転生したら娘だった「彼女」が産まれた時のことを、色々な意味で俺も妻も恐らく一生忘れられないだろう。
産まれたばかりの小さないのちを一目見た妻は、初産にやつれた顔を可哀想なくらい蒼白にして俺と「娘」の顔を見比べた。
何かを言いたいように見えるが言葉にならなかったらしい。無理もない。
産まれたばかりでも違いの見える色の濃い肌、きりりと寄せられた眉は生え揃ったら何だか特徴的な形になりそうだ。
手に手を取って逃げ出してきた、北の海に浮かぶ島にしか係累のいない俺たちとは似ても似つかない容貌。
立ち合いの末の出産だったため取り違えも考えにくい。とすれば自分の不貞を疑われているという考えに至るしかない。
そんな訳がないのに。
震える肩を抱いて、出来るだけ優しく穏やかに、安心させられるように
「俺がお前を、信じないなんてことがあるもんか」
白い頬に少し希望が差した妻に向かって、出来るだけ自然に、この子が産まれてきたことに心当たりがあると伝えた。
俺と妻には前世の記憶がある。と言っても妻の記憶は故郷の島と俺にまつわるわずかなものだったが、俺自身は軍人として数多の戦争に身を投じてきた記憶をほぼ持っていると考えている。
なので話せることはすべて話した。俺が前世で生涯をかけて支えた上官がいて、褐色の肌に不思議な形の眉という特徴はその人そのものだということ。
若い時分は困ったところが多くもあったが、部下思いで部下に慕われる素晴らしい将官になったこと。最後は師団長として戦後まで生き抜いたということ。
…とはいえ目の前のこの子が確実に「彼」だとは言い切れないということ。
「俺たちみたいに記憶を取り戻すかどうかもわからない。それに…女の子だ。このことは忘れたつもりで育てたい」
勝手な言い分だ。それでも妻は頷いてくれた。
「そうだね、それがいいよ」
名前はどうしようか、と微笑む妻に告げたのは前世のあの人から取った一字。忘れたつもり、だなんてとんだお笑いだ。
それから、気が向くと忙しい日々の合間を縫って手慰みに前世の知り合いたちの手がかりを探すようになった。
不死身の杉元は今は大学柔道の花形で、オリンピックの強化選手にも選ばれているらしい。
鶴見中尉殿は地元新潟の名物議員だが、近いうちに国政に打って出るという記事を目にした時は首の後ろにチリチリとしたものを感じた。
新聞に載った写真に見切れていた、秘書らしき男の両頬に黒子があったのには見ないふりをする。
牛山は今世でも著名な柔道家だ。
こうして何人かが同じ世を生きているということは、他にもこの世の中に散っているのだろうか。かつての部下、金塊を巡って争った相手、敵だか味方だかわからない有象無象。
そして「彼女」は本当に「彼」なのか。
――考えすぎだ。
知らず眉間に寄った深い皴を指先で揉み解し、スタンドの灯を消して寝室に向かう。ちっとも似ていない顔で同じように口を開けてすやすやと眠る宝物たちを早くこの目にとらえたかった。
その男は時季外れの中途採用者の内の一人として現れた。
配属紹介中に目に飛び込んできた、余りにも見覚えのある顔に雰囲気に名前。一瞬の動揺を悟られないように、ぎり、奥歯を嚙み締めた。
「…ここの責任者は主任の月島さんです。わからないことは彼に聞いてください」
何の因果か自分の下につくらしい。
「………尾形」
「ええ。よろしくお願いしますよ、月島軍曹」
記憶と違わぬ猫のような眼を細めて、にやりと端を上げた口から発せられたのは動かぬ記憶の証拠のようなもの。
えー尾形さん何で月島主任のあだ名知ってるんですかー、という女子社員の声がはるか遠くに聞こえた気がして一瞬何もかもが遠のいていった。
業務の指導及び打合せと称して会議室に籠り、ぼそぼそと互いの近辺に探りを入れる。
「どうですか、今回のご家族は」
「ちょっとだけマシだったな。ちょっとだけだが。とりあえず誰も殺さずに済んだ」
「…殺してたらここにはいないでしょうが。それより結婚されてるんですね。あの?」
「……そうだ」
「そりゃよかった」
存外柔らかい表情で微笑まれて面食らう。どうやら今生では大分とっつきやすい人間として生まれついたようだ。
「そっちはどうなんだ」
「あー、今回は、というか今回も、というか…未婚の母でしてね。ただ父親のことは一切知らされずに育ちました。なんであっちに『弟』がいる可能性はありますね」
今は探す気もありませんが、と呟く声からはぼんやりとした感情の色しか感じ取れない。
「もし会ったらどうする?」
「その時は…もう少しうまくやりますよ」
うまく、の意味を確認する勇気は今はない。
「母親は早くに亡くなりまして、育ててくれた祖父母ももう…天涯孤独ってやつですね。身軽ではありますが」
他に「知り合い」と会ったことはあるかという話になり、知っている限りのことを教えてやった。
話を聞いた尾形は谷垣らしき男を見かけたことを思い出したらしい。女連れだったということは恐らくあの狐目の年上の女だろう。現場は杉元が通う大学のある街だったらしく、あの辺は今でもつるんでいるのかもしれない。
「軍曹殿の周りには奥さんの他にいないんですか」
「いない」
「あんたの大事な大事な少尉殿も?」
「……そうだ」
一瞬、「彼女」のことを打ち明けようかと思いに駆られた。妻は「彼」を知らない。当時を知る人間がいたら心強いのでは?
この尾形は少なくとも前世の彼よりは信用できそうだ…
いや、何を考えている。会ったばかりで、こんな不確かな情報だけで判断はできない。
「見つけたら、教えるよ」
誤魔化すように付け加えた声は震えていた。
こちらを見据える瞳が動かないのが不気味だった。