一つの小さな浮島のように海を漂う艦の中は彼女の体内も同然である。海の上にあってもっとも安全で、もっとも悍ましい場所と言えるだろう。とは言え「内側」に入ってしまえばそこが海の上であることも忘れてしまうほどに「建築物」である。深く考えることに益はない。
「おかえりなさい、坊や」
食堂のドアが開くと、慎ましくテーブルについていた女の形の存在が表情を明るくしてバウロを迎えた。たっぷりとした唇が屈託なく笑みをつくり、両腕を広げれば肉感的な胸が抱擁を待っている。
「ただいま、ママ。もう起きてたの?」
「ええ、ええ。あなたが戻るのを待っていましたよ」
大袈裟に腕を広げて抱き返せば、それはいとも柔らかく、甘い温度の匂いのする女の肉体である。
「迷える子どもたちを新しく迎えたと聞きましたよ」
「なんだ、もう聞いたの?俺から知らせようと思ってたのに」
「さすが私の坊や」
一つしかない瞳を細める海の聖母は無邪気でさえある。窮屈に抱きしめられたまま肩をすくめたバウロをようやく解放すると、今し方まで自分がいた席を手で示した。そこには既に贅を尽くした食事が並んでいる。
「お腹が空いていませんか?ご飯にしましょう。詳しく聞かせてちょうだいな」
彼女が自分のために用意したものであろう。内容は申し分ない。バウロ・クルクスは美食家である。生きている以上は美味いもの以外は口にしたくないと思う。
「この度の迷い子はどのような子どもですか?如何なる罪を侵しましたか?いいえ、いいえ、いいのです。どのような罪の者でも赦すのが私たちの役目なのですから。でも、知らないままに赦すことはできませんものね」
「ママ、わかったから」
バウロが口を開くのを待ちきれないと言わんばかりに身振り手振りを振るう女を苦笑で嗜めて、目についたサラダの中の貝の切れ端をフォークに突き刺した。
「全然食べてないじゃない。ほら」
「それは、あなたを待っていたから……」
柔らかく、仕方がないなあと言わんばかりに、しかし有無を言わさずに、バウロは笑顔を作った。椅子に座る前にアイティ・メリの前に身を乗り出し、フォークの先を差し出す。
「ほら、食べて」
「……」
彼女はひどく食が細い。人間を真似た食事そのものにあまり興味がないのだ。それでもこのように立派な食堂を備え、腕の良い料理人を雇い、豪華な食事の用意をする。
「順番にちゃんと話すから、ちゃんと聞いて?」
小さく開いた口の中に大人しく貝を頬張ると気が乗らない様子で咀嚼しながら、ぱちぱちと瞬きをしたのが返事のようだった。満足して席に着くと、バウロはよく冷えた食前酒が注がれた杯を手に取った。じゃあ乾杯、と言って形ばかり掲げて、食事の必要のない化け物と囲む食卓を見下ろした。