好きだ 梅雨に入ってすぐの週末、暫く体調不良でぐずついている俺を元気付けようと開かれたささやかな食事の席で轟が婚約したと聞かされた。女性に絶大な人気を誇る轟には恋愛報道はよくあること、その大半はデマで終わるが、婚約という言葉は重みが違う。一応相手は誰だと尋ねると、女優だとかモデルだとかイマイチはっきりしない。試しにネットで検索してみると、
(何だこりゃ?)
まるで我こそはと言わんばかりに轟の婚約者を名乗る女が乱立している。まるでテロ後にあちこちから集まってくる犯行声明みたいだ、どうやらまたしてもデマくせぇなと思ったけれど、肝心の轟が如何にもそういう指輪を扱っていそうな高級ブティックで指輪を購入しているスクープ写真が、婚約が事実だと肯定していた。
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俺は恋というものをどう扱えばいいのかを知らない。憧れや好意は理解できる、愛というものも理解できる。でも恋はそれらのものとは別格だろう、
恋は決して穏やかなものではない。
だって、轟を見ていると何とも言えない気持ちになって感情を持て余す。轟に話しかけられると胸の中に言葉が流れ込んできて、時に俺を拘束する。轟に触れられると心臓が壊れてしまったのかと思うくらい暴れ出す、下手すりゃ体に仕込まれた安全装置が誤作動するくらい、俺の心臓は乱れてしまう、
そうだ、俺は轟焦凍に対して恋心を抱いている、そこまでは把握できているのに、それをどうしたらいいのかがさっぱり解らない。
(告白が恋の終わりならいいのに)
ただでさえ鈍い轟には好意を乗せたアプローチは全く無効、負けず嫌いの自分を曲げてまで歩み寄っていたけれど三年間空振りして流石に心が折れた。
そして厄介なことに俺の好きはテコでも曲がらない。俺の恋は終わることなく、新しい恋なんてモンは存在しない。
いや、この際別に失恋してもいい、問題はそんな感情を向けられていることが万が一にでも轟に知られてしまった時だ。優しい彼のことだから、向けられた好意に気が付いて仕舞えば、今度は応えられないことに対してすまないと感じるだろう、そしてそれはいつか負担となり、俺のことを疎ましく感じる様になってしまう、そうなればいよいよ俺は轟の前に顔を出せなくなるし、第一惨めだ。
そしてそういうタイミングが来たらしい、
まもなく結婚するであろう轟に変な態度をとってしまう前に消えるべき、以前から考えていた海外での活動に拠点をシフトしようと一先ずアメリカに立った先で、
(何でコイツがココにいるンだよ?!)
いきなり物凄い力で抱き締められた。
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爆豪から好きだと言われた時は、デカいバネで弾かれたみたいに身体が跳ねた。すぐに俺もだと口から言葉が出て自分でも驚いた、俺は爆豪のことが好きだったけれど、爆豪が俺のことを好きだと知った瞬間、好きの種類が塗り変わった。
爆豪が、好きだった。
出来れば一緒にいたいと仮免補講の時から思っていた。触られるのが嫌いな爆豪に、触れるのが好きだった。嫌がる顔さえも好ましく思えて、自分はどうかなってしまったんだろうかと悩む時もあった。どうしようもなく触れたくなって股間が立ち上がってしまう時はマジで悩んだ。峰田や上鳴が貸してくれる女の人の裸の写真が満載の本より、肌の露出ゼロのヒーロースーツの爆豪の方が余程俺を欲情させた。
(全部、恋をしていたからなんだ、爆豪に)
告白に対し、好きだと伝え、ずっと一緒に居たいと伝えたらプロポーズかよと笑われ、それもそうだと思い婚約指輪を用意した、
なのに、指輪を渡そうとした途端に爆豪は泡になって消えてしまい、俺は爆豪の幻を相手に舞い上がっていたことを知った。何でも無自覚に片想いを拗らせ過ぎた時に現れる幻覚らしい。何て個性に掛けられたんだ、俺は慌てて幻覚ではなく本物の爆豪に会って今度こそ俺から好きだと言おうと思ったのに、
『日本にいない、だって…?!一体どうして、ですか?』
随分と思い詰めていたからね、少し環境を変えてみる様アドバイスしたんだと話すジーニストにダメ元で行き先を尋ねると何故かと問われ、爆豪の幻覚にプロポーズしたこと、今度こそ本物の爆豪にこの指輪を渡したいと見せると、あの子を宜しく頼むよと言って行き先がニューヨークであることを教えてくれた。事務所から出てきた所で捕まえた、俺の顔を見た途端、物凄く悲痛な顔をしたから確信した、
(やっぱりあの幻は爆豪のものだったんだ)
片想いを拗らせ過ぎた爆豪から溢れた恋の泡が俺に会いに来た、
『なぁ、爆豪は俺に言いたいことねぇのか?』
ねェわと言わんばかりに首を横に振り目を逸らす爆豪は今にも泣きそう、もしかしたら本体も泡になって消えてしまうんじゃないかと思うと一層腕に力が入ってしまい、爆豪の顔がますます悲痛に歪むがなりふり構っていられない。
『じゃあ俺が爆豪に言いたいことを言う、俺はお前が好きだ。ずっと前からお前のこと好きだったけれど、つい最近これが恋だって知らされた。なぁ爆豪、コレを受け取ってくれねぇか?』
そう言って懐から出した婚約指輪を爆豪の指に嵌め、またぎゅうぎゅうと腕に力を込めると鋭い目つきで睨まれたが、爆豪から好きだの言葉を貰うまでは腕から力を抜くことは出来ない。
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(人魚姫の個性?ンなもん掛けられた覚えねェ)
突然訳のわからないことを轟から聞かされて混乱する。確かに春先から体調を崩していたのは事実だった。具体的には声が出なくなったのだ、独学で調べたら一番当てはまるのが心因性の失声で、実際メンタル系のクリニックでもそれらしい診断を受けた。ストレスはないかと聞かれて一番に頭に思い浮かんだのは轟のことだった、
(でも、だからって俺の分身みてェなものが轟の所に行って勝手に告るとかありえねぇだろ?どんな個性事故だよ)
オマケにまだ【言葉】は戻ってきていない、俺の喉は好きという言葉を紡ぐことが出来ないのだと、この状況になって初めて気がついたが、もしもこの個性が人魚姫をなぞっているなら声が出ないという仕組みを轟に伝えてはいけない気がして、
そうして不本意ながらダンマリを決め込む形になり、もう3時間くらいずっと巻き付かれて好きだと囁かれ続けている。もう解ったから離して欲しいのに、
『好きだと言ってくれるまで離さねぇ、自覚したのは爆豪の幻に告られてからだけれど、ずっと前からお前のこと好きだった、爆豪じゃないとダメなんだ。もしも爆豪が俺以外の奴を好きだったとしても俺は爆豪を奪ってでも自分のモンにしてぇ、それくらい、どうにもならない好きなんだ』
何非人道的なこと言っとんだとばかりに睨み付けると、爆豪だけには貪欲なんだとギラついた目で返してくるのはスゲェ狡ィ、俺だっていい加減応えたい。おそらく掌に書くのはダメ、口パクもダメ、言葉に準じる手段以外にはもうこれしか思いつかねェ、
俺は顔に熱が集まるのを自覚しながら轟の首の後ろに手を回し唇を近付けてそっと柔らかい轟のソレと重ね合わせた、
するとパチンと泡が弾ける音がして、ヒュッと喉に空気が通る。やっと言葉を取り戻した、そう思ったけれど、好きだという言葉を紡げたのはそれからたっぷりキスを仕返しされた後のこと、
『テメェの肺活量どうなっとんだ?!』
爆豪が熱烈なキスをするからなんて嘯く舐めプを睨み付けながら、俺はずっと言えなかった言葉を口にした。