father 浜茶屋の手伝いをするためにいつもの四人で海に来ていた。少し儚い夏の終わり。ぐずついた天気のおかげで、空には灰色の雲が浮かんでいた。
ほんまにアルバイト代もらえるのかね。一抹の不安を覚えつつも、面堂と二人客引きを頼まれた。気乗りしないままに茶屋を出て、閑散とした浜辺を二人で歩いた。
ざぷん、と荒々しい音を立てる波打ち際を横目で眺めつつ、声を掛ける客がいないのだから、商売なんて出来っこないだろうと呆れて口を尖らせる。
「なあ面堂、本当にバイト代が出ると思うか?」
「ぼくに聞くな、ぼくに」
「にわかには信じられん」
湿った砂浜をサンダルでざくざくと進んだ。小石を蹴ったり、打ち付けられた海藻を手に取ったりしながら退屈を散らしたが、重ぼったい砂の上は歩きにくくて、すぐに飽きた。気分が上がる水着のお姉さんがいないのだから、これは仕方のないことである。なあ面堂、とやけに整った横顔に話し掛ける。
「街に戻ってガールハントをするほうが有意義じゃないだろか」
「有意義とはなんだ。…ラムさんとしのぶさん、それに竜之介さんを置いていくのか?」
「う~ん、まあ、誠心誠意謝れば許してくれるだろう。面堂は行かんつもりか?」
「………行かんとは言っておらん」
「なんじゃい、そりゃ」
現金なやつだなあ、と自分のことは棚に上げて、ほぼほぼ脱出の決意を固めているところで、ビーチの端っこに行きついた。入り組んだ入り江と人気のない岩場。雲に覆われていたはずの太陽がタイミングよく顔を出し、陽光を照らす。無言で目が合って、一度逸らしてから、もう一度視線を絡めた。
身長差のおかげで、少しだけ見上げるかっこうになる。それくらいのことで男の威厳について思い悩むことはないけれど、少し違った角度からも、面堂のことを見てみたいと思ったことくらいはある。
じい、と見つめていると、面堂が怒ったようにふいと顔を逸らした。耳まで赤くなった横顔は、何時間見てもきっと飽きない。すっきりとした輪郭を視線でなぞり、かたちの良いおでこと唇を確かめる。無防備な肌、誰もいない海辺、二人きり。なんておあつらえ向きのシチュエーションなんだろう。面堂から伝わる緊張に、しんそこ興奮した。
「…なにをそんなに見ることがあるんだ」
「べつに、良いじゃろ、あっ」
なにすんだ、と文句を言う間もなく、手を取られて、岩場へと連れて行かれた。赤面する面堂を視線で追いかけながら、おれに欲情しとる、なんて呑気なことを思う。熱っぽい仕草に、優越感が募っていく。
「どこへ行くんじゃ」
「…時間を有意義に使いたいって言ったじゃないか」
だめか、と聞かれたので、だめじゃないよ、と思った。思ったけど、言わなかった。握り締められた手を振り払わないことがあたるの答えだと、信じてもらうしかなかった。
「…んっ」
「…はあっ、んっ」
無我夢中にべたべたにキス。上唇に噛みついたり、舌を舐め上げたり。潮風の匂いが余計に興奮を煽る。口づけの最中に面堂の髪の毛をかき撫ぜると、べっとりと重くて何故か感動した。ずいぶんと積極的なお誘いに、あたるも当てられている。硬い岩場に腰を下ろして、何度も何度も求め合う。
「…ああっ、んっ…」
駆け上がっていく興奮。あたるの素肌を走る面堂の手つき。なんで面堂とこんなことをしてるんだろう、だとか、急に冷静になることも少なからずあるが、とはいえ一生、この快楽や背徳感からは逃れられない気がしている。
「…っはっ、あっ」
「…もろぼし」
「めんど、めんどう…」
緊張も興奮も最高潮に達していた。だから、物音に気付かなかった。恍惚とした気持ちで目を閉じて、キスをして、再び目を開けた瞬間、岩場の影に竜之介の父親の姿が飛び込んできたので、悲鳴めいた声が漏れた。
「………うお、」
まるでヘビに睨まれた蛙みたいに体を強張らせると、不思議に思った面堂が振り返って、そのままフリーズした。大きな瞳をいっそう見開いたまま固まるので、いっそ間抜けで笑えてしまう。
「客引きはどうしたのじゃ」
いっさいの動揺も見せずに岩場から覗き込む竜之介の父が怖いくらいに抑揚のない声で言った。
「………客引き」
「浜茶屋にだあれも来ておらん。このままではバイト代が出せんぞ」
「………バイト代」
はよ戻るぞ、と竜之介の父が踵を返すので、仕方なくあたるは立ち上がった。はだけてしまったパーカーを羽織り直しつつ、フリーズした面堂の腕を取る。引っ張りあげて、無理やり立たせ、行くぞと目配せをすると、面堂は気まずそうにしていた。これくらいで怖気付くなよ、と耳打ちして、ゆっくりと瞬きをする。ああ、もうちょっとキスしたかったな。面堂の濡れた唇を熱っぽく見つめてから、前を向くと、竜之介の父と目が合った。
貴様らなにをしとる。大馬鹿者、親不孝、恥知らず。男同士のキスなんて気持ちが悪い。こんなもん、勘当じゃ。親子の縁を切ってやる。きっと地獄に落ちてしまうぞ。
ありとあらゆる罵詈雑言を思い浮かべたが、彼はいっさい口にしなかった。拍子抜けするほど呆気なく、とはいえ、二人の関係性を認めるような言葉は選ばない。それは残酷なようでいて、誰よりも優しい。瞬きひとつせずにあたると面堂を見つめ、何を考えているか分からない顔で空を見上げる。
竜之介の父の横顔を眺めながら、ふいに思った。あたるの父は怒るだろうか。あたるの母は悲しむだろうか。心の奥ではずっと引っかかっていた。燻っていた。ずっと許されたかった。ずっと認められたかった。最愛の両親に。秘密の愛を。
だからこの男に聞いてみたくなった。自分の親と同年代の男に。あたるに対する責任感もなにひとつないのだから気楽だろう。だから聞いた。単刀直入に。嫌悪感はないのか、男同士の営みに。
手を繋いだり素肌に触れたり口付けしたり。それだけじゃなくて実は脚も開いてます。なかに注ぎ込まれることを許しています。最中は泣けるくらいに気持ちよくて、この手を離せずにいます。好きか嫌いかは分かりませんが、面堂がいたら、わりと人生が豊かです。これは懺悔かな。誰に対する? さすがにそこまでは聞けなかったけれど。
「――なんじゃ、そういうことか」
あたるの話に耳を傾け、竜之介の父はつまらなさそうに唇を尖らす。そして、一言短く言い切る。
「ほかの家の息子のことなんてどうだって良い」
竜之助さえ全うに生きてくれれば、それで良い。
「…全う」
全うの意味をはき違えている気はするものの、最大級の愛は見て取れた。
人の気持ちを踏みにじったり、性差を越えた愛を罵倒したりなんかしない。子ども相手に妙に阿ることをしない。その答えにしんそこ安心し、面堂の手を一瞬だけ握った。