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    hoshinami629

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    hoshinami629

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    ギリシャ神話の知識がない私がこれを書くのはー?など思って途中で止まってしまったもの。何か読み返したら割と綺麗だった。

    #オリジナル
    original

    時の神ひとり「ねえカイロス。貴方は永遠を知っているか」
     微睡むような昼下がりだった。神々の集う園生に数多くある噴き上げ、その内の一つの縁に腰掛けて、二人は退屈を潰していた。
    「永遠を司る貴方が、私にそれを訊くのか」
     カイロスは半ば意外そうに、半ば呆れた様にそう返した。噴き上げは間断なく飛沫を上げ、常春の庭に割れては散ってゆく。背後にその水のざわめきを聞きながら語らう神の声は、どこか気怠げだった。
    「時の神二人が語るのに、これ以上うってつけの話題はあるまい。違うかな」
     アイオーンはそう言って「機会」の神に微笑んだ。カイロスは肩を竦めてそれに応える。神々の多くが好む退屈凌ぎの一つに議論があるが、アイオーンの横に腰掛ける前髪の美しい寡黙な神は、暇があれば専ら人間界を眺めるばかりで、議論を疎んじる向きがあった。今もこうして瞼を半ば閉じて、心の片側を人間の眼前に差し出している。
    「……永遠は私の庭には存在しないのだ、アイオーンよ。あるとすればそれは貴方の庭だ」
     アイオーンはその言葉にまたも笑んで首を振った。
    「いいやカイロス、そうではない。私が訊いたのは永遠が何処にあるかではなく、永遠を知っているかどうかだ」
    「尚の事だろう。私の掌中に存在しないのだから、知るべくもない」
    「良く考えて。貴方は死ぬべき人の子に遍く訪れる『機会』の神だ。人は、と或る重大な決断の機会を前にした時、一瞬すら永遠に感じる事がある。違うかい」
     カイロスは考え込む様にその言葉に耳を傾けていたが、ややあって否と口にした。
    「一瞬が永遠にも等しい価値を持つという事を人間が理解する為には……。残念ながらクロノスの司る『時間』が必要なのだ。その一瞬の機会の内に、すぐさま永遠を感得する訳ではない」
     カイロスは持ち前の用心深い思考と口調とで、静かにそう答える。アイオーンはほんの少し眉を上げると、片頬で笑った。
    「つまり一瞬の中の永遠というのは、その者がその後重ねる年月によって——則ち回想の力によって立ち現れるものだという事か」
     カイロスは伏せていた瞼を開けると、どうだろう、と返した。彼の目は開きこそしたものの、視線の先にある花を眺めるというよりも、思索の中を泳いで何かを探している様子だった。
    「回想の力なのだろうか、それは分からないな、私は人ではないから。その者の背骨にのしかかる年月の重みが、まるで土を大理石にするかの様に、その者自身を内から変えてゆくのだ。人にはそういった不思議な、奇跡の様な変化が多くある……。ともあれ、機会は選択の一瞬だ。そしてその一瞬が、経年により段々と永遠へ昇華する。真実が変容してゆくのだ」
     アイオーンは大理石という言葉に反応して、腰掛ける噴き上げの縁を指でなぞった。正にその石は複雑な縞模様を宿す大理石で、二人の脚の辺りにひんやりとした感触を与えていた。
    「大理石か……。しかし、という事は矢張り瞬間の中に永遠は内包されているのではないのか」
    「瞬間の中に永遠の可能性は内包されているかもしれないな。が、それは瞬間即永遠という事とは別だろう」
    「成る程」
     アイオーンは詰まらなそうに相槌を打ち、それきりふつりと黙り込んだ。暫くの間、噴き上げの飛沫が落下しては跳ね返る音だけが周囲を支配した。風はそよとも吹かなかった。鳥も鳴かず、従って枝も葉末も沈黙していた。
    「……ねえカイロス。瞬きの内に起きては消えてゆく全ての現象は、この園生の花に似ている。そうは思わないかい」
     カイロスはその言葉に、意外そうな表情でゆっくりと瞬く。美しい黄金色の前髪が、その静かな動作に合わせて微かに動いた。その煌きは、まるで噴き上げの水が散ってゆくのにも似ていた。
    「人の子が手にしたと思い込む全ての事象は、実はどれも人間の手の内には存在しない。それは只、神の庭に咲いては凋れる花に過ぎない。人はそれを見つめては喜怒哀楽の綾を描き続ける……愚かにも……。自身がまるで庭園の主であるかの様に、思い違いまで起こす……」
     アイオーンは踝まで届く長い黒髪を、払う様にして耳にかける。後ろ髪を結っていた緑柱石の飾りが、大理石に当たってかちりかちり、と音を立てた。その音は同意の様にも反駁の様にも聞こえた。全ては曖昧で、微睡んでいた。カイロスは友の言わんとする事の底に流れるものを感じ取りながら、今まで目に映していなかった美しい花々を冴え冴えと眺めた。
    「人間は花を愛でる事をやめず、また庭を持とうとしたり、己が庭の主人であると錯覚したりする事もやめない。事象の花は全て、園生を有する神の為のもの。人は神の庭に招かれた客人に過ぎないと言うのに……」
     アイオーンはそう言うと振り返って、噴き上げの先端で水が割れ落ちる様をじっと見つめた。長い髪が、紡がれたばかりの絹糸の様にうねる。緑柱石の髪飾りが、またかちかち、と鳴った。
    「愛と所有の混同、か。花々の儚さを憐れむ余り、花々への愛惜と花々の所有とを取り違える」
     カイロスがそう呟くと、アイオーンは水から目を移さぬ儘、傲慢、と小さく言った。
    「神の庭、神の花を所有せんとする傲慢、愛していれば所有しても良いと思う傲慢、そもそも、神のものを限りある命の不完全な尺度で憐れむ傲慢……」
     カイロスが冷徹な永遠の神の横顔を眺めると、瞳は存外深い色をしていた。愛と所有とを取り違える事が傲慢ならば、では神々の愛は所有と完全に峻別されていると言い切れるのだろうか、とカイロスはふと思った。
     水が限界まで噴き上がり、重力に従って割れ落ちてゆく。割れ目は常に移ろい、右へ左へ、上へ下へと微かに揺れ続ける。所有と愛は、全く似ていないが同時に良く似ていた。
     人は所有と愛とが分けられないものである事を、神々より知っているのかもしれない。もしカイロスがそう言えば、矢張り貴方は人の子に肩入れする、と嘆息されるのだろう。だがカイロスは、人にその美しい前髪を掴ませる度に、人と神との別が分からなくなるのを感じた。神は人より死に近しかった。人の燃える様な変化の熱は、神に無いものだった。
     人が傲慢ならば神もまた傲慢だろう、そう言いたかったが呑み込んだ。アイオーンはここ最近、何かを探していた。忌み嫌う傲慢さの中にすら分け入って、何かを捜し求めていた。
    「しかし……。しかし、ならば愛とは?」
     アイオーンは水に問い掛けるかの様に囁いた。カイロスは答えを持たなかったし、水もまた同じだった。アイオーンの深い瞳を見れば、まるで瞳それ自体が泉であるかの様に、水の陰翳がちろちろと揺れていた。
    「愛は何処にある?愛を知っている者は居るのか?永遠もそうだ……愛もそうだ……私のものだというのに、私に与えられたものだというのに、私にはそれが何処にありどんなものなのか、分からない……」
     アイオーンの独白は、静かだったが苦悩に満ちていた。何もかもが何の音も出さなかった。只、水だけが落ち続けた。カイロスは慰めの言葉を口にしなかった。神々は神々の在り方で、人の子は人の子の在り方でそれぞれに傲慢だった。人の子の限りある命の、炎の様な、真夏の日の様な、燃焼そのものと言わんばかりの熱。脚の裏を冷やす大理石。清冽に落下し続ける噴き上げの水。死人の如くに冷たい神々。その園生。
    「知らずとも……掴んで離さない者は居るものだ、アイオーン」
     そう言うと、カイロスは誰かに前髪を引かれたのを感じて、また瞼を閉じ、心を人の子に沿わせた。静かで美しい庭園も、涼やかな噴き上げも、同胞の辛そうな瞳も、眼裏で瞬く間に溶けて消えていった。辺りは暗闇だった。息苦しい程の熱を浴びた。誰かの腕が彼の前髪に伸びて来て、指を絡めた。火傷をしてもおかしくない程の熱を帯びた指先だったが、カイロスにはそれが嬉しかった。扉を開けてくれ! 胸を叩かれた。叩く衝撃を身に受ける度、胴の中心が鈍く爆ぜた。良いだろう、とカイロスは思った。溶けてしまえ、そして変わるのだ、と人の子に囁く。前髪を掴む手から、遂に炎が上がった。必死の形相が見えた。まだ若い女だった。瞳の奥に太陽が輝いている、それが彼女の熱源であるのが見て取れた。カイロスは瞳の奥の日輪の眩しさに胸を焦がされながら、アイオーンへ向けた自らの言葉を反芻した。知らずとも掴んで離さない者。愛の何たるか、永遠の何たるかを知らずとも、この火山の奥、溶鉱炉の内にそれらを収める多くの死すべき人間。彼の前髪を掴む人間。女の喘ぐ口からは火花が出ていた。溶けてしまえ、そして変わるのだ。女は扉を探る様に、空いた左手を彷徨わせた。右手に神の美しき前髪を絡めた儘に。開けてくれ!開けてくれ!
     女の中にある扉が、カイロスには見えていた。女の輪郭はどんどんと熱に溶かされ、扉だけがその形を顕にした。絶叫が響いた。女もカイロスも、全身が燃えていた。この熱が、カイロスの愛するものだった。カイロスが永遠の可能性と認めるたった一つのものだった。だが、この熱が何という名を持つか、彼には分からなかった。
     どろどろの左手が扉を叩いた。火を噴く右手が扉を押した。黒曜石の様に黒光りした二つの日輪には、カイロス自身が映り込んでいた。金色の前髪が、炎を照らして火花の様に輝いている。先程見た、アイオーンの瞳の奥と何と違う事だろう。心の片隅で、カイロスはちらりとそんな事を思う。
    「開けてくれ! 開けてくれ! お願いだ!」
     カイロスは女の背に触れた。溶岩の様なそれは、最早人間とは異なる形をしていた。背骨の奥は、真っ赤な鉄の色だ。
     息苦しい程の熱、苦しみ、喘ぎ、叫び……その中からだけ、永遠が生まれる。この灼熱の一瞬が冷えて、ゆっくりと時の重みに潰されて、そうして漸く玉は生まれる。
    「さあ、開けろ。お前自身が開けるのだ」
     最早女は先程までの女ではなかった。溶けた蝋燭の様な手が、たどたどしく彷徨う。その手はゆっくりと扉の把手を掴み、大儀そうに引いた。扉が、ゆっくりゆっくりと開き始めた。向こう側から、冷たい風が吹いた。女は熱を持て余して、僅かな扉の隙間に身体を押し込む様にして通り抜けた。炎も熱も、ぐんぐんと縮んで、遂には溶鉱炉の中とも思えたそこ場所には、神と、後は只闇が残された。
    「ありがとう」
     扉が閉まる瞬間、向こう側から掠れた声が聞こえる。カイロスは小さく笑う。
    「いや、それは私の言葉だ」
     扉が閉まる。カイロスは瞼を開けた。神の園が、完璧な秩序を伴って広がっている。
    「嗚呼、死んでいる」
     カイロスは思わず嘆息した。その言葉に、同胞は隣で、びくりと身体を顫わせた。
    「私達は生きている! クロノスを創ったのも、我々の生の為ではないか」
    「いや、死んでいる」
     カイロスは興奮気味にそう断じた。
    「これが死でなくて何だと言うのだ? 永遠の神よ。これが死だ。この美しさ、この秩序、この静けさ、この、この永劫……」
     カイロスは激した儘に言葉を吐き出す。永遠の神はそれを黙って聞いていた。
    「……なあ、カイロス」
     カイロスの興奮が収まったところで、アイオーンはゆっくりと口を開く。
    「……貴方は人の子の生を知っている。生の熱、有限の命の熱を。ではどうだ? 限りの外の死の冷たさを知っているのだろうか」
     アイオーンはのろのろと、鬱々と、それを口にした。
    「神は死んですらいないのではないか……。何故なら、生きていないのだから……。私は貴方と話す度、貴方の人の子への愛を感じる度にそれを考える」
     カイロスは驚いてアイオーンを見詰める。絹糸の様な髪は、重く垂れて、風にそよとも揺るがない。まるで彫像の様に。
    「……クロノスが誕生したなら、私は此処を去ろうと思う」
    「何故」
     更に重ねられる意外な言葉に、カイロスは問わずにはいられなかった。
    「時間というものは永遠と同義の様に思うからだ。時は進み続け、果てがない……。ならば、私は此処に居なくとも良い」
    「その様な事は……」
    「いや、そうなのだよ。だから私は、死へと赴こうと思う。我等は生を知らないが、死については尚更無知だ。死を知りにゆこうと思う」
    「その様な事をせずとも、ハデスが居るではないか」
     アイオーンはそれを聞いて、明朗に笑う。取り憑かれたかの様な陽気さだった。
    「伯父上は、もうこの山の頂には来ない。神々の園生にも」
    「しかし、死者の国を統べている事は確かだろうに」
     カイロスがそう言うと、アイオーンは可笑しそうに肩を揺らす。
    「貴方がそれを言うのか、カイロスよ」
    「どういう意味だ」
     アイオーンはカイロスをちらと一瞥すると、不思議なものだな、と呟く。
    「伯父上は、貴方と同じなのだ、カイロス。貴方と伯父上だけが、雷神の血族の中で人の子を愛する者なのだ。貴方は人の子の熱を愛し、伯父上は人の子の死すべき運命を殊の外鍾愛なさる。それ故に、伯父上は神々の山を去ってゆかれた」
     カイロスがその言葉に当惑していると、アイオーンは、まだ分からないのか、と笑む。
    「あの方は、もう神々の死を司ってはおられまい。あの方の司る死とは、第一に人の子の死であり、また地上や天空や水底を生きる、遍く命の終わりでもある。命の無い傲慢な者共は、お見捨てになったのだよ」
     アイオーンはそこまで一気に言うと、ふっと黙り込んで俯く。
    「……カイロス。どうか、クロノスを……」
     アイオーンはその続きを言わず、只じっと友を見詰めた。
    「……クロノスを?」
     カイロスが問い返すと、アイオーンは苦しそうに自らの膝を注視する。
    「クロノスを……助けてやってくれ」
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