迷子『明日はプールに連れて行ってあげるわね』
お父さんが出張でお留守だから明日はたくさん遊びましょうと言ってくれたのに、翌朝になってみるとお母さんは布団から出て来ない。仕方がない、お母さんは病気なんだ。だからこんなふうに朝寝坊もしょっちゅう、
(でも、プールは行きたかったな)
子どもだけで行ける場所じゃねぇってことぐらいはガキにだって解る。夏休みには海や川に行くとテレビでは見かけるけれど、海も川もやっぱり子どもひとりで行って良い場所じゃねぇし、第一俺にはその場所への行き方が解らない。解らないけれど、昨日張り切って準備した水着とバスタオルの入ったリュックを背負ってそっと家を抜け出す。別にプールに行くわけでも、海や川に行くわけでもない、ただただ今日は何処かにお出掛けしたかった、それだけだったのに、
気がつくと俺はいわゆる迷子って奴になっていた。
(やべぇ、もしも俺が迷子になったことをお父さんが知ったらまたお母さんが怒られちゃう)
こういう時は誰かに道を訊けばいいのだろうけれど、見渡す限り誰も人なんていない。いや、一人だけいた!少し遠くだけれど走ればきっと追いつけるだろう、そうして全力で走って追いついたその人は近くで見るとまだ高校生くらい、金色のふさふさとした髪に真っ白い肌、全体的に白い印象の中で一際目立つ紅い宝石のような瞳がとても綺麗だ。
『何だテメェ、迷子か?』
コクコクと頷くと、家はどこだと聞かれる。俺は暗記していた住所を言うと、お兄ちゃんは顔を顰め、それから、
『もしかして家族旅行中か?』
と言う。
『ううん、家族旅行なんてしたことない、今日はお母さんとプールに行く約束をしていたんだけれど、お母さんは朝寝坊で、だから俺はひとりでお出かけして、でも迷子になって…』
一生懸命している説明は、ぐうぅというお腹の音で打ち切られる。腹を空かせているのかと聞かれ、うんと答えると、じゃあ飯を食ってから家を探そうと言って歩き出す。俺は慌ててお兄さんの後を追い、手を繋いで歩き出すと、
『テメェの手、冷てぇな。温度を調整する個性持ちか?』
凄い、手を繋いだだけで俺の個性を当てるなんて!しかも大好きなお母さんの個性を言い当ててくれた!うん、そうなんだ、俺の個性、氷も出せるんだと言うと、そぉかよ、そりゃスゲェなと言ってお兄ちゃんは笑う。その笑顔はとてもキラキラしていて、
(笑顔ってこんなにキラキラしているんだ)
自分の家では見たことがない笑顔に見惚れながらやがてたどり着いたのは公園で、お兄ちゃんの肩に掛けた鞄から出てきたのは綺麗に包まれたお弁当。包んだ布を解いて中を見ると見たことがないくらい豪華、こんな凄いお弁当を俺のお母さんは作ったことない。
『これ、お兄ちゃんのお母さんが作ったのか?』
違ぇ、これは俺が作ったんだわって、凄い凄い!お兄ちゃんは男だけれどお母さんでもあるの?って聞くと、ンなわけあるかよと言いながら道すがら立ち寄ったコンビニで貰ってきたスプーンを渡してくれる。
『流石にガキ用の箸は売ってねぇからこれで食え。食いにくいおかずは俺がカットしてやるから』
そういって一口サイズに切られたおかずを口に入れるとほっぺたが落ちそうなくらい美味しくて、夢中になって食べながらふと、俺がこれを食ったらお兄ちゃんのお弁当が無くなっちゃうんじゃないのか?と尋ねると、
『大人は昼飯一回抜いたぐらいどうってことねェ、オマエは沢山食ってデカくなって、そんでもって強くなりゃ良い。そうすりゃきっとお前の母ちゃんも元気になるだろォよ』
うん、うん、そうだよな、と言いながらお弁当を口に詰め込みながら、俺はきっとこのお兄ちゃんの言っていることは本当だと思う。お兄ちゃんはお母さんと会ったことはないから、お母さんがどんな病気になっているのかを知らないけれど、でも、それでもお兄ちゃんの言っていることは正しいって思えるんだ、
だってお兄ちゃんは白くて綺麗でまるで天使みたいで、それでもって世界一美味しいお弁当を食べさせてくれて、それから、それからー
『お兄ちゃん、俺、眠くなってきた』
仕方がねぇなあ、膝枕してやっから少し休め、そう言ってくれたお兄ちゃんの膝は頭を乗せてみると柔らかくて、とても良い匂いがする。
(俺はこの匂いを知っている…これは…の匂い、甘い甘い、俺の一番好きな…)
何処かで誰かが大声を出している…?
『起きろ!半分野郎!』
ガバッと起き上がるとそこはプールサイド、今まで頭を乗せていた場所が爆豪の膝枕だと知って俺は驚く。何で俺、どうして、迷子になって、それで…?
『何寝惚けとんだ、テメェはプールで溺れたんだ、間抜けにもなァ!』
そうだ、思い出してきた。今日の仮免補講は大型プールの中に放たれた水中生物型の仮想ヴィラン、爆豪と俺はそいつを仕留めるために水着に着替えて補講に挑んだものの、俺の氷結は爆豪や他の奴らまでもを凍らせちまうから思うように使えず、もたついている間に一撃をくらって気を失ったんだった。
『爆豪が助けてくれたのか、仮想ヴィランは?』
ンなもん倒したわ!とドヤ顔をする爆豪を見ながら、俺はさっきまで見ていた夢を思い出す。あれは夢だったのか、それとも実際にあったことだったのか?
(夢にしてはリアル過ぎる…)
その数日後、俺は爆豪が腕によりをかけて作った弁当が食べたいと頼み込む。爆豪は突拍子もないお願いに訝しげな顔をしていたけれど、恋人の頼みなら仕方ねぇ、すげぇ美味いヤツを作ってやるわと言って、そうして作ってもらったお弁当を大切に抱え込み、近くの公園で食べたいと言って無理やり爆豪を連れ出し、ベンチに座って包みを開く。そこに並んでいたのは、
(夢と同じおかずだ…)
お弁当箱も、おかずの種類も配列も全てさっき見た夢の通り、ってことは先日見た夢はやっぱり現実みてぇなもんで、ガキの頃、迷子になった俺は何処かでタイムスリップして高校生の爆豪に出会ったのだと確信し、
『なあ爆豪、俺、昔この弁当を食べたことがあるんだ』
と語り出した。