グラジオラスの逢瀬第一話
グラジオラスの逢瀬
雲隠れした君の居場所を知っているのは
幸運にも僕だけだ
この秘密の逢瀬を誰にも邪魔されたくない
君を隠すために僕はどんなこともしてみせるよ
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花垣武道が消えた。
タイムリープやその後のゴタゴタを終えた武道はそっと、まるで何も事も無かったかのように、誰に気づかれるでもなく、東京から姿を消した。
東卍のメンバーや親しい人達がどうにかして武道を探しても見つからない。いつの間にかアパートも携帯も解約、職場も辞めており、家族に聞けば音信不通だという。だけど家族は捜索届けを出さないという。「あの子にも何か考えがあるんでしょう」と言って話は終わってしまった。
「たけみっち…どこに居るんだよ…」
東卍のメンバー達は探しても探しても居場所が掴めない武道に疲れ果てていた。泣き虫で、沢山の人の心を救ったヒーロー。みんな、武道のことが好きだった。しかし武道はそれに応えることなく姿を消してしまう、まるで雲隠れした月のように。
それを弟の八戒から通じて見ていた柴大寿は「無様だな…」と静観していた。八戒から武道の頑張りを沢山、聞かされてきた大寿は武道がタイムリープをしていたことをうっすらと知っていた。俄に信じがたいが、それでもその事実は不思議と大寿の胸にストンと収まったのだ。
ある日、自分の作り上げた会社の管轄下の工場に出張で行く事になった大寿は運転手を引き連れ、東京から遠く離れた田舎町へと赴く事になった。
「暑い…」
車を駐車場へと停め、工場の玄関まで歩いて向かう。しかしそこは田舎、工場の敷地もまた広く、玄関までがとても遠く感じた。季節は夏が始まった頃、しかし真夏日のような陽の光に大寿は段々と機嫌が悪くなるのを感じていた。
ようやっと工場の入り口に着いた、と思い扉を開けると中はクーラーがついていて涼しい、汗がスッと引いていくのを感じた大寿は深呼吸をして、近くにいた事務員に工場長を呼び出すよう伝えようとした所、その事務員に大寿は見覚えがあった。
「花垣、武道…か?」
「えっ!?…あ、あの、人違いです…?」
「見間違える筈がない、花垣だな?」
「え、えと…」
背が高く、威圧感のある大寿に武道に瓜二つの事務員は顔を逸らし慌てている様だった。その時、奥から取引先の工場長が急いで「お待たせしました!」と走ってきた。
「ん?花垣くんが何か?」
「!」
「……いや、なんでもない」
「それではこちらへ」と大寿は応接室へと案内される。その時、チラリと後ろを向くと花垣と呼ばれた事務員は真っ青な顔をして大寿を見つめていた。大寿はそれがやけに気になっていたが仕事に取り掛かる為に応接室へと入って行った。
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「それでは、そのように」
「あぁ、よろしく頼む」
仕事の打ち合わせを終えた大寿は武道が先程までいた入り口近くの事務室を少し覗いた。しかし、そこに武道の姿はなく何気なく他の中堅らしき男性の事務員に聞くと「あぁ、花垣君なら顔色が悪かったから早退させましたよ」と返ってきた。
「少し、入っていいか。調べ物がある」
「はぁ…大丈夫ですけど…」
「貴方も休憩に行くといい。工場長には後で俺が言っておく」
「ありがとうございます」と少し早いお昼休憩に向かった男性事務員は事務室を出ていき、誰もいなくなったのを確認した大寿は職員の履歴書が保管されている棚を探し出し、本当はダメだが武道の今の住所を写真に撮って工場を後にした。
「ここに向かってくれ」と駐車場で待っていた運転手に伝えると「はい」と二つ返事が返ってきて車はゆっくりと動き出した。
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「はぁ、まさか大寿くんが職場に来るとは…」
まさか自分を探しに?とも思ったがどうやら大寿の様子を思い出すと、武道がいることを知らなかった顔をしていたので、本当に偶然だったのだと武道は驚きを隠せなかった。
「また引っ越しかなぁ…此処は良い所だし良い職場だったんだけどな…」
武道は古いアパートに住んでいて家賃も破格なため、逃げる時の貯金はあった。しかし、都会に行けば見つかる確率も上がる。現代のマイキー達は「梵天」という大きな会社を経営しており、以前、梵天の子会社だと知らずに入社し、危うく見つかる所だった、ということがあり都会に行くことに少し躊躇いがあった。
最初は慣れなかった田舎暮らしだが、周りの農家さんから野菜を貰ったり、休みの日は田植えや収穫を手伝ったり、地元の子供達の読み聞かせボランティアに参加したりなど、地元の人はみんな武道にとてもよくしてくれた。
そんな漸く見つけた居場所から離れないといけないのか、と武道は憂鬱になり、しかし大寿を通じて八戒、そして他の皆んなに居場所を知られるのはマズい。自分がいることで未来を築いた皆んなの足手まといにはなりたくない、関わり、不幸をもたらしたく無い、自分はひっそりといつしか皆んなの記憶から消えるくらいが丁度いいと武道は思っていた。
「とりあえず、簡単な荷造りからするか…」
中型のキャリーケースとボストンバッグに着替えと通帳や大切なものを詰めていく。武道はいつ自分の身が割れても良い様に自分の持ち物はなるべく減らしてきた。
次はどんな所がいいかな、海のある場所も良いな。その前に明日、職場に退職届を出してご近所さんにお別れを告げて…と頭の中でやることを整理していたらインターホンが鳴った。お向かいの農家さんがキュウリをくれるって言ってたな、と思いながらチェーンロックもない玄関の扉を開けた。
「はーい…!?」
「よォ、花垣」
そこには先程、職場で再開したての大寿が立っていた。
「わ!!」と勢いよく武道は玄関の扉を閉めようとしたが、ほんの少しできた隙間に大きな大寿の足が差し込まれた。武道がいくら強く締めようとしてもびくともせず手が痛くなってきた頃、「花垣」と大寿が優しげな声色で声をかけてきた。
「何もしない、一度でいいから家にあげてくれないか?」
懇願するような切なげな声に武道は以前、大寿に抱いていた恋心を思い出す。
あの大きな背中、強い意志を持つ瞳、自分とは違う頼もしく大きな手。現代に戻ってからも大寿のことが気になっていた武道はその声と瞳に負けてドアノブを握る手を緩めた。
「あ、…はい、すいません。足、痛いですよね…」
「ありがとう」
武道がドアノブから手を離すと、大寿はそっと部屋に入ってきた。
そしてキョロキョロと大きな瞳で部屋を見渡す。武道の部屋はすぐ引っ越せる様にとても質素だ。
その何もないと言ってもいいほどの部屋の隅にキャリーケースとボストンバックが置いてあることに気づいた。大寿はそれを見て何かに気づいたようで台所で冷蔵庫から麦茶をだし、二つのマグカップに入れている武道に「どこか行くのか?」と聞いた。
「あ、あー…少し…」
「聞き方が悪かったな…次の引越し先は決まったのか?」
「なんで…」
なんで知っているんだと言いたげな顔の武道に大寿はフッと笑い、「皆、お前を探しているぞ」と口に出した。武道はその言葉に酷く傷ついたように「俺は、皆んなの側にいることが出来ないんです」と俯き、呟いた。部屋の中央にあったちゃぶ台に武道は麦茶を置くと、座るように促した。
「なぜだ?」
「俺は皆の大切な人を助けることが出来なかった。それでも皆、俺のことを大切にしてくれるんです。何だか罪悪感とかで胸がグチャグチャになって潰されそうになって…皆の幸せを壊したくなくて」
だから俺が皆の記憶から消えるまでいなくなることにしたんです
「は…」
「今まで沢山の所に行きました。…まぁ、どれも見つかりそうになったから引っ越したんですけど。でも、此処はとても良い所でしたよ」
でも、それも今日でお終い。そんな風の武道に大寿は「出て行かなくて良いだろう」と口に出した。武道は「でも、大寿くんに見つかっちゃったし…」と少し困ったように笑って麦茶を少し飲む。
カラン、と麦茶に入った氷が動く音がやけに大きく聞こえる。大寿は麦茶の入ったグラスをカラン、カランと混ぜるように回す武道を見て「守りたい」と、強く思った。
「言わない」
「へ?」
「お前が此処で過ごしていることは誰にも漏らさない」
「大寿くん?」
「お前の働いている会社は俺の会社の管轄下なんだ。ある意味、安全だろう」
「え?え?」と少し戸惑っている様子の武道に大寿は更に「だが一つ条件がある」と口にした。武道は真剣な顔で大寿のことを見つめる。
「都会で仕事をしていると息が詰まる。何ヶ月に一回、くらいでいい。たまに会いにきてもいいか?」
もちろん、細心の注意を払って来る、と真面目な顔で言う大寿が少し可笑しくて武道は少し微笑み、「大寿くん、ありがとう」と呟いた。
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それからと言うもの、大寿は武道に会いに行く時は運転手ではなく、タクシーを使って月に一回、通っていた。何故、月一なのかというと、単に大寿が忙しいと言うのが理由に挙げられる。
「大寿くん、おかえりなさい!」
「あぁ、ただいま」
いつしか武道の家に入る時の挨拶は「お邪魔します」から「ただいま」、武道もまた「いらっしゃい」から「おかえりなさい」に変わり、大寿は何故かその言葉に胸が温かくなるのを感じていた。
「ご飯って食べてきましたか?」
「いや、今日は会社が終わってすぐ来たから夕飯はまだだ。」
「俺もまだなんです、大寿くん、食べてないかもって思ってたから」
好きなもの作ろうと思って…とはにかむ武道に大寿は思わず微笑んだ
「ありがとな」
「いえ!あ、あとお向かいの農家さんから採りたてのトウモロコシとキュウリを頂いたので、トウモロコシご飯を予め炊いておいたんですけど、食べられますか?」
「あぁ」
「よかったー、大寿くん、ポテトサラダ好きでしょう?」
「あぁ」
「今作りますね、麦茶出しておいたので、ゆっくりしててください!」
まるで新婚のような会話と雰囲気を出す武道が大寿は微笑ましく、「そうか」と素っ気なく言うものの武道から伝えられた献立を楽しみにしながら、ちゃぶ台に持ち帰ってきた仕事をこなすべく、ノートパソコンを開いた。
じゃがいもを少し小さく切って、水の状態から火を通す。沸騰してきたら弱火にして、菜箸がスッと通るまでまた火を通し、水気を切ったじゃがいもをマッシャーで潰して塩胡椒、マヨネーズを容赦なく入れ、予め用意していた茹で卵も一緒に潰す。塩もみして水気を切ったキュウリも混ぜる。そうして武道作のポテトサラダは完成した。
その頃にはトウモロコシご飯も炊飯器で炊けていて炊飯器を上げると甘い湯気がモワッと武道の鼻腔を擽ぐる。炊飯器の中央に置いてあったトウモロコシの芯をしゃもじで二つほど取り、冷蔵庫からバターを出して、ご飯をよそったお椀の上にそっと乗せる。お醤油はお好みの量をかけて貰いたい為、別でお盆に乗せてちゃぶ台まで持っていく。
「大寿くん、ご飯できましたよー!」
大したものじゃありませんが…という武道に基本、自炊をしない大寿は「大したものだ」と呟きながらパソコンや仕事の書類をちゃぶ台から下ろして、武道から大寿用の箸を受け取る。
「いただきます!」
「いただきます」
「召し上がれ!」
まず大寿はバターがちょこんと乗っているトウモロコシご飯を口にした。
「美味い」
「よかったー!醤油を少しかけると更においしいですよ!」
「そうなのか」
「今日のポテトサラダ、上手くできたみたい!よかった」
そういう武道に釣られてポテトサラダを口にする。武道に会いに来てから何度も食べた味で、どうやら得意料理のようで大寿は武道の作るポテトサラダがいつの間にか好きになっていたようだ。
暫くして食べ終わり、食器を流しに持っていく武道の後ろ姿を見ていたら眼の端にふと、花が生けられていることに気づいた。
「ん?その花はなんだ?」
部屋の隅に少し小さな花瓶とは不釣り合いなほど、一本の長い茎に大きな花が重なるように咲いている赤いようなピンク色のような花のことを武道に聞くと武道は、「あぁ、これはですね」と花瓶をちゃぶ台まで持ってきて説明を始めた
「いつも野菜を分けてくれる農家さんのお庭で綺麗に咲いているお花があったので、聞いてみたら貰えたんです」
「なんて言う花なんだ?」
「グラジオラス、です」
「そうか」
「綺麗だな」と大寿が呟くと武道は「でしょう?」と嬉しそうに笑った。その武道の笑顔に大寿は鼓動が早くなり、まるで、恋に落ちたような…。そんな気持ちになって大寿は漸く、武道のことが好きなのだと実感をした。
大寿は次の日も仕事、ということが多いため深夜に帰ることが多い。タクシーがアパート前に着くと大寿は靴を履いて武道から自身のカバンを受け取り、「また、来る」と声をかけた。
「待ってますね」
あ、そうだ!と武道は何か思い出したように部屋の奥にある引き出しから栞らしきものを出した。「これは?」と大寿が聞くと「前、作った栞です!」そうニコニコとして言った。
「さっきのグラジオラスの押し花です!よかったら読書する時、使ってあげて下さいね」
「あぁ、ありがとう」
「タクシー待たせちゃってますね、じゃあ大寿くんお仕事頑張ってくださいね」
「お前も何か困ったことがあったら連絡すると良い」
「あはは、ありがとうございます!」
タクシーに乗り込んだ大寿を武道はタクシーが見えなくなるまで手を振って見送っていた。大寿は後ろ髪引かれる気持ちで都内へと戻っていった。
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そこから暫くの間、大寿は武道の元へ行けないほど忙しい毎日を二ヶ月ほど過ごしていた。武道とは以前、連絡先を交換していたので武道とは連絡は取れるものの、やはり会えないとなると大寿も武道はどうしているのか、何か困っていることはないか、寂しいとは思っていないか…そう思うと考えは止まらない。
「はぁ…」
武道に貰った押し花の栞を見つめると、武道の笑顔が思い出されるようで大寿は心が温かくなった。この忙しさを乗り切ったら武道に会える、そう思って大寿は仕事に取り掛かることにした。
しかし突然、武道からの連絡が途絶えた。最初は忙しいのかと思いながら自身も多忙を極めていたのもあって、気にかけることができなかった。
しかし何とか休みをもぎ取った大寿は連絡がつかなくなった武道に会うため、都会から少し離れた片田舎へと向かう。武道のアパートへと辿り着くが草木が生い茂り、何処か人が住んでいないような雰囲気に大寿はどこか嫌な予感がした。
「……まさか」
「あら?どなた?」
大寿は声のした方を向くと、麦わら帽子を被った品の良さそうな老女が大寿に話しかけていた。
「あの、此処に住んでいた花垣という青年は…」
「あぁ、武道くんね。二週間前かしら…顔を真っ青にして急に引っ越すだなんて言ってね、大丈夫?って聞いたんだけど…」
「あぁ…なるほど」
恐らく、バレたのだろう。今や武道を探している中心メンバーの佐野万次郎は自分が立ち上げた「梵天」という会社を更に大きくし、様々な事業を拡大していった。
聞いた話では梵天が地方に工場を作るという話があったらしく、運が良いのか悪いのか、それが武道の暮らしている場所だったのだ。下見に来たところ、武道の名前をどこからか聞き、それに気づいた武道は足早にこの地を去ったのだと大寿は推測した。
「因みにその青年の居場所ってご存知ですか?」
「いえ、頑なに言わないまま去ってしまったの…」
「そうなんですね」
「何か悪いことでもあったのかしら…」
「いえ、彼は此処を大層気に入った様子でしたよ、沢山良いところを話してくれました」
「そう、それなら良かったわ」
そう微笑んだ老女は「暑いわねぇ…」と呟いた
「そうですね…」
老女の声がかき消されるほど、やけに蝉の声が大きく聞こえた。
*☼*―――――*☼*―――――
「ふー、荷解き終わり!」
武道は小さな港町にいた。玄関の隣コンロが二つだけ、ユニットバス付きの小さなワンルーム。そこが武道の新しい城だ。
近くから波の音がザザーン…と聞こえてくる。風に乗って磯の香りがしてきて、どこか落ち着く場所だな、と武道は思った。
蝉と波と無風といは言わないまでも生温い風、じっとしていても動いても暑いそんな気温と湿度に武道は早速、バテそうになった。窓から見える海に浮かぶ入道雲、きっと夕立が降るのだろう。今のうちに買い物に出た方がいいかもしれない。
武道はいつも身につけているリュックの中にお財布とエコバッグを入れ、玄関の鍵を閉めてスーパーというには小さい、地元の人しか来ない小売店に行く事にした。
アスファルトの上で完熟の目玉焼きが焼けそうだな、と武道は思う。それくらい暑い、蒸し蒸しする、しかし武道は新天地に心躍らせていた。小売店に行くと「あら?見知らぬ顔ね」と赤いエプロンを身につけた恰幅の良い四十代前後の女性が武道の顔を見て大きな目をぱちくりと瞬きをしながら不思議そうに声をかけた。
「あ、こんにちは」
「はい、こんにちは。貴方、見ない顔ね!引っ越して来たの?」
「そうなんです、今日の朝に…お世話になります」
「此処にはおじぃとおばぁしかいないから若い人が引っ越してきてくれて嬉しいわ」
「お名前は?」と聞かれた武道は偽名を使おうか迷ったが、後々面倒臭い事になったら困る…と思い、「花垣です」と答えた。
「あら、良い名前!私はね小野田って言うのよ、まぁ看板見れば分かるでしょうけれど」
確かに店の外の看板には「小野田商店」と書いてあった気がする。武道は「よろしくお願いします」と頭を下げる。
「こちらこそ!」と快活に笑う女性は「ゆっくり見ていってね」と武道に声をかけ、やることがあったのか奥の部屋へと行ってしまった。
「なんでも売ってるなぁ…」
武道は店先に置いてあったカゴを手に取ると店内をぐるりと見渡した。どうやら客は自分一人らしい。棚には油や調味料、お米、卵…さまざまな物が置いてあり、奥には麦わら帽子なども置いてあった。
「あ、麦わら帽子いいなぁ」
値段は五百円でお洒落というよりシンプルなもので、大人の男が麦わら帽子かぁ、と思う所はあれどこの暑さには勝てない。武道は麦わら帽子をそっとカゴに入れた。その後も足りない調味料や一人暮らしで食べきれる量のお米をカゴに入れ、レジに立つ。しかし未だ奥の部屋から出てこない女性に聞こえるように武道は「小野田さーん」と声をかける。すると「はいはいはーい」と明るい声がして漸く女性はレジに立った。
「はい、これ!」
そう言って会計を済ませた武道が店を出ようとした所、女性に呼び止められ、小さなスイカをひと玉渡された。
「スイカですか?」
「そうよ!小さいけどその分、甘いの!うちの畑で採れたんだけどね、余っちゃって…」
よかったら貰ってくれる?という女性に武道は嬉しくなり「ありがとうございます!」と笑った。
「花垣くん、笑った顔のが良いわよ」
ふふっと女性も武道に釣られるように笑う。武道はそんなに自分は気難しい顔をしていただろうか?と疑問に思ったが、「寂しそうな顔をしていたからね」と言われてしまえば、武道はぐうの音も出なかった。
確かに大寿と偶然といえど再会して驚いたものの、見知った誰かと過ごしたあの日々はとても充実した物だった。今も携帯の中に大寿の連絡先は残っている。しかし、大寿は忙しい中、自分に会いにきてくれる。
武道はそれが嬉しくもあり、また申し訳なくもあった。大寿と連絡を絶った今、あんなに一人に慣れていたのに…と思うほどには寂しい気持ちが大きかった。
小野田商店を出ると武道は空が曇っていることに気付いた。先程見た海に大きく浮かぶ入道雲は本当に夕立を連れてきたらしい。武道は急いで新居へと戻ろう、と駆け足で来た道を駆けて行く。家に着く頃、武道はびしょ濡れとは言わずとも濡れた服を脱ぎ、シャワーを浴びることにした。
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シャワーを浴び終わり、さっぱりとした気持ちで貰ったスイカを四分の一ほど切る。言われた通り、甘さが凝縮されていて今まで食べたスイカの中でも一番、美味しかった。また明日、感想を彼女に伝えに行こうと思い二切れ目のスイカを手に取った時、インターホンが無い玄関の扉がコンコン…と、ノックされているような音がして辛うじてあるドアスコープを除くと、暑い季節なのに深くフードを被っている男性らしき人物が立っていた
「どちら様ですか…?」
嫌な予感がした武道は玄関の扉を開けずに少し大きな声で声をかけ、相手の反応を伺った。すると聞き慣れはしないものの、一度聞いたら忘れられない声、それは…
「半間…?」
「ばはっ!あーたーりー」
なァ、開けてくれよ、と声をかけてくる半間に武道は冷や汗が止まらない。「絶対、嫌だ」と答えれば「だりぃ、じゃあこのドア壊すな」とドンッと大きく蹴り飛ばすような音が静かな部屋に響いた。
本気で壊さないように、武道が自分から開けてくれるのを待つかのように軽く蹴ったらしい。「五、数える間に開けないとマジで壊すぞ」そう言う半間はカウントダウンを始めた。
その頃、武道の頭の中には「逃げないと」「絶対開けたくない!」と言う気持ちもあったが今、大きく武道の頭を占めているのは「ドア壊されたら弁償!」だった。
「わ、わかった!開ける、開けるから!!」
「わかりゃあ、良いんだよ」
観念して大人しく玄関の扉を開けた武道に笑いかけた半間は髪を下ろしていて、武道は一瞬、誰だか分からなかった。
「うわっ、せめぇな…」
「あまり文句言うと追い出しますよ」
というか何のご用ですか?なぜ此処がわかったんですか?武道は問いただすように半間に聞くが、半間は無視するように無断で武道の座椅子に座ると「茶」とお茶を要求してきた。
「もう、飲んだら帰ってください。あと、絶対他の人には…」
「いわねぇよ」
「いわ…え?」
「俺もお尋ね者だしな」
なぁ、花垣、と半間は出された麦茶を少し飲んで「俺はお前を九井に頼まれて手伝いにきたんだよ」と言った。
「へ?ココくんに?」
「九井が俺を雇ってお前の逃亡を手助けするよう頼んできたんだよ」
「なんで…」
「さぁな、見るに耐えなかったんだろ」
「有難いけど、半間くんはいいの?」
「暇だしな」
暇だから、という半間を少し疑いつつも、金銭面でも精神面でも若干キツくなってきた武道は少しでも自分を見知っている人物の訪問が少しだけ、嬉しかった。それよりも嬉しかったのはかつての部下であった九井が自分を気にしていたということだった。
「半間くんは何をしてくれるの…?」
「様子を見にくるだけ」
お前は大事なことを隠すのが得意だって聞いたからな。と半間はニヤリと笑って言った。そして半間はポケットから通帳を出し、「九井からだ」と言って武道に手渡す。
通帳を少し見るととんでもない額が記入されていて、あまりの多さに武道は怖くなり、返そうとした。すると半間は「返したら居場所をばらすとよ」と九井からの伝言を伝えた。
「ココくん…」
「まぁ、時々顔出すわ。じゃあな」
と半間は立ち上がると、それ以上は語らず、出て行ってしまった。
半間が閉めなかった扉を閉める為に武道は立ち上がる。すると玄関の扉が少しへこんでいることに気づく。軽い蹴りだと思っていたが、それでも扉がへこむ程の脚力に武道は慄きながらも「ココくんからの軍資金の初めは扉の修繕だなぁ」と武道は深い溜め息をついた。