告知事項あり物件 今日も疲れたと鍵を玄関に付けたマグネット付き小物入れへ置く。
靴を脱いでパチンとスイッチを押すとまだ白熱灯である電球のフィラメントがジジッと小さな音を立て周囲を照らした。
もともと備え付けの電球だったのでLED電球に変えても良かったのだが、なんだかんだで時代に追いつけていないこの電球に愛着が湧いてしまい変えられずにいる。
はあとため息を漏らしてローテーブルに突っ伏した。
木造二階建て。
風呂トイレ別。
見たことの無い海外メーカーながらもエアコン備え付け。
ワンルームだが十二畳もあるので持ち物の少ない俺には十分過ぎる広さ。
築二十年と新しくは無いがリフォームを繰り返して元々押し入れだった所がクローゼットになったり畳だったところがフローリングにと現代に合わせようと頑張っている。
更に家賃は相場の半額。
俺は今の部屋が気に入っている。
職場で夏太郎からは「流石に何かワケあり物件では」と訝しげられたが、俺は笑ってこう言った。
運良く良い物件に巡り会えただけだ、と。
ドンッドンッドンッ
深夜、天井からの物音で目を覚ます。
スマートフォンで時刻を確認すると深夜二時四分。
俺は抜けていたワイヤレスイヤフォンを耳に入れてスマートフォンを布団の端に置いた。
起きるには早すぎる時間。
中途半端に起きた日の仕事はいつもより疲れやすい。
はあとため息を吐いて寝返りを打つ。
イポㇷ゚テにお勧めしてもらったノイズキャンセリングバッチリなワイヤレスイヤフォンのお陰で俺の耳に入ってくるのはお気に入りの落語の音声のみ。
どのタイミングで何を言うかも覚えてしまった物なのだが、寝落ちしながら聞くには良い。
ああここであの台詞がと思いながら再び瞼を閉じた。
ピピピピ。
どこまで聞いていたか分からなくなった落語から規則正しい電子音に切り替わる。
いつもであればこの電子音が鳴る前に目を覚ますのだが、深夜に一度起きたせいだろう。
最近無かった目覚めの悪さに少しだけモヤモヤとしながらスマートフォンに手を伸ばして「停止」のボタンを押す。
午前四時。
また今日が始まる。
「ん、あぁ……」
布団の中で伸びをしてから布団を出た。
伸びをした際にポキッと何処かの関節が鳴ったのは寝相が悪かったのかそれとも煎餅布団が悪かったのか。
首も左右に動かすとまたゴキッと痛そうな音が鳴った。
実際に痛みは伴わなかったが、布団と枕の買い換えを検討した方が良いかもしれない。
ふわあと欠伸をしつつ洗面台に向かう。
パチンと洗面台に付いているスイッチを押すと時間差でパチパチと蛍光灯が点った。
明るくなった洗面台の前で目を擦りながら冷水の方の蛇口を捻る。
出てきた冷水に触れるとヒンヤリとして気持ちが良かった。
そのままバシャバシャと顔を洗う。
以前、夏太郎やイポㇷ゚テから「洗顔する時に水でバシャバシャするだけじゃなくて洗顔料で泡立ててその後に化粧水を」と色々言われたが、目を覚ますだけの行為に工程を増やすのは洒落臭い。
目の周りは念入りに洗って顔を上げる。
鏡にはびしょ濡れになった髭を剃る前の顔ともみ上げ、濡れないように分けたとはいえ少し湿った前髪。
そして、逆さに映る見知らぬ黒い服を着た女性の様な人。
長い黒髪を一つに束ねて後ろの方でお団子のにしているり
口元に黒子があり、真っ赤な口紅を塗った厚めの唇。
美人なのだが、何故か「女性」ではなく「女性の様な人」という言葉が頭に浮かぶ。
何かを言いたげにこちらを睨んでいるが、この人もちゃんと水だけではなく洗顔料をつけて化粧水までしてキッチリとしろと言いたいのだろうか。
振り返ってもこの人は居ないと知っているので無視をして横に掛けたタオルを取って顔を拭く。
そもそも振り返って本当に逆さまで顔色一つ変えずにこちらを見続ける人がいた方が怖い。
鏡には俺以外は居ないものとして髭剃りを開始する。
髭を剃り終わる頃にはいつの間にやら逆さまの人は居なくなっていた。
身なりが整うと消えてくれるらしい。
よく分からないが特に今のところ実害は無い。
ツルツルになった顎を触りながらキッチンへ向かう。
冷蔵庫に入れた食パンを一枚、それと牛乳を取り出しパタンと閉める。
いつものルーティン。
食パンはトースターへセットし、牛乳はシンクに干しっぱなしだったコップに注ぐ。
牛乳を入れ終わり顔を上げる。
キッチンは通路側にある為すりガラスが取り付けられている。
顔を上げれば必然的にそのすりガラスを目にする事になるのだが、明らかに誰か外に立っている。
坊主頭に何か耳の辺りに尖った器具を取り付けた影。
すりガラスとはいえ通常であれば肌色はちゃんと肌色で見えるはずなのだが、目の前に見えるのは真っ黒な影。
後ろ姿なのかこちらを向いているのかも分からない。
ただ立っている。
カンッ。
大きな音が部屋に響く。
何の音か分からないが通路に立っている男が鳴らした音だと何故かそう思ってしまった。
こちらも特に害は無いので気にせず牛乳を冷蔵庫へしまいに戻る。
カンッ。
もう一度あの音が鳴る。
振り返るともうあの人影はなくなっていた。
チンッ。
今度はトースターが鳴る。
何となくだがあの人はご飯時に現れることが多いので匂いに釣られてきてるんじゃないだろうか。
勝手な憶測だが我ながらいい線をいっているのではないかと思っている。
トースターから飛び出た焼けたトーストを皿へ移し蜂蜜を垂らす。
スプーンの後ろで塗り広げるとザリッと焼きたての食パンが削れる感触。
「美味しそうな匂いだな」
背後から声が聞こえてきた。
少し気の抜けた声。
驚きはしない。
いつもこうなのだ。
「今回の蜂蜜は実家から送ってもらったものだからな」
気にせず蜂蜜を塗り広げる。
「俺も食いてえな」
「そうか」
カタンとスプーンを皿の上に置く。
そのまま皿と牛乳を持って振り返る。
ロマンスグレーという色なのだろうか。
真ん中以外灰色な髪色で、真ん中だけ黒々としたソフトモヒカンみたいな髪型。
眠たそうな目と少し痩けた頬。
顎と無精髭を撫でながら中年男性がそこに居た。
「黙って俺が食べてるのでも見てろ、門倉」
ふんと鼻を鳴らしながら横を通り抜ける。
門倉と呼ばれた男は音もなく俺の後ろを着いてきた。
それもそのはず、門倉には足がない。
それどころか全体的に何となく透けてる。
どう見ても生きた人間ではない。
まあ生きた人間ではない物には既に起きてから二人出会っているのだが。
カタンとローテーブルに食器を置いて座ると門倉は当然の様に対面に座った。
足が無いのにどうやって座っているのか。
前にどう座っているのか覗いて見たがよく分からずその上「やだキラウㇱ君ったらエッチ!」と何故か胸を隠しながら言われたのにイラッとしたので深く追求しないことにした。
手と手を合わせる。
「いただきます」
別に言わなくてもいいのだが、小さい頃からの癖でつい言ってしまう。
「はいどうぞー」
門倉がドヤ顔で返事をする。
「門倉が作ったわけじゃないだろ」
ガリッとトーストを齧る。
ドロっとした蜂蜜だがしつこい甘さという訳でもなく口当たりが良い。
父の作る蜂蜜は今年も出来が良い。
「ちょっとは優しくしろよ。こっちは食べれないのを我慢してるんだから」
蜂蜜の味を堪能しているところに品を作ってくねくねとする門倉。
構って欲しいのだろう。
「食べれないだろ、門倉は」
「今食べれなくても味は覚えてるんだから仕方ないだろ」
自然と笑みがこぼれる。
一人暮らしの朝食ではありえない光景。
「お前全然怖がんねえし引越しも一向にしないから俺は他の奴らみたく脅かすのはもう飽きてきた」
頭を掻きながらお手上げだと言わんばかりに話しかけて来たのは半年程前。
最初は門倉と他の奴同様に喋らず黙って佇んで驚かそうとしていた中の一人に過ぎなかった。
門倉曰く殆どの奴は数ヶ月どころか数週間と持たず出ていく霊道のど真ん中の部屋がここらしい。
入居前に事前告知で「幽霊なんて信じないですよね」と顔を引き攣りながら言ってきた不動産屋を思い出し、そういう事だったのかと納得したのは記憶に新しい。
それから朝食と晩飯時は話し相手となった。
そうは言っても門倉の事はあまり分からない。
幽霊になると所々記憶が抜け落ちるのだそうだ。
門倉と話してわかったことは「門倉」という名前と好物がイカ、結婚していたが離婚して最期は独り身だったということくらい。
他の奴らと仲が良いのかと言えば、幽霊同士はあまり話はしないのだそうだ。
門倉とは最初の方こそ幽霊や門倉自身のことを色々聞いていたのだが、最近は基本的には雑談になっていた。
それこそ仲の良い友達と話すようなくだらない話。
「門倉はトーストには蜂蜜派か?」
「どうだったかな。でもバターの方がシンプルで良くないか?」
「バターなんて高級品だろ」
「馬鹿お前、食には拘った方がいいだろ」
今日もこんな調子。
チュンチュンと雀の声が聞こえてきた。
時刻は午前四時四十五分。
「ああ、もうそんな時間か」
門倉の透き通った体が更に薄くなっていく。
「朝日、早くなってきたな」
カーテンは開けない。
門倉と話す時間がカーテンを開けなければ伸びるんじゃないかと少しの悪足掻き。
そんなことあるわけないとわかっていても最近の習慣とっていた。
そもそも起きる時間は元々もっと遅かった。
夜だけでなく朝も門倉との話す時間があると知ってから早起きになったなんて門倉に言えず「朝ランニングをする事にした」と目覚ましを早めたのは三ヶ月程前。
ズズっと牛乳を飲み干す。
コトンと机にコップを置く頃には門倉は見えなくなっていた。
他の奴らも夜まではもう出てこない。
「さて」
パンと膝を叩き立ち上がる。
門倉に言ってしまった手前、日課になったランニングに行く為にジャージに着替える。
朝が早くなる夏は嫌いだ。
早く冬になれと思いながら家を出た。
本当にいい物件に恵まれたものだ。
***
「あーあ、可愛いね。俺なんかの為に早起きして」
にやにやと門倉が笑う。
「取り憑くのに遠回しすぎて、本当に性格悪いな」
都丹が嫌な物でも見る様に眉間に皺を寄せる。
「性格悪いだなんて人聞きが悪い。ただ欲しい物を確実に手に入れる準備が良いだけだ」
「もはや悪霊だな」
都丹は吐き捨てる様に返した。
「もっと身なりに気を遣うように言って欲しいところですわ」
家永はプクっと頬を膨らませて不満を露わにする。
「まあ俺好みなんでいいじゃないですか」
アパートを降りていくキラウㇱを眺めニヤリと門倉が笑う。
「もう少しでずっと一緒になれそうだな、キラウㇱ」