サイマヴェ未満/お題:お酒「マーヴェリック、この後時間はあるか?」
そう声をかけたのが就業時間をとうに過ぎたタイミングだったので、年上の部下は心なしか背筋を伸ばした。今しがた提出したばかりの書類のことについて残業を命じられると思ったのだろう。
サイクロンは苦笑し、中身を確認したファイルを机の上に置いた。
「いや、仕事じゃない。これの内容は問題なかった。良ければ飲みに行かないか」
「中将と、ですか?」
「駄目か? あれからバタバタしていてゆっくり話す機会もなかったからな。それに、アイスマンの話もしたい」
マーヴェリックの僚機の名前を口にする瞬間、あふれるような思慕の気配がサイクロンの口元に浮かんだほのかな笑みを彩った。仕事を離れると彼はこんなにも雰囲気が柔らかくなるのだと、初めて知る。必要以上に怒らせているのはマーヴェリックにほかならないわけだが。
第一アイスマンの名前を出されて否やはない。マーヴェリックも共に彼を偲ぶ相手が欲しかったのだ。
現在、ピート・ミッチェル大佐の処遇は、ボー・シンプソン中将預かりとなっている。
試験機を空中分解させるという形でプログラムの終結を自らの手で打ってしまったが、有人飛行でマッハ10という結果はお偉方に何かしらの希望を見せたらしい。計画はそのまま継続されることになった。しかしながらテストできる機体が現状ないものだから、テストパイロットは開店休業状態だ。
飛べないならしばらく休暇を取ってモハーヴェに引きこもり、P-51の整備に専念しようかと思っていた矢先、サイクロンから声がかかったのだ。
その腕前を新型開発にだけ使うのはもったいない。若人を鍛えるためにも使ってみないか、と。
その話しを聞きつけた、マーヴェリックの扱いづらさを知る一部(過小表現)将官からは「正気か」「気でも狂ったのか」という声が上がったがサイクロンからしたら「あのミッションを超えることにはならんだろう」。
アイスマンがそれを見ていたら恐らく、静かに笑って首を振ったことだろう。それで済まないのがあいつだぞ、と。アイスマンが助言をすることはできなかったので、サイクロンはトップガンの教官職を改めてオファーし、マーヴェリックは「微力を尽くします」と殊勝なことを言って辞令を拝命したのであった。
これまでのパターンで、生徒たちをどう揉んでやろうとワクワクしているに違いなかったので、サイクロンは念のために釘を刺すことも忘れなかった。
「いいか、今度の生徒たちはトップガン『卒業生』ではないからな。これからトップガンになっていく『訓練生』だということを忘れるな。潰すなよ」
「わかりました、大丈夫です」といういささか信頼性に欠ける返事と態度だったが、今のところ良い教官を務められているようだ。前回とは違い命がかかったミッションではないから相応にセーブできているのだろう。
そんなことを腹心であるベイツ少将に話していた時、彼が今にも笑い出しそうな表情を浮かべていることに気がついた。
「なんだ?」
「いえ、マーヴェリックをとても気にかけていると思いまして」
「──そうか?」
「おやお気づきではない? 最近、彼の話題が多いですよ」
ウォーロックの双眸が弧を描くように細められる。口元に当てられた拳で隠されてはいるが、完全に笑っている。眉を上げて心外であるという表情と共に
「普通にしていたって目立つ男だからな、彼は」
とコメントしたところ、それがダメ押しになったらしい。ウォーロックは肩を震わせた。
「まぁそういうことにしておきましょう。なんにしてもマーヴェリックとは一度ゆっくり話をしてみることを勧めますよ。とても興味深くて面白い男です。それにあなたの知らないアイスマンの逸話を知っている」
腹心の提案に、サイクロンはゆっくりと目を見開いた。深く敬愛している上司の指名で初めて顔を合わせるまでは『アイスマンの僚機』に対する敵愾心から話題に上らせることすら避けてきたが、心置きなくアイスマンを語り合える相手ではないか。なぜ今まで思いつかなかったのか。蒙を啓かれる心持ちでウォーロックを見れば、彼は『ようやく気づきましたか』と言わんばかりに頷いてみせた。
思い立ったら吉日である。上司から突然「話がしたい」などと言われたら身構えられることはわかりきっていたのでアイスマンの名前を前面に押し出してみれば、拍子抜けがするほどあっさりと承諾が得られた。輝かんばかりの笑顔というオプション付きで。
お互い軍歴長く、アヴィエーター同士で共通の話題も多い。職務上はスタンスが違いすぎるがゆえに意見がぶつかることが多々あるが、私人として会話をしてみれば、そのリズムが意外なほど心地よかった。そしてサイクロンが期待した以上の『アイスマンの話』をマーヴェリックは披露してくれた。大抵において彼自身の無茶話を伴うので、呆れたり当時の上官の心境を慮って胃を痛めたり、一部でマーヴェリックの異動をが『スタンプラリー』と称されていた実態を知ってさもありなんと納得もした。
今やこの地位と年齢で、こんなふうにバーのカウンターで肩を並べながら会話を楽しむような同業の友人は新たに望めないと思い込んでいたが、そうではなかったのかもしれない、とウォーロックに感謝しながらふと視線を上げたサイクロンは、整然と並ぶ様々な酒の瓶の向こう側に垣間見えた自分の顔──鏡になっているのだ──に呆然とした。
『おい待て、これは本当に俺か?』
思わず自問してしまうほど見慣れない、信じられない表情を浮かべていたのだ。あんな甘ったるい顔は、どんな時にでるものなんだ?
戸惑っているとマーヴェリックが「どうしました?」と首を傾げるようにして覗き込んできた。アルコールに濡れる唇を小さく舐める舌先に視線が吸い寄せられて離れない。
「中将?」
再度問いかけられてサイクロンは我に返り、無理やり視線を引き剥がした。
「いや、なんでもない」
深く追求したら、引き返せないなにかに足を踏み入れてしまうような気がした。
きっと酒に酔ったのだろう。そうサイクロンは思い込もうとした。