相手の長所十個言わないと出られない部屋 目を覚ますとそこは異界でした。
「じゃ、ねぇんだっつの! ああ、もう!」
長身の男は声を荒げながらもう一度戸を蹴った。紅色の鉄扉はびくともせず沈黙を貫いていた。
甘寧と凌統は覚えのない一室にいた。物がなく、狭い部屋は二人が寝転べば満員となるような空間だ。まずそんな状況で目を覚ました凌統がひと騒ぎし、甘寧も意識を取り戻した。どこだここという疑問を一通りぶつけ合い、とにかくぶっ壊すという提案も一通り試した。体力のある凌統が息切れするほど、扉や壁や天井、床に向かって攻撃してみたが、どれも体を痛めるだけであった。
早々と物理攻撃が効かないことに気付いた甘寧は、嘆いて苛立つ男を置いて壁を見渡していくことにした。冷たい石壁を眺めていくうちに、一ヶ所だけ変色しているのを発見した。
「凌統、これ見えっか?」
「なんだよ。……って、よくこんな小さいの見えたな。翡翠でも埋めてあるのかねえ」
天井の角に近い部分にぽつりと緑色がある。光を照らせばもう少し澄んだ色になるだろうそれは、壁の中でくすんだ顔をして二人を見下ろしていた。
「お前あれ取れるか?」
「なんで」
「もうお手上げだろ。ちっとの異変は触ってみようぜ」
「結構高いけどまぁ、やってみますか」
甘寧を退かした凌統は逆の角まで後退し、軽く体を捻りながら動きの想定をした。頭を打っては困るが、かなり跳躍しないと届かない。その瀬戸際を狙って跳ばなければ、と考えながら足を踏み出した。
「よっ! うわ、固いな」
作戦通りに指が触れるも、石は頑丈に埋まったままだ。
「……いや、十分なんじゃねえか? なんか光ってるぜ」
「え? 本当だ……ったく、あんたといると妙なことばっかりだ」
「ついでにもう一つだな」
甘寧の言葉の意味が分からず眉を寄せた凌統は、また違う壁を指さされて目を向けた。石の壁にじわじわと墨で書かれたような文字が滲み出てくる。ぞっとする程奇妙な現象だった。
「なるほどなぁ……」
字を読み上げた甘寧は珍しく小さい声だ。
「どういうことだっつの……」
呆れ返った凌統は、心底疲弊していた。悪い夢を見ていると思いたかった。
――互いの長所を十個述べよ 戸は開かれる
「詰んだな」
「詰んだわ」
ほぼ同時に言って睨み合った。
「おいおい、あんたに十個も良いとこないのは仕方ないが、俺には有り余る程あるでしょうよ」
「お前のそういう性格全部短所でしかねえだろ!」
「短所だったらすぐ出られたってのに、なんでまた」
凌統が手を顔面に乗せて天を仰いだ。指の隙間から見えるのはほとんどが温かみのない石の天井で、唯一の違いであった翡翠はのんきに光り続けていた。
「とにかく捻り出すしかねえか……」
「新手の拷問だ……」
「そうなんじゃねえの? それか俺らの間柄良くしようとかっていう」
「余計なお世話すぎるね」
「つうかよ、本当に言や開くのか? 適当なこと言ってりゃ開くんじゃねえの?」
甘寧が扉を向いてまた口を開く。
「凌統は……俺の嫌みだけすらすら喋る」
ブーー。
聞いたこともない音が鳴り響き、紫の光が甘寧に向かって伸びてきた。雷に打たれたような痺れが甘寧に走る。
「いってえ!」
「甘寧っ!」
「わり、痛えけど、平気だ。しっかし、やべえな」
「……たちが悪すぎるって」
どうやら逃げられない。本気で互いの長所を言い合うしかない。男らは目を合わせて現状を認め合い、背中を向けて胡座をかいた。時々うんうん唸りながらそれぞれの良いところを漁るのがまた奇妙で、凌統は自嘲した。
甘寧はというと先ほどの痺れもあって真剣に凌統のことを考えていた。皮肉屋で常に斜に構えていて、甘寧にだけ特にきつく当たってくる男だ。表面だけ見れば長所など浮かんでこない。それでも、二人の間には確かな時間があった。戦場を共有し、時に背を預け、命を助けてきた時間は内面を知るのに十分足りる。
甘寧は凌統の戦っている姿に惹かれていた。それが、信頼を向け合う内に少し人間的にも惚れてしまったところだ。嫌みったらしい言葉の中に楽しそうな様子が見えると、ぐっとくることもある。笑ってくれようものなら、その日は浮かれて過ごしていることに今気がついた。
(こんなとこではっきり自覚するたぁ、だせえよなぁ)
意識をすると背後から熱を感じるようだ。少し離れただけの背中合わせ。仇からここまでくるのに多くの経験を分かち合ってきた。
頭をひと掻きして、息を吐き切る。凌統の顔が見えないのは都合がよかった。恐らく向こうも同じであろう。
「っしゃ、行くぜ」
「え、あんたもう十個挙がったのか」
「まあな。まず、強いだろ」
一応言葉を止めてみるが、先ほどの警告音は鳴らなかった。
「強いってこた、色々やってきてっからだよな。努力を惜しまねえし、得物の扱いが上手い。背が高くて、体が柔らけえ」
甘寧は指を折りつつ列挙する。これで半分。音も光もやってこない。ちらっと後ろを向くと、馬の尾が上にあった。かなり俯いているようだ。
「命張れる覚悟があるってのはでかいだろ。どれだけやべぇ状況でも、お前はくじけない。不屈ってやつか、それが良い」
真剣な答えを言う自分が可笑しかった。こんな機会でもなければ披露されることはなかっただろう。変な雷に打たれて甘寧は開き直ってきた。こうなりゃぶちまけたもん勝ちだ。
「軍議で思ったのは、意外と学がある。兵法とか、結構詳しいよな」
「……あんたに比べりゃね」
「俺にとっちゃ、一番いいのは仇を受け入れるその度量だな」
甘寧があぐらのまま体の向きを変えた。正面には凌統の背中がある。先ほど随分曲がっていたそれは、いつも通りぴしっと体を支えている。鈴の音で姿勢が変わったのに気がついたのか、凌統が振り向いた。首だけ横に向けていて、三白眼が髪の隙間から覗く。正面にある耳はほんのり赤らんでいるように見えた。
「受け入れてねえっつの」
「そうかよ。けど背中預けてくれんだろ」
「あんたがくたばったら、殿が悲しむだろ」
「へっ。口の減らねえ奴」
相変わらずの皮肉の連続だが、いつもと違い静かな空間だからか大人しい声色だった。それが心地よい気がして、また可笑しくなって甘寧は喉で笑った。咎めるような睨みがすぐに飛んでくる。
「まだあと一個残ってるぜ」
「お前もわざわざ数えてたのか?」
「足りないとかで俺まであんなの当てられるなんざ御免だからね」
やや早口に返してくる凌統が愛おしい気がしてきて、甘寧はそれをごまかすように顎に手を当てた。呂蒙の真似のような仕草で答えを勿体ぶると目の前の男がそわそわしてくるのが面白い。少しだけ上体を近付けると、色んな焦燥でびくっと体が揺れる。それを無視して甘寧は耳元に十個目を告げた。
「意外とよく食う」
凌統が二度三度と瞬きする。警告音は降ってこない。どちらにも満足して甘寧は顔を綻ばせた。
「……なんだっつのそれ、そんなんでいいのかよ、つうか誰が判定してんだか、本当どこなんだいここは、悪趣味すぎ」
ぶつぶつ言う男を横から眺めるのはいたく爽快だった。笑っていると靴に拳が降ってくる。叩かれているのに笑いは止まらない。触れられる距離にいられることが嬉しかった。
「ったく、いつまでにやにやしてんだか」
「いいからお前も言えよ、ビリビリ来るぞ」
「う……」
目の前で紫の雷を見たのが相当利いたのか、凌統が皮肉をやめて首を戻した。背中に凌統の毛先がかかる。振り向くといつもある光景だ。戦の時より近いそれは、手を伸ばせば触れられそうだった。
「なんかあんた、小狡い感じしたけど、俺も使わせてもらうぜ。一つ、あんたは強い。癪だけど認めてる」
一つずつ文句つきか?
甘寧がまた笑った。伸ばしかけた腕はしっかり戻し続きを待つことにする。無理やりではあるものの、凌統が己の長所を述べてくれることが痛快でたまらなかった。
「その体格。筋肉維持すんのは相当すごいよな……まぁ体力バカだとも思うけど。あと、弓が上手い」
甘寧は戦を喧嘩と呼ぶほど体を動かすことが好きだ。それに関することを褒められるのは気分が良い。
「戦ん時も思うけど、動物みたいだ。あ、これは批判じゃなくて、なんつうかな、すぐ異変に気付くだろ。察しがいい。さっきの石もそうだけど」
「あー、そう言われりゃ勘は良い方かもしれねぇな」
「案外、役に立つんじゃないの。あとは、切り替えが早いっつうか楽観的っつうか。その前向きさに救われてる奴は、わりといると思う」
顔は見えていないのに、甘寧には凌統の表情が分かった。声に真面目な性格がよく出ていて、こういう時はまっすぐな目で前を向いている。その真顔が甘寧は結構好きだった。
「あんたの豪快な性格についてく奴、多いだろ。部下からの人望があるってのは、良いことだと思う。俺はあんたの軍、喧しくて敵わないけどね」
「姉貴とか呼ばせてやっか?」
「酔っててもぶん殴る」
軽口の応酬が楽しい。喧嘩でも酒宴でもないのに同じくらい心がうずうずする。不思議な感覚に、甘寧は腕を組んで暴れだしそうな衝動を抑え込んだ。
「周瑜さんがいつだか言ってた。あんたは周りを巻き込む力と勢いがあるってね。あん時は認めたくなかったけど、まぁ、少しはそういうのもあるかもしれない」
「あの周瑜がなぁ」
「そう。孫策様みたいだって。それは今でも言い過ぎだと思うけど」
「そういう、誰かに似てるとか言われんのはあんまり面白くねぇな。俺は俺だろ」
「違いない。リンリンうるさいのが何人もいちゃ困るってね」
少し凌統の肩が上がった。きっと唇の端をひり上げていることだろう。やっぱり、甘寧への皮肉を言うときが一番楽しそうに聞こえる。
「あんたのそういう、しがらみのなさが羨ましいよ。自由っていうか、囚われてないとこ」
「お前がちがちだもんな」
「一々口挟むなっつの。次、動きが早いなって思う。あんまり深く考えてないからだろうけど、腰が軽い」
どちらかと言えば逐一挟んでいるのは凌統の方だ。そうやって均衡を取らなければ恥ずかしくてたまらないのだろう。
勝手に推測していた甘寧の目の前で、凌統が振り向く。ほんの少しまだ耳が赤い。凌統も指を折って数えていたようだ。残るは一つ。
少し間があいた。甘寧までそわそわが移った程だった。
「……るとこ」
「あん? 聞こえねえよ。ブーーってやつ来るぜ」
「俺を、認めてるとこ。父上抜きの凌公績を、あんたは見てくれる」
甘寧は目をしばたたかせた。警告音が鳴らない代わりにガチャンと鈍い金属音がした。凌統がさっさと立ち上がって扉を向くと、あれだけびくともしなかった施錠が解除されている。
さっきまで謎の状況に対しべらべら文句を言っていた凌統が何も言わずに扉を開けて奥に消えた。慌てて甘寧も続くと、古い書庫の奥に繋がっていた。扉を閉めると、何故かすーっと消えていく。現象に対して疑問を抱くのはもう諦めている。
それよりもずっと、最後の答えが甘寧の中に響いていた。凌統にとっての長所が、甘寧が凌統を認めていること、というがとても嬉しいことのような気がした。
走って長身の背に腕をぶつけながら強引に肩を組む。
「勝利の酒と行くか」
「何に勝ったんだっつの」
「条件突破しねえと俺とあの部屋で死んでたかもしれねぇぞ。まぁ、俺はお前とならそれでも良かったけどよ」
「冗談。肩、鬱陶しいんだよ。放せっつの」
「やなこった。褒め合った仲だろ」
「一刻も早く忘れてくれないかい」
引き剥がされない喜びを噛み締めながら、甘寧は凌統からの言葉を頭に刻み入れていた。
【おわり】