顔を洗いに向かった洗面所には、先客がいた。昨晩恋人と早々に自室に消えた兄弟だ。白い首筋を晒して、のんびりと歯を磨いている彼の隣に、静かに立った。
「おふぁよ」
「おはよシュウ。昨晩はどうだった?」
「どうって…?」
歯磨きを済ませたシュウはとりあえずうがいをし、怪しむような顔で俺を見た。
いやいや、そんなわかんないなんて顔しなくても。恋人同士が同居人との会話もそこそこに部屋に籠るって、それはもう、やることは一つでしょう。って、昨晩も散々ヴォックスとアイクと酒を入れて盛り上がった。
「したんだろ?」
「し、し、あでゅでゅでゅ」
「セックス」
「………」
右上、左上、左下、右下。目ん玉をぐるっと一周まわして、ぱくぱく口を動かして、わかりやすく動揺したシュウは、フリーズしたみたいに動かなくなった。
その態度に粗方彼らの事情を察して、シュウの両腕を掴んだ。
「ルカは?!」
「ら、ランニングじゃない?起きたらいなかったし…」
「ヴォックスとアイクは?!」
「いるぞ。アイクは自室に」
「集合だ!早く呼んできて!」
そう言ってヴォックスにアイクを呼びに行かせ、俺はシュウを連れてリビングへ向かった。しばらくして二人が戻ってくる。
四人でリビングテーブルを囲んで、緊急会議を開催する。
「大事な話がある」
「そんな大事でもないでしょ。ていうか大事にしないでほしいんだけど」
「言ってみろミスタ」
「おう。実はコイツら」
シュウを親指で指差して、一呼吸置いた。
「…まだヤッてなかった」
ヴォックスが勢いよく立ち上がって、椅子を転がした。アイクは黙ってそれを元の位置に戻して、自分も席についた。
しばらくの沈黙のあと、ヴォックスが席につく。そして、ゆっくりと口を開いた。
「お前たち、もう付き合い出してどれくらいだ」
「三ヶ月くらいかな」
「えっあの…ねえシュウ、一緒に寝てるのにしないの?」
「そういう関係はダメなの?」
「ダメじゃないけど、え?したくなんねえの?」
「………」
シュウは唇を尖らせた。したくないわけではないらしい。兄弟がもう枯れてるのかと焦ったけれど、杞憂で済んでよかった。
ふむ、とヴォックスが顎に指を添える。考える時の癖だ。完全に面白がってるけど。アイクはどこまで話を突っ込んでいいものかといった顔で眼鏡の位置を直している。
「したくないわけじゃないんだな」
「………」
「シュウ」
「………仮に僕はそうだとしても、ルカがどう思ってるかわかんないよ」
「男が考えていることなんて大体同じさ。お前もわかるだろう」
シュウはバツが悪そうに視線を玄関へ続く扉へ移した。ルカのことを考えているんだろう。シュウは難しいことを考えているようでいて、とてもわかりやすく感情が表に出るときもある。恋愛ごとに関しては、特にわかりやすく。
アイクも同じことを思っていたようで、彼の表情はすこし柔らかくなっているように思えた。ヴォックスも同じだ。
和やかな雰囲気が流れたところで、けれどこれでめでたしめでたしになるわけではない。目標はセックスなんだから。
「で、どうやってセックスに持ち込むかだわ」
「おろろろろ」
「簡単だよシュウ。ルカの手を握って、『今晩どう?』って言うんだ」
最初に案を出したのはアイクだ。手本とばかりに、隣に座るヴォックスの手を握って、彼の目を見つめて言った。(ヴォックスはもちろん、と微笑んだけど、その瞬間アイクに手を離されていた)
でもその案には問題があるように思えた。
「相手はルカだぞ?シュウとルカは何回同じ部屋で寝てる?そんな遠回しな言い方したって、『いいよ!何のゲームする?』って返ってくるのがオチだ!」
「確かに、想像に難くない」
「ううん…言われてみればそうかも」
振り出しに戻る。シュウもなんとなく俺たちの空気に馴染んでしまって、次の案を待っていた。
「じゃあもうちょっと直接的に行こう。『そろそろセックスしよう』」
「あばばばばば」
「シュウにそれが言えたら苦労しないよ」
「アイクの言う通りだな」
却下されてしまった。まあ確かにそりゃそうだ。うーん、とまた腕組みをした俺とアイクを尻目に、ヴォックスはフンと鼻で笑った。
「簡単だ。ルカを欲情させてやればいい」
「は?」
思わず声が出た。どうやって、と言う間もなく、ヴォックスはシュウの手を引いて立ち上がらせた。まじまじとシュウを見て、ふむと考える。
今日のシュウの服はいつもの前あきパーカー(いつも通り前は全部閉めている)に短パン、レギンスだ。ザ・部屋着。基本的に肌を露出しないシュウに、何も欲情するところなんてない。と思っていたのに。
ヴォックスは黙ってシュウのパーカーのジッパーを下げた。出てきたのは気持ち緩めのタンクトップ。されるがままのシュウをいいことに、片方の肩からパーカーを抜き、リビングテーブルに肘をつかせた。
「うんうん、いいぞ」
前からヴォックスが眺める。乳首が見えてるけど、そういうこと?シュウは何も分かっていない様子で、頭にハテナを浮かべている。こいつはつくづく、こういう話題に疎いのだと再認識させられる。
「シュウは腰のラインも綺麗だからな、ここを捲って…爪先立ちをしてみろ。ほら、腰を持ち上げる感じで」
ヴォックスの手のひらがシュウの背中に触れた。パーカーが捲れて、シュウの細い腰が露わになる。そのまま逆の手でシュウの腰をくいと持ち上げる。つんと尻を突き出したシュウは、なるほど少しは扇情的に見えた。
いいじゃん、と言おうと口を開いたその時、扉の方からバサバサと大きな音がした。そちらに目をやると、ルカが買い物袋を床に落として立ち尽くしていた。
「………」
「………」
「………」
「あぁルカ、おかえり。荷物落ちたよ」
重い沈黙が流れる。シュウだけいつものマイペースさで、この鈍感男にしてマイペース男ありって感じだ。
ルカはさすがに少し怒ったようで、ぴりついた雰囲気でヴォックスに近寄る。わかるよ、だって体勢的にはほぼバックだもんな。シュウ、はだけてるし。ヴォックスはニヤニヤしてるし。
ルカはいまいち状況が理解できていないようなシュウの腕を引き、ヴォックスから距離を取らせた。ルカの腕の中に収まって初めて何かがおかしいと理解したシュウは(本当にしてんのか怪しいけど)、少し変な顔をしている。
「シュウは俺のだよ。手出しするなら、ヴォックスにだって怒るからね」
「へ、るか」
「シュウもシュウだよ!あんなに引っ付いて平気な顔して!」
「あわわ、ちょ、みすた」
「今オレと話してるでしょ!」
怒った大型犬はシュウの手を引いて階段をあがっていった。自室に連れ込んで話し合いをするのだろう。そのままヤッちゃってもいいんだけど。
ヴォックスとアイクの方を向くと、二人とも穏やかな笑みを浮かべていた。わかるけど。シュウに必死なルカ、珍しくて可愛かったし。
解決になったのかはわからないけど(どうなったのか結局教えてもらえなかったし)(多分したんだろうと俺たちは踏んでるけど)、俺たちは少しいい気分で昼食にありついた。