるな。重い」
    「鬼舞辻さん、いい匂いする。香水?」
    「そんなもの付けるか」
    「じゃあこれは鬼舞辻さんの匂いだ」
    「嗅ぐな。戯れ付くな。犬かお前は」
    「わんっ」
    「まったく……私の犬ならば賢く常に忠実でいろ」
     こんな俺の無礼も彼は笑って許してくれた。ぞんざいに髪を撫でられるのが嬉しかった。間近で聞く彼の声は普段と違って艶があり、胸がときめいた。
     あれほど楽しい夜は初めてだった。
     だが結局、俺は継国縁壱であり、あの人は鬼舞辻無惨。それにやはり、招いたこと自体、良くなかった。

     彼女に知られた。俺の、あの人への恋心を。

     入居初日から始まった霊障は、どこからともなく部屋に響く啜り泣く声。それを聞いて、あぁ亡くなったのは女性なのか、と理解したのだが……その死の理由を知ったのは、彼を招いた翌日だった。
     それまでは泣くばかり、姿を見せたとしても首を吊った姿でこちらをじっと見つめるだけだった彼女が『言って』と初めて口を開いた。
     何を『言って』欲しいかなんて、ひとつだろう。そして彼女はきっと、同じように抱えた想いに潰されて、伝えたかった気持ちを言えずに命を絶ったのだろう。
     それから彼女は事あるごとにぴったり俺に張り付いては、自分の無念を口にするかのように囁き続けた。
     話をした程度で聞き入れてくれるはずもないが、躱し続けるにも限度がある。一度しっかりと俺の気持ちも聞いてもらおうと、視線を交え膝を突き合わせたことがあった。
    「心残りのまま死ぬ辛さを、俺も知っている」
     鬱血して浮腫んだ彼女の顔は、生前の様子を想像できるものではなかった。生気のない、瞳孔の開いた瞳。瞬きもせず俺を見つめ返し、また同じ言葉を繰り返すのみ。
    『言って』
    「言ってどうなる」
    『言って……』
    「今のまま、このままが一番いい」
    『言え』
    「言えないよ……」
    『言え‼︎ 言えぇ‼︎』
     襲い掛かるような勢いで捲し立てる彼女に手を伸ばし、すぐそこの半分腐り落ちた指先に触れた。
     こんな風になるまで見つけてもらえなかったのかな……とても寂しかったろうに。
     触っても温度や感触がない。触れている感覚はあるのに、はっきりと情報として届いてこない妙な感じ。
     それはそうだ。彼女は、死んでしまって、もうここには居ない人。心だけ取り残されてしまった人。
     誰かを想っていた、大切な心だけ。
    「前世というものは本当にある。人の魂はぐるぐる巡っているようだよ」
    『……言って』
    「魂は真っ新になり、次へ行く。それでも、遺してきた心は消えないのだな。まるで傷のように。だからどうしても忘れられないんだ」
    『言、っ……』
    「俺はあの人だけでなく、兄まで遺して死んだ。志を共にした仲間には置いていかれ、ひとりだけのうのうと生きた後に。それに比べたら今のこんな悩み、だなんて笑い飛ばせれば俺も楽だけどさ」
     下手くそな笑顔を向けたら、赤黒く血で染まった縊死の目が逸らされた。暫くお互い黙って、次に口を開いた時、俺の声は震えた泣き声になっていた。
    「好きだと……気持ちを伝えることがこんなにも困難なことだなんて知りもしなかった」
    『……』
    「君も知っているだろ? 俺なんかよりもきっと、もっとたくさん……」
     項垂れて、彼女の表情は見えなくなった。代わりに、心を裂かれるような啜り泣きが聞こえてくる。気持ちが同調するように、悲しくて悲しくて胸が絞られるように痛んだ。
    「ごめん、泣かせるようなことを言って。ごめんな……」
     喉の奥が震えて、目頭が熱くなる。俯き、瞬きをすればぽたぽたと涙が落ちた。俺が触れている彼女の手もまた、同じように濡れていた。
     死してなお、涙は枯れないのだ。ずっとずっと、泣いているしかないのだろうか。



     目尻を濡らした涙が滑り落ちていく。またひと筋、もうひと筋と。
     それを拭ってくれる手の温もりが愛おしくて、握りたい、握って二度と放したくないという気持ちから、俺は昏倒より引き戻された。
    「鬼舞辻さん……?」
    「縁壱、良かった……大丈夫か」
     床に倒れ込んだ俺を見下ろす逆光の顔は、普段見せない、不安に傾いた険しい顔。髪を撫で付けてくれる手は、先程涙を拭ってくれた手だ。心配してくれているのが分かる。
    「急に、意識が……でももう大丈夫です」
    「電話越しに女の声がした。そいつはどこへ行った」
     部屋に明かりが戻っている。彼女の姿はない。
     悲しみを抱えているだけで、危険な子ではないと思っていた。だが、こうなってしまうとそんなことも言っていられなくなる。
    「……貴方には関係ない。来てくれたことには感謝します。だが帰ってくれ、すぐ」
    「何だその言い草は。心配して車を飛ばして来たんだぞ」
    「だから、それは感謝していると……」
     玄関は施錠してあったはず。何故彼は部屋に入れたのか。胸騒ぎがする。この人をここに留めてはいけない。
     彼女はどこだ? どこかへ消えてしまったなんてことは有り得ない。未だ靄のかかったような思考に加え、耳鳴りも酷い。だがとにかく彼をここから遠ざけないと。
     軽い吐き気も覚えながら上体を起こそうとした。そこで突然に状況が変わる。

             チカ、チカチカッ

     部屋の照明が激しく点滅。それからばつんと音を立てて電力が落ちた。急激に室内の温度が下がり、指先から凍り付いていくよう。
     しかし背筋を這い上がるこの悪寒は、寒さからではない。
     ——不味い。
    「早く出ていってくれ。ここにいては駄目だ」
    「ここで死んだ者の仕業か。それが電話口の女?」
     思うように身体が動かない。思考も鈍い。状況は悪くなる一方。
     流石の彼だ。俄には信じ難い状況にもこの落ち着きよう。しかし普通の人間にどうこうできる相手ではない。こちらは亡者に介入できないのに、あちらはお構いなしだ。俺が卒倒させられたのがその証拠。
     彼も今はただの人。どれだけ肝が据わっていようがそんなことは関係ない。
    「鬼舞辻さん、帰って……お願いだから」
    「ここを出なければならないのはお前の方だ。行くぞ」
     半身を起こすのも精一杯の俺の肩を抱き、立ち上がらせようとする彼にしがみつく。
     生まれてこの方、病気知らずで体力にも自信のある俺がこのザマだ。人ならざるもの、また、人の想いの力というのは凄まじいのだと痛感させられた。
     未だ呼吸も整わず、身体に重しでも括り付けられているかのようでうまく身動きも取れない。焦りから彼に視線を向けると、それに応えて彼は微笑んだ。
    「給料は悪くないはずだが。何でまた事故物件なんかに」
    「……食費が」
    「ッ、ハハハ! なるほどなぁ」
    「笑わないでください、こんな時に」
    「食い意地から安い住まいを選ぶからこういうことになるんだよ」
    「腹が減っては戦ができぬ、というじゃないですか……」
     薄いカーテン越しに入り込む僅かな光を受けて闇に浮かぶのは、笑いを噛み殺す、好いた人の横顔。
     場違いに愛おしさで胸が詰まる。見ていられなくて間近の肩口に目元を押し付けた。
     すると時機を窺ったかのように耳に届くのは、気を失う前に散々聞いた声。
    『言って……』
     離れ難い温もり、彼の濃い匂いに溺れていたかった。
     だがそれは許されず、顔を上げればフッと目の前に死相が浮かび上がった。
    『ヨリイチ』
     ぎょろりと剥く黒ずんだ目が俺を捉える。
     しかし、その視線はすぐに遮られ、見えなくなった。
    「醜い腐れ顔を縁壱に近付けるな」
     彼の掌だ。目隠しをした手はそのまま髪を梳き、俺を引き寄せる。目元は再び肩口へ導かれ、それから鼻先が彼の腕にこすれた。
     呼吸をすれば胸いっぱいに、彼の匂い。安心感から図らずも溜息が漏れる。凍て付くような寒さになった部屋の中、けれど彼の温もりに心だけは解けていった。
    「鬼舞辻さん……俺……」
     俺は、この人が好きだ。どうしようもなく好きだ。
    『言って、言って』
    「耳を貸すな、縁壱。立ってここを出ていく、お前はそれだけを考えろ」
    『言って。言えヨリイチ、言え……言えぇェェ……』
     彼への想いが高まるとそれを感じ取るかのように彼女の勢いも増した。倒れ込んでいる身体に這い寄る彼女が触れてくるのを感じる。
     それを引き剥がそうと、懸命に俺を抱き寄せ後退りする彼の胴に腕を回し、想いのままに抱き締め返した。
     その存在を目一杯感じながら考える。これは彼女の作戦なのではないか、と。
     俺は呆気なく落とされ、それを餌に彼はここへ誘き出された。彼女が口にするのは一貫して『言え』それのみ。
     強い未練のあまり我を忘れた暴挙かと思ったが、やり方は少々強引でも、やはり彼女の目的はひとつ。
     単純に『黙って見ていられない』という、お節介心故の行動だろう。
     俺は好きな人に告白をすることすらもひとりではできず、彼女にお膳立てされ、挙句、この状況下で彼への強い想いを再認識させられた。
     情けなくて話にならない。
    「全く話にならんな」
    「うん……本当に、どうしようもない……」
    「いい加減ここを出るぞ。気合いで立て」
    「待って、聞いてくれ。俺、貴方のことを」
    「後にしろ。この女がお前に何を言わせたがっているにせよ、今は関係ない」
     関係ない。
     俺の想いなんか、この人には関係ないかもしれない。
     けれどこの想いは俺だけの大切なもので、たとえこの人だって踏み躙っていいものではない。
     それに、誰に託すこともできない。俺が言わなければ、直接口にして伝えなければまた悔い続ける日々がくる。
     そんなのはもう御免だ。
    「でも、貴方のこと」
    「関係ないと言っただろ。こんな雑魚に取り憑かれて卒倒させられるようなお前など、鬼でなくとも敵ではないし、怖くもなんともない」
    「……ちょっと待ってくれ。俺に前世の記憶があること、気付いてたのか」
     情けなくしがみつくような形になっていた身体を咄嗟に離し、少し距離をとって彼を見据えた。
     これは……どういう状況だ? 理解が追いつかない。
    「半年ほど前だったか、突然私への態度が一変しただろ。しかし持ち直したから吹っ切れたのかと思っていたが……未だ気にしていたとは。図体の割に肝っ玉の小さい男だ」
    「アンタはずっと、知っていて……俺が〝継国縁壱〟だと分かっていて……?」
    「急に生意気な口をきくなぁ? いい度胸だ」
    『ヨリイ』
    「ごめん、君は少し黙っていてくれ」
    『……』
    「この女がしつこく『言え』と言っているのは前世のことだろう?」
    「……違う」
     心臓が痛いほど鳴っている。それが呼吸のリズムを乱す。手が、唇が震える。これは霊障云々ではなく、単に動揺と緊張からだ。こんなことになって、言い出しにくいったらない。けれど視線を合わせる。
     こうなったらもう、言うしかない。言いたい。伝えたい。
    「俺、貴方のことが好きです」
     言葉にしたらひと粒、涙が零れた。それを拭った手に、温かさが戻っている。身体の不調も消えた。
     俺が〝言った〟から、彼女が場のプレッシャーを解いたのだろう。
     一方、俺が想いを伝えた相手はというと、口をあんぐり開けて固まって……いたと思ったのに突然舌打ち。
     それから離した距離を一気に詰めてきた。
    「この女の言う通りだな。そういうことはもっと早く言え、このボンクラが」
     それだけ言うと、唇と唇が触れ、重なった。
    「ん、っ……? ン、なに、ッ」
    「我慢して損した」
     そのまま畳敷きに押し倒されてしまった。そして始まる怒涛のキス、キスキスキス。
     待って、どうなってる。展開についていけない。
     彼にいいように唇を吸われ、俺はまるで金縛りにあったかのように動けなくなっていた。
     それは彼女もまた、同様に。
    『…………』
     この人、幽霊を絶句させた。なんて人だ。
     彼女は俺たちの傍に座り込んだまま、ただただキスされ続けている俺を見下ろしている。
     このまま彼の背中に手を回してもいいものだろうか……いや、ここは一旦、話をまとめた方がいい。
     しかし、キスが止まる気配はない。
     髪をくしゃくしゃ撫でられて、やわく唇を啄まれるのが気持ちいい。キスの合間に顔にかかる甘ったるい吐息で胸がムズムズする。彼の目は俺だけを見ていて、俺も彼を、こんなに近くで視界いっぱいに捉えている。
     これは正に幸せの絶頂というやつだ。
     けれど解決していないことが、ひとつ……いや、ふたつ。
    「きぶ、ふ、っ……俺、貴方に、ン、」
    「好きだと言わせたい? もう言わずとも分かるだろう」
    「っ、じゃなくて」
    「ではなんだ? 言葉よりも身体に分からせた方が早い。おとなしくしてろ」
     不機嫌そうに眉を寄せてはいるが、こちらに向ける視線は柔らかく、絶えず髪を撫でてくれている掌も優しい。
     この雰囲気に甘えて、言いにくい話をしてしまおう。
    「そうではなく! 俺はあの時、貴方を……」
    「古い話を持ち出すな。私を見ろ。死んでいるか?」
    「ううん……」
    「それに殺し損なったな、ザマァミロだ」
     彼は愉快とばかりに鼻で笑い、意地悪気に目を細めて俺を見下ろす。こんな表情を見たのは初めてで、また新たな一面を知り胸が高鳴ってしまうが……そうではなく!
    「それでも……俺が貴方に負わせた傷は消えない。想いと同じだ、消えずに遺る」
    「身にも心にも深く鮮烈に刻み込まれたからこそ今がある。あれが無ければ、私はこれほどお前に惹かれなかった」
     再び唇が触れ合う。ふわりと重なり、そのまま彼の唇が、不安を取り除くまじないでも聞かせるかのように動いた。
    「縁壱……お前はよく笑うし、人懐こくよく話す。傍にいて飽きない。面倒を見てやりたくなる。あの化け物も人に落ちればこんなにも可愛い生き物になるのだと驚きだよ」
    「……アンタはきっと、あまり変わらないんだろうな」
    「そうかもなぁ? では喰ってやろうか、お前のこと」
     わざとらしく雰囲気たっぷりに言って、けれどおかしそうに笑って、鬼舞辻無惨は俺の唇を愛おしげに喰んだ。
     彼との蟠りがなくなって、もうこのまま身を任せたくなるが、ふたつめを解決しないと。
    「待っ……彼女に話、んんっ……キスは後っ、ふぅ……」
    「……放っておけ、この女の望みは叶った。そのうち勝手に成仏するさ」
    「ちょっと、待ってくれ」
    「待ったよ。余程あの夜喰ってしまおうかと思ったが……あれだけ戯れつかれてもお前の好意は確信できなかったし、無理強いはしたくなかったから」
     そこから徐々にキスの様相が変わっていく。唾液にくぐらせた舌の平が、俺が話し続けるのを阻止するように唇の上を這う。
     反射的に肩を押し返したら、髪を撫でていた手が咎めるようにそこを鷲掴みにした。おとなしくしろと再度告げられるが、こんな扱いは黙っていられない。
     もう一度肩を押し、髪が引き攣れるのも構わず顔を背ける。すると今度は腹に乗り掛かられ耳介に噛み付かれた。
    「……っ」
    「なあ、もっと悦くしてやるから素直にこちらを向け」
     耳に口付けられながら低く囁かれるが、それに期待するどころか腹が立った。なにが「無理強いはしたくない」だ。待てと言っているのに!
     体躯ではこちらが優勢だが、彼にはそれすら余裕で覆す何かがある。押し退けるのは簡単なことなのに、どうしても強く出られない。二年も下について仕事をしてきたからだろうか……手綱を握られてしまっている感は否めない。
     そのまま味見の如く、耳やら頬やら舐められ吸われ時々噛まれ。しかしとにかく一旦やめて欲しいという気持ちは伝えねばと、服を引っ張ったり身体を捩らせたりと無駄な抵抗をしつつ、傍らで取り残されている彼女に目をやった。
    『……ヨリイチ』
     遠慮がちにこちらを覗き込む彼女と視線が交った時、俺は瞠目した。
     彼女は変わらず腐りかけの死に姿。けれど微笑んでいる。固く閉ざしていた花の蕾が綻ぶような笑顔だった。
    「君は……笑った方がいい。もう泣くのはそう」
     乗り掛かっている相手のことは放って手を伸ばしたら、彼女はそれに応え手を取り、笑みを深めた。
     その姿がきらきらと赫いて見える。まるで朝日の雫のように美しく、触れる指先は温かい。
     あぁ、重なった掌から彼女の想いが伝わってくる。
     ——辛く、とても悲しかった。でも確かに、誰かを愛する気持ちは素晴らしいものだったと。幸せだったと。
    「俺もそう思うよ。この人を好きになって良かった」
     それを聞いて、放置されたままの俺の想い人が彼女を振り返る。それから心底うんざりするというような声を出し、俺の手を掴んで彼女から強引に引き剥がした。
    「で? 最後まで見ていくのか? 早いところ成仏して、次の命で己の無念を晴らした方が健全では?」
    「そう、良いことも悪いこともある、生きているのだから。君も、次は悔いなく生きることができるよう祈ってる」
    『うん……ありがとう、ヨリイチ』
    「礼を言うのは俺の方だよ。ありがとうな」
     煌めく彼女は笑顔を湛えたまま、暗闇に溶けていった。そして部屋に明かりが戻る。
     彼女はもう、ここには居ない。
    「よし、邪魔者は消えたな」
     その途端、気を取り直して、とでもいうように無遠慮に俺の服の下に手を潜り込ませる彼にドン引きの視線を送る。
    「何だその目は? あれが居ようが居まいが、結局はこうなった。私たちはそういう風に生まれついているからな」
     そうだろう? とニッコリ微笑まれるが、こちらの返事など待つ気のない彼がこの唇に喰らい付く。じっくりと舌を絡ませ甘く歯を立てる、一方的に俺を味わうようなキス。
     情緒もへったくれもないが、しかしやっと、俺も彼の背を抱き寄せその口付けに応えることができた。



     こうして幽霊とのルームシェアは、たった三ヶ月で幕を閉じた。その後、次の更新を待たずして俺は、好きな人と共にいられる新居に移り住むことになる。
     相手は勿論、鬼舞辻無惨。変わらず悩み多き恋路だが、今はとても充実した日々。
     ふたりで暮らすこの部屋で一番日当たりの良い場所、それは南側の窓辺。そこに花を供える代わりに、小さな鉢を置いている。春になるとささやかな花を咲かせるらしい。
     ここに根ざすことができるようにと願いを込めたその鉢植えに水をやりながら、今日もまた幸せだと、そう、噛み締めて思う。
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    月海 故

    DONE2022年3月27日発行の無配。
    事故物件に住むことになった縁壱の話。
    キャラクター崩壊等、色々と捏造。なんでも許せる人向け。
    ホラーではなく普通にらぶです。

    💝冊子版の頒布が終了したためエアブー230212にて公開いたします。
    お手に取ってくださりありがとうございました。
    心理的瑕疵 熱めに沸かした湯を張り、ゆっくりと湯船に浸かる。
     一日の疲れを癒す時間だが、この時、俺の口から零れるのは深く重い溜息。このところ、鬼舞辻無惨に関してとても大きな悩みを抱えている。
     ……と、その話の前に、少し。
    「プライベートな場所は遠慮してくれと言ったはずだ。今はやめてくれ」
     浴室の扉、その磨りガラスにぼんやりと映る人影に言う。するとそれは煙のように散って消えた。
     素直に退散してくれるからいいものの、風呂とトイレは勘弁してくれと何度も言っているのに。


     先に話した通り、悩み事を抱えている。
     どうにもならない事実に、どうしようもない己の想いを上乗せにした、雁字搦めにこんがらがった俺の悩み。
     思い煩い半年ほど経った時、当時住んでいたアパートの契約更新を迎えた。日々儘ならず過ごしていた俺は、心機一転このマンションに移り住んで、それから三ヶ月と少し。
    11038

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