Narrow Escape 薬に嫌気が差して、享楽の為に行われる殺しに嫌気が差して、そしてそいつらに言いなりになってる自分にほとほと嫌気が差して、ベケットはただその場から逃げ出した。アパラチアにブラッドイーグルスから逃げられる場所なんてないぞ、と頭の片隅にわずかに残っていた理性が嘲笑する。アパラチアから出ればいい─出られっこない、第一弟を置いて行くのか?─フランキーも連れて行く─ファウンデーションに行くのか?ここぞとばかりに奴らはファウンデーションを攻撃するだろうな。
「それはダメだ」
彼らはレイダーのように自分のように奪うのではなく、自分達で作り上げた場所を持っている。フランキーとまだ見ぬ彼の配偶者のイメージをして足が止まる。体が止まる。無性に喉が乾く。薬が抜けきってないのか?水が入った手持ちのバックパックは道中で奪われてしまった。ずっと犬の吠える声が聞こえるのは幻聴なのかそうでないのか判断がつかなかった。そこかしこに噴出している黒煙が一層濃くなって、肺が重くなり、方向感覚も鈍ってここがどこだか分からなくなってるうちに、ベケットは倒れた。
目を覚ました時には見慣れた独房にぶち込まれていた。ここには半月前まで入植者の親子が入れられていた。父親にはスーパーミュータントの首を取ってきたら解放してやると言い、着の身着のまま武器も持たせず拠点に向かうのを見届けたあと帰って来なかった。子供は犬の餌にされた。そして今度は自分が入れられている。ベケットは「そうか」と諦めたように息を吐いた。全て全て、自分に返ってきているのだ。足を折りたたんで背中を丸める。えも言わぬ何かに押し潰されそうだった。
キャビネットに置いてあるラジオから無線が入る。つい先日まで仲間だった奴の声が響いてきた。内容は「ベケットの処刑ショーをするから見にこい」といったものだった。足元に置いてある水と少々の食糧に合点がいく。仲間を集めて、見せしめにいたぶって死んでいく様子を見て楽しむ気なのだ。「今日は殺されなかった」がいつまで続くのか、考えるだけで気が狂いそうだと頭を掻きむしった。助けは来ないと分かっている。カミサマは核戦争で死んだのだから。
「今日は殺されなかった」を5回ほど数えたあと、次にこのドアが開く時はお前を殺す時だ、と言われ、教えてくれるとは随分優しいんだな、と心の中で呟く。こいつとは何回か酒を一緒に飲んだが、向こうは薬のせいか覚えていなかった。ふん、と鼻を鳴らしてわざとらしい足音をさせて出て行く姿を見届けた後、ちかちかと時たま点滅するライトを見上げ、弟と一緒に暮らし友人たちと飲んで騒いで楽しんでいた記憶を反芻させた。こんなゴミのような世界で、ゴミのような生き方をしたけれども、幸せな時がちょっとはあったのだと、噛み締めるように。
ドアの開く音がして目を覚ました。とうとう来たか、と思わず立ち上がる。心臓がばくばくと壊れたアンプのように体全体を揺らしている。こわい。こわい。ドア付近のライトはとっくの昔に切れていてほの暗い。処刑人の顔を拝もうとして目を細めた。
「ん…?誰か捕まってるのか?」
聞きなれない声だった。「誰だ?」と思わず震える声で聞き返す。
「名乗るほどのもんじゃないが…」
すらりと透るような声がのっそりとした足音と共に近づいてくる。一つしかない切れかけの明かりが彼を捉えた瞬間ベケットは目を見開いた。
「オアァ?!」
「人の顔見て叫ぶなんて失礼な奴だな」
男の体は頭のてっぺんから足に至るまで赤黒く染まっている。人の形をした輪郭と怠そうに開かれた眼鏡越しの両目が彼を人たるものなのだと認識できる程度だった。
「叫びたくもなるわ。全身血だらけじゃねぇか!」
「うるせーな……ああ、丁度いいとこに布あるじゃん。これで良いや」
そういうと煩雑に地面に落ちていたボロ切れで顔を拭い始める。どうやら自分の血ではないらしい。拭いている間に動揺が少し収まり一歩近づいて檻の向こう側の人間を見る。それなりに端正な顔付きなのは分かる。オールバックの黒髪に血で薄汚れてはいるが眼鏡をしているので知的な印象も受ける。年齢は自分より少し上か、と視線を下に動かしながら、ふと違和感を覚える。血が映える青色で体にフィットしたスーツには見覚えがあった。
「Vault居住者……?」
左手を見ればpipboyをつけている。彼が盗んだので無ければ、そうなのだろう。視線がこちらに向いてると気づくと彼は「ああ」と返した。
「なんでVault居住者がこんなところに」
「別に深い理由がある訳じゃないが、商人から宝の地図?的なもの貰って場所がこの辺だったからウロウロしてたらなんか見つかっちまって。思わずナイフで応酬したらまともに血を被っちまった。他の奴らにバレなかったのが幸いだが」
「そりゃ、そうなるだろうな……」
というか、よく生きてたな。と怪訝な表情で見つめる。Vault居住者は貴重な物資を持っている可能性が高く、見つけ次第殺せとブラッドイーグルス内で通達されていたからだ。
「そんな理由でレイダーの拠点の周りをうろつくなよ…特に今は人が集まってて…無線聞いてなかったのか?」
「無線?」
「ベケットの処刑ショーをするとかなんとか、流れてこなかったか?」
あまり自分で言いたかないんだがな、と心の中で悪態を着く。Vault居住者は手を止め、考え込むように視線を上に動かした。
「?…………ああ、そういや積灰の山地域に入った時になんか流れてきたな。ちょうどモールマイナー達と遊んでてしっかり聞いてなかったわ」
「なんだそれ……」
遊ぶってなんだよ、殺し合いだろ?と理解の出来なさに眉が上がる。
「観光じゃねーんだぞ」
「観光。それだ」
言い得て妙、と言ったふうに指を指すVault居住者に少しイラついて冗談で言ったんだ、と毒吐くが、彼はさも気にせずといった様子で赤く染まった布巾をキャビネットに置いた。
「それで、君がその処刑ショーのメインディッシュのベケットくんなのか?」
ぎくりと肩が強ばる。しかしここに来て隠し立てする必要も無いか、と大きくため息をはいた。
「…そうだよ。なぁ、ここから出るのに協力してくれないか?ここに居たら奴らの良いようにいたぶられた後に惨たらしく殺されちまう」
檻に触れ少々乱暴に揺らす。がしゃんと音を立て頑丈に閉じられているのを再確認する。Vault居住者は少し考えるように俯いた。
「あんたを助けて俺になんかメリットある?」
Vault居住者と言えども正しくウェイストランド人か。くそ、と心の中で舌打ちをする。Vault居住者には何人か出会ったことがあるが、どいつもこいつも世間知らずのボンボン。という印象だった。当たり前だ、彼らは激動の時をVaultという強固に守られたぬるま湯で過ごしてきたのだから。その境遇も相まって大半が善寄りの人間だった。こいつもそうなら話は早かったのに、と歯を食いしばる。そうじゃないなら仕方ない、精々足掻くしかない。顔を上げて目を射抜くように見つめた。
「改心した男の人生を救った穏やかな気持ちはどうだ?いらない?そうかよ。じゃあ情報ってのはどうだ。価値のある情報を知ってる」
「情報かぁ…情報って?」
早口で捲し立てるようにアピールする。なにせ次ドアが開いたら終わりだ。タイムリミットは刻一刻と迫っている。そんな気持ちも露知らずVault居住者は言われた言葉を噛み砕いて聞き返し、焦りが募る。
「助けてくれたら教える。嘘じゃない、本当だ。必ずあんたに有用な情報を教えられる」
Vault居住者はうーん、と腕組みをしながら一考する。
「交換条件としてはなんか弱いけど、貸しを作るのは悪くないか。で、どうすりゃ良いんだ?」
思わず拳を握りしめ、口角があがる。
「そうこなくっちゃな!恐らくここのボスの寝室に鍵があるはずだ」
「えぇ…てことは敵の真っ只中を突っ切らなきゃいけないのか…引き受けたこともう後悔した。…ん?」
突然外からサイレンのような音が響いてきた。バタバタと慌ただしい足音も聞こえる。この音は、
「警報だ」
「あー外の死体バレちまったのかな」
Vault居住者は慌てる様子もなくあっけらかんと話した。ベケットは檻を叩いて言外に急げと催促する。
「おい早くしないとあんたも殺されちまうぞ。俺をここから出してくれれば加勢できる!」
「しょーがねぇなぁ…」
ぼりぼりと頭をかきながら気だるげな様子で外に通じるドアに手をかける。「あ」と思い出したように振り返った。
「一応言ったからには助けるけどさ、お前の言う価値ある情報ってのが嘘だったらお前のこと殺すからな」
嘘は良くないからな、というとVault居住者は天使のような笑みを浮かべた。ぞわりと背筋から気味の悪いものが通り過ぎる感覚がする。ドアの閉まる音を聞きながら助けを請い求める相手が悪かったかもしれないと思い始めていた。
「いやー死ぬかと思った」
二度目の邂逅も彼は血まみれでベケットと対峙した。「ほら鍵」と指にぶら下げた鍵を一回転させ弄んだあと、ドアを開ける。重厚な音がしてVault居住者とベケットを隔てていた壁が無くなった。一先ずほっとして息をつく。
「助けてくれてありがとう。遅かったから正直死んだかと思った。怪我は?」
「襲ってくるやつ全員殺してたら遅くなった。怪我は無いこともないけど、かすり傷」
「あんた割と強いんだな…?」
見かけによらず、と思わず付け足す。目の前の彼はベケットよりかは幾分か細身で腕っ節があるようには見えなかったからだ。言ってから失礼だったかとバツの悪そうな顔をするが彼は気にもしない風に「まぁそういう訓練も積んでるから」と答えた。ベケットは檻の中にあった血を拭えそうな布を差し出すと、Vault居住者は「さんきゅ」と受け取って先程と同じように顔を拭いた。
「コソコソ行こうかと思ったら普通にバレててさぁ、アクション映画さながらの死闘だったよ。映画見たことある?」
「昔立ち寄ったドライブシアターのフィルムが生きてて猫とネズミのアニメやってた」
「ああ、いいね。あれは。古いけど分かりやすくて」
ふ、と笑う彼の顔はなんだか穏やかでたった今までブラッドイーグルと殺し合いをしていたようには見えなかった。
「なぁ、ついでにもう一個助けて欲しいんだが」
「聞くだけなら」
「俺のバッグが盗まれたんだ。いくつか俺の個人的なものと、あんたに教えられる有用な情報が、その中に入ってる。取り戻してくれないか?」
ここの拠点を一人で殲滅できる力があるなら俺よりずっと成功率が高いだろう、と感じた。問題は彼が引き受けてくれるかどうかだ。Vault居住者は目をパチリと開いた。
「個人的なもの?」
「え、そこ気になるか?」
「言いたくないなら別にいいけど」
思わぬ返しに声が上擦る。正直に答えなければ彼の関心が失われてしまう、と焦燥感に攻め立てられた。
「いや、その。…バーのスケッチが入ってるんだ。夢なんだ、俺の」
「ふーん……」
「ふーん、て…」
Vault居住者は興味なさげに視線を宙に浮かべた。言わなきゃ良かった、と少し後悔する。バカにされるのが分かっているから誰にも言ったことはなかった。
「いいよ」
「え?」
「バッグ、どこにあるのか分かってるのか?」
なんの琴線に触れたのか、二つ返事で引き受けた事に戸惑いを隠せず狼狽える。頭をフル回転させてバッグを奪われた近くのブラッドイーグルスの拠点を思い浮かべた。
「え、あ、多分スラッジワークスにあると思う。ここからそう遠くない。地図あるか?」
「ある」というと背中のバックパックから大きな一枚の地図を広げる。「俺たちが今いるのはここで…スラッジワークスは…この辺」と指で小さく円を描くと、「わかった」と頷いた。
「お前はどうすんの?」
「そろそろ巡回の奴らが戻ってくるから、そいつらを追っ払う」
「ん」
そう言うと地図を折り畳む。ベケットはあ、と思い出したように声を上げた。
「合流地点はどうする?どこか安全な場所は知らないか?」
「お前の家は?」
「オレの家は燃やされたんだ」
ブラッドイーグルスに、と言いかけて、当時を思い出して息が詰まる。退路を断つのは奴らのやり方だ。そうとは知らず本当にバカをやった。弟が無事だったのが幸いだったが。
「はぁーじゃあ俺ん家くれば」
「良いのか?」
「しょうがねぇだろ」
Vault居住者は頭を掻きながらため息をつく。
「場所はこの辺」と言うと持っていた地図を再び広げサマーズビル湖と書かれた付近をとんとんと指で弾く。
「悪いんだが、なにかわかりやすい目印立てといてくれないか?」
「割と色々言うなお前。わかったよ…」
ありありと面倒くさいと言うように顔を歪める。しかしなんだかんだ言って願いを聞いてくれるあたり正しくウェイストランド人だと言ったが、良い奴なのかもしれないと思い始めていた。
「すまん。じゃあ頼む。気を付けてな」
「お前もな」
Vault居住者はやれやれと言った風にドアを開けた。積灰の山特有のざらざらとした重い空気が肺に流れ込んでくる。まさか生きてここを出られるとは思わなかった。凝り切った体を伸ばすように背中を反らせる。最終戦争後から変わらぬ曇天の空とは裏腹に心は晴れきっていた。
***
「なるほど、貯水庫を拠点にしてるのか」
地図で示されたスラッジワークス近くの高台から双眼鏡を覗き込む。アパラチアは比較的水が豊かな地域だが戦後積灰の山と呼ばれるここは炭鉱地帯ということもあり、水源は戦前からほとんど無かった。
「人間が拠点とするには良いとこ…いや良いとこではないな」
普通の人間ならば毒ガスや煙にまみれたこの地域には立ち寄らない。ブラッドイーグルスはレイダーの中でも過激で鼻つまみもの。ここに追いやられた、というところか。
「敵は見える範囲で1、2、3……15人。室内にもいると考えると大体20人前後か。ああひとりパワーアーマー着てる奴がいるな。あいつには気をつけて……南西側は壁が高くて入りにくそうだが北東側はガラ空き…じゃ、外から狙撃しながら近づくか」
双眼鏡をしまい、バレないように北東側へ足を進める。
「この辺でいいか」
少々足場が悪いが贅沢は言っていられない。肩にかけたスナイパーライフルを構えスコープを覗き込む。視界は良好。まずは警報の近くにいる敵、それから外側の敵を。グレネードの準備と近づかれた時のためにコンバットナイフを取り出せるようにする。集中する為心を無にして引き金に指をかける。大きく息を吐き切った。
何発目かの薬莢の音を最後に周囲の音は風の音だけになる。スコープで念入りに周囲を見渡して、動く人影がないのを確かめてから顔をあげた。ショットガンに持ち替えて斜面をくだる。ガトリングレーザーを乱射してきた時は肝が冷えたがなんとか無傷で切り抜けられた。慣れてきたな、と心の中で呟く。軍人だった祖父からの教えと、Vaultである程度の戦闘訓練は積んだものの、所詮はロボットエンジニアとして呼ばれた身。新生アパラチアへ足を踏み入れた当初は見たことの無いクリーチャーや世紀末よろしく攻撃的な人間から殺されそうになったりした傷跡は未だに疼くこともある。最終戦争後に生きた人々の記録を読み解くうちにかつてのアメリカは死んだのだと悟った。法の無い環境で生き残るには攻撃には攻撃で返すしかない。そうやっているうちに、引き金を引くことに躊躇しなくなった。監督官はかつてのアメリカを取り戻そうとしているらしいが、そんなこと到底できるとは思えなかった。Vaultに入れるよう推挙してくれた義理は通すつもりだが。
「なんだっけ…そうそうバックパックか」
いくつかのメモを読みながらふとここに来た当初の目的を思い出す。鉱山地帯は気温が高いので今量産させた死体はすぐに腐ってしまうだろう。臭いが出る前にここを退散したい、と思い足を進めた。
金属のプレハブ建築に入ってすぐの所にそれらしい物を見つけ、中身を検めようとバックルを外す。いくつかの人物名が書かれたメモ、それとスケッチブック。メモを興味なさげに端に置き、次いでスケッチブックをぱらぱらと開いた。
「うまいな」
スケッチブックにはバーのデッサンが描かれていた。職業柄設計図を製図することはあるが、頭で想像したものを紙に描くことに関しては完全に門外漢だ。才能があるのだろう、時代が時代ならこの才を伸ばせただろうに、とページをめくる。
「夢なんだ」と言っていた男の顔を思い出す。その言葉を聞いた時、この時代に生まれて夢なんて持てるのか?と疑問に思った。外を歩けば悪夢のようなアボミネーションがそこかしこを跋扈し、生き残った人間たちは殺し殺されその日を生き残ることに必死だ。彼が言う有用な情報に食指は動かなかったが、夢があるという言葉には興味が湧いた。だからこうして命の危険を犯して彼のためにレイダー共を殺した。
「焼きが回ったのかね、俺も」
見知らぬ誰かのために、なんてことはしない主義だ。このご時世純然な善意は確実に自分の首を締めることになる。でも、それでも彼の言葉になにか動かされるものがあったのだろう。もやもやと心に燻るこの感情に名前を付けられないままスケッチブックを閉じ、元のバックパックにしまい込んだ。持ち手を掴んで今度は正面入口から出る。目的は済んだ、早くこんな所からはおさらばしよう。帰りの道すがら、合流するに当たって分かりやすい目印を置いといてくれと言われていたのを思い出す。
「分かりやすい目印ねぇ…」
歩きながらバックパックの中でスケッチブックが揺れたような気がした。