三冬尽くⅠ工房の建築の請負人が見つかってから、ノヴァは足繁くベンガーナの城下町を訪れていた。ノヴァの熱のこもった想いを聴いて賛同してくれた人々と、新しい工房と普請の細かい打ち合わせをするためだ。
ノヴァが熱く語ったあの時、最初に立ち上がってくれたのは、第一線を退いている高齢の建築家だった。彼女はノヴァを自分の孫のように出迎えてくれた上に、彼女の自宅兼事務所に仲間たちを参集してくれた。
図面を見て話す時、彼女の柔和な顔が引き締まり、鋭い眼光でもって検分が行われていく。彼女の疑問をノヴァや仲間の大工たちと共有して、図面でしかない机上の空論を地上に下ろしていく。
リビングを見直され、暖炉ではなくきちんと別の竈を造って料理をした方が良いと進言された。食は命の源だと彼女は言い、ノヴァもその通りだと思った。
水回りと台所があれよという間に図面に起こされていく。動きやすい動線と新鮮な空気と光が導かれるように専門家が熟考してくれる。
工房はほとんどそのままの図面で了承を得たが、生活空間の方はだいぶ手直しをしてもらった。
通路を造ったその先に部屋が二つあることに気づくと、彼女は共に暮らす相手がいるのかノヴァに問うた。
言いあぐねたが、だいぶ年の離れた師がいること、重度の怪我人で生活もままならない事をかいつまんで伝えると、早く言え、と包み込むように苦笑された。
その結果、湯浴み場は広く、師の部屋のドアは手を使わなくても開閉できる細工が施された。
高齢の怪我人の世話なら湯を頻繁に使うだろうとの事で、竈の後ろに水管を通し、温めた湯がいつでも取れるようにしてくれた。
水の問題は仲間の一人が、工房の裏手に小さな湧水がある事をノヴァから聞き出して解決した。鍛冶にも生活にも水は絶対に欠かせない。むしろ森の工房は、この湧水があったからこそ、その場所に構えたんだろうと言われた。
打ち抜き井戸を掘り、水をかけ流して貯蔵する事で、それなりの量の水をいつでも使えるようになった。ノヴァは感謝の気持ちで胸が熱くなった。
新しい工房と居住区の設計図が完成し、あとはどうやって建築コストを減らしていくかが課題になった。ノヴァはほとんど無一文の状態でロンの所へ押し掛けてしまったため、先立つものが乏しい。しかし、コストの全てを師に頼りきるのだけは絶対に避けたかった。
職人たちは一戦を退いているという理由で、設計の金額や日々の工賃をかなり勉強してくれた。それはできないとノヴァが伝えると、自分たちは復興の為に力を注ごうとしていたが、若い衆から断られてしまったのだ、と苦笑した。
まだまだ第一線で活躍できると思っているのに、危ない、力仕事はもう無理だ、もう楽をしていいトシだ、と周りが許してくれなかったのだ、と淋しそうに笑った。
だからこそ、暇つぶしのチェスの同好会所に飛び込んできた、切羽詰まった若者の言葉が胸に響いたのだという。
それを聴いたノヴァは一気に涙腺が緩んでしまった。涙を見せている場合ではないと、袖口で幾度も涙を振り切ったが、後から後からあふれ出る。
そんなノヴァの肩を、その場にいる者達が優しく叩いてくれた。夢や想いを共感してくれる人がいるというのは、なんという幸運な事だろう、とノヴァは皆に深く感謝した。
建築費用は有志のお陰で削減できたが、資材費だけはどうにもならない。折しも復興ラッシュで、資材が高騰している上に、調達が困難となっている。
ここは知識も経験も少ないが、体力のある自分の役割だとノヴァは思った。自分の将来に先行投資をしてくれるパトロンを探しても良かったが、それはしたくないと思った。愚かでも、汗水流して得た対価で工房を造り上げたかった。
ある程度の費用の見積りを出して貰うと、あとはそれを捻出するための職探しだ。もと勇者のノヴァは気合いを入れると、ベンガーナの警備兵の詰め所へと向かった。
「で、山賊討伐をしてきたと?」
「はい!けっこうな数がいて驚きました。しかも山賊の頭がなかなか強くて。こっちは連中を殺さないように手加減してますから、よけい手間取っちゃって」
森の工房に戻ると、ノヴァは悪びれもせずに師に金儲けの報告をした。ノヴァの髪や衣服がぼろぼろに乱れて、あちこちに擦り傷までこしらえている。
悲惨な状況にも見えたが、本人はいたって元気で溌剌としている。
「全員ノックアウトして、ベンガーナの番所まで突き出してきました。ベンガーナの周辺の街道や山道に出没していたみたいで、みんな手を焼いていたそうです。あの辺りの山賊の一部なのかもしれませんが、倒した事には違いないですから、後日褒賞金が貰えるそうです。ああ、嬉しいなぁ!」
夢に一歩近づく、という煌めく瞳を見て、ロンはやれやれと苦笑した。
「なんでもいいが、怪我はするなよ……それにしてももう少し利口なやり方があると思うんだがな……」
「ボクも考えたんですが、止めました。出資してくれる人たちを募ったら、いずれその人たちとのしがらみに苦しむかもしれないじゃないですか。ボクは自由に先生から教えを受けたいし、先生にも自由であってほしいんです」
それを聴いてロンがノヴァをじっと見つめた。
「あ!ボクから自由になる、とかいうのはナシですよ!そういう話じゃありませんから」
「フ……分かってるさ」
瞼を閉じ、口角を上げて薄く微笑む。ロンの機嫌が良いときの笑い方だ、とノヴァは思った。
「それにしても……お前……少し臭うぞ……」
ロンが椅子から立ち上がって対面に座っているノヴァに近づいた。上半身を屈めると、形の良い高い鼻をひくひくさせてノヴァの匂いを嗅ぐと、眉をしかめた。
「オレの知らないヤツの臭いだ!……なんだ、最悪だな!」
牙を剥くロンを見て、ノヴァは自分の腕や服をたくしあげて匂いを確認した。
「あー……山賊たちと取っ組み合いの戦いをしたから……」
「そういうのは戦いとは呼ばん!」
「じゃあ、取っ組み合いの喧嘩。あいつら、湯浴みも行水もしたことないって風情でした」
ロンは首を傾げるとノヴァの首もとに顔を寄せ、髪の匂いを嗅いだ。
「髪まで掴まれてるじゃないか。山賊ごときに後れをとるなよ……」
呆れた表情でロンが溜め息をつく。
「いやぁ、多勢に無勢で……」
ノヴァは照れ笑いをすると、師を行水に誘った。
―つづく―