【巽要】なんて夢を見たㅤ目を覚ますと、そこは控え室のような場所だった。
ㅤ座った記憶のないソファから辺りを見渡せば、一面の大きな鏡に待ち時間に摘めるようスタッフが用意してくれたらしいお菓子の置かれたテーブル。
ㅤ自分たちは4人グループの筈なのに、対する椅子は2つだけ。しかも、一脚は既に人が座っている。
(────HiMERUさん?)
ㅤサラサラとした空色の髪は出会った頃のように記憶よりも少しだけ短い。見知らぬ衣装に身を包む体もどこが頼りなく見えて、巽は首を傾げてしまった。
ㅤ彼と共演の話などあっただろうか。記憶力には自信があるのに、何処を巡ってもそんな仕事を受けた覚えはない。
「HiMERUさん」
ㅤ悩んでいても仕方がない。
ㅤそう考えた巽は、取り敢えず目の前の人物に声を掛けた。
ㅤ背を向けていた彼はゆっくりと振り返り、巽の姿を認めると、嬉しそうにふわりと笑ってみせる。
ㅤその表情に言いようのない違和感を感じてしまったのは、近頃のHiMERUが近付けば威嚇する猫のように、巽に笑いかけてはくれなくなっていたせいだ。
ㅤ学園時代の彼が、確かに持っていたはずの無邪気さ。そういえばこんな顔で笑うのだったな、なんて巽も口許を緩ませれば、彼は満足そうに笑みを深めて立ち上がる。
ㅤその拍子にパイプ椅子がギィっと安っぽい音を立てたのに対し、彼の動作は軽やかだ。
「お久しぶりですね、巽先輩。何かぼくに言う事はありませんか」
ㅤ近付いてきた彼は、座っている巽の顔を覗き込むように腰を折る。
ㅤ先日ユニット同士で仕事が一緒だったから、久しぶりという形容はおかしいのだけど、何故かそこには触れてはいけない気がして、巽は『言う事』について考えた。
ㅤ近況報告はおかしいだろう。
ㅤユニットについても特筆する事がない。そういえば先日、彼の所属するユニットのリーダー、要するに巽のユニットのリーダーである一彩の兄である男から、唐突に「鈍感」と言われた話はしていなかった筈だが、おそらくHiMERUは関係ない。
ㅤならばこれくらいしかないか、と巽は少々眉尻を下げながら口を開いた。
「えぇと……髪を切りましたか?」
「切ってません」
ㅤまさかの即答である。
ㅤ確かに短くなったように感じたのだが、そうではなかったらしい。彼の目が据わってしまっている。
「君って優しそうな顔をして、案外薄情者ですよね」
「え、」
「一度も会いに来てくれないから、ぼくが来ちゃったじゃないですか」
ㅤむ、と頬を膨らませた幼さの残る仕草と「ぼく」という一人称。
ㅤそんな些細な部分に懐かしさを感じて自然と巽の表情が緩んでいく。しかしそれを見た彼は余計に眉間に皺を寄せてしまい、盛大にため息まで零された。
「ぼくの事なんて、忘れちゃいましたか?」
「HiMERUさん……」
「要です、十条要。君はやっぱりぼくの事を忘れてしまったのです」
ㅤあーあ、と呆れたような音に、寂しさを隠そうとする声。
ㅤ巽が跳ねるくらい勢いよくソファに座った要は、その言葉とは裏腹に巽の肩へ、ぴとりと頭をくっつけてくる。
ㅤ本当に、最近の彼とは似ても似つかない。
ㅤ要と触れあった部分はどうにも心地よくて、巽はこれが『半身』というものなのだろうか、なんて考えた。
ㅤ俗物的な欲望にはあまり縁がない質だが、今は明確に、この小さな陽だまりを離し難い。
ㅤというより、離してはいけない。そんな気さえして、巽は無性に要を抱きしめたくなった。
ㅤすると、そんな邪な感情が伝わってしまったのか、肩に乗っていた要の頭が離れ、金糸雀色の澄んだ瞳に、なんとも微妙な顔をした巽が映り込む。
ㅤ何か真面目な話でもしたいのか、何度か薄い唇を開いては閉じる事を繰り返した要は、なんだか雛鳥みたいで可愛らしかった。
「……巽先輩」
「はい、なんでしょう」
「ぼくは最期に君とステージに立ちたいのです。ステージに立って、歌って、踊って……あの日のぼくらがなりたかったカタチに一度だけでいいからなってみたいのです」
「要さん」
「ファンの歓声も、ペンライトの光もありませんけど」
ㅤやってくれますか、と。
ㅤ恐る恐る尋ねてくる小さな声に、心の奥底がじわりじわりと熱を帯びてくる。
ㅤその熱さに何も言えずにいれば、巽が渋っているとでも思ったのだろう。じわりと瞳を潤ませた要が、必死に言い募ってきた。
「君になって愛されるのがぼくの夢でした。でももういいのです、今日で最期にします」
「……」
「最期でも、だめ……ですか?」
ㅤ揺らめいた瞳が伏せられる。
ㅤまるで拒否されてしまうのが当たり前のような仕草は、巽が縦に首を振るまで諦めなかったあの頃が嘘みたいにしおらしい。
ㅤなんと返してやれば、いつものように向日葵のような明るい笑顔を見せてくれるのだろう。果たして、彼の願いに頷くだけでいいのか。
ㅤ要とステージに立つこと、それ自体は巽も望むことだ。しかし彼が『一度だけ』だとか『最期』と口にするから、どうしたって快諾出来そうにない。
ㅤ巽は暗闇を怖がるくらいに臆病な彼が怯えたりしないよう、ゆっくりと手を伸ばし、ぎゅう、と握りしめられていた手を取った。
ㅤ記憶の中では巽の手を暖めてくれた筈の要の手は、緊張のせいなのか酷く冷たい。
「今日は練習、という事にしませんか」
「練習、ですか?」
「えぇ、俺は昔のようには踊れなくなりましたし、君と合わせられるか分かりません……それに、」
ㅤそこで一度言葉を止めた巽は、やっと俯いていた顔を上げてくれた要とまっすぐに視線を合わせる。
ㅤなんとか笑って欲しい一心で微笑めば、柔らかそうな頬に朱が差して煌めいた瞳。
ㅤこの美しさを無観客のステージに立たせるなど、誰が出来るだろう。
「たくさんの人を呼びましょう。今の俺たちなら、金銭を積み、言葉を尽くさなくても、見に来てくれる人達がいます」
「……ぁ」
「そうして新たに出来た大切な人達に、俺たちのライブを見てほしい」
ㅤだから、最期だとか、歓声がないだなんて言わないでほしい。
ㅤそんな想いを込めてもう一度。巽にとって何よりも美しい人の手を恭しく持ち上げて、唇を押し付ける。
ㅤほとんど無意識の行動だった。単に、そうしたかっただけの、巽にとっては何気ないつもりのそれ。
ㅤしかし要は不貞腐れたようにムッと唇を尖らせる。
「……キザなのです」
「おや、お気に召しませんでしたか?」
「どうせまた忘れちゃうくせに」
「ぇ?」
「こちらの話なのです!」
ㅤべ、と舌を出した要は、しかし次の瞬間には二パッと巽が見たかった顔をしてくれる。
ㅤふりふりと巽の手を振り払った要は、何かを誤魔化すように咳払いをして、ソファの上に膝立ちになると、両手を広げて巽に抱きついた。
ㅤそれから、安堵したように身体の力を抜き、巽に体重を預けると、擽ったく溶けた声で囁いた。
「仕方ないのでもう少しだけ待っててあげます」
ㅤ柔らかな暖かさに包まれて、巽の方からも要を抱きしめる。
ㅤ巽よりも一回り小さな要は、すっぽりと収まりよく腕の中の隙間を埋めてくれるよう。
ㅤ暫くすると耳元で小さく唸った要がパタパタと足を動かして逃げようとしたから、巽は思わず抱きしめる腕に力を込めてしまった。
□□□
ㅤパチリ。
ㅤ目を覚ますとそこは寮の談話室だった。
ㅤ付けっぱなしだったらしい大きなテレビには、丁度良くライブ映像が流れていて、挑発的に細められた蜂蜜色の瞳と視線が絡む。
ㅤ動きに合わせて靡いた水色の髪は肩より少し短かいところで揺れていて、どうしようもない違和感に瞬きを一つ。
「髪……伸びましたな」
ㅤ無意識にそんな言葉がこぼれ落ちても、聞く人は誰も居なかった。