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    はねた

    @hanezzo9

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    はねた

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    ふくだてが気になっています。

    #aoas
    #ふくだて

    スタンドバイミー 兄ィがな、と少女は言った。
     ベンチのうえに両膝を抱えて、その目はまっすぐに前を向いている。ベンチの陰になった、地面には藤色のスニーカーがひと組きちんと揃えられていた。大雑把なように見えて、座面を土足で踏みつけにしないところが育ちの良さをあらわしている。
     夜だった。
     こどもたちの去ったあとのグラウンドはどこかうら寂しい。地面にスパイクの跡がいくつか、夜間照明のしたくっきりと浮かびあがる。整地って結構たいへんなんじゃがなと、そんなことを考えながら弁禅はおうと相槌を打つ。
     冬も間近とあってあたりは冷えている。
     どこかで虫の鳴き音がした。
     ジャージ一枚羽織ったきりの軽装ではさすがに骨身にこたえる。寒いのうとぶるりとおおきく身震いすれば、かたわらで少女がきょとんとした。大仰な身振りをすればこどもはたいてい笑うものなのに、まっことお嬢さん育ちよのと弁禅はこっそり感心する。
     そのお嬢さんをほったらかしにして、いまゴールのまえには男がふたり佇んでいた。眩しい光に照らされて、その姿はかえって黒ぐろとした影となる。
     並んで立つ、影はどちらも長身ですらりとしている。現役をしりぞいてずいぶん経つというのににえらいもんだと弁禅はこっそり自分の腹をなでてみる。
     なにやら会話が白熱しているらしく、ふたりは終業時刻を過ぎても動こうとはしない。ときおり戦略がだの子どもたちがだの、切れぎれの言葉が風に乗ってとどく。
     少女は影のひとつの迎えで、ほうっておくこともできないからと弁禅はその付き添いをしている。あと片付けは月島に任せ、なんとはなしに雑談をしていた、そのさなかのことだった。
    「兄ィが」
     こちらが聞き落としたとでもおもったか、少女はふたたびそう口にする。
     癖のない髪がさらさらと夜風になびく。こどもの時分から知っているはずの、その横顔がずいぶんとおとなびていることに弁禅はふいに気がついた。
    「熱愛発覚って週刊誌に書かれたことがあって」
    「ああ」
     そういやそんなこともあったなと弁禅は相槌を打つ。グラウンドにいる男たちも、そうして弁禅もみな現役でボールを蹴っていた頃のことだった。
     ゴール前の影のひとつに目をやる。いまでもその名を知るものはすくなくない、けれども当時の人気たるやもはや羨望さえ湧かないほどだったと弁禅は懐かしく思いだす。
     少女はかすかに笑ったようだった。薄手のカーディガンからのぞく、両腕はすうなりとして細い。
    「すごいショックだった」
     ほほえんだまま、少女はそう言った。グラウンドにいる男たちはこちらに目もくれることなく、なにやら身ぶり手ぶりを交えて話しあっている。
     少女の目はさきほどからただ一点のみに据えられている。健気なもんじゃのとは口には出さず、弁禅はその横顔を眺める。
    「相手のひとはすごく綺麗で、みんなが知ってる芸能人で、週刊誌の記事で兄ィとふたりで並んでる写真なんて悔しいけどすごくお似合いで、なのにあたしは全然子どもで、ほんとに、なんであたしは子どもなんだろうって思った。すごくすごく思った。兄ィはあんなだから別にいちいち説明なんてしなくてもいいだろうみたいにのらりくらりしてて、だから記事にあることがほんとか嘘かもわかんなくて、もうどうしたらいいのかわからなくてあたしはずっと泣いてた」
     おさない少女の心を弁禅も知らないわけではなかったから、そうかとちいさく頷いてみる。そうだよと少女は返して、それから両膝のうえに頬杖をつく。
     冷えた風に、どこからか夕餉の匂いがふいと混じる。
    「あたしがわんわん泣いてたら、まわりはみんな慰めてくれた。本人がなにも言ってないことだからとか、大丈夫だよお兄ちゃんは花ちゃんが大好きだよとか、なんだかそんな感じで、みんなすごく優しかった。でもやっぱり不安で、兄ィが知らないだれかとどこかに行っちゃう気がして、こわくて、だからあたしは多分そのときずっと暗い顔してた。鏡見てもぼんやりしてて、あああたしショックなんだなあって再確認してまた悲しくなるって、そんなことばっかりしてた」
     かつての悲しみを語りながら、少女の口元にはやはり笑みがある。その心をはかりかねて弁禅は口をつぐむ。
    「自分の知らないうちに兄ィがどっか行っちゃうのがほんとうに怖くて、兄ィが帰ってくるたんびにずっとひっついてた」
     それで、と少女はいったん言葉を呑みこむようにする。
     夜風がその髪をはらはらと散らす。甘いコロンのような香りがふいと鼻先をかすめた。
    「望さんが」
     そう少女は言った。ほっそりとした指がグラウンドの一点をさししめす。
    「いまもだけど、兄ィのそばにはだいたいいっつも望さんがいた。兄ィがうちに帰ってくるときにもよく連れてきてた。まわりの大人はみんな、あたしがしょげてたら、大丈夫だよお兄ちゃんは花ちゃんが大好きだよって言ってくれた。でも望さんだけはあたしに何にも言わなかった。あたしだけじゃなくて兄ィにも何にも言わなかった。望さんだけ、ずっといつもどおりで普通だった。……でも一瞬だけ、兄ィのそばにいるときの望さんの顔が鏡に映ったあたしの顔とおんなじに見えたことがあった。びっくりした。ほんとにびっくりして、」
     それで、と言って少女はちいさく息をつく。両膝のうえで肘をつき、ゆっくりと手のひらを合わせた。祈るような仕草だと弁禅は思い、そんなことを考える自分が恥ずかしくなってがりがりと盛大に頭を掻いた。
     そんなこちらを気にもとめず、少女は淡々と言葉を紡いでゆく。
    「あたしは泣いてもいいんだなって、泣いたら大丈夫だってだれかに言ってもらえるんだって気づいて、それにもいまさらびっくりした。……だって知らなかった。初対面で好きですなんて言ったり、熱愛報道が出たらショック受けて泣いたり、あたしがあたりまえにしてること全部、かわいいわね微笑ましいわねなんてみんなから見守られてること全部、できないひとがいるなんて知らなかったんだ」
     知らなかったんだとくりかえし、少女はうつむく。その両手はほっそりとして、かつての無邪気な子どもの名残りをとどめている。兄ィ頑張れーと、だぶだぶのユニフォームを着てスタンドの最前列で飛び跳ねていたちいさな姿がそこに重なった。
     あたりはゆっくりと闇を濃くしていく。
     時計の針は七時をすこし過ぎていた。
    「それでまあ、びっくりして毒気を抜かれちゃったって言うか、……望さんにはだれが大丈夫だよって言ってあげるんだろうなあとか、きっと兄ィは言わないんだろうなあとか、そんなこと考えてたらいろんなこと全部なんだかよくわかんなくなっちゃって」
     そうしていまにいたるわけだ、と少女は神妙な顔で言葉を結ぶ。
     どこか古風なそのもの言いに、話の流れにはそぐわないとわかっていたものの弁禅はつい吹きだしてしまう。なんだーと少女が睨んでくるのに、すまんすまんと片手で拝むふりをする。
     ゴール前にたむろしている連中にこの健気さを見せてやりたいもんだと思いつつ、弁禅はこきこきと肩を鳴らす。寒空の下立ちつくしていたせいか、身体はすっかりこわばってしまっていた。
    「花ちゃんや」
     名を呼べば、少女は目をぱちくりとさせる。素直なもんだとは口にはしないで、弁禅はにっかりと笑ってみせる。
    「ワシの仕事がなんだか知っとるか」
    「ユースのGKコーチだろう?」
     いまさらなにを言ってるんだ、と少女は小首をかしげる。
    「そうだ、ワシは泣く子も黙るエスペリオンユースのGKコーチよ」
     少女の言葉に弁禅はおおきくうなずき、威勢よく胸をそらしてみる。
    「のう花ちゃん、GKってのはすごいもんだぞ、ピッチのあっちからこっちまで全部届くくらいのゴールキックをお見舞いすることもできるんだからなあ。まあ精度が高ければの話じゃが」
     はあ、と膝を抱えたまま少女は相槌を打つ。話のゆくえがわからないのか、怪訝そうな顔を隠そうともしない。そういうところはそっくりな兄妹じゃのという言葉は胸のうちにとどめつつ、弁禅は先を続ける。
    「まあ要するに、そのスーパーゴールキーパーキックをワシが花ちゃんにじきじきに伝授してやってもいいぞという話じゃな」
     は、と少女はおおきく目をまるくする。その顔もまたちいさい頃の姿をおもわせるから、弁禅はついつい笑ってしまう。
    「そのキック力でな、だめな兄貴どもの尻をまとめて蹴っ飛ばしてやるといい」
     ほれ、とゴール前をゆびさせば、少女はつられてそちらを向く。
    「けっとばす」
     吟味するようにこちらの言葉をくりかえす。しばらくしてそのおもてにふいと笑みがきざした。
    「いいな、それ」
     名前のとおり花のように笑む、そのさまに弁禅もまた口の端をあげる。
    「じゃろ。それにしてもまあ、こんなに可愛い妹を悩ませるなんてまったく困った兄ちゃんどもじゃ」
    「ほんとうだ。弁禅さんも苦労するな」
     一丁前なもの言いがおかしく、弁禅はこらえきれず大声で笑ってしまう。少女もにこにこと、そのおもてに先ほどの翳りは微塵もない。
     子どもは笑顔が一番じゃなとお開きにしようとしたところで、器具を片づけた月島が戻ってきた。弁禅と少女とを見くらべて、あっとおおきな声をあげる。
    「だめだよ弁禅さん、未成年と十九時以降にふたりきりでいるのは条例違反だ」
    「月島、おまえそういうところ福田にも望にも注意されとるのなんで聞かんのじゃ。よし、『柔軟性』と『人心の機微』ってそれぞれ百遍書きとりな」
    「えっ、あ、パワハラ?」
    「よし、『視野の広さ』も追加な」
     ばしりと決めつけて、反論もまたずに弁禅はグラウンドに向かっておおきく両手をあげた。
    「おーい、いい加減切りあげて帰ろうやー、トップが揃って風邪ひいたら選手たちにしめしがつかんぞー」
     声はしっかりと届いたらしい、ゴール前にいた男たちがそれぞれに片手をあげた。
     ふたつの影がこちらに向かってゆっくりと歩いてくる。少女がぴょこんとベンチから飛び降りた。スニーカーをつっかけつつ、兄ィ早くーと両手をメガホンのようにしてせきたてる、その姿は屈託もない。
     まったく健気でよい子じゃなと感心する、かたわらで月島は書き取りなんて小学校以来だなあなどと呑気に呟いている。ここにも素直がいたわいと苦笑しつつ、弁禅はグラウンドの男たちに目をやった。
    「……ほんとになあ、おまえらどっちもこの子らの爪の垢でも煎じて呑めや」
     こちらの声が聞こえたのか、月島がきょとんとする。なんですか?という問いを笑っていなしつつ、弁禅は近づいてくる男たちを待ち構えた。
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