病人への接し方(実技:配点100)「南の魔法使い達は依頼に行っているから、フィガロもいない。少し様子見だ」
大人しくしていなさい、とベッドに横たわるネロの腹をファウストはぽんと叩いた。熱で顔を上気させ、少し瞳を潤ませているネロは悪事がばれた時のバツの悪い表情を浮かべている。
「上手く隠せてたと思ったのに……」
「隠すな」
「なんでバレたかな……」
他者に心配をかけたくない、心配されることに慣れていない。俺は心配されていいような奴じゃないよと、いつだって十歩も二十歩も引いてしまうこの二百余り年上の魔法使いの扱い方は難しい。難しいのだが、具合が悪い時くらいはせめて自分に対してはその難易度を下げてほしいとファウストは思う。想いを交わした相手が苦しむ姿を見て悦に浸るような悪趣味を、生憎ファウストは持ち合わせていない。
「授業中はいつも以上にぼんやりして、声も少し枯れている。洗い物も、この時期にしてはやけに冷たい水を出していた」
「……」
「きみのことは、僕が魔法舎の中で誰よりも一番よく見ているんだ。気付かないはずがないだろう」
見くびるんじゃない、と告げたファウストを見上げていたネロは、ややあって顔を更に赤らめて唸り声を上げた。
「……熱上がってきた」
「何故」
「ファウストのせいですけど……」
腕で顔を隠してしまったネロに、事実を言ったまでだとファウストは不服の念を抱いた。しかしファウストにはこれが照れ隠し故に被せられた冤罪だということも分かっているし、ネロを柔らかく追い詰める手札に変えることもできてしまう。
「……そうか、僕のせいか。それは悪いことをした。詫びにもならないが、手厚く、丁寧に、懇ろに看病をしてやろう」
「え、」
「身体が怠いだろうから、後でおじやを作って僕が食べさせてやろう。身体を清めるのも、魔法は使わずに僕が拭いてあげる。心細いならずっと手を握っていてもいいし、頭も撫でてあげる。夜は子守唄でも歌ってあげようか。ああ、きみが眠りにつくまでなら、添い寝してやってもいい」
にこりと、それはそれは高潔で思慮深く慈悲深い人格者のような笑みを浮かべたファウストが語り終える頃には、ネロは布団を顔まで引き上げて隠れてしまった。
全て宣言通りにやるのはやぶさかではない。ファウストはネロの面倒を見るのが好きだ。甘やかしているようで気分がいい。しかしその気持ちはファウストのエゴでもある。今従うべきはファウストのエゴではなく、ネロの心だ。それも、病で少しばかり弱っているはずの。
「ネロ、ほら、出ておいで」
「……」
「きみは病気の時、一人になりたいタイプ?それとも、誰かがいた方がいいの」
怒らないから言ってごらん、と幼子を諭すような穏やかな声色が布団越しにネロの耳に行き渡る。一人になりたいのなら部屋を出よう。一緒にいてほしければ気の済むまで傍にいるよ。どちらでもいい、きみの心身が休まるのであれば。
「……」
「ネロ」
「……心配されるのは、落ち着かない」
「うん」
「…………だからといって、ほったらかしにされるのも、……辛い」
「そう」
そろそろと顔を布団から出したネロは、難しいことを言うね、と告げたファウストにへにょりと眉を下げてしまった。容体を心配せずずけずけと接するのは心が痛むし、つかず離れずの距離でいるというのもなかなかに骨が折れる。難易度は高いけれど、そこは先生役の意地だ。難しい問題も率先して対応しなければなるまい。
そんな顔をしないでと苦笑したファウストはくるん、と指を回した。机と椅子が一つずつと、複数冊の本にペンと紙束。魔法で自室から呼び出したそれらをネロの部屋の一角に落ち着けると、すん、といつも教壇に立つ教師の顔をした。
「……では、僕はこれから明日の授業の準備を始める。と言っても、昨日のオズとミスラの小競り合いで4階の部屋は窓が割れていてね。悪いがきみの部屋を間借りすることにした」
「……ん」
「講義内容の漏洩に繋がるから、覗き込んだり、話しかけたりしないように」
「……はい」
「……何かあれば、我慢したりしないように」
「…………はい」
小競り合いがあったことは本当だが、窓はもうすっかり魔法で元通りになっている。そのことにネロは気付いているのかは分からないが、素直な返事と、とろとろと瞼を落とし始めたので解答としては合格点だったらしい。
ここ数日は夢見が悪く、寝不足気味なのだと零していた。そこに多少の疲れが悪さをしたのだろう。ファウストも偉そうなことを言えた口ではないが、ネロは自分自身を休ませることがあまり上手ではない。こうならないと休めないのであれば、なった時くらいしっかり休むべきだ。
<サティルクナート・ムルクリード>
本職ではないため気休め程度ではあるが、気分を落ち着ける魔法をかけてやる。ほう、と吐かれた息はまだ熱いが、ややあって規則的な寝息に変わった。
魘されず、どうか穏やかな眠りであるように。
祈りを心の片隅に置いて、ファウストは授業の準備に頭を切り替えた。