冬来たりなば「先生……ここ……ここですか?」
「……違うな」
「じゃあ、もっと……こっち?」
「そこも違う」
「どこがいいんですか……ここは?違う?」
「そうじゃない」
「もう、どこから入れれば良いのか……分かりません……」
「自分で探ってみろ」
「難しいです……ボク、初めてなのに……」
ロン・ベルクとノヴァが穏やかな小春日和に、ぴたりと寄り添って一生懸命に励んでいる。文字通り手取り足取り教えてもらっているはずなのだが、師の言うポイントがノヴァには一向に分からない。
「ヒントはやっただろう?」
「どれだったのかなぁ……」
テーブルの上の設計図にデッサン用の木炭を転がして、椅子の背もたれに身体を預けると、ノヴァは天を仰いだ。
「どこから光を取り入れれば完璧なのかなんて、分かりませんよ……」
「こんなに窓ばかり作っては、工房の中が良く見えるだろうな」
ロンはノヴァの真横で設計図を眺めると、少し呆れた口調でそう宣った。
「そうですよ!良く見えた方がいいと思ったから、光を効率的に採り入れる角度まで考えたのに……どこにとってもお墨付きを貰えない」
ぶつぶつと文句を垂れながら、自分用のマグカップに紅茶を淹れる。師のマグにも注ごうとして視線で止めらる。
「オレは酒がいい」
「知ってますよ」
「お前、蛍の光を見たことがあるか?」
唐突な師の質問に、ノヴァが面喰らう。
「え?それは、まぁ……リンガイアの短い夏に何度か見たことがありますけど…」
「いつ見る?」
「……夜、ですね」
「一緒だ」
「あ!」
ノヴァは師に教えを受けながら新しい工房の設計をしている。工房の採光に関して宿題が出ていたので、乏しい知識を総動員して設計を試みていたが、一向に及第点を貰えなかった。
「もしかして、明るくしちゃ、いけなかった?」
「なぜそう思う」
「えーと……炉で火を熾こすから……あんまり明るいと、火が……見え、ない?」
師の表情を窺いながら自分の答えが正解なのかを探る。
「もっと自信を持て」
「工房が明るすぎると炎の様子が分からないから、です」
「そうだ。それぞれの素材にはそれぞれに適した温度がある。時には繊細なほど、温度を調節しなくてはならん。魔族のオレの眼ならば見えるが、お前の人間の眼では白日の元で良く見えまい」
「たしかに……でも……」
「分かっている。普段の作業行程は、光がなくては見えないな」
ノヴァは首を傾げる。その先に工房の窓があった。
「……ああ、だから、鎧戸なのか」
背もたれに身体を預けたのち、工房の造りを見て姿勢を正す。
「そうだな」
ああ、そうかぁ、とノヴァがつぶやく。分かってしまえば簡単な事だ。だが、どんなに小さな答えでも自分で辿り着いたのだ。二度と忘れないだろう。
ノヴァは師の深い黒瞳をじっと見つめると、前から疑問に思っていた事を尋ねた。
「先生って目が良いです?すごく遠くのものも、何だか見えてるみたいに当てますよね」
「実際に見えてるんだ。お前たち人間には見えないものも、しっかり見えるぞ。暗闇でもな」
「へーぇ……便利ですね」
「だが地上は色が多すぎる。昔はよく混乱してた」
「どういうことですか?」
「地上は色も音も情報が多すぎる。魔界に比べると、な……」
「そういうものですか」
地上の明るさや色彩の多さが当たり前のノヴァには、師の言うことがいまいち分からない。
「魔界は地上ほど生命に溢れてはいないからな。太陽もなければこんなにたくさんの色もない。色を見分けるというより、明暗を感じ分けるようなものだな」
「うーん……リンガイアも冬の間は銀世界だから、華やかな色彩の季節は短いですね。そんな感じですか?」
「だいぶ違うが、まぁ、それでいい。さぁ、オレの事はいいから、工房の設計に集中しろ」
会話を切られてしまい、ノヴァが不満げに抗議の声をあげると、集中しろ、と拳骨を落とされる。回復中の腕から出されるので、全く痛くはない。
(貴男のこと、もっと知りたいのにな)
ノヴァは気持ちを切り替えると、師の教えに耳を澄ました。
火を熾こす場所であるため、建て付けを良くしすぎないこと、明かりはどこから取っても良いが、炎の生成に邪魔にならないこと、炎を見極める為に鎧戸を付けること、換気システムを充実させること、床は地面のままか砂を敷くか石畳にしないと火事になることなどを教わり、新しい工房を設計していく。
ノヴァの作ったものは居住区と同じように気密性の高い設計にしていたので、師に呆れられる。
「鋼が沸く前に酸欠で死ぬぞ……」
「ちょっと、うっかりしただけです」
「ちょっとうっかりで死んだらどうするんだ、お前……」
互いに真横に位置して新しい工房を設計する。
「居住区は使いやすいように、ボクの好みにしても良いですか?」
「むしろ、そこはオレにはよく分からん。好きにしろ」
魔族には人間でいうところの生活能力というものはあまり備わっていない様子だった。
ノヴァは短い期間だが、ロンと生活を共にして気付いたことがいくつかあった。
魔族は放っておいたら、まともに食事も摂らない。エネルギーは酒で代用しようとするし、食事を出せば肉ばかり食して野菜など食わんという顔をしている。
魔族の生態はそれでいいのかも知れないが、人間から見ると甚だ不健康で、ノヴァの中で師は放っておけない人物第一級になった。
工房を外に出したことで、居住区の中央が宙に浮いた。二人が共に過ごす空間として認識して良いのだろうかと、ノヴァは師を気遣う。
「共に過ごす……か。まぁ、そうなるのかな」
ロンは少し考えると、ノヴァに全権を託した。ノヴァは元の居住区……リビングを中心に生活圏を拡大していくことに決めた。師曰く「長い年月をかける」そうなので、それなりのプライヴァシーとお互いへの配慮が必要だと考えた。暖炉と水場の横に通路を造り、その先に普請を増築した。
「サウナが無理なのは分かってます。でも、湯浴み場は欲しいな……毎回小川で行水だと、この時期寒くって。先生の行水だって、温かいお湯で手伝ってさしあげたいです」
ノヴァの脳裏には勿忘草色の肌が、ロンの脳裏には白い裸体がよぎって、双方小さい溜め息をついてそっぽを向く。
「オレは寒かろうが冷たかろうが、どうということもないがな……お前にはちょっとな」
できあがってきた設計図を見て、師は顎に手を当てて考え事をする仕草をする。最近はそんな動作もできるようになってきた。
「……広がったな」
「広がりましたね。二人が一つ屋根の下に暮らすんですから。こういうのをきっと『所帯を持つ』って言うんですよ」
ノヴァはデッサン用の木炭を片付けながらお茶のおかわりをする。それはちょっと意味が違うんじゃないかと思ったが、ロンは敢えて何も言わなかった。
設計図がある程度完成を見せたので、ノヴァは家を造り直してくれる建築家を探さなければならなかった。
大人であるロンと行動を共にしても良かったが、大戦直後とあって魔族の存在は人間にとり、すぐそこにある脅威の域を出ない。反感を招くどころか石を投げられかねない。
魔族はおしなべて身体が大きく、力も強い。身体は頑丈で打たれ強く、強い魔力を持ち合わせている者が多い。戦いになったら、普通の人間ではまずもって撃破することはできない。
魔族と共に生きる人間はごく僅かで少数派だ。それは単に身体の造りがどうこうという事よりも、生命としての力の差が互いに畏怖の対象になるからだ。
人間は魔族の身体の強靭さと心の未熟さに、魔族は人間の肉体の壊れやすさと魂の輝きに、それぞれ畏れを抱いていると言っても過言ではない。そしてその理解できぬ生命のありようは、時に侮蔑の対象となり得る。ノヴァにも覚えのある感情だった。
それゆえ、魔族が街に現れただけで大騒ぎになるのも珍しい事ではない。師をそのような喧騒に引きずり出す気は毛頭なかったので、ノヴァは一人で請負人を探すことにした。
まずはランカークスの村に出向いて建築を請け負ってくれる業者を探したが、ほとんどが村から出払っているとの事だった。先の大戦で壊れた街や城を建て直すために、復興ラッシュなのだそうだ。リンガイアの復興を考えると、ノヴァの胸はチクリと痛んだ。
仕方なく大きな街まで出向いて請負人を探すことにした。ベンガーナまで瞬間移動呪文で飛ぶと、警備兵の詰め所に赴いた。そこで街の案内を聴くと、何件もある建築家や大工の元を転々とした。
何日も足が棒になるまで請負人を探したが、なかなか見つからない。ベンガーナもモンスターの襲来で街が傷ついており、その復興に人手が取られていた。たまさか手の空いている業者が見つかったとしても、みなノヴァの歳を聴いて門前払いだった。
ノヴァはリンガイアではとうに元服が済んでいるので、祖国では立派な大人の仲間だ。しかし世間一般の常識からいうと、まだまだ子供の域を出ていないのだった。
自分の実年齢と故郷の習慣とその小さな世界から外れた価値観の違いに、思い通りにならない事への焦燥感があった。ノヴァの腹の底に言葉にならない悔しさが折り重なっていった。
何日も街を彷徨ったが、結局請け負ってくれる業者は見つからなかった。身も心も疲れきっていた。萎れた心を抱えて、ノヴァは師の待つ工房へ魔力の軌跡を描いた。
「今日も見つからなかったか」
工房に入った瞬間、師が出迎えてそう宣った。なんでもお見通しのようで少し癪に障ったが、事実その通りなので言い返す事もできない。
「ボクの歳が若いせいで、誰も相手にしてくれない……」
マグカップに今朝淹れた茶の残りを注ぐと、一気に飲み干して溜め息をつく。
「お前、いくつだ」
「……十六です」
「若いな」
ロンは椅子に座ったまま、ノヴァを見やる。
「これでも祖国じゃ大人の範疇なんです!見た目が若いからって、先生まで!」
キッと師を睨むと眉を吊り上げる。ここ数日の徒労感がノヴァを攻撃的にさせている。
「……子供だな」
その様子を見て師がポツリとつぶやく。しみじみと言われて怒りも萎えていく。
「……先生はお幾つなんですか?少なくともボクの十倍は生きたって、以前仰ってましたけど……」
「……二百七十五……だったか……腐らずしっかり生きたって意味では、お前の十倍くらいだな」
ロンは視線をやや右へ送って数を勘定すると、ノヴァに黒瞳を戻して答えた。それを聴いたノヴァが紅茶を吹き出しそうになる。
「にひゃ、く……けっこうなお年……だったんですね」
「ひとを近所の爺さんみたいに言うんじゃない。これでも若い方だ」
ロンは高らかに笑って茶を所望する。淹れ替えようとすると、ノヴァと同じものを欲しがったので、そのまま冷たい茶を出す。
「魔族はな、生まれてからお前たち人間と同じくらいのスピードで成長する。成人してからはゆっくりと歳をとる」
「何歳くらい……その……生きるんですか?」
「そうだな……長いヤツは千年くらいか」
あまりに途方もない年数を聴いてノヴァは目を白黒させる。
「まぁ、戦いで命を落とす者も多い。それこそ数十年で戦死するヤツもいる。寿命で死ぬっていうのは、たまにはいるかも知れんが、少ないな」
師と自分の年齢差を考えて、子供扱いされても仕方ないかと肩を落とす。無論、師は年齢差だけでノヴァを子供扱いしたわけではない。
「お前、そんなに早く大人になりたいのか?」
「えっ?」
師の質問はいつも唐突でノヴァを驚かせる。
「……やりたいことも、叶えたいことも、子供だと思われると到達できないから……」
「なぜ?」
「な、なぜって……いや……なんでかな……周りが許さないのかな」
「なんで周りが許さないんだ?」
ノヴァは首を傾げて考え込む。
「それは……子供がやるべき事と、大人がやるべき事が違うから……そこから逸脱すると、認められない、というか」
「人間の世界というものは、なかなかに面倒事が多いな。価値観の軛に自ら囚われに行く」
「う……それは、まぁ……でも、大人がルールを作ったり、管理することはきっと大切な事なんですよ。働ける者を管理するのも、戦える者を管理するのも、どこに誰がいるのか把握することも……」
「お前たちの他者を管理するシステムか。オレはほとんどの人間にも魔族にも把握されてないぞ?ここの場所を知っている者も限られている。だが武器を創り生計を立てていたな。戦場にも赴いた」
「先生、もしかして税を払ってないんですか……」
「知ったことか。オレがここに住んでいるのはオレの意志だ。それに人がほとんど来ないここがどこの国に属しているのかも、知ったことではないな」
「困ったひとだな……」
それを聴いてロンがからからと笑う。ノヴァの頓狂な顔がよほど面白かったと見える。
「で?なんで子供だと望みが叶わないんだ?」
「それは、今話した通りですよ。大人や上位の者が作ったルールや価値観に従わざるを得ないんです。彼らが望まない事はやりにくいんです……」
「ダイもお前も子供だった。だが、大事を成した。そんなお前がそれを言うのか」
「……………」
「ルールがある事は解った。だがそれに従うと、誰が決めたんだ?」
「あ……」
「オレの武具も特注品だった。どんなに世間から姿を隠しても、欲しがるヤツってのはこっちを探し当ててやって来る。本当に必要な奴ならば、オレは大人も子供も種族も差別しない」
「……ダイの剣を作ったように?」
「そうだな」
「そういうひとが、世の中にいる?」
「ああ」
ノヴァが真剣な表情で黙り込む。
「お前を阻んでいるものはなんだ?」
「……偏見、かも知れません。ボク自身の、考え方の……」
「そうか。だったら解決は早いな?」
「はい……!きっと!」
ノヴァは自分を信じるように深く頷くと、夕餉の支度に取りかかった。
「すみません。ここに建築の知識と技術を持ったひとはいませんか」
翌日とある場所を訪れたノヴァは、開口一番真剣な眼差しでその場にいるものに問いかけた。
緊張した面持ち、力強い声、握った拳には力が入っている。こめかみからは緊張の為か、一筋の汗が流れている。そして絶対に退かないという強い意志を表す瞳。その場にいたものは何事かとノヴァを振り仰いだ。
ノヴァはベンガーナのチェス同好会の集会所に赴いていた。朝餉が終わった後くらいの時間だ。それぞれコーヒーを楽しみながら、ゆったりとチェスをさしている。老若男女が集っていたが、高齢の者が多かった。突然の珍客にみな何事かとノヴァを見ている。そのうちの数名はノヴァを見定めるような鋭い視線で彼を見つめていた。
ノヴァは突然の訪いを謝罪すると、自分の話に耳を傾けて貰えるよう誠実な態度で言葉を紡ぎだした。
自分の叶えたい夢、到達したい高み、それには鍛冶の行える場所を造り直さねばならぬこと、そして今は未だ何者でもない、ただの実力不足の人間の、切実な願いである事を伝えた。興味をもって耳を澄ましている者もいれば、端から無視している者もいる。
心の奥底から溢れ出る情熱を、拙い言葉に乗せて語りかける。長い時間想いの丈を言葉にしていたような気もしたが、ものの五分もかからなかっただろう。
ノヴァは話を終えると深々と頭を垂れた。ノヴァの熱に当てられて、その場はしん、と静まり返った。
しばらく誰も身動きが取れなかったが、窓側で腕組みをして聴いていた者が立ち上がった。そして、それに導かれるように、さらに数人が立ち上がった。
工房の扉が弾むように開いて、陽の光と共にロンの愛弟子が帰って来た。逆光で表情をすぐには窺えなかったが、満面の笑みを湛えている事は、纏っている命の色で手に取るように分かった。
人間の命は魔族のそれに比べれば儚いほどに短い。立ち止まっていることなど許されないかのように、彼らは命を燃やして夢に向かう。そして時には驚くほどの熱量で夢を現実のものとしていく。
(春遠からじ、といったところか……)
溌剌とした笑顔で図面を見直す弟子を見て、夢や願いを叶える力添えがしたいと強く思う。
だが、それと同時に一抹の淋しさも生じる。
揺れる白藍の髪を見ながら、どうか生き急がないで欲しい、とロンは人知れず願う。
森の木々の硬い蕾や芽の中に、はち切れんばかりの命を感じて、ロンは杪冬の薫りを胸深く吸い込んだ。
―おわり―