闇の宴 ひしめき合う人々の群れ。着飾った格好、小綺麗なスーツ、顔を隠すヴェールや仮面。足がつかないように素性を隠していながら、分かる者にはわかる『身分証』。
ついさっきどこかの不届き者が競り落とした『商品』が運ばれていき、またひとつ押収するための証拠が増えた。耳元で最小音でやり取りされるインカムから、次の競りに探し求めた彼が『出品』される事を知らされる。
認識が甘過ぎたのか、それとも巧みな手法を使われたのか。あの日、迎えに行った彼の部屋はもぬけの殻となっていて。
思い出すだけで、己の不甲斐なさと彼を拐った者への憤怒に歯を食いしばってしまう。拳を強く握り締めて怒りを逃がそうとした、その時。
暗く落ちていた照明がパッと輝き、正面の舞台の中央にスポットが当てられる。進行者の拡声器越しの声が耳障りに思いながら、眩しいその舞台の主役に目を見開いた。
赤い豪奢な椅子に座らされた、手枷と足枷に自由を奪われた深緑。ぐったりと背もたれに身を預け、着せられた白い衣装はウェディングドレスに酷似している。
ふわふわの深緑の髪を彩る鮮やかな花冠で飾られた姿は、まさに『商品』と言わんばかりで。
ここ数日ヒーローショート――轟焦凍が探し続けた片恋の相手、緑谷出久に他ならなかった。
ギリ、と更に奥歯を噛み締め拳に力を入れる。出久の様子が可笑しいのは一目で分かった。
あの大きな深緑の瞳に意志を感じられない。いつだって強く、諦める事を知らない彼は、理不尽に怒りを、逆境に打開をもたらす強い輝きを放っていた。けれど、虚ろに開かれた瞳はどこか一点を見つめてぼうっとしている。
何かされたのは、一目瞭然だった。
『こちらなんと!世にも珍しい「無個性」の人間でございます!』
どよめく観客達へと耳障りな声が解説混じりに語っていくが、今すぐそれを止めさせたかった。この場にいる姑息な犯罪者達に出久の存在を一ミリも知られたくない。その姿を晒させる事すら嫌で嫌で堪らない。
流れていく『商品説明』の中で進行者は出久の『価値』を高めようと声高らかに言葉を発し続けていく。
『今や"個性"を持っていることが当たり前の世の中、そんな社会で実質1割にも満たないと言われる超貴重な「無個性」の人間!』
そうだ。この超人社会で"個性"を持たないという事がどれだけ稀なことか。
『「無個性」ですから、例え反抗しようとも無力も同然!下手な娼婦や男娼に比べてお楽しみ頂けるでしょう!更に研究室各所からも、"個性"研究の「材料」としては喉から手が出る程の貴重な被検体!』
知っていた。学生時代から、たまに出久が何者かに追われているのを見た事があった。手を引いて一緒に身を隠したのも、ちゃんと覚えている。
仕方がないんだ、と笑った顔が痛々しくて少しでも彼が安心して過ごせる社会を、ヒーローとして守りたいと思った。
願わくば、自分の隣で笑っていて欲しいとも。
それなのに。
『ただ、多少頭が回るので只今は従業員の"個性"によって「眠って」います。こちらの花飾りの花が全て咲ききれば、不要な記憶を全て消去されるようになっておりますので、調教自体も容易く済ませられるでしょう。味気ないとお考えの方には当然!全て咲ききる前に飾りを取るだけで元に戻ります!お好みでお楽しみ頂けるように手配済みでございます!』
会場中で声が上がる。魅力的な条件だとでもいうのか。こんなにも、彼の人権を無視して。まるで人形のように着せ替えられ、その記憶も、心さえも弄ばれて。
ただ、"無個性"という理由だけで。
――……轟くんの気持ちは、凄く嬉しいよ。
『それでは!こちら破格の3億から入札開始です!』
――でも、僕……無個性、だから。
『さあ!どんどんと高額な値が上がっております!現在10億!なんと、20億!さあ他には?!30億!さあどんどんと上がっております!』
――……ありがとう。……ごめんなさい。
『――ショート!聞こえるか?こちらの準備は整った!予定通りに頼むぞ!』
「――…ああ」
くだらない。"無個性"を理由に心に重い蓋をするのも、傍に居ることを望まれないのも、こうやって救けに手を伸ばすことを拒まれるのも。
全部、俺が。
緑谷、お前と未来を生きていきたいからだって、いい加減受け容れてくれよ。
『さあ!さあさあ!40億が出ましたが!?もう声は上がりませんか?40!40億で落さ――』
「100億」
発した音と共に、視線と沈黙を会場ごと凍らせた。一瞬で吹き抜けた冷気と共に、観客も、進行者も警備も全て、足止めをするように首を残して凍てつかせる。
怒りを携えて吐かれた白い吐息は、凍りついた人々の鼓膜を響かせた。
「落札でいいんだろ?もう誰も手ぇ上げらんねぇしな」
その言葉と同時に各所から騒がしい音が耳に届いた。他のヒーロー達が会場を包囲し、制圧するために動き始めたのだ。
ようやっと自分たちの危機に気付いた犯罪者達が各々悲鳴を上げ始める。だが体の自由の利かないやつらに出来ることなど、喚き散らすことだけ。
轟は、ただゆっくりと観客席を降りて舞台へと進んだ。スポットライトに当てられた出久の前に立つと、ヒーロースーツの上に来ていたロングコートを脱いで被せる。変わらずに一点を見つめ続ける虚ろな瞳を覗き込んで、その頬に触れた。
「……悪ぃ、緑谷。遅くなっちまったな」
返事のない唇に親指を這わせて、意識を混濁させているらしい花冠を取り上げる。すんなり外れたそれを手にもう一度出久の顔を覗き込むと、ゆっくり瞼を下ろしていく所だった。
完全に瞳が隠れたと同時に、手の中の花冠を灰へと変える。これで全部、終わりだ。
『~~っヒーロー…ショート…っ!!』
進行者がまだ生きている拡声器越しに言葉を発する。出久の四肢を拘束する枷を取り外し、少しだけ軽くなった身体を横抱きに抱え上げてそちらを見た。
少し体温の低くなった出久を早く病院に連れて行かなければならない。呻く連中に構う暇などないのだ。
「……緑谷は返してもらうぞ」
気を引く為の額だったが、このわからず屋の轟のヒーローはそんなはした金で買えるわけがない。
彼の価値を知るのは、未来永劫自分だけでいい。
そしてそんな自分の隣で、お互いに笑いあって生きていく未来を。
轟はただ、願い続けるのだ。