キャッチミー、イフユーキャン 宴はすでにたけなわだった。
あちらこちらでクラッカーの音がひっきりなしに、壁面には色紙の輪でつくられたテープがいくつもぶらさがり、フライドチキンやポテトの香ばしい匂いがあたりに漂う。
ソファの一角に陣取り、薫はちびちびとコーラをなめていた。目のまえを道化めいた格好の日々樹が過ぎていく。珍しいものだと目をやれば、いつのまにかグラスにちいさな花が添えられていた。サービス精神がすごいよね、と感心しつつ薫は花をテーブルの上に置く。
窓の外はとっぷりと暗い。ガラス越し、談話室の灯が夜の闇をすこしばかり明るませる。
そもそもは八月の終わり、仕事漬けだった夏にすこしでも思い出作りをと、トリックスターが暑気払いもかねての飲み食いを仲間内で企画したのがはじまりだった。それが次第に広まって、結局こうして寮全体でのばか騒ぎとなっている。もちろん揃って多忙の身、なかには都合がつかない者もいるといえ見渡した限りではそれなりに集まりはいい。
立食形式になっているからあちこちにひとのかたまりができている。テーブルの向こうには流星隊の面々と、それに三毛縞がついていた。ママを自称する大男に、全員があれこれと食べものや飲みものを押しつけられている。
守沢が苦笑する横で、奏汰は相も変わらず三毛縞をごろつき呼ばわりしていた。それをどう見たものか、二年生トリオが額を突き合わせて話し合っている。
「ごろつきって漢字だと破落戸と書くそうでござる。かっこいいでござるなー」
「……そうかな……俺そんな呼ばれ方したら一生立ち直れない気がするな……?」
「いや、かっこいいっスよ、アウトローの男って感じで」
「はっはっは、両極端の評価いたみいるぞお?」
「うるさいですよ、『ごろつき』」
騒ぐ人々を肴にコーラをなめている、となにやら頭に引っかかるものがある。うーん? と首を捻っているとかたわらで嵐がなあに、とこちらとおなじ仕草をした。
「どうしたの?」
問いかけてくるのに、いやーと薫はグラスをテーブルに置く。
「うん、ちょっと考えちゃったっていうか、奏汰くんもなー、ふしぎちゃんだからなー」
「なァに、歯切れの悪い。チャラい金髪コンビの相棒に話してみなさいな」
「そのあだ名きみが知ってるってワンちゃん気づいたら泣いちゃわない? ……んー、まあいいか」
ひとんちのことだし俺もあんまり詳しいこと知らないよ、と前置きしつつ薫はソファの背に深くもたれる。
「みけじま、ごろつき、げぼく」
指折り数えてみれば、嵐は綺麗な眉をすこしひそめた。
「ごろつきって無宿者ってことでしょ。何もかもから自由ってさ。そういうの、家のことは気にするなって奏汰くんの優しさかなって。なのに、すぐひとのことなまえで呼ぶ奏汰くんがかたくなに三毛縞呼びかつ下僕ってのはさ」
うーんと唸りつつ薫は頭のうしろで腕を組む。嵐が瞬きし、それからまあと口元に手をあてた。
「熱烈ねェ」
「んー、……すりこみと強情と健気?」
そう言えば、嵐は納得したように頷いた。
「ていうのわかってんのかなって。頭とか察しとか良さそうだからあえてのプレイだったら部活のよしみでぶっ飛ばすぞっていうか注意しとかないと子どもたちの教育にも悪いよねって見てたんだけどさ、どうも違うっぽいから」
「チャラい金髪なのに過保護なPTAみたいになってない?」
「チャラい金髪なのに過保護なPTAの実績は絶対そっちのが上でしょ」
ふたたびグラスを手にしつつそう言えば、嵐はあらやだと頬に手をあてる。
ソファの背越し、どっと笑い声がする。ふりかえれば遊木と明星が即興で漫才を繰り広げているところだった。輪のなかには流星隊の面々もいて、みな楽しそうに笑っている。三毛縞は奏汰の隣、いいぞうもっとやれ、などと賑やかしの声をあげていた。
元気だねえ、とごちればかたわらで笑う声がする。見やるそのさき、柔らかな声音のまま嵐は続けた。
「ママには絶対わかんないわね。アイドルとしての人気ならともかく、生身の自分が他人から好かれる可能性ってのをあのひとはなからシャットダウンしてるもの。世界の果てまできみを連れていくよ一緒に居場所を探そう、きみの心身を守るためなら恋人にだって立候補しよう、ただし生身の俺を好きじゃない場合に限る、くらいなものよ?」
「俺が言うことでもないけど最悪だよね、……ん? 恋人ってなに?」
その話聞いたことないけど? と身を乗りだしてもどうやらスルーするつもりらしい、嵐は給仕役らしく通りかかった弓弦からオレンジジュースをもらっている。
しばらくして嵐はふたたび口を開いた。
「だからね、一瞬でもその可能性に思いいたっちゃったら、なんのかんの言い訳つけてそのままひとりで世界の果てまでいっちゃうんじゃない? 自己隔離っていうか、それでほとぼりさますっていうか、相手が気の迷いだったかなって思いなおした頃合いを見計らって帰ってくるの。あのひといつも海外ふらふらしてるのそういうところあるわよね」
「なにそれ重すぎない?」
「どっちもでしょ」
やれやれとばかりに嵐が肩をすくめる。
だよねえと返しつつ、薫はふたたびテーブルの向こうへと目をやる。
呑気にほほえむ元部長とそのかたわらにあるひとの姿を眺め、まあいいか、と苦笑した。
夏の夜はすこし青みがかっている。
ふいと現れたひとの姿は、だからだろうか、まるで深海の底にいるようだった。しろい肌が薄闇に染まってちらちらと青めく。水気をふくんだ夏の熱が腕や首筋にまとわりつくのもまた海に似ている。
すきなことをいわれてましたね、その声もまた潮騒めいていた。
「そうだなあ、嵐さんや薫さんにかかればこちらはかたなしだなあ?」
はっはっはと笑い飛ばしてなかったことにするつもりが、うるさいですよの一言で遮られてしまう。奏汰さんにはかなわないなあとぼやいたところで、当然と思われているらしく返事すらない。
夜の庭は静かだった。園芸部のメンバーが丹精しているのか、花壇は闇にあってなおかぐわしい。
斑は花壇のへりに腰をかけている。
宴は終わり、みな寝入ったか寮の窓はみな灯を落としている。流星隊の子どもたちなど、明日は学校があるからと早々に室に引きあげていた。
きみは寝なくていいのか、そう聞こうとしたところでひょいと奏汰がとなりに座る。並べば目の高さもそう変わらない。青い髪が視界の端でひよひよとはねている。
「まあ、たしかにあなたはすぐ『にげ』ますよね」
誤魔化したつもりが話は終わっていなかったらしい。虚をつかれて斑はたじろぐ。
こちらの動揺など知らぬげに、奏汰はうーんと腕組みする。しばらくしてぽつりとちいさな声がした。
「ふじまつりのときにもいいましたけど、こどものとき、『おままごと』であなたは『まま』、ぼくは『ぱぱ』でした。ぼくは『こども』になりたかったのに。あなたはみんなのやりたくないことをして、みんなにやさしくして、なのにぼくの『おねがい』はきいてくれませんでした。……ぼく、いやだっていいましたよね。『ぱぱ』じゃなくて『こども』がよかったから。あのとき、ぼくは『しった』んです。だれかにあたえられた『おやくめ』に、いやだっていっていいんだって。あなたがそれを『おしえて』くれたんです」
まあきいてくれませんでしたけど、と奏汰は上目遣いに睨んでくる。
それからまたゆっくりと先を続けた。
「あなたはいまでもみんなの『まま』で、みんなのことを『こども』とか『べいびーちゃん』ってよぶのに、ぼくはあのとききっとだれよりいちばん『こども』になりたかったのに、……『ぱぱ』と『まま』のいるおうちの『こども』になりたかったのに」
だからね、と奏汰は足をぶらぶらとさせる。
「かおるがいうみたいに、みんなのことを『なまえ』でよぶぼくが、あなたのことだけみけじまって『みょうじ』でよぶのは『いじわる』です」
えっへん、と奏汰はすわったまま両手を腰にし胸をそらす。毒気を抜かれてそうかあと言えば、そうですよとこれまた呑気に返される。
「ぼくもあなたもかおるによると『ごうじょう』で『おもい』ですからね。『しょうぶ』にはいいでしょう」
「……俺の記憶によると強情って言われてたのは奏汰さんだけだったけどなあ?」
そもそも勝負ってなんだと呟くこちらをどう見てか、奏汰はうふふと笑む。そうしてゆっくりと立ちあがり、斑の前に立つ。
「『しょうぶ』ですよ、みけじま。すきなだけにげたらいいです。ぼくの『ほとぼり』がさめるか、あなたがつかれて『ね』をあげるまで。あなたが『かつ』か、ぼくが『かつ』か、たのしみですね?」
にこにことするそのおもてにはなにひとつ屈託もない。きみが楽しそうなら俺はなんでもいいんだけどなあ、と思ったことは口にせず、斑もまた口の端をあげる。
「奏汰さん、俺は自分で言うのもなんだが結構強いぞお?」
「『ごうじょうっぱり』はたたきのめしてあげますよ〜」
ふたたび得意げに胸を逸らしてから、だって、と奏汰はつけくわえる。
「ぼくはもう『こども』じゃないので『ぱぱ』でもいいんです。……だからね、『まま』はひとりぼっちでがんばらなくてもいいんですよ」
ふふと笑い、そうして奏汰はくるりと踵を返す。その背はあっという間に闇のなか消えていった。
取り残される格好となり、斑はふうとため息をつく。
どうしたものかと手をやってから、自分の口元がゆるんでいることに気がついた。
しょうぶです、奏汰の声が耳によみがえる。
花々の香りにまじって潮の匂いがふと鼻先をかすめた。