仄暗く薄明かりの落ちる部屋で目が覚めた。
いつの間にか軍衣袴が取り払われ、下着と下履きのみの心もとない姿で後ろ手に縛られているようだった。
(捕らえられたか…)
亜港の病院を抜け出した後のことを思い返しながら尾形は己の不運を呪っていた。すんでのところで何も手に入らなかった。自分で捨てたものとそうではないものの区別がもはや曖昧になっている。
(やはり、俺では駄目か)
どれくらいの時間が経っただろう。音もなく、冷えた空気と共に入ってきた人影がある。
「…目が覚めたか、尾形上等兵」
「……どこです、ここは」
「お前には関係ない」
居丈高にこちらを見やるのはよく知った貌…褐色の手におさまる何やら物騒な、よく撓る革紐の付いた棒には見覚えがないが。
「…貴様という奴は…鶴見中尉殿を裏切って裏から諸々焚き付けるのみならず脱走なぞしてあちらこちらでこそこそと…!何を考えているのか知らんが知りたくもないわ!ふん、中尉殿への裏切りだけで万死に値する」
「そう思うなら一思いにやったらいかがですか」
「お前からは『出来る限り色々』聞き出すようにと中尉殿から厳命されている」
「ははぁ、ボンボン殿に今更その『鶴見中尉殿のご命令』が聞けますかな」
「黙れ」
苛立ちを隠さずに、かつ静かに憎悪と嫌悪でその目を燃やす。
「土方歳三の一味はどこまで刺青人皮を抑えている」
「さあ」
「杉本とアシリパたちの行方は」
「知りませんが…バアチャンのコタンにでも帰ったんじゃありませんか」
瞬時、革紐の先端が唸り右の頬を掠める。息を詰めた咽喉に柄の元がぴたりと据えられた。
「残った片眼が惜しいなら、余計なことを考えぬことだ」
「惜しいと言えば惜しいですが…この手に替えるほどじゃありませんな」
「隻眼の狙撃手は盲目となっても銃を手放さず、か」
柄に込められた力が増した。怒りに彩られた声と炎に彩られた双眸がかすかな息遣いとともにこちらを伺っている。
「その人を食った顔がいつまで続くのか、見物だな」
咽喉元に柄をめり込ませたまま、ふっとついた息と同時に靴先があらぬところを掠めた。
「ッ…!」
「おっと、何だこれは?」
固い革が薄い布越しに的確に急所を捕えている。目の前から響く声の色が明確に変わった。
「ひん剝かれて縛られて悶える趣味でもあるのか貴様」
「ち、…ぐッ…」
「おまけに踏まれて何やら大きくするとは。人は見かけによらないものだな」
ぐり、と更に圧がかかり咽喉の奥が痙攣する。
「うふふ、何か滲んできたぞ?まさか気持ちいいのか?」
先ほどの怒気をどこに仕舞い込んだのか、実に楽し気な謳うような調子の声色がすぐそばで不快に耳を擽る。
湿った吐息とべたついた囁きが耳朶に耳道にこびり付いて離れない。
なあ、おがた、しょうじきにいえ。わたしがほしいのか?
ここではだれもなにもきいていない。おまえのこころのままにはきだしてかまわない。
「だれ、が、」
いうもんかよ。
少し緩んだ咽喉から細く吸い込んだ酸素で少し呼吸が楽になる。
ほんの少しだけ現世に戻ってきた意識を頭を振って追い出した。混濁した脳味噌に響く声が煩くてたまらない。
ああそうか、おまえはわたしがこわいんだな。
わたしをほしがって、わたしにこばまれるのがこわいんだ。
ちがうか?ちがわないだろう。
うっそりとした笑いをこちらに投げかける忌々しい貌に二重に呪いをかけてやるべく掛ける言葉。
ひとつしかない。
「はっ…Барчонок」
「う、くくっ…ははははははははは!!も、もう駄目じゃあ~~~~」
「ちょ、テメエ笑うんなら足どかしてからにしろ!」
「すまんすまん、う、ふふっ」
堪え切れずに堰を切ったように笑い出した鯉登は、尾形の股間を更に踏み込む前に慌てて足の甲を浮かせて双方事なきを得た。
「こ、これはどんな状況なんじゃこんなシチュエーション記憶にないぞ!?」
「そこは想像力で何とかしろよ…ぶふっ」
「こんなのイメージプレイどころか演技の練習じゃろ…」
劇団つきかげでもこんなハードな稽古はないぞ、と背中を丸めて突っ伏したまま、ひいひいと声もなく笑い続ける恋人を尾形は珍しく労った。
「まあ、でもあの大嫌いって顔はよかったな」
「そうじゃろ!?あれは記憶を頼りに頑張ったぞ!」
演技を褒められたと弾けるような笑顔で応えるが、今更気恥ずかしさが勝ったのか反転するとブツブツと文句が後から無数に湧いてくる。
「まったく、こんな不埒なものを買って来たかと思えばおろしてない靴で何をさせよる…」
「外で履いた靴使えるわけないだろ」
「そういう問題じゃなか!」
未だ鯉登の手にあった鞭の柄が容赦なく尾形の頬を突いた。
「たまにはいつも好き勝手されてるオイの気持ちがわかりよるじゃろと思って付き合うたんじゃ反省しろ」
「おう、よーーーくわかったやられっぱなしは性に合わねえ」
「そいは最初っからわかっとったしやられっぱなしと言われるほどやっちょらん!」
日頃の鬱憤を晴らすには程遠いと喚く鯉登の襟首を簡単に掴み、履いていた新品の靴を適当に放り投げずるずると寝室へと連行する。
「キェエエ!?お前いつの間にっ」
「はぁ?あんな緩い拘束すぐ解けるに決まってんだろ」
適材適所だ、とりあえず今夜の分覚えてろ。とりあえず脱げ。
お前に遠慮なしに踏みつけられたお陰で不能になってないか心配だからな、じっくり確かめる必要があるな?
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時系列というか状況がめちゃくちゃなのはこいつらも記憶がいまいちあやふやだからです。
この前呟いた「セックスしたら記憶が甦ったラブラブ尾鯉」の成れの果てでもいいな。