蒼白き夜半の切先 実用性の高さか、はたまた優美さか。両方あれば良いのか。質実剛健か華美か。間を取れば良いだけの問題か。好みの問題か。
ノヴァが所有する護身用のナイフについて話が及んだとき、ロンとノヴァの尽きることのない装飾への想いがせめぎ合った。
ノヴァは城塞王国リンガイアの出身だ。一年の多くを冬が支配する北の大地の生まれだけあって、忍耐強く、頑強で、素朴で、情や義に篤い。他者と協力し合うのに慣れているのは、厳しい環境下でも生き残る術だからだ。反面、冬籠もりで他者と隔絶されることも苦ではない。
生きるためにエネルギーを貯蓄し、無駄なパワーは使わない。厳冬下で無駄をすると死が待っている。小さな頃から剣の道を選んだ事もあり実用性を重視している。
対してロンは強酸のマグマが流れる、岩山だらけの不毛で過酷な魔界の出身だ。一年を通じて季節の移り変わりは全く無く、麗しいと思えるような場所や存在はほとんどない。それどころか陽の光がない。淀んでいて薄暗い。地上のような植物は育たない。歳を数える事はあっても、そもそも一年という短い単位で一生を切り刻むことはない。
強力なモンスターや同族との闘争に明け暮れることもしばしばだ。過酷な環境下の生命体は生まれながらに頑丈で、ちょっとやそっとの事ではくたばらない。その分一致団結することを知らない。寿命は長く、その人生は寄り道や回り道をすることが多い。無駄を好む性質なのかも知れない。
「切れればいいんです」
「切れればいいってもんじゃない。見た目で相手を牽制することもできる。使い手にもよるが、戦いを有利に進める事もできる。お前の言う、無駄な力を抑えることもできると言っているだけだ」
ノヴァの飾り気のないナイフを見て、ロンが思わず素直に感想を口にしたことから、この小さないさかいが始まった。
「先生の星皇剣だって、飾り気は無かったと思います」
「あれは完成形じゃない。試作品だ」
無駄な装飾が増えれば無駄な手入れが必要となり、無駄な労力を使わなければならない事を、ノヴァは疎ましく感じている様子だった。
他方、面白みも潤いもない魔界の風景が日常だったロンは、せめてもの慰めに美しい意匠を凝らして武具を創る。
「分かってます。先生の創る武具は洗練されてます。華美じゃない。ひとことで言えばクールだ。かっこいい。でも、ボクが使うあのナイフだって……」
「分かってる。お前の持ち物をけなされたと感じたなら、前言撤回だ。それを否定しているわけじゃない」
ロンの審美眼は一種独特だ。機能美と装飾がバランスよく絶妙に混在して、彼の創る武具の風雅な意匠を決定づけている。
装飾は単に華美でこれ見よがしな飾りではなく、なにがしかの生物を思わせる線や概念、時には驚く機能を併せ持っていた。
こんな話をお互い吊りベッドと携帯寝具に入ってから延々と続けている。酒も入らずに、だ。
ロンは興奮して頬を染めて話す弟子を見ながら、自分だったらどんなナイフを創ってこいつに持たせるかな、などと考え始めた。
(機能的であることは大前提だ。こいつの得物は剣だからナイフは補助武器になる。切ったり突いたりするだけじゃない、別の機能をつけるとして…)
「先生?聴いてます?」
「うん?ああ……」
生意気な弟子との押し問答に飽きてノヴァに持たせるナイフの事が頭を巡る。腕は完治していないので、自ら打つことはできない。
「あぁ……ボクもう眠くなっちゃいました……明日になったらまた居住区と工房の設計の話をしましょう……おやすみなさい……」
「ああ……」
ノヴァが手元のランプの灯りを吹き消した。居住区が一気に闇に包まれる。そんな中でもロンの魔族の眼は、今しがた消したランプの紫煙を追うことができる。
(剣が折れてナイフも折れたら生命の剣を出すぞ、こいつは。あれは出させちゃいかん。柔らかさを持つ折れにくい金属がいいな。刀身の長さは?素材はどうする?どうせだったらこいつに似合う色の護りの宝玉を嵌めたい。魔力が尽きた時のことを考えて、呪文を打てるようにするか。回復系統か?攻撃系統か?補助系統か?鞘は?ナイフはどこに佩く?)
要するに、生意気で可愛い弟子に己の創ったナイフを持たせてやりたい、という願望だった。
それは単なる製作欲なのか、ナイフを所有するという物欲なのか、それを身に付けたノヴァを傍に置くという独占欲なのか、全部なのか。
それともそれらを与えるという優越感なのか庇護欲なのか。
はた、とそれに思い至って、ロンは苦虫を噛み潰したような面持ちで寝返りを打つと、ノヴァに背を向けた。
夢の中はいつでも思い通りにはならない。
懸命に脚を動かしてもなぜか早くは走れない。剣を振るう腕には力が入らない。大切に想う人々を守ろうとしても、守りきることができない。
そのうち剣が折れる。自分自身も満身創痍だ。手元に残る武器は無骨な護身用のナイフだけだ。
(ナイフだけでも、やってやる)
霞がかかってぼんやりとした視界に目を凝らせば、大切な故郷の人々を蹂躙した敵が見えてくる。
血でぬめる掌を衣服で拭うと、ナイフをしっかりと握り直す。戦塵と黒煙の中から背の高い男が煙を押し出すように、ぬらり、と出てきた。
(気づかれる前に殺ってやる)
渾身の力を籠めてナイフを男の左胸に突き刺した。心臓を貫く確かな手応えがあった。
(終わりだ!)
敵の顔を見ようと、視線をあげる。そこには長い黒髪の、顔に特徴的な傷を持つ男がいた。
(……父さん!?父さんがなぜ、みんなを……)
父の姿は黒煙で覆いつくされ、次に煙が切れたとき、別のものが見えた。
(勿忘草の肌……せん、せい……)
見たこともない冷たい眼をした師が、胸を刺されて自分を見下ろしていた。
「っ!!!」
はっと目が覚めると、そこは未だ見慣れぬ工房の居住区だった。まだ辺りは闇に包まれており、しん、と静まりかえっている。夜明けには程遠い時刻だろう。
ノヴァは裸足のまま工房を出ると、少し歩いて新鮮な空気を肺に吸い込んだ。何度か深呼吸をすると、吐く息が白く宙へと溶け込んでいった。
夜空を見上げると澄んだ空気の中、星々が燦然と瞬き、三日月が冷たく鋭利な刃物のように宙に浮かんでいた。
月影が雫となって降りかかって来そうな気がした。ノヴァはそれから逃がれるように近くの大木にもたれかかると、そのままずるずると地面に座り込んだ。
(ただの夢だ。落ち着け。大丈夫、大丈夫)
何も考えまいと膝を抱えて頭を垂れる。呼吸を調えていると、音もなく隣に誰かが座る気配がした。
驚いて横を見ると、こちらも裸足に簡素な夜着に身を包んだロンがノヴァの横に座り、宙を眺めているところだった。
「今夜の月は蒼白い。ヤツにも何か杞憂があるのかな」
ロンは大木にもたれかかり、片膝をたて、もう片方の脚は自然に伸ばして投げ出している。
力の抜けたその姿がノヴァを安心させた。遠くないどこかでフクロウが鳴いている。
「……ボクの故郷では人が夢を見るのは、良い夢も悪い夢も、月の光が身体に染み込んで見させるんだといわれています。悪い夢を見てしまうのは、月の光の毒気に当たるからだって」
ノヴァの話す声は少し震えている。
「どうしようもなく途方もない夢を見たんです……ボクは故郷のリンガイアにいて、亡くなった人々をなす術もなくただ見ているんです。そこにその人たちを殺した敵が現れて……」
ロンはただ静かにノヴァの物語に耳を澄ましている。
「父でした。なんでかな。反抗した事はあったけれど、憎く思ったことなんてないのに。それに父は無抵抗のひとに暴力を振るう人ではありません。なのに……」
ノヴァは震えるようなため息をつくと、物語の続きを語った。
「ボクのあのナイフで刺しました。刺してから父だと気づいたんです。そんなわけないって思った瞬間、その姿は先生になっていて……夢の中の先生はボクの知らない、会ったことのないようなひとでした。すごく冷たい眼をしていて、ボクのことを知らないようでした。恐くて、背筋が凍るようで」
「オレは殺さないぞ」
むしろのんびりとした声音でロンが思わず告げる。
「ホントですね」
ノヴァが再び頭を垂れ切ない吐息を漏らす。
「夢とはいつでも荒唐無稽なものさ……いささか急ぎすぎたのかも知れんな。なぁ、お前……本当に辛いんだったらバウスンの所へ……」
本当だったら今頃は故郷の生き残った人々と苦しみや悲しみを共にして、明日への希望を興しているはずだ。
そう言おうとしたのが言外に伝わったようだった。
「……嫌だ!そんなんじゃない!そういうことが言いたかったんじゃない!なんで、なんでそうなるんですか!」
ノヴァは撥ねのけるように顔を上げると声を荒げた。フクロウの鳴き声が止んでしまった。
「ボクは、ボクの意思でここに来ました。貴男の創った武器が見てみたい。いつか貴男のための武器を創りたい。それを使って別の意味のあるものをつくりたい。今度はもっとちゃんと護りたい。貴男がボクたちの未来を護ったように。それでボクは貴男の腕になって……ボクは、ボクは……」
ノヴァの瞳が泉の水面のように揺らめいて彷徨う。
「ボクは……貴男を……」
あとはもう言葉にはならなかった。
言葉にすることすらかなわない、苦しみも哀しみも悦びも全てない交ぜになった幾百もの想いが、掌から零れていく。
ノヴァは眉根を寄せて俯く。決して泣くまいと唇を噛みしめる。横顔が蒼白になっていく。
「ノヴァ」
温かみのある渋みがかった低い声で名前を呼ばれ、ノヴァは白い顔を上げた。
横で師が腕を広げている。本来だったら腕を広げるなど、激痛を伴うはずだ。それなのに眉一筋動かさず、優しげなおもてでノヴァを見つめている。
「早くしろ。腕が疲れる」
聴くや否や、くしゃくしゃになった相貌でノヴァはロンの胸に飛び込んだ。そのまま声も立てずに息を殺して苦しい涙を流す。肩だけが震えていた。
ロンはノヴァの背中に腕を回すと、そっと抱擁した。慣れないながらも慰めているはずなのに、ノヴァの嗚咽は深くなるばかりだ。
いつの間にかフクロウの深く優しい鳴き声が戻ってきていた。
(今宵ばかりは……冷たき光を纏うこと勿れ)
己の胸の中で熱い吐息を漏らしてすすり泣くノヴァの襟足の髪を弄うと、そのまま背を抱きしめて、ロンは宙空に浮かぶ蒼白い切っ先をねめつけた。
二人の想いをよそに、月影はただ静かに銀紗を万物に降り注いでいた。
―おわり―