「ーー…。俺と一緒に、帰りましょう」
あの日の敵の男が、微笑みながら俺に手を差し出す。その手を取れば何か分かるのだろうか?と手を伸ばす。
だが、男の手に触れる寸前、男の首は切り裂かれ血飛沫をあげて膝をついた。
それでも、男の声は変わらず続く。
「俺、貴方に拾われて良かったです」
「貴方は糞だけど、それでも貴方を守るって決めたんです」
「就任おめでとうございます、俺はついて行きますよ」
この死体から流れる言葉は全て聞き覚えがあるように思える。
懐かしい…。とそう思えた。
俺の名前が呼ばれ、死体を見る。
「御無事で良かったです…っ。俺と一緒に、帰りましょう」
「ファミリーに」
あの時、"俺の領地"で、あの男が言いかけていた言葉がこの目の前の死体から発せられた。
それを最後に世界は暗転し、意識が浮上する感覚をおぼえる。
スゥ…と瞼を開けば、まだ外は仄暗い早朝。
ここ数日、毎日ずっとあの町、あの男の事が頭から離れなかった。
毎日あの男が死ぬ夢を見てきた。
何度あいつらに話しても「記憶を失った焦り」だとか「疲れが溜まっている」だとか、はぐらかされ続けてきた。
だが、これらは全て意味があったんだと、ようやく確信が持てた。
俺には記憶がない。記憶はないが、確かにあの町も、あの男も知っている。
知っているはずなのだ。
思い出さなくてはいけない。全てを。俺のファミリーの為にも。
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ポケットに手を入れ、ある物を指で触る。
これはあの男が死んだ日、俺が着ていた服のポケットに入っていたメモリーカードだ。
つい先日、早朝にたまたまその服を選び着用した時に気がついたのだ。
最初は自分が出し忘れた物かと思った。
だが、裏面の「帰ってきて」という文字に、あの男が入れた物だと分かった。
まるで悪さをする子供のような気分だ。こそこそと自分一人で計画を立て、気づかれないようにと平然を装い時計を気にする。
クラッドが出かける時間を見計らい、執務室でコンピューターを起動させる。そこにメモリーカードを差し込むと、ファイルが表示された。
クラッドは夕方まで帰ってこないと言っていた。やるならば、今だろう。
一度拳に力を入れ、マウスを握る。
意を決してそのファイルをクリックすれば、表示されたのはこのファミリーと敵対する敵ファミリーの情報。
ボス、幹部の名前や役職、役目、
誰と誰が繋がっていて、どの家庭環境があるかまでもが詳細に書かれていた。
そして、驚くことにそこで俺の顔を見つけた。
名前や役職、役目、経歴、役をもらった時、この任務をした時、全てに身に覚えがある気がした。
その下に表示されているのは息子の事。
アラクネという名、彼の顔。
ここにいるアラクネという男は俺の息子で間違いなかった。
雲が晴れていくようなそんな感覚が身体に巡る。
また指を動かし、表示を下に流していくと、あの日殺された男を見つけた。
その男の名をジョーカー。
年齢は23歳、貧民街の出で、親族はいない。
尋問員という役職と情報仕入れ係という役目を見流しながら、男が親族を殺した日の事を思い出す。
ジョーカーの親族はファミリー批判派の仲間だった。
そうだ、そうだった。あいつらはあの計画を良く思わなかったのだ。血縁関係のあるこの男が説得に向かい恥をしのんで頼み込んでも彼等は一向に話を聞こうとしなかった。
それどころか、組織から抜けろ。普通の暮らしに戻れ。と訴えた。
だがジョーカーはそれを否定した。
ジョーカーにとってゴミ箱である貧民街は地獄であり、組織こそ楽園であったのだ。
親族にはそれが分からなかったようだ。
貧民街という何も価値もない場所で、ろくに職もなく薄汚い建物で飢えて暮らす自分達の方が、組織よりも真っ当に生きていると信じて疑わなかった。
しまいには、彼等は自分達の貧民街住民の権利とやらを主張しだす始末。その言草は、まるでファミリーを悪と罵っているようだった。
黙って従えば良かったのだ。計画の邪魔さえしなければ良かったのだ。
そうすれば、短い期間だとしてもあの男のように今までよりは幸せな環境、飢えることない暮らしにありつけただろうに。
計画が完遂されればゴミはリサイクルされる。それが貧民街にとっても一番良い選択なはずだった。
だから、邪魔をする者は消さねばならなかった。
この街を良くするためにと、"ボス"は…計画を……
…" ボ ス "は……
……、
………、はて…、…その計画とはいったいなんだっただろうか?
…俺は…何を…。
何かを思い出していたはずだ。
心臓が波打つ。
雲がかり何かが消えていく感覚と共に呼吸が荒くなっていくのが分かった。鼻腔内にいつか香ったことのあるキャラメルがふわりと感じた。
その時
「調べ物ですか?"ボス"」
たいして大きくも無い物腰柔らかな声が、やけにはっきりと聞こえた。
途端にハッと意識が現実に戻る。
声のした方にゆっくりと目を向ければ、上着を椅子にかけているクラッドがそこにいた。
クラッドは俺の視線に気づき首を傾げる。
「どうしたんですか?まるで幽霊でも見たような顔をして」
傾げた顔から瞳が見える。
ターコイズの瞳が細められ笑っていた。
「何を調べていたんですか?」
クラッドは近づきながらそう言った。
ディスプレイのふちに手を置き、細められた目が俺の目を見つめる。
彼が少しでも体をずらし、覗き込めば見えてしまう程の近さに冷や汗が流れ落ちた。
俺はこのファミリーの"ボス"ではないんじゃないか。なぜ俺はこのファミリーにいるのか。なぜアラクネは…息子はあの男を殺したんだ。
俺達に…何が起きているんだ。
言うなら今だろう。
今、このファイルと一緒に聞けば、クラッドは今までのように、笑顔で何が起きているのか答えてくれるのだろう。
だが、心のどこかで"本当に?"と不安が渦巻く。
いや、違う、違う。真実を知らなければ…。
唾を飲み込み口を開いた、その時。
「何を」
「っ」
「調べていたんですか? "ボス"」
吐きかけた息が止まった。
止められたというべきだろうか、自分の意思とは関係なく息が声になるのを拒んだ。
心配そうに見つめるクラッドに、咄嗟に目に入ったカレンダーの「アラクネの誕生日」を口にする。
「アラクネの誕生日会ですか?おや、それは素敵ですね。きっと貴方に祝われればアラクネも喜びますよ」
嬉しそうな声色に続けて「そうだ!」と人差し指をたてる。
「その日は、"ボス"とアラクネでお祝いしてはどうでしょう?」
「…二人でか?」
そう聞くと、クラッドは笑みを深めて「ええ、親子水入らずで」と返した。