真夏の夕の夢。続き物ですがこれ単体でも読めます。
一人称は設定のままです。詳しくは①を。
先生と俺はあの日以来度々図書館で会うようになっていた。
と言うよりも俺が一方的に図書館に行って先生に話しかけていた、と言うほうが正しい。
何もかもが自分と違う先生に興味があった。俺に「かわいい」だなんていう稀有な人。
「かわいい」なんて言葉は本来先生の様な可愛くて女の子って子に向けられるべき形容詞のはずだ。
そんなことを最初は言っていたかもしれない。
図書館では私語を慎む様にと言われながらも小声で会話することは咎められなかった。
ちょっとした相談や雑談は許されるのだろう。
それでも会う回数が増えると次第に慣れてくるもので会話が弾んで来始める。
ある時から先生、ファウストというのだけれど、は俺がくると読書や作業をやめて図書館を出る様になっていた。
「話をするんだったらここじゃないほうがいい」
校舎の片隅に大きな噴水があってその陰に良く二人で腰掛けた。
ただ単に図書館という場所柄を気にしての退室だと思っていた。
でもよくよく話をしていくとそうでもないらしい事がわかって来た。
「僕がかわいいって君に言った事、君は偉く気にしてるみたいだけど。そんなに大した事じゃないと思うんだけど」
ファウストは猫が好きだ。それも通い詰めた図書館で分かったことの一つだった。
あの日、慣れない図書館で右往左往している俺を迷い猫の様にかわいく思ったのだそうだ。
「照れるな・・・」とネロは右手で頭をぽりぽりと掻きながら視線をファウストから逸らして言った。
「それと、僕は普段からあんまり外に出ないんだ。だから君のその、人工的な水のにおい。そうプールのその匂いがなんだか物珍しくて好きだなって。」
「だから君の来訪に応えてみたんだ。まさかここまで話をする仲になるとは思ってなかったけど。」
結果ファウストの方もネロにちょっと興味があった訳だ。
なんとなく嬉しくなって今度は一度逸らした視線をファウストに向けてニコニコとしている。
あの日と同じ様にネロは部活帰りだった。カルキの匂いを纏っているネロはファウストの興味の対象であった。
「好きとか、この匂いが?」
「そう。夏って感じがする。」
「そっか」
ファウストはあんまり泳いだりしないのかな。まあ授業以外で泳がない人も大勢いるだろうしな、などとネロはぼんやり考えていた。
こんな世間話をしながらも清楚で美しいファウスト。決して崩れない所作。
自分の周りには居ない人種で、また自分自身もそうではない。
凛として動じないファウストの驚く顔を見てみたいと思った。
そう思って突然隣のファウストにぎゅっと抱きついてみる。
「どう?夏をかんじちゃう?」
いたずらっぽく話しかける。
どんな顔をして驚くのかな?等と期待してちらりとファウストを覗き込む。
最初こそびくりと体が反応したけど意外にもファウストはネロの背中に腕を回して抱きしめ返して来た。
「うん。夏って感じがする。水の匂い。太陽と空の匂いがするね。好き。」
一気に体温が上がっていくのを感じた。
実際には上がってなんてないんだろうけど、ゾワゾワと恥ずかしさと愛おしさと可愛らしさと、あと、言っていいのか咎められるようなあられもない感情が一気に湧いてきて焦る。
ちょっと待って、落ち着いて俺。
ネロは自分に言い聞かせる様に感情を制御する。
バクバクと脈を打つ心臓に落ちつけ落ち着けとあやして諌める。
「何これ。こんなのってあり?」
「え?」
独り言が口をついて出て自分の腕の中に収まっているファウストがキョトンとした顔でネロを見つめていた。
「あ、いや、ちが、うん、なんでもない」
しどろもどろになるネロを二つの紫が捉えている。
「ネロ」
「へ」
「僕は、もう少し、夏が欲しいと思っているんだけど。」
一体何を、言って。
眼鏡越しの視線はネロを捉えたまま、そらす事はしなかった。
「ファ、ファウス・・・」
名前を言い終わる刹那、視界がファウストでいっぱいになる。思わず目を閉じた。
やわらかくしっとりとしてちょっと甘いベリーの香りがふんわりとネロの唇に触れた。
時が止まった様だった。永劫の時間が過ぎ去ってようやく目を開く。
でも実際は当たり前だけど数秒程度の出来事で。
唇が触れ合ったんだと後からゆっくりと理解する。
「ファウスト・・・」
名前を呼ぶと既に先生は自分の腕からは離れているが見上げる様に対面に座っていた。
「ネロ。僕は夏をもっと経験してみたいんだ」
興味本位なんだろうか、純粋な気持ちでこんなこと言えるものだろうか。
自分が感じた感情とファウストが向けている感情は同じものなんだろうか。
まだ、判断がつかない。踏み込んでいいものか、どうか。
いや、もしかしたらもう既に踏み込まれてしまったいたのは自分の方なのかもしれない。
そう、だって、今だって・・・。
あの日たまたま訪れた図書館で出会ったのは間違いなくファウストがきっかけだ。
属性も容姿も周りの環境も、何もかも違う俺たちが出会って興味を持つのは必然なのかもしれない。
そんな適当で強引な理由をつけないとこの感情に整理をつけられそうにない。
「好き」
たった二文字の感情に理由をつけて。
俺はもう一度、柔らかくファウストを抱きしめ直した。