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    aki

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    カドぐだ♀で、白紙化解決後ifの話です。
    もしも全てが終わった後にカルデアが存在しない2015年の世界に戻ってしまったら?という妄想ですが、時系列がややこしいことになったので多分ここまでで打ち切りです……!

    #カドぐだ

    陽だまりに染まる僕の世界(仮) 今日も変わり映えのしない一日だった。
     講義の終わりを告げるチャイムを聞きながら、カドックは小さく溜息をつく。

     ここはイギリスの首都ロンドン。そのロンドンにある始まりにして最高の学府、西暦以後の魔術師たちにとって中心ともいえる巨大学院、それが現在カドックが在籍している時計塔である。魔術師たちの学び舎であると同時に魔術協会総本部としても機能しており、カドックもまた魔術刻印を継ぐ者として故郷のポーランドを離れここで学びを得ている。
     一般家庭がイメージするような所謂学生生活とは違い、時計塔では学生も教授も魔術師としての思惑がぶつかり合う中で生きている。歴史の長さが物を言う魔術師の世界において、カドックのような本家ではなく歴史の浅い分家の、しかも対獣魔術なんて今時流行らない魔術を継いだ人間のことなど誰一人として興味を持つ者などいない。ここに来れば誰かしら対獣魔術に理解がある者もいるのではないかと多少の期待を持って訪れたのだが、そんな期待は早々に打ち砕かれた。
     当然そのことを愚痴る相手もいないので、講義が終わればすぐにヘッドホンを装着してロックを流し、外界から自分を遮断する。どうせ聞こえてくるのは自分には関係のない情報ばかりだ。
     例えば、天才と名高い天体科所属のキリシュタリア・ヴォーダイム。彼の類稀なる才能は天体科の中では収まらず、どうやら十三番目の新しい科を創設するらしい。聞いたところによれば年はカドックともそう離れていない若者らしいが、あまりにも格が違いすぎてどこか別世界の話のようにしか聞こえない。そんな次元の違う人間の話など聞いたところで自分が何か変わるわけでもなし、必要な学びを終えたら即離れるに限る。
     時計塔にやってきた最初のうちこそロンドン観光などもしてみたが、しばらく住めば必要最低限の買い物だけして帰路に着くだけの日々となった。そうなってしまえばロンドンだろうとワルシャワだろうとあまり変わらない。灰色の空と灰色の校舎を眺め、灰色のフラットへと帰る。ただそうやって淡々と色のない日々が過ぎていくだけだ。

     いつものようにヘッドホンを着けスマートフォンを弄りながら廊下を歩いていると、こちらに視線を向けて歩いてくる人物がいることに気がついた。数多くの優秀な魔術師を輩出し、この時計塔において知らないものはいないとさえ言われる現代魔術科の学部長だが、生憎カドックとは何の縁もゆかりもない。
     さすがに教授の前で歩きスマホはやめておくかとポケットにしまうと、その長い黒髪の痩身男性——ロード・エルメロイⅡ世がカドックの前まで来て立ち止まった。
    「この時計塔でスマートフォンを使うのは私か現代魔術科の生徒ぐらいかと思ったが、君も使うんだな」
     かの有名な教授が第一声で話すことがそれなのかと少々拍子抜けしつつ、「まあ、あれば何かと便利だしな」と適当に答える。
     ここの生徒は魔術で何でも解決しようとするため、基本的にあまり現代科学に頼ろうとしない傾向にある。だがカドックの魔術師としての実力は高く見積もっても中の下。日常生活の全てを魔術に頼り切れるほどの力があるわけではないため、こうして科学の力も有効活用させてもらっている。
    「もう講義は終わりか。カドック・ゼムルプス」
    「……ああ」
     彼が自分の名を知っていたことに驚いたが、動揺を表に出さないよう端的に答えた。
    「ならちょうどいい。君に話がある」
    「僕に?」
     縁もゆかりもないはずの現代魔術科の学部長が、一体何の話があるというのだろうか。カドックが首を傾げていると、あたかも近所のカフェにでも誘うかのような気軽さでこう告げた。

    「これから、私と日本に行かないか」


     ◇◇◇


     遡ること数時間前。
    「実に厄介な仕事を押し付けられたものだと思っていたが……これはもしや、運命力とやらが働いているんじゃないのか」
     手元の資料とスマートフォンの画面を交互に睨みつけていたロード・エルメロイⅡ世が目を見開いてそう呟いた。
    「運命力、ですか?」
     空になった彼のカップに淹れたての紅茶を注ぎながら、フードを目深に被った少女——グレイが尋ねる。
    「冬木の地で聖杯の残滓による異常現象の発生。この件について遠坂凛から時計塔代表および身元引受人として呼びつけられたわけだが、どうやらこの時期は日本の学生の修学旅行とやらのシーズンらしく全国から多くの学生が冬木に来るらしい」
    「はぁ……」
     日本の学生が冬木に集まるからなんだというのだろうか。話の展開が読めず、グレイが曖昧に相槌を打つ。
    「私は諸葛孔明殿の依代ではあったが、英霊として活動期間が長かったためか聖杯からあの時の記憶も多少受け継いでいる。一応その後何かあった時には対処できるようにと所在を把握する程度のことはしていたのだが、どうやらちょうどこの時期に彼女もまた修学旅行で冬木へ訪れるようなんだ」
    「——! それって、まさか」
     そこまで聞いて、ようやく彼が何を言いたいのかがグレイにも理解できた。
    「かつて我々がマスターと呼んでいた少女——藤丸立香が、冬木に来る。まあ今はニ○一五年で我々の記憶は元よりカルデアの記憶すらないだろうが、このタイミングで冬木に来ることに意味がないとは思えない。むしろそれを狙って冬木で何かが起きている可能性もある」

     カルデアで人類最後のマスターとして戦い続けた少女、藤丸立香。
     白紙化した地球を元に戻した際、当初考えられていた白紙化直前の二○一六年ではなく二○一五年、しかもカルデア自体が存在しないものとなった地球に戻ってしまった。そのため彼女は現在魔術とは無縁の一般人として生活を送っている。他のカルデア職員だったメンバーやクリプターと呼ばれた者たちもカルデア在籍前の状態に戻っているようだ。
     ロード・エルメロイⅡ世も元通り時計塔の教授としての日々を送っているのだが、英霊の依代として活動したためか聖杯からある程度カルデアの記憶も引き継いでいる状態だった。とはいえ英霊としての力はもう失われているため、ただ情報としてわかるだけに過ぎない。
     グレイもまた英霊として彼女のそばで戦った記憶を聖杯から受け継いでいる。今のグレイにとっても自分の経験というよりも聖杯からもたらされた情報でしかないが、カルデアが存在しない世界になったとはいえ確かにあれだけの英霊を率いていたマスターが冬木を訪れるということと聖杯の残滓による異変を結びつけるなという方が難しい。

    「遠坂凛は英霊の記憶がほとんどないそうだが、それでも私と同様に警戒しているようだ。だから私を呼んだのだろう」
     遠坂凛もまた英霊の依代としてカルデアのサーヴァントになってはいたが、ロード・エルメロイⅡ世やグレイとは違い意識ごと全てイシュタルやエレシュキガルに明け渡していたため聖杯から引き継ぐ情報量も違うようだ。だが藤丸立香がマスターであったという事実は変わらず、守らなければという感覚が潜在的にあるのかもしれない。
    「では、拙も師匠と一緒に行きます」
    「ああ、頼む」
     グレイの言葉に頷いて、ロード・エルメロイⅡ世がまだ湯気の立つ紅茶のカップに口をつける。
     ふぅ、とひと息ついて、再び口を開いた。
    「それと——もう一人、連れて行きたい人物がいる」
    「もう一人……ライネスさんですか?」
     二人と同様に英霊・司馬懿の依代であったライネス・エルメロイ・アーチゾルテの名を口にする。彼女もきっと聖杯からかつてのマスターの情報は得ているはずだ。
     しかし、ロード・エルメロイⅡ世は首を横に振った。
    「いや。彼女は面白がってついて行きたがるだろうが、エルメロイの人間が時計塔から出払うのはなるべく避けたい」
    「では、どなたに?」
     グレイの問いに、ロード・エルメロイⅡ世が視線を窓の外へと向ける。
     人気がなく日中でもやや薄暗い時計塔の中庭に、一人ぽつんと縁石に腰掛けてヘッドホンをしながら本を読み耽っている男子学生の姿があった。
    「——我々のマスターだった少女と、再会の約束を交わした人物だ」


     ◇◇◇


     カドックの変わり映えのしない日常は予期せぬ形で突然の終わりを告げた。
     あのロード・エルメロイⅡ世の発言からあれよあれよという間に話が進み、なぜか日本にいる間の単位が免除になるとまで言われてしまえば特に行かない理由も無くなってしまった。元々遠出を相談するような相手もいなければ帰りを待つ家族もいない根無草のような人間だ。突然日本に行ったところで特に何も問題はない。
     なぜ彼の同行者として自分が選ばれたのかという理由がわからないことだけが気掛かりなのだが、ロード・エルメロイⅡ世からは「行けばわかる」としか教えてもらえなかった。彼の隣にちょこんとくっついているフードを目深に被った少女もまた神妙な顔でコクコクと頷いており、これが初対面のはずなのに妙にこちらに対して親しげというか、訳知り顔なこともやや気に掛かる。
     日本に行って何がわかるというのだろうか。現代魔術科にも日本にも関わった記憶はないというのに。

     ロード・エルメロイⅡ世と彼を師匠と呼び慕う少女・グレイと共に、ロンドンから直行便の飛行機に乗って日本の羽田へと向かう。
     仮にもロードだというのに、ビジネスクラスやファーストクラスではなくカドック同様エコノミークラスで搭乗するのは少々意外だった。彼曰く「絶賛借金返済中の身でな」とのことだが、ロードが借金などあまり聞いたことがない。まあエルメロイ家は先の聖杯戦争以降いろいろあったと聞いているし、彼自身そもそもエルメロイ家の人間ではないとの話も聞いたことがあるのでその辺り複雑な事情があるのだろう。彼のどこか遠いところを見つめる草臥れた表情からは様々な苦労が偲ばれた。

     長時間のフライトをほぼ眠って過ごし、夕陽が落ちかけた異国の大地に降り立つ。日本は秋だと聞いていたが、もう日が暮れるいうのに随分と蒸し暑かった。
    「……まったく、日本の過ごしにくさは相変わらずだな。気温もそうだが湿度が高すぎる。まるで水槽の中にでもいるようだ」
     到着早々ロード・エルメロイⅡ世が悪態をつく。カドックとしても概ね同意見だったので特に否定もせず受け流した。
     その後再び飛行機を乗り継ぎ、目的地である冬木に着いた頃にはすっかり日も沈み夜の帷が降りていた。ロード・エルメロイⅡ世の手配したホテルに向かい、この日の旅程は終了。本格的に活動を開始するのは明日からとのことだった。


     軽くシャワーを浴びてからホテルのベッドに横になり、静かに目を閉じる。しかし飛行機で寝過ぎたせいか、はたまた慣れない異国の地だからなのか全く眠気を感じなかった。
     しばらく目を瞑っていたが結局眠ることは諦め、とりあえず気晴らしに散歩でもしてくるかとベッドから起き上がり貴重品だけを持ってふらりと部屋を出る。隣の部屋がロード・エルメロイⅡ世の、そのさらに向こう隣がグレイの部屋のはずだ。念のため声を掛けておくか悩んだが、すでに眠ってしまっていたら起こしてしまうことになりかねない。そう考えて、声を掛けることはせずそのままエレベーターホールへと向かった。

     ホテルを出て、道なりにあてもなく歩く。街灯は多少あるものの、ホテル自体が都市部から離れているためか周囲にあまり建物もなく完全に日が沈んでしまうとかなり暗い。
     少し歩いた先にやたら煌々と明るい建物が見えてきて、あれがどうやら有名な日本のコンビニエンスストアのようだ。二十四時間営業と聞いた時には日本人は気が狂っているとしか思えなかったが、こういう時に開いていてくれるのは確かに安心感がある。特に買いたいものがあるわけではなかったが他に行くあてもないので、とりあえず中に入ってみることにした。

     こんな夜遅くに訪れた客にも店員が「いらっしゃいませ」と呼び掛けてくる。とはいえ店員もあまり覇気はなく、とりあえず仕事だから防犯の意味でも声を掛けておいたぐらいのものだろう。
     店内にはカドックの他にもちらほら客の姿が見えて、中にはこんな遅い時間にもかかわらず若い女性客も数人いるようだった。それだけ日本の治安が良いということなのだろうが、自分のような外国人も多く訪れる場所では少々心配にもなる。
     ひと通り店内を見て回り、そういえば機内食以降何も食べていなかったことを思い出す。途端にお腹が空腹を訴え出して、ひとまず軽く食べられそうなものを探した。サンドイッチか、せっかく日本に来たのであれば日本のファストフードであるおにぎりが良いだろうか。
     陳列棚にはいろんな種類のおにぎりが並んでいて、日本食に馴染みがないカドックには写真を見てもいまいち具材がピンとこない。
     「梅」と書かれたおにぎりをひとつ手に取ってみる。梅の花は知っているしその実を食べることも知ってはいるが、ポーランドでは高級食材とされていたため食べたことはなかった。それがこの低価格で食べられるとは。とはいえそれが自分の口に合うかどうかはまた別問題だ。最初はもっと馴染みのある味の方が良いのかもしれない。
     しばし梅のおにぎりを手にしたまま眉を顰めて考え込んでいると、隣から「何か困り事ですか?」と辿々しい英語で声を掛けられた。驚いておにぎりからその声の主の方へと視線を移す。
     先ほど入店時に見かけた若い女性客の一人で、明るい橙色の髪をサイドで結った活発そうな少女がお茶のペットボトルを抱えて心配そうにこちらを見上げていた。
    「えっと……梅って、どんな味かなって」
     こちらもつられて辿々しい英語でそう応える。彼女はしばしどう答えるか悩んでいた様子だったが、パッと顔を上げて口を開いた。
    「パクッ、わっ、すっぱーい! って感じ!」
     食べるようなジェスチャーをした後、拳を握り締めて目をギュッと瞑り、さらに口を窄ませて全身で酸っぱさを表現している。その全力で教えてくれる姿がやらたとツボに入ってしまって、思わずプッと吹き出した。
    「フフッ、ありがとう。面白いな、君は」
    「えっ、そうかな? えへへ」
     カドックの笑いにつられるように、彼女もまた笑い出す。

     こんなことが、前にもあったような。
     彼女とは今初めて会ったはずなのに、なぜかそんな思いがカドックの中に湧き起こった。
     無性に懐かしいというか、どこかに置き忘れてきた大事な記憶だったような、不思議な感覚だ。これが既視感というものなのだろうか。

    「立香、そろそろホテルに戻るよー」
    「あっ、ちょっと待って。急いでお会計してくる!」
     友人と思われる少女から呼びかけられて、その橙の髪の少女が慌ててそれに答える。
     くるりとカドックに向き直ると、
    「梅、わたしは好きです!」
     と笑顔で告げてレジの方へと走り去って行った。

    「リツカ……」
     呼びかけられていた彼女の名を口にする。
     初めて聞く名のはずなのに、なぜだかとても呼び慣れているような気がした。


     ◇◇◇


     消灯時間過ぎまで同室の友人たちと話が盛り上がってしまって、喉が渇いたから何か飲み物を買いに行こうということになりこっそりホテルを抜け出し近くのコンビニへ出かけた。
     飲み物を買ったらすぐに戻るつもりだったのだが、おにぎりの棚の前で真剣に悩んでいる様子の外国人男性がいて、それがなぜだかどうにも放っておけなくてつい声をかけてしまったのだ。道を聞かれたことはあれど自分から外国の方に声をかけたことなんて今まで一度もなかったのに。
    「立香がさっき話してた人さ、めちゃくちゃカッコよくなかった? ピアスもいっぱいしててモデルさんかバンドマンみたいだったよね!」
    「もしかしてナンパされたの!?」
     コンビニからの帰路、興味津々といった様子の友人たちから口々に問いかけられる。慌ててブンブンと首を横に振った。
    「ち、違うよ! わたしから何か困ってますかって声かけたの」
    「えー! 立香ってば積極的!」
    「だからそういうんじゃなくてー!」
     確かに言われてみれば珍しい銀糸の髪に整った目鼻立ちで、綺麗な男性だったとは思う。でも立香が声をかけたのは見た目で気になったからではなく、なぜか本能的に声をかけたくなってしまったからだ。それがナンパだと言われてしまえばそれまでなのだが、この衝動はそんな軽いノリではなかった——はずだ。

     三人がそんな話題でワイワイ盛り上がっていると、向かい側からフラフラとした足取りの男性が歩いてくるのが見えた。ホテルの宿泊客が酔っ払って徘徊しているのだろうかとも思ったが、顔色は赤というより土気色で視点も定まらず虚に彷徨っている。
     見るからに様子がおかしいため少し距離を取ろうと三人が後ずさると、突然その男の虚な目がギョロリとこちらに向けられた。
    「ひっ……!」
     突然男が走り出し一直線にこちらへと向かってくる。
     ここはホテルまで一本道で逃げ場がない。周りに建物も人の気配もなく、抵抗するにしても持っているのはペットボトルが数本だけだ。隣の二人はすっかり足が竦んで動けなくなっている。

     どうしよう、これで殴る?
     大した効果はないかもしれないけど、それでせめて二人だけでもホテルに逃がせるのなら——。

     レジ袋の中のペットボトルに手を伸ばし、短く息を吐いて覚悟を決める。
     だが立香たちのところに男が辿り着く直前、何かに弾かれたかのように男の体が後方に吹っ飛んだ。吹っ飛ばされた体はアスファルトに叩きつけられ、気を失ったのかそのままピクリとも動かなくなる。
    「え——」
    「……追いかけてきて正解だったな」
     背後から聞こえてきた声に驚いて振り向く。
     先ほどコンビニで立香が声をかけた整った顔立ちの外国人男性が、急いでここまで走ってきたのか息を切らして立っていた。
     混乱して立ち尽くしている立香たちを一旦追い越すと、その男性は昏倒している男のところへと向かう。
    「……なるほど、これがロードの言っていた異常現象か。魔術的な痕跡が僅かだが残っているな」
     何やらブツブツと呟いて、倒れた男を道の端にズルズルと引き摺って運んでいく。
     不安そうな顔でその様子を見つめている立香たちに対し、男を運び終えたその男性が軽く手をはたきながら淡々と状況を説明した。
    「ひとまず気絶させた。そのうち目を覚ますだろうが、その頃には元に戻っているはずだ」
     あんな離れた距離からどうやって気絶させたのだろう。武器の類を使っている様子もなかったし、第一こんな細身の男性に自分よりも大柄な男を一発で気絶させられるような力があるようにも思えない。
     それに、元に戻るとは一体何のことだろう。確かに様子はおかしかったが、洗脳でもされていたということなのか。そんなSFみたいなことが現実に起こりうるのだろうか。
    「それより、いくら日本は治安が良いといってもこんな時間に若い女性だけで出歩くのはやはり危険だ。僕がホテルまで送る」
     やや怒気を含んだ声音でそう言われて、思わずビクッと肩を竦ませる。消灯時間を過ぎているのにこっそり抜け出した自分達にも非があることは自覚しているため、彼の言葉に反論の余地はない。
    「す、すみません。ありがとうございます……」
     そこからホテルまで彼に付き添われ、四人とも無言のまま歩き続けた。
     彼の背中を見ながら歩いていると、なぜだかこの光景がとても懐かしく感じられた。さっき初めて会ったはずなのに、この背中をいつも見ていたような、不思議な感覚。

     どうしてだろう。この背中にどうしようもなく胸がギュッと締め付けられる。
     どうしようもなく焦がれて、でもこの背中が去っていくのを歯を食いしばって見送ったような。この記憶とも言えない朧げなイメージは一体なんなのだろう。

     ホテルのエントランスまで辿り着くと、彼がくるりとこちらを振り返った。
    「じゃあ、僕はこれで」
    「は、はい!」
    「ありがとうございます!」
    「本当に助かりました!」
     立香たちが一斉に頭を下げてお礼を述べると、彼は立香に向けて「梅、買った。ありがとう」と照れくさそうに告げ、エレベーターホールへと足早に歩いて行った。

    「はぁ……すごい怖かったけど、あの人カッコよかったね……」
    「どこの国の人なんだろう……顔が良くて強くて優しいとか、好きになる要素しかないよ……」
     友人二人はすっかり彼の虜になってしまったようで、うっとりとした目で彼の去って行った先を見つめている。

    「……うん、本当にね」
     そんな二人を見て、なぜだか立香の胸がチクリと痛んだ。


     ◇◇◇


     カドックがホテルの自室前まで戻ると、タイミングを見計らったかのように隣の部屋からロード・エルメロイⅡ世が顔を出した。
    「私とグレイが出るまでもなかったようだな」
     やはり先ほどの異常に彼も気づいていたようだ。彼の言葉にコクリと頷く。
    「ああ。あれぐらいなら僕でも対処できる」
    「そうか。詳しい話は、明日聞くとしよう……」
     ふわぁ、と欠伸をしながらロード・エルメロイⅡ世が部屋の中へと引っ込んでいった。一応引率者として顔を出してはみたが、眠気には勝てなかったようだ。
     魔術を使ったり体を動かしたからか、ようやくカドックにも少し眠気がやってきた。食べたらさっさと寝てしまおうと、部屋に戻り買ってきたおにぎりをひと口頬張る。
     梅は想像以上に酸っぱくて思わず顔を顰めたが、橙色の髪の少女のボディランゲージを思い出すと顰めた顔が自然と綻んだ。


     あれからすぐに寝落ちしてしまい、目が覚めた頃にはもうホテルの朝食の時間をとうに過ぎていた。普段からあまり朝食は取らないので、まあいいかと諦めてひとまず顔を洗うため体を起こす。
     俄に窓の外が騒がしくなり気になって窓の外を見てみると、どうやら昨日出会った少女たちがこれから団体でどこかへ出掛けるようだった。朝早くから元気なものだ。
     もし朝食の時間にちゃんと起きられていたら、またあの橙色の髪の少女と会えたのだろうか——いや、会ってどうするというのだ。彼女からしたら、ちょっと話しただけの外国人に何度も声を掛けられるなど怖いに決まっている。あんなことがあった後だというのに、余計な恐怖心を増やしたくはない。
     顔を洗い着替えを済ませて出掛けるための荷物をまとめる。朝食は食べ損ねたが、出発予定時刻には間に合いそうだ。
     ちょうど朝の支度がひと段落したところで部屋のドアがコンコンとノックされ、「カドックさん、そろそろ出発できますか」とグレイの呼びかける声が聞こえてくる。
    「ああ、今行く」
     それに応えてショルダーバッグを肩に掛けると、カドックはホテルの自室を後にした。

    「まずは遠坂邸に向かう。私がここに来たのは遠坂凛に呼び出されたからだからな。昨晩のことも君から彼女に詳細を伝えてやってくれ」
    「わかった」
     ロード・エルメロイⅡ世の言葉に頷き、ホテル前に呼んだタクシーへと乗り込む。ここから遠坂邸までは少し距離があるらしい。異国の慣れない電車を乗り継ぐよりもタクシーの方が確実だからとのことだった。
     ホテルを出発してから一時間弱ぐらいでタクシーが目的地に到着した。遠坂といえば魔術師として日本でも有数の名家であることは知っていたが、なるほどそれに相応しい歴史を感じさせる蔦の生い茂った大きな邸宅である。
     グレイがインターホンを鳴らすと、しばらくして「はーい」と明るい女性の声が聞こえてきた。玄関の扉が開き、長い艶やかな黒髪を揺らし、まさに大和撫子といった淑やかな雰囲気の女性が姿を見せる。
    「お久しぶりね、先生」
    「まったく、時計塔の教師を日本まで呼びつける生徒なんて君ぐらいだ。ミズ・遠坂」
    「うふふ。でもちゃんと来てくれるんだから、先生も本当に生真面目よね。あ、グレイも久しぶり。えっと、それと——」
     彼女の視線が自分へと向けられたことに気がつき、「今回時計塔からロードに同行した、カドック・ゼムルプスだ」と簡潔に自己紹介をする。
    「……そう、貴方が」
     彼女の視線が訝しげなものからふわりと優しいものに変わる。彼女の口振りから察するに事前にロード・エルメロイⅡ世から同行する旨は伝えてあったのだろう。とはいえなぜそんな優しい視線を向けられているのか、全く心当たりはないのだが。
    「入って。お茶でもしながら状況を話し合いましょう」
     彼女に笑顔で促され、三人は遠坂邸の中へと足を踏み入れた。


    「そう。まさに現場を目撃したのね」
     昨晩の出来事をカドックの口から遠坂邸の主人——遠坂凛に語り伝えると、納得したようにそう告げた。
    「それが今冬木で頻発している異常。聖杯の残滓と思われるものによって操られた人間が襲ってくるの。そして操られる人間に共通点は無いのだけど、襲われる人間には共通点がある」
     そう言って、顔の前に人差し指を立てる。
    「"明るい茶色、もしくは橙色に近い髪色をした若い女性"のみが襲われている、ということよ」
     それを聞いてカドックは血の気が引いて手足が冷たくなるのを感じた。
     そうだ、昨晩出会った立香という少女も明るい橙色の髪をしていた。ということは、あの三人の中で狙われていたのは彼女だったということになる。
    「なんで……」
     思わず漏らしたカドックの言葉に、凛が静かに首を横に振る。
    「理由はわからないわ。これまでの事件と合わせてみても、共通点はそれだけ。でもそれが分かったからには突き止めてやろうと思って試しに衛宮くんに女装させて夜歩かせてみたんだけど、年齢のせいか体格がゴツすぎるからか結局釣れなかったのよね」
    「……」
     ロード・エルメロイⅡ世が頭を抱えている。おそらくその衛宮という人物についても面識があるのだろう。面識がなくとも非常に気の毒なことだけはよくわかる。初対面ではお淑やかな女性のような印象を受けたが、どうやらそういうわけでもなさそうだ。
    「でもね、襲われたときに引きずり倒されて怪我をしたりはしているんだけど、生気を吸われたりとか命に関わるような被害の報告は出ていないの。操られた人が突然倒れて意識を失ったとか、別の何かを探している様子だったとか、そういった報告ばかりなのよ」
    「ふむ。ということは、"明るい茶色、もしくは橙色に近い髪色をした若い女性"の中に、聖杯の残滓が探している人物がいる、と考えるのが妥当だな」
    「ええ、そうでしょうね」

     聖杯の残滓が、探している?
     よくわからないが、そんな意思を持って動く物なのか、冬木の聖杯というのは。
     それに、その探している誰かが見つからない限りまたあの立香という少女が狙われる可能性もある。それは何としても避けたい。

    「思い当たる節があるのでしょう? 先生」
     凛が鋭い視線をロード・エルメロイⅡ世へと向ける。
    「……それは君も同じだから私をここへ呼んだのだろう。修学旅行期間中であることはわかっているが、『藤丸立香』が今冬木のどこにいるのかまでは——」
    「……は?」
     彼の口から出た名前に、思わず耳を疑った。
    「どうした。知っている名前か?」
     ロード・エルメロイⅡ世がひどく驚いた顔でこちらを見た。凛やグレイまでもが目を丸くしてこちらを見ている。そんなに注目されるとは思っておらず、何かおかしなことを言ってしまったかと少々気後れしてしまう。
    「いや……ファミリーネームがフジマルかどうかは知らないが、昨日襲われそうになっていたところを助けた橙色の髪の少女は、『リツカ』と呼ばれていたんだ」
     カドックがそう説明すると、三人の目がさらに大きく見開かれた。
    「な——」
    「……運命力なんて眉唾だと思っていたけど、こればっかりは運命力としか言いようがないわね」
     絶句しているロード・エルメロイⅡ世と納得したように頷いている凛を交互に見る。
     確かにたまたま探していた人物がカドックの出会った人物かもしれないというのはすごい偶然だと思うが、運命とまで言われるようなことだろうか。
     しばらく言葉を失っていたロード・エルメロイⅡ世が我に返ってカドックに尋ねる。
    「私は会ってはいないから確証が持てないが、橙色の髪で『リツカ』という名であるならそれが『藤丸立香』である可能性はかなり高い。今彼女はホテルにいるのか」
    「いや、早朝から集団でどこかに出掛けた様子だった。どこへ行ったのかまではわからない」
     そもそもカドックは日本の地理が全くわからず、冬木もかつて聖杯戦争があった場所という程度の知識しかない。
     すると凛が「そうねぇ」と口を開いた。
    「修学旅行で出掛ける先って言ったら冬木の観光名所でしょう。外国人墓地とか柳洞寺とか、風景を楽しむなら海浜公園とか冬木大橋とか。
     あとは——世間的には巨大クレーターとして有名な、大聖杯跡地かしら」
    「大聖杯跡地?」
     カドックの問い掛けに、今度は凛ではなくロード・エルメロイⅡ世が答える。
    「その昔、聖杯戦争で大暴れしたお転婆娘がいてな。大聖杯の保管されていた地下の大空洞を破壊して崩落させたんだ」
    「そ、そーんなお転婆娘がいたのねぇ。まあ結果的に第五次で聖杯戦争が終わることになったわけだし結果オーライじゃないかしらぁ?」
     視線を泳がせながら凛が「おほほほ」とわざとらしく笑う。この様子から察するにきっと彼女の仕業なのだろう。ようやくロード・エルメロイⅡ世が彼女に会うなり渋い顔をしていた理由が理解できてきた。

    「……それはともかく。この冬木には何度も聖杯戦争が行われていただけあって霊脈が多い。この遠坂邸もそうだ」
    「まあ、魔術師なら霊脈のあるところに工房を作るだろうからな」
     それに関してはカドックも理解できる。ロード・エルメロイⅡ世が頷いて続けた。
    「それに加えて、聖杯戦争による被害を受けた場所も数多くある。見た目は復興されていても、魔力残滓などは完全に消えずに残っていることが多い。そして、その聖杯戦争に巻き込まれて命を落とした人間たちの怨念の類もな」
    「……それらが結びついた結果が、あの異常現象ってわけか」
    「そういうことだ」
     異常現象についてはこれで理解できた。昨晩の男もたまたまこの地の怨念と結びついた残滓に肉体を乗っ取られたのだろう。
     だが、もし本当に聖杯の残滓が探しているのがあの立香という少女で、あの場にカドックが駆けつけていなかったら——。
    「昨晩は未遂に終わったが、また襲われる可能性は充分にある。取り急ぎ手分けして彼女たちの訪れそうな観光地を探そう」
    「そうね。先生を日本に呼びつけたのは私だし、私も協力するわ」
     ロード・エルメロイⅡ世の言葉に凛が同意して席を立つ。捜索にあたって必要なものを取ってくると言って客間から出て行った。
    「グレイは私と来てくれ。ミスター・ゼムルプス。君は単独でも構わないか」
    「ああ、問題ない」
     慣れない土地ではあるが地図さえあれば何とかなるだろう。幸いロード・エルメロイⅡ世はスマートフォンが扱えるので緊急時の連絡も取りやすい。
    「では先行して向かってくれ。そうだな、まずは海浜公園あたりから頼む」
    「承知した」
     再び襲撃を受ける前に、一刻も早く彼女の居場所を突き止めなくては。
     冬木の地図データを共有してもらい、カドックは凛が戻るのを待たずに遠坂邸を出発した。
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    Replies from the creator

    aki

    PROGRESSカドぐだ♀で、白紙化解決後ifの話です。
    もしも全てが終わった後にカルデアが存在しない2015年の世界に戻ってしまったら?という妄想ですが、時系列がややこしいことになったので多分ここまでで打ち切りです……!
    陽だまりに染まる僕の世界(仮) 今日も変わり映えのしない一日だった。
     講義の終わりを告げるチャイムを聞きながら、カドックは小さく溜息をつく。

     ここはイギリスの首都ロンドン。そのロンドンにある始まりにして最高の学府、西暦以後の魔術師たちにとって中心ともいえる巨大学院、それが現在カドックが在籍している時計塔である。魔術師たちの学び舎であると同時に魔術協会総本部としても機能しており、カドックもまた魔術刻印を継ぐ者として故郷のポーランドを離れここで学びを得ている。
     一般家庭がイメージするような所謂学生生活とは違い、時計塔では学生も教授も魔術師としての思惑がぶつかり合う中で生きている。歴史の長さが物を言う魔術師の世界において、カドックのような本家ではなく歴史の浅い分家の、しかも対獣魔術なんて今時流行らない魔術を継いだ人間のことなど誰一人として興味を持つ者などいない。ここに来れば誰かしら対獣魔術に理解がある者もいるのではないかと多少の期待を持って訪れたのだが、そんな期待は早々に打ち砕かれた。
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    aki

    DONEカドぐだ♀双六アンソロに寄稿しようと思って書いた作品で、以前SNSに投稿した作品のぐだちゃん視点リメイク加筆修正版です。
    やっぱりアンソロには一から書き下ろそう!と新たに別作品を書いたためこちらは展示に回すことにしました。
    たとえこれが夢だとしても! 透き通るような白い肌がしっとりと汗ばみ、火照っているのかほんのり赤く染まっている。
     意識が朦朧として倒れそうになったところをその汗ばんだ腕に抱き止められた。肌の温度を直に感じる距離で、虚ろに視線を寄越した先には細身だが筋肉質で引き締まった腹と二つの黒子が見える。

     カドック、こんなところに黒子があったんだ——。


     そんな、夢を見た。


     いや夢にしてはあまりにも生々しすぎる。黒子の位置なんて妄想だとしてもマニアックすぎるし、汗ばんだ肌が触れた感覚も支えてくれた腕の温かさも何故だかありありと思い出せるのだ。
     それに、夢の記憶はそれだけではない。カドックの運転する車の助手席に乗ってドライブをしていたこともうっすらと覚えている。珍しくサングラスをかけていて、横顔がかっこいいなぁと思って眺めていた。だが別にデートというわけではなく、後部座席には新所長と、なぜかオベロンも同行していたような気がする。でもみんなでドライブをしているのにあまり楽しい雰囲気ではなくて、何か切羽詰まった状況にあったような、そんな気がするのだ。夢なので明確に何に切羽詰まっていたのかは分からないのだが。
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    麦茶丸

    PROGRESSタイトルがまだ決まらないので仮案でウブ立香でいきます。ポイピクには一章ずつ上げれたらなって思ってます。好意関係は最初はこんな感じです↓
    カド(→→→)→(←?)ぐだ
    恋一歩手前の立香が恋仲になってから恋をしていることに気づいて、両想いって感じです。でも異性としてみるカドに、馬鹿みたいにウブな立香。あと立香の恋愛経験が浅い設定なので、若干女々しくしています。
    恋人宣言 立香視点カルデアでは月に1度、サーヴァントの霊基メンテナンスが行われる日がある。マシュもその日は定期メンテナンスが組まれており、マスターである立香には月に1度の平穏な休みが明け渡されていた。

    ゆっくりと羽を伸ばすといい。そのお達しに立香はいつも困ってしまう。
     
     誰も来ない静かな自室で、一人で過ごすのはあまりにも寂しいのだ。しかし厚意を無碍にもできず、困った末に同じく休みであるカドックを頼ることにした。

    月に一度の貴重な休み。その休みの日に毎回訪れるのは気が引けたが、回数を重ねていけば当たり前になってしまった。カドックもそれに慣れたようで、立香の端末に連絡が入る。

    『コーヒー豆がないから、もし食堂寄るならついでにもらってくれないか』
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