キャラメルポップコーンを食べに行こう。
という兄貴の突拍子もない誘い文句に乗って、辿り着いた先は都会の映画館だった。
「ここのが一番美味いんだ」
売店の看板を指さす、その横顔に見蕩れてしまう。
どうやら、ここに漂う甘いキャラメルの香りは、まともな思考を鈍らせるらしい。
「ちょっとまってて」
兄貴は笑って、お目当てを買いに行ってしまった。
ぽつんと広いロビーで待ちぼうけを食らう。暇つぶしに、そのへんにあった映画のポスターを眺めることにした。
どれも知らない映画ばかり。
とっても変な感じだ。
だって兄貴と映画館にいる。
しかも目当てはポップコーン。映画館にポップコーンだけ食べにくるやつなんて、居る?
居た、まさかの身内。
横目で見つめた兄貴の姿は、とてもこの場から浮いている。売店の列には二人組みしかいないし、兄貴は一人で着物だし。
で、そのうちバケツみたいなポップコーンを抱えてこっちに向かってくるんだ。俺より頭ひとつデカい背丈で、髭面坊主の成人男性が、嬉しそうにポップコーン抱えてくるんだ。
そんなの想像しただけで、どんなコメディーよりも笑える気がした。
「良守、何か面白いのあった?」
だめだ。笑っちゃった。
とっても自然にポップコーン、抱えて来るから笑っちゃった。
だって、すごくおかしくて。でも笑っちゃだめだ。兄貴は何にも悪くない。口元を隠して、時折涙を拭って、だけどくすくす笑いが零れて苦しい。
「良守...?」
そんな俺を見て、兄貴は頭にハテナを浮かべてる。
そりゃそうだ。兄貴の目に映る俺は、きっと変な子だ。
あー、どうしよう。たのしくなってきた。
適当なポスターを指さして「これが見たい」とねだったら、兄貴は二つ返事で 「いいよ」と言うに決まってる。逆に俺が「べつに見たいやつ無い」と言えば「外のベンチで一緒に食べよう」なんて笑うんだろう。
結局兄貴は大事なお目当てが食べれれば、場所はどこだっていいんだし。
「なぁ良守、きいてんの?」
そんな顔しないでほしい。
もっと意地悪したくなる。
でも、俺は兄貴と違ってやさしいから「ごめん」と笑ってしまう。だって意地悪なのは兄貴の特権だから。俺は弟になって、兄貴を兄貴にしてあげるんだ。それが良き弟なんだもん。
「ごめん。それ、凄くいい匂いだな」
「だろ?ちょっと持っててもらえるか」
「おう」
「食べてていいぞ」
そう言って財布を仕舞う仕草もサマになってる。
お前は本当に狡いやつ。って思いながら口に放り込んだポップコーンを噛み締めて、このあとの展開をどうしようか思考した。
だけど甘い香りに惑わされて、なにも良い案が浮かばない。
「どう?あまじょっぱくて美味しいだろ」
口の端を親指で拭われて、そのまま食べカスを盗み食いされた。
キュッと眉が寄ってしまう。一見ときめく仕草だが、これくらいで悶えられるほど俺はポジティブじゃない。
どうせ、いつもの兄貴面だ。俺がどんな気持ちで兄貴を見てるか知らずに、平気でこういうことをするからタチが悪かった。
のんきなやつ。腹立たしいとすら思えてくる。
「なんだ。子供扱いすんなって顔だな?」
んなこと思ってねえし。バーカバーカ。
だって俺、兄貴をどうにかしてやろうってことしか考えてない。
なのに兄貴は全然気づいてくれない。この患ってる気持ち、一欠片もわかってない。
でもだからこそ、こうして気まぐれに誘ってもらえるのだ。
皮肉な話しである。一度でも警戒されたら、もう二度とこんな穏やかな日は訪れなくなるのだから。
「うん。美味い」
いつのまにか兄貴もポップコーンに手を伸ばしていた。カリッといい音がして顔を上げるも、兄貴は遠くを見つめている。
どこ見てんだよ。そんないじけた気持ちで兄貴の視線を追うと、どうやら映画のポスターに釘付けになっているようだ。
しかもそれは、上映されている中で最もつまらなさそうな作品だった。
「...」
もしかして、気になるのかな。そう思って同じようにポスターを見つめる。
うん。とてもチープでThe B級って感じ。
なんていうか、レンタルでも見ないレベルだ。
「良守」
はっとした。声をかけられて、兄貴に意識を戻す。
「もしかして、気になる?」
そう言って指をさされたのは、あのB級映画。
もし俺が頷いたら、兄貴は「俺も」と言うんだろうか。とか考え出したらポップコーンを食べる手が止まらなくなった。
「おまえ、さっきからそれ無心で食ってるよな」
そんなに美味かった?なんて笑われて口に運ぶ手が止まる。
「俺たち案外、似た者同士だったりして」
いや、なんつーか。ちげーだろ。
俺はな、兄貴とは違うんだよ。
あんなB級映画に興味はないし。そうやってずっと見ていたくなる笑顔、振りまけないし。
だから、とてつもなく恥ずかしくなってしまった。
俺、気づいちゃったんだ。もしかして兄貴は、すっげーわかりやすいやつってこと。
だって、俺と好きなもん共有したがってる。俺が兄貴と同じ好きだと、にこにこ嬉しそうにするんだ。
今だってほら。ポップコーン、俺がモグモグ食べると目を輝かせてる。そんな事あるのか?
たぶん。あの映画、兄貴は面白そうだと思ってるから俺も同じだったらいい、そう思ったんだろ?
だからなんつーか。
なあ。これって、もしかしなくても...
「どうしたの」
俺の顔を覗き込む仕草が、なぜだか妙に甘ったるく感じる。
「なあ。今、何考えてるか当ててやろうか?」
んぐ。予期せぬイタズラな笑みを向けられて、食べかけのポップコーンが変なとこに入りかけた。
コイツまじなんなんだ。
「んー」
あんまりじっとこっち見んなよ。その笑顔、人殺せそうだぞ。そうそう、悩殺的な意味で。いい意味で、背筋が凍るやつってこと。
「うん。ずっと目が合わないし顔も赤い。それに...」
するりと腕を握られて、ぎょっとした。ついつい猫目になってしまう。
「脈、早くない?」
おい待て。俺は一体なんの尋問に掛けられてんだ?何を探られてんだ?ただポップコーン食ってるだけなのによ。
「つまりはさ、今気づいたんだろ?」
あ?なにが言いてぇんだよ。
「これが、デートだってこと」
デッ、どっ、だっ。
「なあ。あの映画見た後、しよっか」
は!!??
「答え合わせ」
は...???
「じゃあ行こ」
待て待て。さらっと手を繋がないでくれ。
なんて軽口を言える余裕なんて、ない。
「レイトショーってテンションあがるよな」
兄貴は上機嫌だ。見たことがないくらい、心弾ませているようすだ。
だけど俺は、そんな今を楽しめなかった。だってこのあとどうなってしまうのか、皆目見当もつかなくてショート寸前。映画の内容なんて絶対に頭に入らないからだ。
無理、どうしよう。無理だ、無理ムリ、結滅。
デートなのに俺、ちゃんと兄貴をドキドキさせられるのか?不安だ。なんにも、作法が、わからない。
兄貴は今さっき、手際よくチケットを発券してくれた。やってること、終始かっこよく見えるのは何でだ。ポップコーン食いに行こう、なんて誘い文句はハチャメチャなのに。言ってることもダセぇのに。なんだか全部ときめいた。
できることならこのB級映画が、最高のひとときをもたらせてくれたらいい。
もっといえばラブストーリーならラッキーだ。ハッピーエンドならもっと良し、きっといい予行演習になる。
そんな出過ぎた期待を抱きながら、俺は兄貴の隣ひ並んだ。そしてスクリーン8を目指して、歩みだした。