三度目の春にて サークルの飲み会に参加していたその子は、自分と同じ棟での授業を取り始めたのか、今年から何度か見かけるようになった子だった。
今時、髪色が明るくてもグラデーションが入っていても驚かないが、それにしても見惚れるような色味のふわふわとしたショートヘアで、ウェーブがかかった前髪でやや隠れていても、端整な顔立ちが目立つ青年だった。いわゆる美形に分類される顔だ、とスハは思った。普段顔立ちが美しく立体的な人物に対しては、やや圧を感じるのに、彼に関しては、雰囲気のある子だなと思ったのを、良く覚えている。
そんな感想を持っていた人物が、まさか自分のサークルにやってくるとは思っていなくて、正直驚いた。
――だってここって皆で集まって飲んだり遊んだりしようってところだし。いや、他所に比べたら酷いことなんて起こらないけど、出会い目的の人もいないわけじゃないし。っていうか、自分も最初はそんな友人に引っ張られて参加しているし。
こんな集まりを利用しなくったって、出会いには困らなさそうなのに。っていうか、こんなとこに来たら、あっという間に食われたりしない?大丈夫?もしかして誰かに無理矢理誘われたのかな――
一人でグルグルと考えながら見守っていると、案の定、少し先に座っている青年は、左右からも前からも声をかけられているし、お酒を次々と勧められている。渡されたグラスを大人しく口許に持っていく姿は、随分と危なっかしく見えて、目が離せない。
「ねぇスハ、この唐揚げまだいる?」
急に知った声が耳に刺さって、はっと目の前の大皿をみる。いつの間にか隙間がなくなりそうなくらいに料理が並べられていた。
「あっちに持っていってもいい?」
「あぁ……うん、いいよ、持っていって」
「大丈夫?体調悪い?」
「ううん。ちょっと、考え事してた」
「ふぅん?じゃあ貰ってくね。ありがとー」
みんないい人たちだけどな……でも全員を良く知っているわけではないし、と、大皿を持って席に戻っていく友人の金髪を眺めながら、またスハはぐるぐるとした思考に流されていく。
「うー……」
「スハ、聞いてる?」
「あー聞いてる聞いてる」
「絶対嘘じゃん」
「あ?」
アルコールでひたひたになった空きっ腹と煮詰まった思考を抱えて、数十分。
「……ちょっと、」
ついに、観察していた青年の右隣が空いた隙に、席を移動してみた。向かいの席にいた後輩が意外そうに目をむいてくるのを無視して、ぼんやりした風にグラスを空けている青年に声をかける。
「大丈夫?」
「……こんばんは?」
色白の肌を真っ赤にしているくせに、律儀に返ってきた挨拶に、はいこんばんはと応じながら、少しだけ席を詰める。初めて近くで聞く彼の声は、随分小さく喧噪に紛れてしまいそうだった。
「さっき渡されてたの、水じゃ無かったでしょ。良かったらこれどうぞ」
「……」
渡したグラスを両手で受け取った後、青年はそれをじっと見つめていて、何故それを渡されているのか、わかりかねているようだった。
「新しいグラスだから心配しないで」
「……はぁ……」
それでも青年は動かない。
「顔、真っ赤だよ?」
「……うん」
促すと、ようやく水を口に含む姿は、やっぱり危なっかしいものの、こうして傍に来た今は、何故か安心感もあった。言われたとおりに水を飲む彼を見ていると、妙な満足感まである。つい、なにか食べてる?飲んでばかりだとすぐ回っちゃうよ、と続けた。
「食べてる……」
そういいつつも、彼があまり食べていないのは、ずっと見ていたから知っていた。
「飲み会は初めて?」
「そうかも?」
「そうかも?えーっと……っていうか、飲んでも良い年齢だよね?」
「うん」
かくりと青年の頭が前に傾くので、急な動きにスハは手が伸びそうになった。
「……次を飲むにしても、ちょっと時間を空けた方がいいかもね」
「……うん。そうだね……そうかも」
淡い色の前髪を揺らして、手のひらで目を擦ってから、彼はまっすぐにスハを見つめてきた。
「へ……?」
さっきの安心だの満足だのが全て吹き飛んで、ぎゅっと腹の辺りを掴まれたような気になる。緊張のあまり、息を止めつつ待っていると、水に濡れた唇が、ゆっくりと開いた。
「なまえ」
「はい!?」
「せん、ぱい?名前、なに?」
疑問を含んだ呼びかけに三年であることと、フルネームを伝えると、彼は正確に音まねをして名前を繰り返してきた。
名を呼ばれて、コトリと収まるべきところに何かが収まった気がした。何故こんなにも目が離せないのか、気になるのかが、ようやくわかった。周囲の声がなんだか遠のいていく。
――あぁ、どうしよう、そんな。
「スハ先輩」
ある種のショックと、腑に落ちる感覚が同時に来ていて忙しいところにまた名前を呼ばれて、頭の中の言葉がとっちらかる。
「うっ、ちょっと、いっかいその呼び方やめて?」
「どうして」
まさか、この自分に、春なんてまだほど遠い、他人のものだと思っていた自分に。一目惚れなんてことが起こるとは思っていなかった。
小首を傾げて先輩、と呼ばれるのも、どうしてと眉をひそめられるのも、全てがトリガーになりそうで恐ろしかった。
「待って、ちょっと落ち着かせて、」
「はぁ……じゃあ、おれ、寝ててもいい?」
「うえぇ!?」
さっき出会ったところな筈の後輩は、呻いているスハの肩に頭を寄りかからせると、目を閉じてしまった。
「ちょちょ、ちょっと待って?ここで寝ないで?」
「はぁ……?」
薄い色のカーディガンに包まれた肩を掴んで引き離す。自分の中では筋が通っているのか、紫色の頭をした青年は随分と不満そうにしている。
「じゃあ、あっちならいいの」
「そっちもだめ」
「どこなら……」
「いや、どこでも寝ないで?」
危ないから、と言いかけた矢先、周囲から「送っていこうか?」「ここで寝る?」と男女問わずに声がかかる。
目の前の頭が少しだけ、声がした方に向き始めるのを見て、短く息を吸った。
「そんなに眠いなら、外の空気を吸いに出る?い、一緒に……」
髪と揃いの色をした瞳が、ふらりと自分の方に戻る。じりじりと焦げるようだった感覚が、また少しだけ、宥められた気がした。