グスマヴェ/お題:真夜中 洋上任務に就くと、寄港時を除けば月単位で地面から遠ざかる。つまりは娯楽の補給からも遠ざかるので各々自由時間を過ごすためのツールを乗艦の際に持ち込むのが常である。
しかし持ち込める量に限界があり貸し借りにも限界がある。レパートリーも乏しい。退屈は人を愚かにするので、自由時間をいかに有意義に過ごすかは実は大切なのだ。
ニック・ブラッドショーは同僚をカモにするカードゲームに飽き──あまりやりすぎるのも人間関係に悪影響を及ぼすのでほどほどが肝心だ──、ピート・ミッチェルは持ち込んだ本はおろか資料室においてある歴史書まで読み尽くし、もう暗記してしまっている戦闘機のマニュアルを惰性のままにめくる。ようするに彼も飽きてしまっていた。
艦内で本を持っているとマーヴェリックの追い剥ぎに合うというまことしやかな噂がたったせいで、誰も彼もマーヴェリックを警戒して隙を見せないせいだ。要するに本を追い剥ぐのは噂ではなく事実なのだ。
マーヴェリックはあくまでも『貸し借り』のつもりだったと供述しているが、「貸せと言われるが貸すとは言わない」と契約が一方的であるという証言がある。それもまたマーヴェリックからしてみれば「貸してくれとは言ったが貸してくれと言われたことがないし、ちゃんと返してる」のだが。
なかなか暴君なところがあるのは、戦闘機の操縦スタイルに如実に現われている。見た目から勘違いをされがちで、色々なポイントでギャップが激しい男なのだ。
グースが「そこがまた良いんだよ〜」などとのろけじみたことを言うものだから、破れ鍋綴じ蓋コンビと呼ばれてしまうのである。
自由時間だというのに暇を持て余し、自由時間だと言うのに筋トレに勤しむマーヴェリックの傍ら、彼ほど熱心ではないグースはトレーニングマシンをベンチ替わりにしてストイックな彼の相棒をぼんやりと眺めている。
グースの仮住まいを使いたい同僚からの視線を感じ始めたのでそろそろ退去しなければならないだろう。
「まだやってく?」
相棒はなにかと面白いことに巻き込まれがちなので、ひとりにして見逃すのももったいない。そう思って声をかければ、マーヴェリックは人口密度が上がりだしたトレーニングルームを見回してマシンから降りた。
「いや、もう終わりにする」
グースは、スコールを浴びたあとのようにびっしょり濡れている相棒の頭にタオルを投げかけてそのままわしゃわしゃと拭いてやる。
「グース! 自分でできるって!」
「いやお前いつも適当じゃん。ちゃんと拭かないといくらこの暑さでも体冷えるだろ」
まるで、丸洗いした犬の水気を拭き取るようにされてマーヴェリックは苦情の声を上げたが、グースはカラカラと笑って意に介さない。
「ブラッドリーのお風呂の練習だよ。付き合ってよ」
「ならもっと丁寧にやれ! ブラッドリーの頭がもげるだろ!」
タオルを被ったままの頭で、頭突きを繰り出す。相手が長身なため目標よりも低く、肩に着弾した。
痛ァ! と大げさに痛がりながらもこする力は弱まらない。むしろ強くなって反動でがくんがくんと揺すぶられる。笑い声が聞こえてきたが、どうやらグース一人のものではなかった。
「もう行こうぜ」
ワーキングシャツの袖口をツンと引っ張られて、グースは思わず笑みを深めた。ティーンエイジャーみたいな顔をして言動はデンジャラス。でも時折見せる裏腹な仕草にどうにも母性だか父性だかの本能がくすぐられる。
「はーもうかわいいな、ハニーは。ちゅーしてやろう」
「いらない。ヤメロ」
ぐいと顎を押しやられながら「お、良いところに腕置きが」と肩を組む。脇腹に軽くパンチを入れられても外したりしない。子犬がじゃれかかっているようなものだ。
ところが、お前らいちゃつくなら場所を考えろ等々冷やかされながら退場する途中で、突然マーヴェリックが声を上げて急停止した。
振り回されるようにターンしたグースは、一人の同僚と向き合った。身長の関係で、マーヴェリックよりも先に目線があったためだ。
「この間借りた本、後で返しに行く。ありがと」
やや下方向から呼び止められた方は一瞬戸惑いの表情を浮かべたが、すぐにサムズアップして「わかった」と返答した。
「使えそうなヤツあったか?」
「うーん」
「なに借りたの」
「モテるジョーク集ってやつ」
聞き間違えたのかと相棒の顔を覗き込めば、小難しい表情で首を傾げていた。そのまま視線を斜めに上げて本の貸主を見上げると、彼は肩をすくめてみせる。
「たまに毛色の違うのがイイって持ってった」
「マジで? ハニーはいらんでしょ。モテジョーク」
その顔でちょっと笑ってみせたらだいたいはOKじゃん! と大多数は使えない秘技を褒めそやしたものの、マーヴェリックはきょとんとした。
「会話のレパートリーが増やせるかな、って」
戦闘機とバイクとブラッドショー家の話題を禁止したら、たちまち会話に困るだろうことは、残念ながら当人よりも知っている。それでもグースは突っ込んだ。
「真面目すぎる!」
いや悪いことではないが!
「今度勉強の成果見せてよ」
「グース口説いてみればいいのか?」
一点の曇りもない晴れやかな笑顔で頷かれ、命令違反を起こしそうな気配を感じて諌める時よりもずっと真剣な面持ちで諭した。
「やめてちょーだい。うっかりグラついたらどうしてくれるの」
空母の一角で、爆笑が起きた。
「マーヴはさ、モテジョークよりもこっち覚えて」
空母内の我が家である二段ベッドに戻ったグースは、手荷物の中から結構な厚さの本を取り出した。
「これは……読んだことないな」
「だろうね」
ためつすがめつ見たカラフルな色使いの表紙には、なぞなぞの文字。
「ブラッドリーにモテ必至。けどそれ読んでもブラッド坊やの出題に全部対応できるかというと……」
グースは神妙に首を振った。まず言葉がまだ不明瞭なところがあって、問いかけを理解するまでに時間がかかる。その上『なぞなぞ』の範囲というか境界があやふやで、あれ今のなぞなぞだった? おれが答えるやつ? となる場合が多々あるのだ。かわいいので全く問題ないのだが。
「たとえばさ、『フルーツポンチを逆さにすると?』って聞かれたら?」
「え? それなぞなぞなのか?」
「いや違うんだけど、坊やのカテゴリーではなぞなぞなんだわ。で?」
「フルーツポンチを逆さに……?」
マーヴェリックは一分ほど熟考した後に答えた。
「こぼれる」
途端、グースは警笛かと思うような高音の笑い声を発した。
どこからか「グースうるせーぞ!」と苦情が飛んできたが本人は腹を抱えたままベッドに倒れ伏して笑い続けている。
「違うのか?」
「や、そーなんだけど! お前ん中の幼児を呼び起こして! これ下ネタ的なやつなんだよ」
「フルーツ、ポン……」
ようやく理解したマーヴェリックは納得したようなしないような、形容しがたい表情を浮かべたまま上段のベッドに潜り込んだ。
それがまたグースの笑いのツボを突いたらしく、その晩、夢にまで見た。
深夜にどこからともなく聞こえてくる寝言と笑い声が後に怪談話となることをグースは知らず、一番近くに居たはずのマーヴェリックは眠りが深すぎたために気が付かず、
怪談に信憑性を深めることとなったのであった。
end.
(注)日本語基準なことに触れてはいけません