たとえこれが夢だとしても! 透き通るような白い肌がしっとりと汗ばみ、火照っているのかほんのり赤く染まっている。
意識が朦朧として倒れそうになったところをその汗ばんだ腕に抱き止められた。肌の温度を直に感じる距離で、虚ろに視線を寄越した先には細身だが筋肉質で引き締まった腹と二つの黒子が見える。
カドック、こんなところに黒子があったんだ——。
そんな、夢を見た。
いや夢にしてはあまりにも生々しすぎる。黒子の位置なんて妄想だとしてもマニアックすぎるし、汗ばんだ肌が触れた感覚も支えてくれた腕の温かさも何故だかありありと思い出せるのだ。
それに、夢の記憶はそれだけではない。カドックの運転する車の助手席に乗ってドライブをしていたこともうっすらと覚えている。珍しくサングラスをかけていて、横顔がかっこいいなぁと思って眺めていた。だが別にデートというわけではなく、後部座席には新所長と、なぜかオベロンも同行していたような気がする。でもみんなでドライブをしているのにあまり楽しい雰囲気ではなくて、何か切羽詰まった状況にあったような、そんな気がするのだ。夢なので明確に何に切羽詰まっていたのかは分からないのだが。
気分転換にとゴルドルフ新所長の大人の隠れ家に招待されて楽しくボードゲームを遊んでいたはずが、気がついたら三人全員寝落ちしていた。何故全員が一斉に眠ってしまっていたのか腑に落ちないところもあるけれど、深夜だしゴルドルフとカドックに関しては酒も飲んでいたしまあそんなこともあるかとそのまま解散になった。そうして各々自室に戻る道すがら、だんだんと夢の記憶が蘇ってきた結果がこれだ。
あと何か、カドックがとてもインパクトのある物をドヤ顔で見せていたような——。
「……ゼムルプス棒……?」
思い出そうとして咄嗟に口から出てきた名前がそれだった。だがそのネーミングからしておそらく卑猥な物ではないだろうか。カドックはそんなものをドヤ顔で見せるような変態ではない。でもその名前が妙にしっくりときて、何なら握っていたような記憶すらある。
握る? ゼムルプス棒(推定:卑猥な物)を?
いやそんなまさか、と思いつつも、カドックの引き締まった腹筋や黒子の記憶も相まってもしかしたら無くはないかもしれないという気がしてくる。夢だとしたら他の誰かと記憶が混同しているのかもしれないが、それにしたって男性の裸はサーヴァント(主にローラン)で見慣れていてもさすがに直接握ったことはない。
酔った勢いで過ち犯すというのも聞いたことはあるけれど、立香は酒の誘いを断ってずっとノンアルコールだった。だから酔って何かしでかしたという可能性はない——はずだ。多分。うっかり誤って飲んでしまったということがなければ。
あの豪快な寝落ちからして絶対にないとも言い切れず、だとしたらこの記憶は夢ではなく現実だった可能性もある。そしてカドックの体のことばかり記憶していたが、彼の素肌を直に感じたということは立香もまた彼の前で素肌を晒していたということになる。
カドックもすっかりカルデアに馴染んできたし、最初の頃と比べて彼の方から話しかけてくれることも増えた。距離が縮まってきたなと思ってはいたが。
「さすがに突然ゼロ距離になるのは想定外なんだけど……!」
そう小声で叫んで頭を抱える。
カドックのことが好きか嫌いかで言ったら好きだ。それが恋愛感情かどうかはまだ分からないが、人として好ましいと思っている。もちろんかつてカルデアの敵であった事実は変わらないし、過去に受けた彼の振る舞いに対して思うところがないわけではない。だが、おそらく彼は元々悪役に徹することに向いていないぐらいのお人好しだ。現にすっかり打ち解けてゴルドルフとも昔からの親友かと思うぐらい仲良くなっているところを見るに、本来は人懐っこくて優しい性格なのだろう。
立香に向ける視線もいつからかとても穏やかになっていて、心から心配して寄り添ってくれているのがよく分かる。だからこそゴルドルフも立香とカドックの二人を隠れ家に呼んでくれたのだと思うのだが、まさかそこでこんな事態になるなんて。
いやまだそうと決まったわけではないけれど、だったらこの記憶は一体何だと言うのか。
ここで一人ぐるぐると考え込んでいても埒があかない。
真実はどうなのかを確かめるため、立香は意を決してベッドから立ち上がりカドックの部屋へと向かうことにした。
◇◇◇
カドックの部屋へと向かう途中、廊下の向かい側からマシュが歩いてくるのが見えた。軽く手を振ってさっさとすれ違おうと思ったのだが、立香の顔を見たマシュが何か気になるところがあったのか心配そうな表情で引き留められてしまった。
「先輩、何かありましたか? 困っているというか、焦っていらっしゃるような……」
「えっ、いやー、そんなことは……」
マシュに話せる内容ではないのでその場を誤魔化そうとしたが、ふと脳裏によぎったあの言葉をもしかしたらマシュは知っているのだろうかと気になって問いかける。
「マシュ、ゼムルプス棒って知ってる?」
「ゼムルプス棒、ですか? ゼムルプスということはカドックさんの棒ということですよね。カドックさんが何か棒状のものを持っているところは見たことがないですが……」
マシュも記憶にないらしく首を傾げる。
「そんなの、アイツの男根ってことでしょ?」
そこへ、背後から歩いてきたメイヴが割って入ってきた。それを聞いたマシュの顔がブワッと真っ赤に染まる。
「だ、男根……」
「見たことないならそれしかないじゃない。ネーミングは最悪だけど。なぁにマスター、欲求不満なの?」
いいこと聞いちゃった、と満面の笑みでメイヴが尋ねてきた。
「ち、ちが……っ! なんか最近聞いたような気がしたから何だったかなって思って!」
「別に恥ずかしがらなくてもいいのよ、欲求不満は誰にでもあることだもの。アイツは私のタイプじゃないけど、マスターに対しては面倒見も良さそうだしまあ悪くないんじゃない?」
「だからそういうことじゃなくて!」
話がそっちの方へとどんどん進んでしまい、必死に否定するもののなかなか聞き入れてもらえない。だが実際この名前で立香自身も咄嗟に卑猥な物だと思ってしまったので、メイヴの言う通り欲求不満の可能性もなくはないのが悲しいところだ。
「せ、先輩はそんなことを私に尋ねたりはしないかと!」
真っ赤な顔をしてマシュも否定してくれて、メイヴも「まあ確かにそうよねぇ。でもそれ以外にあるかしら」と首を傾げ、そっちの話題ではなくなったことで興味が失せたのかそのまま歩き去っていく。
メイヴの追及から免れて安堵の息を吐くと、助け舟を出してくれたマシュに微笑みかけた。
「ありがとうマシュ」
「い、いえ。ですが本当に何なのでしょうか、ゼムルプス棒……」
「うーん、すごく聞き覚えはあるんだけどなぁ。だからちょっとカドックに確認してこようと思って」
「なるほど。何か分かりましたら私にも後で教えてくださいね!」
笑顔で手を振るマシュと別れ、再びカドックの部屋へ向かって歩き出した。
◇◇◇
コンコン、と扉を軽くノックして「カドックいる?」と声を掛ける。程なくして扉が開けられると、そこにはとても複雑な表情を浮かべたカドックが扉の前に立っていた。その顔を見て、これはカドックもまた立香と同じ状況なのではないかと察する。
「お話が、あります……」
「ああ。……新所長の隠れ家のこと、だよな」
やはりそうらしい。コクリと頷くと、カドックが少し周りをキョロキョロと見回して誰もいないことを確認し、「中で話そう」と立香を部屋の中に誘った。カドックの方から立香を部屋に誘うことは今まで全くと言っていいほどなかったので少し驚いたが、もうここまで来たら部屋に二人きりでも構わないということなのだろう。誘われるままに部屋の中へと足を踏み入れた。
「あれは、夢……だと思うんだが、おまえもおそらくその夢のことで尋ねてきたんだよな」
促されるままにベッドに腰掛け、カドックが立香の隣に腰掛ける。いつもなら隣には座らず椅子の方に離れて座るので、ここでも縮まっている距離感にやたらとドキドキしてしまう。
「う、うん。でもほら、サーヴァントと夢を共有するってことはよくあるし、もしかしたら誰かサーヴァントがあの場所に来てその場にいる人たちの夢を共有させたってこともあるのかもしれないよね」
「そうだな。その……おまえは何か夢で覚えていることはあるか?」
そう問われてドキッとする。
一番覚えているのはカドックの黒子だが、それはさすがに初手では言えない。ひとまず当たり障りのないところを記憶から捻り出す。
「えーと、ドライブしてた気がする。カドックがサングラスしてた」
「ドライブか……してたような気もするけど、あまり覚えていないな」
立香は記憶に残っている情景だったが、カドックはあまり覚えていないようだ。この時点ではまだお互いに別の夢を見ていた可能性も否定出来ない。
「僕はごちゃついた部屋の掃除をしていたような記憶がある。どういうわけか僕が仕切っていて……何か棒状のものを全員に配って……」
「棒状の……あっ」
それを聞いてはたと閃く。カドックが配っていた棒状のもの言ったら。
「ゼムルプス棒!」
「……何だそれはと言いたいところだけど、何故だかすごくその単語を僕から口にした覚えがある……!」
カドックがそう言って眉間に皺を寄せながら頭を抱えた。
ここでようやくこの単語がやはりカドック由来のものであると判明した。掃除の時に配ったのだからきっと掃除に使う道具か何かだったのだろう。
「よかったぁ、卑猥な物じゃなくて」
「は?」
「ううんごめん気にしないで。わたしもゼムルプス棒を覚えてるってことは、やっぱり同じ夢を見ていたのかな」
「その可能性は高いな」
同じ夢を見せたサーヴァントとして心当たりがあるといえば、何故か夢に現れたオベロンだろうか。あの部屋に確か居なかったはず——いや居たかもしれない——とにかく彼に関しては記憶が曖昧で、思い当たる節があるといえば彼なのだが、肝心な何故全員を眠らせて夢を見せる必要があったのかは全く分からない。
「もしそうだとして、おまえもその……見たから、ここに来たんだろう?」
その曖昧な問い掛けの意図を理解して、カッと顔が熱くなる。
こんなことを問いかけてくるということはつまり、カドックも覚えているのだ。あの素肌の触れ合いを。
「う、うん。あっ、でもそんな鮮明に覚えてるわけじゃないんだけど、印象に残っているのは……黒子?」
「黒子? って、僕の黒子ってことか?」
「そう。カドック、この辺とこの辺に黒子ってあったりする?」
首を傾げるカドックに、右胸の下と腰のあたりを指してそう尋ねる。それを聞いたカドックの顔が強張り、フラフラと視線が泳ぐ。
「……ある。でもそれは、僕が脱いでいないと見えないよな」
「そ、そうなんだよね。なんか二人とも裸に近い格好だった気がする」
「僕もはっきりとは覚えていないが、確かに裸に近い格好で、のぼせているのか意識が朧げで……ただ他の夢の記憶には新所長やオベロンがいるのに、その時はおまえと二人きりじゃなかったか」
「そうなの。うっすら他にも誰かいたようないないような……でもちゃんと記憶にあるのはカドックだけだった」
あの状況のことはカドックの記憶にもあり、二人とも裸に近い姿だったのも間違いない。そしてお互いに二人きりだったというのも認識として共通している。
「それと、これは正直に言うかどうか悩んだんだが——君の肌に、直接触れた記憶がある」
非常に気不味そうな表情を浮かべながら、少し頬を赤らめてカドックがそう口にする。
それもまた、立香の記憶と同じだった。あの汗ばんだ腕に抱かれた感覚を思い出してカッと顔が熱くなる。
裸に近い姿で、熱くてのぼせていて、肌の触れ合いがあって。それはつまり——。
「もしかして、わたしたち……」
「……ああ、おそらく……」
やはり、やらかしてしまったらしい。
とはいえこれは夢だ。夢——のはずである。同じ夢を同時に見て、かつ感覚まで共有しているというのは最早夢を超越している気がしなくもないが、もし夢じゃなかったら大変なことになる。
「夢……だよね?」
「そのはず……どこか体の痛みとか違和感がなければ、だけど」
そう言われて、確かに実際にやらかしてしまったのであれば主に下半身に痛みや違和感が残っていてもおかしくはない。だが、ここまで来る間も特に違和感はなく至っていつも通りで不調は感じなかった。
「大丈夫、痛いとかはないよ」
立香の返答にカドックがホッと胸を撫で下ろす。
「なら夢だな。……夢だとしても、こんなことになってしまったのは、悪かった」
「えっ、ううん。それはお互い様だし、むしろわたしがカドックに凭れかかってた気がするからわたしから迫ったのかもしれないごめん」
「いや、僕から先に触れた気もするし何なら藤丸の胸元の記憶が鮮明に残っているあたりガッツリ見てたと思うから僕の方が——」
「それを言うならわたしだってエッチな黒子だなぁって思ってじっくり見ちゃってたから——」
不毛な言い争いに発展し始めたことに気がついて、互いに一旦言葉を切る。カドックを邪な目で見てしまっていたことに罪悪感を覚えていたが、どうやらお互い様だったようだ。そのことに安堵すると同時に、邪な目で見られていたのにも関わらずそれが何故だか少し嬉しかった。
「とりあえず夢だとして、だ。あの時お互いに『二人きりだった気がするが、うっすら他にもいたような気がする』んだよな」
「うん。でももしその……してるときに他にも誰かがいたとしたら、大問題だよね」
その場にいる可能性が極めて高いのはゴルドルフである。オベロンも夢に登場しているので可能性はあるが、気まぐれで神出鬼没な彼をすぐに見つけ出すのはなかなか難しい。それよりもゴルドルフを呼び出して確認した方が早くて確実だ。
互いに目を見合わせて頷くと、意を決して通信機を起動した。
◇◇◇
「何だね、内密な話というのは」
通信機でゴルドルフを呼び出し、再び彼の大人の隠れ家に三人が集まった。
「新所長、ここであったことって覚えてます?」
「ここでって、昨晩のことだろう。お前たち二人をここへ招待して、ボードゲームをしながら酒を飲んで……気がついたら眠ってしまっていたようだが、それがどうかしたのかね」
「眠っている間の——夢で見たことは、覚えているか」
カドックに問われて「夢ぇ?」と首を傾げたが、はたと何か思い出したのかゴルドルフが目を見開いた。
「まさか、我々が皆同じ夢を見ていたとでも?」
「おそらく。少なくとも僕と藤丸の見た夢の記憶はほぼ一致していた」
「そうか……私の華麗なドライビングテクニックを披露するにはあまりにもファンシーな車だと思ったが、お前たちも同じ夢にいたのならそういうこともあるか」
車がファンシーなのは別に立香たちのせいではないと思うのだが、ひとまずそこは突っ込まないでおくことにした。
「何やらパパと呼ばれていたような気もするな」
「それはいつものことでは?」
「まだ所帯持ってないからね」
以前ふざけてゴッフパパと呼んだこともあるのでそれに関しては夢と関係ない気がするが、確かに言われてみるとパパという言葉は少し引っかかる。
「でも、パパって何か重要な意味があったような……」
「わたしもそんな気がするけど何だろう……思い出せない……」
カドックもまた引っかかっているようで、二人して頭を捻ってみるもののはっきりとそれが何だったのかは分からない。そこの記憶だけ靄がかかったように曖昧になってしまい、それ以上のことは何も思い出せなかった。
「それから、あー……なんだ。これは言って良いものか……」
先ほどまでとは違い、ゴルドルフが何やら言いづらそうに口籠もりながら立香とカドックの方を交互に見る。
「お前たちがその……何と言うか……あられもない姿で寄り添っていたような気がするんだが。おそらく私はその場から慌てて飛び出した気がするからその後のことは知らん。何も見てないぞ。……多分」
最終的に消え入りそうな声で不確定要素を付け加えてきたが、あの場にいたような気がしたのはゴルドルフで間違いないようだった。
つまり、立香とカドックは、夢の中とはいえゴルドルフのいる前でおっ始めたということである。現実では絶対にあり得ないことだが、夢——特にこのカルデアで見る夢に関してはあり得ないことも容易にあり得てしまう。
茹で上がったように真っ赤な顔でカドックを見上げると、カドックもまた白い肌を真っ赤に染めて気不味そうな表情をこちらに向けた。
そして覚悟を決めたように頷き合い、二人でゴルドルフの方へと真剣な眼差しを向ける。
「新所長……」
「責任、取るね……」
「えっ、ちょっ、どういうことかね」
状況が分からず慌てふためくゴルドルフの肩をカドックが神妙な顔でポンと叩き、宥めるように立香が背中を摩る。
「やだもう、何なの君たちィ」
ゴルドルフの悲痛な叫び声が狭い隠れ家の中で響き渡った。