その先に見えるもの.
「その上腕二頭筋で槍振ってますってのが気にいらねぇ! その立派な槍に相応しい僧帽筋と広背筋鍛えてケツの穴締めて出直してこい!」
突進してきたルーンナイトを騎乗竜ごと両手斧で弾き飛ばし、嬉々として叫ぶ緑髪のホワイトスミスをハワード=アルトアイゼンと言う。
普段は燈色である筈の瞳が赤く変わり、小さく爆発する火花を身に纏う姿は百戦錬磨の戦人のものである。元々高い攻撃力にアドレナリンラッシュによる連打が加われば、ルーンナイトごと壁を破壊することも容易い。そして一人始末をつけて、くるりと回した斧の柄で次の獲物の服を引っ掛け、天井にまで打ち上げる。
悲鳴を上げたアークビショップの女に止めを刺すために連続で矢を射るのは、鮮やかなオレンジに輝く長髪と強気な瞳を持つ女スナイパー、セシル=ディモンだ。
「回復役は片付いたわ! セイレン! 左お願い!」
「ああ」
詠唱がまだ終わっていないウォーロックの男は、ロードナイトにとってはいい的だ。セイレン=ウィンザーは背に隠し持っていたギガントランスを掴み構えた。
「スパイラルピアース!」
激しい連撃にウォーロックは構えていた盾を破壊され、その体を抉られる。
セイレンは本来の得物である両手剣を腰から引き抜き、驚愕の表情を浮かべる敵を脳天から真っ二つに斬り裂く。場にそぐわない彼の真摯な瞳は一際その清廉さを際立たせた。
その背後で杖を振る少女が一人。
「サイト。フロストダイバー」
六対六で始まった戦いも相手が三人落ちたことにより形勢が決しようとしている。それでもハイウィザードの少女、カトリーヌ=ケイロンに油断はない。地面に隠れながら忍び寄ってきていたギロチンクロスをあぶり出し、その体を凍らせようとする。しかし凍らずの服を着ていたのか、男は不敵に笑って手に持った短剣をカトリーヌに振り下ろした。
「……わかり易いでござるよ」
だが、その刃が少女の白い胸元に沈むより先に、男の首が胴体から離れた方が早かった。カトリーヌの背後に忍び寄っていたのはギロチンクロスだけではなかったのだ。
癖のある長い紫髪と赤いマフラーを揺らめかせ宙に舞うアサシンクロス、エレメス=ガイル。
彼は地面に足を付ける前にカタールに付いた血を振って落とし、再び闇に消える。すでに力無いままにカトリーヌめがけて落ちる刃については弾く必要すらなかった。
「志を共にする仲間を守る守護を与えたまえ。キリエエレイソン。速度減少」
代わりに弾いて見せたのは見えない薄い膜。仲間を守る守護の壁である。
カトリーヌの横で微笑みを浮かべるは聖女。ハイプリーストのマーガレッタ=ソリン。その視線はすでに自分達のエリアにぶしつけに陣を張る残り二人の内、修羅の女に向けられていた。
「ちっ。せめて一人だけでもっ!」
ブラギの歌を止めたミンストレルの青年が楽器から弓へ武器を変え、彼を守る修羅も必殺の構えを取った。
「阿修羅覇…っ
だがスキルは発動しなかった。その前に忍び寄っていたエレメスが修羅の頭を掴み、勢いよくミンストレルに向かって投げ飛ばしたのである。それを見ていたハワードが意地悪く笑った。
「おしいな。下腿三頭筋が残念だが腕橈骨筋が素敵な姉ちゃん。さっきの速度減少をくらってなければ間に合っていた」
「あらあら。うふふ」
マーガレッタの微笑を二人は聞くことができなかった。修羅に狙われていたカトリーヌが呪文を謡い終わったからである。
「メテオストーム」
暗い天井に現れた空間魔法から飛び出す隕石の群。無慈悲なそれが空気を切り裂く悲鳴を立てて彼らの体に穴を開けていく。
そしてこの場所に生きている人間は存在しなくなった。
「うむ。追加も来ていないでござる」
冒険者達の遺体がカプラサービスによる自動送還によって消えた後、エレメスが他に冒険者達がいないことを確認し、六人に安堵が戻る。
「はぁ。威力が上がるのはいいが、とにかく重いな。これは」
一息ついたセイレンがハワードに訴えたのは、先程使った両手槍のことだ。通常の武器の十倍近くもの重量があるギガントランスは、さすがにいつも背負って歩くには重すぎる。力自慢体力自慢のロードナイトとはいえ、戦闘になったらまず敵に向かって投げ飛ばしたくなるのも仕方のないことだろう。
「死人が泣き言を言うなって」
「死んだ身でも重いものは重い」
当のハワードは、戦闘の出会い頭に斬られた左足の太腿辺りをマーガレッタに診てもらっていた。戦闘中に癒してもらってはいたが、念の為にヒールの重ね掛けをしてもらう。
「俺の斧よりちょっと重いだけだと思うんだけどなぁ」
治療を終えたマーガレッタに礼を言い、槍の製作者は頬を膨らませて唇を尖らせる。
ハワードの両手斧も、見た目からわかるようにかなりの重量を誇る。刃で叩き切るよりも、押しつぶす殴り飛ばすことに特化しているため、ハワード以外でこの斧を振り回すことができる者はセイレンしかいない。なにせ、以前冒険者に両手斧を奪われた時、その重さ故に奪った方のルーンナイトと騎乗竜がその場から動けなくなっていたくらいなのである。あれは笑った。
ハワードは地面から引き抜いたギガントランスを片手で持ち上げる。
「まぁ、ちょっと重いかもな」
「ああ、かなり重いんだ」
セイレンは生真面目に言い直した。
「だがセイレン。これはいい訓練だと思わないか? 常日頃からこれを背負っていれば、お前は常にトレーニングをしていることになる。お前の筋肉は俺から見ても合格の域には達している。見るからにしなやかな広背筋から流れる大臀筋、太腿二頭筋は見る者を感動させ、体を支える半腱様筋、下腿三頭筋のバランスなど感銘を受けるしかない。だが、これ以上の素晴らしい筋肉にする為には、体幹を鍛えてバランス良く鍛え上げるしかないんだ」
「え。あ、うん?」
「強いて言うなら左足に体重をかけた立ち方をするからか、左右に二ミリの誤差がある。これをコンマの誤差にまでするには、そうだ重量かけて足を短くすればいいじゃないって、あ、嘘嘘っ。ごめんっ! 冗談だからちょっとその剣下ろせっ!」
途中まで真面目に聞いていたセイレンが青筋を立てて両手剣を振り上げたものだから、ハワードは慌ててギガントランスを掲げて刃を止める。マーガレッタはいつもの無害そうな笑みを浮かべてそれを見ていた。
そしてエレメス達三人はというと、ギリギリと音を立てて押されていくハワードを横目に見ながらも放っておくことにし、共同スペースで普段リビングと言っている場所に向かって歩き出す。
セシルは弓の弦を爪弾いておかしなところがないか確認しながら、横を歩くエレメスに話しかけた。
「本当にあんなのの、どこがいいの?」
「セシル殿。あまり本人がいる所では言ってほしくないでござる。これでも片想い故」
突然ではあるが、エレメス=ガイルはハワード=アルトアイゼンに好意を持っている。友愛ではなく恋愛的な意味で。
何故と言われると、なんとなくとしか言いようがないので、本気なのか冗談なのかわからないとよく言われるのだが、一応エレメスなりにハワードに好意を抱いていた。
「趣味が悪い」
小さく呟いたのはエレメスをセシルと挟むように歩いていたカトリーヌだ。杖の代わりにぺろぺろキャンディを持つ彼女は、口元を引き攣らせながらも言い返せないエレメスをちらりと見て言った。
「さっきハワードと一緒にいたから聞いてみた」
冒険者達が現れるまでは自由時間であるのだが、六人は揃ってリビングにいる事が多い。しかし例外もあり、ハワードが武器製造をする時は備え付けの溶鉱炉がある専用の部屋に行くようにしていた。先程までカトリーヌはそこで護身用の短剣をハワードに作ってもらっていたのだ。戦闘好きで製造バカであるこの男は仲間達に武器を作る事を喜びと感じており、更に悪乗り(ギガントランスがいい例である)するため、カトリーヌは余計なことをしないように傍にいたのだという。
「聞いてみたとは?」
さすがに直接的なことはなかろうがと、エレメスは不安になりながらも先を促す。カトリーヌは小さく頷く。
「まず障りのない所から」
Q.貴方のご趣味は?
A.『戦う人間にふさわしい武器作りです』
Q.特技を教えてください。
A.『だいたい三分の観察で、その人間のスリーサイズ及び全身
各部の筋肉量が分かること。その時その人間にふさわしい武
器の選択及びオンリーワンの武器作る事ができ、更に将来に
かけてのステップアップ筋肉鍛錬を考えることができます』
「気持ち悪っ!」
満面の笑顔で言ったのであろうハワードの姿が、セシルの脳裏に浮かんだのだろう。思わず胸を隠すように両腕を組んで叫んでいた。エレメスですら鳥肌を立てて震えたのは、それが嘘偽りないことだとわかっているからだ。
ハワードは筋肉フェチだ。むしろ愛していると言っていい。
たとえば普通の人がこの世界には男女と多少の例外がいると区別する所を、完成された筋肉と発展途上の筋肉と一般人という例外で区別をつける程には筋肉を愛していた。
冒険者に出会えば相手が服を着てようと鎧を身に纏っていようとも、視姦するがごとく目を爛々とさせて中身の肉体を視ている。そしてダメ出しをする。
ちなみにどうして見えない所までわかるのかと以前聞いてみたことがある。ハワードは心底不思議そうに言った。
「服なら歩かせてみりゃわかる。鎧なら肩当と腰の位置と立った時の左右のバランスでだいたいわかるだろ? 戦っている所を見りゃ一発だ」
もちろんそんなわけがない。ハワード以外の五人の意見を言わせてもらえれば、分かるかこの変態がということになる。
六人がこの生体工学研究所で出会ったその日にも、ハワードは筋肉がうんたら武器の持ち方がなんたら、皮下脂肪を支える筋肉こそが張りのある肌を生み出すのだから、男女関係なく筋肉は鍛えるべきであると熱心に語った。その時に五人が受けた得体の知れない恐怖は、今でも消えることが無い。
いやしかし、悪い人間ではないのだ。先程のカトリーヌの質問に対する答えからもわかるように、常日頃からノリが良く性格も明るい。気風の良さと人に気を遣う優しさを持ち合わせ、その腕で作り出す武器防具の数々や戦闘での頼もしさにも疑いは無い。
その上でエレメスは神に問いたい。何故貴方はこの男の人生に筋肉に対する異常な拘りを与えてしまったのかと。
「ハワードにはセシルのスリーサイズを口にしたら強制的に成仏させられかねないと伝えてある。安心して」
「余計なこと言うなぁっ!」
セシルがカトリーヌの一言に噛みつく。彼女が自分の慎ましやかな胸囲を気にしていることは周知の事実であったが、他人から改めて言われると反論したくなるものらしい。エレメスは何も聞かなかったことにした。カトリーヌはぺろりとキャンディを舐めながら呟く。
「まだ続きがある。聞いて」
Q.戦闘中、男に視線がいくことが多いようですが、男好き?
「いきなり話が確信近いところに飛んだっ?」
「カトリーヌ殿。それはあまりにもあからさま過ぎやしないだろうかっ!」
「ちなみに答えはこうだった」
A.『脈動する筋肉がとても気になるので、見てしまうのが男か
女かと言われると、確かに筋肉量が多い男の方に目が行くか
もしれない』
「ハワードって、本当にぶれないわね」
「告白をした場合、同性であるエレメスにも勝率はあると考える。エレメスはハワード曰く『考えられる限りこの世で一番理想の筋肉の持ち主』だから」
「……複雑でござる」
先程初めて出会った頃の話をしたが、例に漏れず自分以外の五人の筋肉測定を順番にしていたハワードは、最後の一人であったエレメスを見た瞬間、雷に撃たれたような衝撃を受けていた。そして恍惚とした表情で『ただひたすら鍛えればいいわけじゃない。最高のパフォーマンスを叩き出す、考えられる限りこの世で一番理想の筋肉だ』と感涙しながら語りだしたのだ。ちなみにエレメスはその時、全身鳥肌を立ててハワードをカタールの腹でボコ殴りにした。斬り捨てなかったのはまだ一応味方の可能性があったからに過ぎない。
そしてその日からエレメスは時に罵り、時に戦い、時に新しい武器の提供という名の餌で懐柔されながらも視姦される恐怖の日々を送ってきた。
当初の戦闘でも、前に出て戦うエレメスにハワードはうっとりと頬を上気させ、「躍動する乳、尻、太腿……」と熱い息を吐きながら呟いていた。運悪く聞こえてしまったエレメスは「大胸筋か、大胸筋の事か!」と泣きそうになりつつ、ハワードの言葉に呆気にとられた冒険者達を、心の中で謝りつつ倒した。
その日からハワードが前線に出て、エレメスは後衛の護衛に回ることが増えたのは仕方のないことである。他の四人の仲間の心の平穏のためにもそうせざるを得なかった。そして当のハワードは特に反省していない。ハワードにとっては筋肉を褒め称えたにすぎないのだから、いくら叱っても効果が無かったのである。
「しかし拙者より素晴らしい筋肉とやらが出てくれば、すぐに乗り換えられるのでござろうな」
それがエレメスには面白くない。
あの男はエレメスを見る時、こちらが気恥ずかしくなるような蕩ける様な優しい目をする。騙されてはいけない、あれは筋肉を見ているのだとわかっていても惑わされてしまう。
カトリーヌは淡々と言葉を紡ぐ。
「エレメスはハワードの過度の精神的攻撃を受け続けた。逃げられない空間で、毎日加害者による恐怖に晒された時、被害者は時に犯人に依存や同情を向け、稀に愛情を覚えることがある。つまりは錯覚。ストックホルム症候群」
「恐ろしいことに否定できない自分がいるでござる」
なるほど自分のこの感情は、被害者意識なのか。性的な目で見られ続けた女性はこのような恐怖と混乱に苛まれていたのかと思うと、男の立場としては申し訳ないと思ってしまうと同時に、なぜ自分がそれを理解せねばならないのかと頭を抱えるしかない。気の休まらない日々にストレスは溜まる一方だ。
「そして人間は恐怖に対して踏み出して戦う人と、受け入れてしまう人がいる」
カトリーヌは立ち止まり、エレメスを見上げる。その瞳の奥には、どこか幼子に諭すような色が含まれていた。
一方、セイレン達は今だに先程の場所から動いていなかった。
「ハワード? どうした」
セイレンは結局ギガントランスを背中の専用ベルトに差し、どこかに気を取られているハワードに問いかけた。ハワードの視線の先には通路の先を歩いているエレメスとセシル、カトリーヌの背中が小さく見えていた。会話は聞こえないが、ずいぶん楽しそうに話し込んでいるように見える。
そして視線を戻すと、まだハワードは黙って三人を見ていた。
ハワードという男は割と表情豊かな男だが、その表情を無くすと妙な威圧感がある。だがセイレンの視線に気が付いた次の瞬間には、ヘラリと笑って自分の両手斧を担ぎ直した。
「俺達も帰ろうぜ」
「ああ……。ああ?」
思わず疑問形になったのは、セイレンとマーガレッタが歩き出す前に、ハワードが早歩きで歩き去ったからである。
「なんだ? あいつ」
「あらあら。女友達にやきもちなんて全く必要ありませんのに」
「え?」
「でも気持ちはわかりますわ。告白がしたくとも邪魔が入る。触ろうとしても失敗する。じれじれしていたのが次第に苛立ちに変わり、冒険者たちを瞬殺して発散させる。これだから両片思いを見てるのは楽しいのですわぁ」
訳知り顔のマーガレッタはゆったりと歩く。常々女子組から鈍いと言われるセイレンは、すぐに追いかけないマーガレッタの姿を不思議そうに見ていた。前を向くとハワードがエレメスに背後から抱き付こうとして殴られている所だった。
「ああ、この総指伸筋がいい働きをしているとわかる拳がまたたまらんっ!」
「この変質者変質者変質者が!」
ハワードは一撃で伸され、罵られながら足蹴にされている。
セイレンにはいつもの光景ではあるが、マーガレッタは目を細めながら意味深に微笑んだ。
「あとはタイミングだけなんですけどねぇ」
その予言めいた言葉の意味に、セイレンはやはり小首を傾げるしかなかった。
* * *
「エーレメスヴぉぶわぁ!」
両手を伸ばしていつものようにエレメスに抱き付こうとしたハワードは、正面から額を拳で殴られベッドに叩きつけられた。
「何故殴る!」
「何故だと。そこにお前の顔があるからだ!」
「理不尽!」
もはやテンプレでもあるのかとセシルから言われる程にしているやり取りである。しかしエレメスにも言い分はある。
つまり惚れている男の顔が急に目の前に来たものだから、驚いたと同時に類稀なる反射神経で拳が出てしまっただけなのだ。
あるはずのない心臓が見えない手で掴まれたあげくに肥大化し、ばっくんばっくん言っているのだからこれはもうハワードが悪い。
「そこまで俺の事が嫌いかよ……」
もちろんハワードはそんなことを知る由もない。エレメスが心底不機嫌であるという態度を崩さないため、自分はそこまで嫌われていたのかとショックを受けている。今日も細かいところですれ違う二人だった。
エレメスはハワードが大人しくなった所で、ベッドの横に椅子を持ってきて座る。
「足の調子はどうだ」
「今殴られた顔よりは痛くない」
ハワードはそう嘯くが、エレメスの目が左足に向いていることに気付いてからは口を噤んだ。そして正しくベッドに横になり、頭の下で指を組んで枕にし、忌々しげに息を吐いた。
「日に日に違和感がひどくなってやがる」
三日前の冒険者との戦い。そこで負傷した左足の傷は、その場でマーガレッタが治してくれた筈だった。確かに傷は消えたが小さな違和感だけが残り、時間を重ねるにつれて斧を振り回すにも支障が出始め、今では足を引き摺りながら歩く状況になっていた。しかし毒や呪いを受けた訳では無く、原因が分からない。
今日も冒険者がやってきていたのだが、五人だけが出て行ってハワードは留守番をさせられていた。
「皆に迷惑かけるな」
「迷惑ではない。心配をかけているのでござるよ。故に拙者達には理由を聞く権利があると思うのだが? お主、何か隠しているだろう」
エレメスは皆に頼まれて来ているのだから偽りは許さないと目を細めた。ハワードは視線の棘に晒され、困ったように眉間に皺を寄せて喉の奥で唸る。そして、強いて言うならと口を開いた。
「あの日、戦闘の前の夢見が悪かった」
ハワードが呟いた言葉に、エレメスは心当たりがあった。自分達に実体はない。故に睡眠も必要ない。だが、ふとした瞬間意識が途切れることがある。その時も第三者から見れば起きているように見えるのだからあくまで瞬間ではあるのだろうが、それを六人は夢を見ると言っていた。
そしてその夢は恐らく生前の記憶ではないかというのが六人の共通した認識だった。
「殆ど覚えてはいない。何となく思い出せるのは、何かに同じ場所を斬られた事があるって事だけだ。そいつが妙に眩しくて、気持ちが高揚して訳がわからなくなった。今の俺達でも斬られれば痛みを感じるだろ? 幻肢痛みたいなもんかって思ってたけどさ、この傷だけはいやに生身の傷のように感じるんだ」
そう言って自分の左足太股を腹立たしげに拳で叩く。
「きっと夢の感覚に体が引き摺られてんだろうなぁ」
しかしどうすればいいのかがわからない。
ジレンマに陥るハワードの傍らで、エレメスももどかしい感情に苛まれていた。
眩しくて、気持ちが高揚したと言っていた。夢の中でハワードにそんな感情を抱かせるものがあったのか。
「お前が心配するのもわかる。夢のせいだというなら、それと同じことが起きる可能性がお前達にもあるんだもんな。俺も思い出そうとしてるんだけど」
「そうではないでござる」
不思議そうな顔をするハワードに対して、エレメスはそうじゃないともう一度繰り返す。
いつも自分を熱の籠った目で見る癖に、他の事に気を散らしている今のハワードに奇妙な苛立たしさを感じた。
「ハワード」
エレメスは椅子から腰を上げて、ベッドに膝をついた。そして腕を上げているハワードの脇の下に手を付き覆い被さる。目を見開いたハワードを見下ろし、内心ほくそ笑みながら真顔で言った。
「拙者はお前を心配している」
「え」
その時のハワードの呆気にとられた顔と言ったら。エレメスがめったにない意地の悪さを湧き起こすのに十分だった。体を片腕で支え、完全にベッドに上がると、右足の膝でハワードの両足を割り開いた。ハワードが組んだ掌から頭を起こしかけたが、額を左手で支えて元の位置に押し戻す。
「お前は触るなでござる。指でも足でも顔でも拙者に触れてみろ。即座に潰す」
意味が分かるように持ち上げた膝でハワードの股間を押す。びくりと震える腕が滑稽だった。
「いやでも、今の大腿四頭筋が撫でていったの。すげぇ、感じた」
先程、膝どころか太腿が先に擦れていたらしい。顔を赤くしてもじもじと視線を反らす様子に、エレメスがハワードの首の横、腕と首とで作る三角地帯に腰から抜いたマインゴーシュを刺したのは仕方ないことだろう。本人からすれば防衛本能である。不可抗力だ。
「エレメスさんっ。あの、ちょっと掠れたんですけどっ!
顎の下辺り、線が入ったように赤くなっていることを言っているのだろう。エレメスは構わず短刀をそのままにし、離した手でハワードの開いた胸元に触れた。まだこちらの意図を探っているハワードに、喉の奥で嘲笑って見下す。
「情けない姿だな」
もどかしい。
意趣返しにハワードが慌てるのが見たかっただけなのに、今更ながらこの体勢に込み上げる気恥ずかしさで尚更言葉少なになる。苛立ちに比例するように出てくるのは可愛くない言葉ばかりだ。
「酷いわぁ。じゃあ、黙るけど。いいの? その分俺お前のこと意識しちゃうよ? 触れてるとこ心を込めて堪能して、視覚聴覚触覚全部でエレメスのこと感じちゃうよ」
再びベッドにグラディウスが刺さる。先程とは反対側の位置で、ハワードが咄嗟にすでに刺さっていたマインゴーシュを引き抜き顔を反らした上で首筋ギリギリの位置だった。
「うるさい」
「これ俺じゃなかったらマジで死んでたからなっ
ハワードが眉間に皺を寄せる。いつものお遊びにしてはこの仕打ちは酷過ぎだろうとその眼が訴える。
「お前だけじゃない。セイレンなら避ける。……刃を向けることなど絶対にしないが」
わざわざ煽るように付け加える言葉は他の男と比較するもので。この状況と相まってかハワードの機嫌は更に下降した。
「あー、そうかい。なんなの。お前何でこんなことするんだよ」
「夢にお前を取られるのは業腹でござる」
「何。やきもち妬いてくれてんの?」
「悪いか」
唇を噛んで、眇めた瞳を枝垂れるように落ちる濃い紫色の髪に隠す。
「は?」
そこに込められた熱が一瞬だけ見えたハワードは、呆気に取られた。
だが理解が追い付かない。それも仕方ないだろう。唯でさえ、つい今しがたその手で殺されようとしていたのだから。
だがしかし、エレメスの緊張し強張る全身の筋肉の動きや、垣間見えるエレメスの表情に、漸くエレメスの奇行の原因に気がついたようだった。
ハワードはエレメスの様子を伺いながら唇を開いた。
「俺も、……妬いたことある」
夢ではないけどと呟く。
エレメスは見当がつかなかったが、それでもハワードの言葉を頭から否定しなかった。むしろそうあって欲しいと願った。
肝心の言葉を口にしないくせに、やっぱりそうなのかと互いに絡み合う視線。先に音を上げたのはハワードの方だった。胸の奥から熱い息を吐いて、エレメスを見上げる。
「腕を解放させて欲しいんだけど?
先程引き抜いたマインゴーシュを握ったままの手は、律義に頭の下に戻してあった。
「ダメだ」
「何でお前って、そんな顔しといて甘えべたなんだよ! 頼むからさ。抱きしめさせてよ」
泣きつくようなハワードの言葉に、エレメスは唇を結んで顔を強張らせた。次第に赤くなっていくその肌の色に、ハワードは歯を見せて笑った。
「理想の表情筋……。たまんねぇ」
「お前はやっぱりそれなのか」
「好きなんだって。お前のその表情筋で動く顔。すっごく理想」
「そこは顔が好みというだけで済む話ではないか?」
「目に見えるものを語るだけじゃ足りなさすぎるだろうが。皮膚の中身、筋肉、骨。素直じゃない所まで、お前を愛してるってどう言えばわかってもらえる?」
呆れたことに。
本当に自分でも呆れたとしか言えないことなのだが、エレメスはそれを気持ち悪いと思う前に、面白いと思ってしまった。告白されたことを実感する前に、口元が上がり笑ってしまった。そして向けられる熱が当然であると思うくらいにはこの男に嵌まってしまっていたのだと理解させられた。
「俺に甘やかせさせてよ。惚れてる奴が辛そうだと、俺だって辛いんだって。胸揉んだりベルト外したりしないし、押し倒しもしねーから。お前を抱きしめたい。マジで」
冗談を含んだ口調で語り、余裕があるように見せているくせに、目の奥に宿る欲は隠しきれていない。獲物を前に、舌舐めずりする獣のようだ。
思わず喉を震わせて笑うエレメスに、眉尻を下げたまま訴えていたハワードが唇を突き出して拗ねだした。
「何だよ。俺の事試してんの? ハワードさん紳士だけど、確かに紳士だけど、あんまりつれないとさー」
言葉をそこで止める。下からエレメスのすべてを見透かそうと、爛々と輝く目を向ける男は、一つ息を吐き、体勢を崩さないまま顎だけを上げて色気のある声で低く嗤った。
「……俺だって何するかわかんねぇよ?」
その瞬間にぞくりと背中をかけたものは恐怖か悦びか。
ああ、欲しかったのはこの目なのだ。漸くエレメス自身を見てくれたと思った。
自分がこんな馬鹿な男を愛おしいと思ってしまったのだから、相手もそうあるべきだ。つまりはそう。前にカトリーヌが言っていたように自分は踏み出してしまったのだろう。いや、正しくは踏み外してしまったのかもしれない。
エレメスはハワードの手からマインゴーシュを、そしてベッドに刺さったままのグラディウスを抜いて束ね、ベッドの端へ追いやった。ベルトの鞘に戻す前に、それらは外してベッドの下に落としてしまっていたからだ。
まだ自分の顔の横で迷っているハワードの片手を掴んだ。
武器を作る手だった。皮膚が厚く、固い肉刺があり、火脹れしているところもあった。お世辞にでも綺麗とは言えない手を、エレメスは自分の胸に当てさせた。ハワードの喉がごくりと鳴る。
腰の力だけで起き上がったハワードはエレメスのマフラーを引き下げて喉に食らいつく。器用な手で忙しなく音を立ててアサシンクロスの衣装の金具を外したが、エレメスはそれを受け入れて笑った。
「紳士が聞いて呆れるでござる。胸を揉まない。ベルトを外さない。押し倒しもしないのではなかったか?」
早速裾から潜り込むハワードの指は、エレメスの体に残る傷や筋肉を乱暴に確かめるように押撫でている。
ハワードは触れる事を許されてすぐの焦りを指摘されたようで、居心地の悪さを感じ、顔を真っ赤に染めた。
「うるせぇっ。煽りやがって、覚悟しろよ!」
「はてさて、覚悟するのはどちらであろうか?」
エレメスは両腕を持ち上げて男を胸に抱いた。そしてその耳元で小さく囁く。
「戻ってこい。夢に囚われるな。……お前の現実はこの場所でござるよ」
* * *
―――その夜、他人から与えられる激しい熱の中でエレメスは夢を見た。
ひどい悪夢だった。
モロクの砂嵐を抜けた先。煉瓦で出来たアサシンギルドの建物。
アサシンギルドの作る秘伝の猛毒に興味があるのだと、やってきた男は哂った。火も水も、風と土属性も作った先で、闇や聖属性の武器を心赴くままに作った男は、今度は毒属性の武器を選んだのだと言う。
男はエレメスが血に濡れたカタールを構える姿を見て、お前のような武器を作りたいと、モンスターも人も一太刀で崩れ落ちる程の毒属性を纏う武具を作ってみたいと、物騒なことを言いながら無邪気に哂っていた。あと数秒後にはエレメスに殺されるかもしれない。そんな状況下でも、男の眼に恐怖は無く、エレメスの戦う技術のすべてを丸裸にしようとしていた。
その探求心と強欲さに背筋が冷えた。
目が覚めたエレメスは、出会い頭に男の左足を斬ったのだったなとぼんやり思った。斬られても嬉々としていたのだから本当にバカな男だった。
「他の事を考える余裕がまだあったか」
舌打ちしそうなほど機嫌が悪くなった声に口元を上げ、相手の顔を見ずに汗ばんだ肌を指で辿り、その逞しい背中に腕を回した。
「考えさせる余裕を与える方が悪いのではないか? この体を欲するのであれば、余す所無く持っていけ」
吐息と共に囁けば、食われるのではないかと思う程の激しいキスをされた。それだけでは終わらず、互いに舌を絡め、事後の気怠さを再び快楽に変えるべく体を弄り、息荒くより相手を熱の中に追い立てる。
夢現の中で瞼をうっすらと開けたエレメスは、目の前にあったハワードの顔を見て思わず吹き出した。
「鼻の下が伸びたひどい顔でござる」
「幸せ絶頂中の男の顔に何言ってやがる」
あまりに笑いすぎて、エレメスはそれまで考えた事も見た夢の事も、綺麗さっぱり忘れてしまった。
次の日、ハワードの足は治っていた。
そして今度は自分の足元がおぼつかなくなってしまったエレメスは、羞恥に駆られて原因である男を殴った。
四人の仲間達の生温い視線の中、顔に青痣を付けたハワードだけが今日も上機嫌だった。
終