受け取って!どきどきと高鳴る胸を押さえながら、出勤したのが今朝。
どうせみんなからもらえるとしても義理チョコで、本命からは99%もらえないとわかってはいても。
一方通行が確定しているこの気持ちが口をついて出てしまいそうなのを抑えるのでいつだって精いっぱいだった。
もちろん、カバンの中には2週間前には買って、冷蔵庫に大切に保管していた小さなチョコレートの箱。甘いものが苦手な彼にと4粒のミルク味。いつか誰かとの会話で牛乳をよく飲む、なんて話を聞いたことがあったから。
でもきっと、このチョコレートも最終的には俺が食べることになるんだ。
分かっているから、渡すつもりは、ない。
出勤すると、いつも通り、ある人の周りに人が集まっている。
そうか、そういえばバレンタインだったな。と昨夜片づけたままなんの変化もない机にバッグを置いて、椅子に腰かける。
きゃあきゃあと姦しく離す女性たちの中心にいるのは、同期の浮奇だった。
「これ、どうかな?いけるとおもう?」
「大丈夫、自信もとう!お肌もつやつやでばっちりだし」
「浮奇君に教えてもらったレシピで作ったんだ!おすそわけ!」
なんて、女性の中に溶け込んで話す浮奇と、入社当時はよく話していたんだ。
今は、業務的な話以外はほとんどないし、同じフロアというだけで接点はない。エンジニアの俺と、営業の浮奇。俺から振れるプライベートな話題もないし、女性陣との方が波長もあっていて、楽しそうだ。
始業のチャイムとともに緩やかに解散されたあとも、ぼんやりと眺めるその視線の先には、浮奇がいた。
昼時、いつものように自席で弁当を開くと、
「ファルガーさん?ちょっといい?」
「…?あ、なにか不備でもありました?」
そういって、扉まで近づくと、彼女の奥に見えるのは浮奇と、彼と一緒にランチに出ていた女性陣だった。
「…あの?」
「えと、あの、これ…」
そういって差し出されたのは、リボンのかかった包み紙で、力なく差し出した俺の腕に押し付けられる。
「は、」
「浮奇くんに…!お願いします!」
「はぁ?」
今、あなたの後ろにいるんですが?
浮奇とは反対方向に走り去っていった彼女は、複雑な表情をした浮奇を見ずにすんだのは良かったと思う。
渋い顔をした浮奇が近づいてきて、俺の腕の中にある包みをひょい、と持ち上げた。
「ファルガー宛じゃなかったんだね」
「うるさい、俺がもらえるわけないだろ」
「確かに、いつも女子にも厳しいもんね」
「それが仕事だからな」
いつも俺と話す時には緊張している浮奇の顔が緩んで、目尻が下がっている。
後ろで見ていたなら自分で受け取ってくれたらよかったのに。
「ひひ、ちょっと焦っちゃった」
「?なにが」
「なーんにも!」
ありがと!と言いながら、女性陣の塊に吸収された浮奇は、何やら神妙な面持ちの女性陣を瞬く間に破顔させ、いつもの空気感に戻している。
しかし俺を見る目は依然として厳しくて、なんだかいつもよりも鋭く感じた。
びっっっくりした。
自部署の女性陣はみんな、俺がファルガーに恋していることを知っているから安心しきっていたけど、他部署の女性まで俺が虜にしてしまっていたとは…罪な男すぎる。
がさりと音を立てて、白くなった爪先、包み紙にしわが寄る。
無駄な独占欲と執着心。
彼は俺のものではないのに、誰のものでもないのに。
余裕なんて、ないのに。
なんにも上手くいかない気がして、机に突っ伏した俺の肩をポンとたたいたのは、一番仲のいい女の子だった。
「告っちゃいな」
「むり」
「なんでよ、」
「かっこよすぎる」
「あんたはいっつも不細工な顔で話しかけてる」
「うそ、」
「ほんと、顔強張ってるもん」
「うぅ……」
そういってうなだれた俺の頭をぐしゃぐしゃと撫でた女の子は、
「私がとっちゃうよ?」
「ハァ?!」
揶揄う様な思いがけない発言に、俺の大きな声がフロアに響き渡り、みんなの視線を集めることになった。
なんなんだよ、叶うわけないってわかってるのに!
周りのみんなが荷物をまとめながら、お疲れ様、と声をかけて一人、また一人と町の喧騒の中に消えていく中、ファルガーは未だにパソコンに向かってカタカタと手を動かしていた。
カバンの中のチョコレートは、外回りのない今日は一日中同じ場所で潜んでいて、出番を待っている。
バレンタインデーが終わるまであと4時間。
おあつらえ向きのほぼ二人きりのこの空間で、何もせずに終わるには、もったいない。でも、思いを伝える勇気もない。
すこしヘタったリボンが指に絡みつき、解けそうなのが不快で、絡んだ指を引っ込めて箱ごと取り出した。
買った時よりも緩くなったリボンが、自分の意気地なしの心を表してるみたいで、心をざわつかせるから、引っ張って解いてしまった。
「なんで、もう」
慣れた手つきでぎゅ、っと結び直す。
おれは、いつからこんなに臆病になったんだろう。
どんなに考えても自分の手から離れていかないこの小さな箱に、踏ん切りのつかない自分の気持ちと、お昼のあの無意味な安堵といら立ちを込めて、ファルガーの真剣そうな顔面に思いっきり投げつけた。
「あ、」
手から離れてしまったが最後。べこ、とその形の良いおでこにクリーンヒットした小さな箱は、ファルガーの手元にころりと転がり、その冷ややかな虹彩の視線が突き刺さる。
「浮奇・ヴィオレタ……?」
「ゔ……ッ」
「なんだ、コレ」
「も、もらってないみたいだったから!あげる!じゃあね!」
言い捨ててコートとカバンを引っ掴んで小走りで走り出す。普段は使わない階段を駆け下りて、ロビーを抜けて、真っ暗な外へ出た。
外気にさらされてようやく、赤く、熱を持った頬に気が付いた。この顔が見られたかもしれないと思うと、一層恥ずかしい気持ちになるが、この際関係ない。
あんなにも俺を悩ませていた小さな箱一個分軽くなって、すっかり肩の荷も下りた気分だ。
駅に向かってゆっくりと歩き出す。まだ、コートは必要なさそうだ。
ペコ
スマホの通知音が鳴り、メッセージが来たのを知らせてくる。
『告った?』
「おい、ふざけんな」
『絶対ない、渡してもない』
「ふふ、そーれがー……渡したんだよな…」
『⁉⁉⁉⁉は⁉⁉⁉⁉そんな度胸あったの⁉』
ペコペコと鳴りやまない通知の中に、ファルガーからの通知が紛れていて、女子会グループがさらに沸いた。
『うまい、どこのだ?』
「でしょ、駅前のデパートの……」
『デパート……』
「よかったら一緒に行こうか?」
『助かる』
投げつけられた硬い箱には、4つ小さなチョコレートが並んでいて、そのうちの二つはハートの形だった。
いつも、甘い香りのする浮奇を目で追ってしまうようになったのはいつからなのか。同期で、部署は違えど同じフロアで、以前は普通に話せていたのに。
抱いてはいけない感情を抱いてしまいそうで、避けていたのに。
クリーンヒットしたおでこをさすりつつ、ハートのチョコを一粒口に放り込む。
「あま……」
彼とのデートの口実は、チョコレートでも許されるだろうか。