チョコと煙草 今日の喫煙タイムは初っ端面倒な奴と一緒になってしまった。
入社四年目の男は相も変わらず社内でバレンタインがない事をぐちぐち嘆いた。
最近手を出したというマッチングアプリも散々な結果だったらしい。
モテない男の最後の砦がだの義理でもなんでも貰ったという事実が重大だの聞くだけで情けない気持ちになる。
去年は俺が煙草あげただろと言っても「よく考えたらあれはチョコじゃないしおじさんから貰ったのでノーカンです」とか言いやがる。
煙草一本だってタダじゃねえんだぞとケチ臭い考えが過ぎり「じゃあ今年はやるもんねえな」とつい大人気ない事を言ってしまう。
「別に要りませんよ。俺が今欲しいのは女子からのチョコだけです」
より生意気な返答に空いた口が塞がらない。
一応俺お前の上司なんだが。
こいつを宇佐美の班に入れたのは間違いだったかもしれない。
たった一年でどんどん俺への態度がふてぶてしくなってきている。
宇佐美から学ぶ所はそこじゃねえだろ。
まさかとは思うが後輩へも俺の事を舐めてもいい上司とか言ってないだろうなと不安がよがった。
「どうにかして今日女の子からチョコ貰えないっすかね。あわよくばそのまま付き合えたりとか」
俺の事は気にかけることなく言葉を続けた。
それもかなりの夢物語。
寝言は寝て言え、そして俺に聞かせるな。
今時の奴らって皆こんなファンシーな脳みそをしているのだろうか。
思わず頭を抱え煙ではなくため息を吐いてしまった。
「お前、それ本気で言ってんのか?」
冗談であってくれと僅かな願いで聞く。
「門倉部長だってチョコ欲しいでしょ!」
俺の僅かな願いも虚しく大きな声で同調を求められてしまった。
目が本気だ。
今目の前のチョコに固執する男は仲間が欲しく仕方がないのだろう。
大の大人がたかがチョコでここまで哀れになるのか。
「いい大人がたった一日のチョコで喜んでたら情けないだろ。要らねえよ」
そう口にしたのとほぼ同時に喫煙室の扉が開けられる。
頭にタオル、紺色の作業着、特徴的なもみあげの男。
言わずもかなキラウㇱだ。
「こんな所にいたのか」
入って早々キラウㇱは俺ではなくチョコを欲しがる男を呼び止める。
「え、俺っすか?」
「会議の資料はまだかって宇佐美って人が探してたが大丈夫なのか」
「やっべ、渡すの忘れてました」
なんだか去年もこんなやり取りを見たような気がする。
チョコを気にする前に仕事はちゃんとしろ。
後輩だってお前の背中見て育つんだからチョコチョコ言ってないでしっかりしろよ。
バタバタと電子煙草をしまい喫煙室を慌ただしく出ていった。
キラウㇱはゆっくり俺の隣にやってきた。
ポケットから最近切り替えた電子煙草を取り出しテーブルに置く。
直ぐには吸わないのかテーブルに置いたままじっと俺を見つめてきた。
タオルで少し隠れているとは言え大きな瞳。
仕事場ではなければ両手で頬を掴んでじっと見つめ返してやりたい所だ。
「なんだよ」
出来るだけ冷静を装って問いかけてみる。
じっとこちらを見つめるキラウㇱの目は真っ直ぐで少しくすぐったさを感じる。
「門倉、チョコ要らないんだな」
「へ?」
予想外の言葉に思わず間抜けな声が出てしまう。
キラウㇱは漸く机に置いた電子煙草に煙草をセットしだした。
チョコ要らないって何の話だ。
「あ」
思い当たる話にたどり着くまでそうかからなかった。
「あいつ声でかいから外まで聞こえてた」
あの馬鹿と出ていったドアを睨みつける。
意味の無い行動と分かっていてもやらずにはいられなかった。
「まあ別に俺一人でチョコ食べても問題ないからな」
顔をキラウㇱの方に向けるとニヤリとイタズラっ子みたいに笑って煙草を咥えていた。
「義理は要らないけど本命は話が違うだろ」
はあと肩を落としてもう一本煙草を箱から取りだしトントンとすると、キラウㇱがクスクスと笑い出した。
「門倉はチョコよりキンキンに冷えたビールとイカの刺身の方が好きだろ」
ふうと美味そうに煙を吐き出す姿を見ていると俺もそろそろ電子煙草に移行するのも悪くないかなと思えてくる。
「チョコもビールもイカも全部くれたっていいだろ」
カチリとライターで火をつけニコチンを吸う。
「欲張りなジジイだ」
「欲張りだなんてお前も欲しいって言わないだけ謙虚だろ」
ニカッと笑うとキラウㇱは渋い顔をして煙たそうにふいっと顔を背けた。
「欲しいも何ももう」
言葉尻を濁すようにキラウㇱは電子煙草を咥えて黙ってしまう。
タオルから出た耳が赤くなってる事に気が付いているのだろうか。
最悪な煙草タイムも最後の最後に報われた気がした。
今日は残業せずに帰るか。
冷えたビールとイカの刺身とデザートにはチョコが待っている。