『朝早くても、夜遅くてもだよ』 どうしても直るつもりのないらしい頑固な寝癖は、小さなパールがついたヘアピンで抑えることにした。
少しだけ袖が膨らんだ白シャツに、白地にブルーとゴールドの柄が入ったスカーフを合わせる。シルバーのスカーフリングに、つるりとした手触りの布を通して左右のバランスを整えてから、歩きやすい靴を選んだ。
玄関を抜けて鍵をかける。顔を上げると、すぐ上にはまだ青空が見える。遠くの白い雲に、ピンクやオレンジの色が入り始めたのを眺めながら、街に向かって足を進める。まだ充分に時間があるから、バス停は通り過ぎて、そのまま、暖かい色のグラデーションがかかっていく空を見ながら歩くことにした。手に持っている鞄をぶらぶらと揺らす。
俺たちのデートは、いつも日が暮れてからにしている。前は時間なんてあんまり気にしていなかったけど、向こうは両手脚の義肢で、こっちは髪と目の色で、何度かうんざりとする目にあってからは夕方か夜に待ち合わせるようになった。
手に持っていたスマホが震えて、ポップアップのメッセージが目に留まる。ロックを解除してすぐ電話をかけた。
「――浮奇?どうした」
「ふぅふぅちゃん、着くの早いよ」
「あー……だよなぁ?」
あっはっは、といつもの笑い声につられて、こっちまで口角が上がる。
「いつもと違う時間だから、出る時間がよくわからなくて。もっと後でも良かったな」
「んー」
今日は少し離れたお店まで行くから、待ち合わせの時間も、いつもよりは少し早い。この様子だと、目的地についても、まだそんなに薄暗くはならなさそうだった。
「まぁ、でも、わかるよ。俺も結構早めに出ちゃったから」
「そうなのか」
「うん、だから、もうちょっとで着いちゃうと思う」
「それなら、何処にも入らずに待っていようかな」
「ふぅふぅちゃんが気にならないなら」
平気だよ、と言う彼の声は静かで、感情は読み取れなかった。しばらく無言で歩いていると、「いつも、遅い時間からで、悪いな」と聞こえてきた。
「……」
しばらく言葉を返さないでいると、うーとか、あわ、みたいな、言葉にならない声が続いた。
「浮奇?悪い、怒ったか?」
そう思うなら言わなきゃいいのに。ため息を吐きたいのを堪えて、ふぅと少し尖らせた口から息を吹く。
「怒ってない。っていうか、冗談でしょ?そろそろふぅふぅちゃんでもわかってくれる頃だと思ってたんだけど」
「えーっと……何についてだ……?」
恐る恐る聞いてくる声に、思わずスマホの画面を睨む。見たって彼の姿は映ってないし、この顔は見て貰えないんだけど。
しょうがないから、足を速める。ようやく人通りが多くなってきた。
「夕方だろうが、真夜中だろうが、どんな時間からでも……ふぅふぅちゃんとならいつだって、なんだって楽しめるよ、俺」
浮奇、と名を呼んでくる彼に、本当だよ、と念押しする。本当は人に見られようが絡まれようが、俺はどうてことないけど、ふぅふぅちゃんとの時間を邪魔されるのは嫌だから提案に乗った。どんなお店だって、君との会話には叶わないし、限定品なんてオンラインで買えばいいんだよ。
弾む息がマイクに当たって、うるさくないか少し心配になる。やけに首元が暑くなってきて、マフラーもスカーフもいっしょくたに引っ張って少し風を入れる。
「これに関しては……俺、もうプロ級だから。言い切れるよ。自信ある」
「……そうだな。浮奇の言う通りだ」
返してくれる言葉は嬉しいのに、声はまだ申し訳なさそうで、今のふぅふぅちゃんの顔がなんとなく想像できて、さらに足を速めて小走りになる。早く、顔が見たい。きっと下がってしまっている眉尻に大丈夫だよって、キスしてあげたい。
角を曲がって、目指していた道に入ると、ふぅふぅちゃんが短く笑った。
「でも……それは、早朝でもいいのか?」
つい足が止まりそうになった。むっ、と口許に力が入る。やっぱりキスしてあげない。
文句が口から出る前に、道の先の方で銀色の頭といつものジャケットが見えて、「後ろだよ」と電話越しに声をかけた。
さっきまでしょんぼりしてた癖に、振り向いた顔はもう悪戯っぽい笑みに変わっていた。
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