前夜の保護者会仕込みは上々。残りは明日の仕上げを待つだけだ。我ながら張り切ってしまった自覚はあるが、何といってもかわいいうちのおこちゃまの誕生日である。気合が入らないはずもない。
魔法舎全体が寝静まった深夜のキッチンで一人、ネロはずらりと並ぶ自信作達を前に満足げな息を吐いた。時間を忘れて没頭してしまったが、それに勝る出来である。久々に感じる自己肯定感の高まりに身を浸していた時だった。
「楽しそうだね」
「うわっ」
ボウルを抱えていたら落とさんばかりの勢いでネロの心臓が跳ねた。振り返れば、いつの間にか背後の席に座っていたファウストがにこにことネロを見つめている。全く気が付かなった。気配を消すのはさすがの腕前だが、こういう時に発揮するのは勘弁願いたい。いつからそこに、と頬を引きつらせたネロをやはりファウストはにこにこと眺めている。
「珍しく鼻歌を歌いながらメレンゲをたてていた辺りかな」
「結構経ってるじゃん……声掛けてくれれば茶くらい淹れたのに」
「歌まで口ずさむくらいご機嫌なネロがかわいくて」
「もー……またそれかよ」
「照れてるの?」
「照れてますぅ」
二百余りも年下の男に可愛いと言われるのは正直照れるというより、気恥ずかしい。好いた相手であれば尚更で、ネロはファウストの可愛がり攻撃に滅法弱かった。なんとか受け流す術を会得したものの、平常心でいることは到底難しい。赤くなった顔を誤魔化すようにきびきびとキッチンを動きまわり、仕込んだ料理達を冷蔵室に入れていく。華やかに明日のパーティーを彩るであろうネロの作品は、きっと主役の目も舌も心も楽しませるに違いない。
「まあ、でも実際楽しいよ」
片付けをする傍ら、コンロに火を点け湯を沸かす。良い夢が見られるようになるのだとルチルが言っていたハーブティーの瓶を取り、茶葉を適量ポットに移す。
「祝ってもらえるのも嬉しいけど、祝えるってのもいいもんだな、って思えるようになった」
沢山の祝福に囲まれて笑顔を弾けさせるヒースクリフを思い浮かべると、ネロは自分の胸もあたたかく弾けるような心地になるのを感じた。国が、身を置く場所が変わっても、自分の料理を食べてくれる人が平穏であってほしいというネロの願いは変わらない。切なる願いは密かにかけた祝福魔法という隠し味に潜ませている。
「それは殊勝」
きみが楽しそうで僕も嬉しい、と目尻を緩めるファウストの前にティーカップを出し、淹れたてのハーブティーを注ぐ。向かいの席にネロも腰かけると、自分の分もカップに注いだ。
前回の厄災討伐にネロは参加していないから、ファウストとヒースクリフに降りかかった惨劇の全てを知るわけではない。聞く限り、ヒースクリフがいなければファウストは助からなかった。この二人の間には、ネロも知らない確かな絆があると思う。それは親子に似た情かもしれないし、師弟のような信頼かもしれない。あるいは、そのどちらも。
「ヒースの両親はいるけどさ、魔法使いとしての親は完全にファウストだろ」
「なにそれ」
「先生、先生って雛鳥みたいに懐いてるし、ファウストママだな」
「誰がママだ。それならきみの方がママだろう」
「俺ぇ?俺は親っつーか、お兄ちゃんだろ」
「どこがだ。僕より二百も年寄りのくせに」
「ひでぇな」
アルコールの代わりにハーブティーで催された臨時の晩酌。温かなそれを口に含みながら、ひとつふたつと言葉を投げ合う。もう遅い時間だから、いつもより少しだけ潜めた声で。
ママでもパパでも兄でもない。ただ東の魔法使いとして召喚されたタイミングが重なっただけの、運命と偶然の先にあった奇跡のような集まり。今更見なかったことにするなどできないくらいに結ばれた縁は、いつの間にか両手で包んで守ってやりたい尊いものに変わっていた。
繊細で、優しくて、少し引っ込み思案だけど友人想いで。素敵なところをあげたらきりがない。とどのつまり、ネロもファウストも、ヒースクリフが可愛くて仕方がないのだ。
「この先、何百年経っても祝ってやれるのは俺たち魔法使いの特権だからさ」
俺たちもちょっとは頑張って長生きしなきゃな、と零した声色には無気力さではなく未来への楽しみを込めた。約束はできないけどね、と同意するようにファウストも柔らかく表情をほどけさせた。
どんなに小さな約束でもできない分、訪れる明日にはいつだって誠実でありたい。来年も、再来年も、百年経っても、ずっとずっと伝えるために。
誕生日おめでとう、生まれてきてくれてありがとう、と。
一番に祝いの言葉をかけるのは当然シノに譲って、自分達はどうしようか。
そこは先生が先だろう、いやいつも譲ってばかりのきみからだろう。
明日への楽しみと気恥ずかしさを抱えて眠りについているであろうこどもを想い、ゆるやかに更ける夜で二人の保護者はカップを傾けた。