今日こそは私から……!
と、カルデアの廊下の角で意気込んでいるのはエレシュキガル。誰かを探すようにキョロキョロ、そわそわとして、その様子を何人も目撃しているが気にする者はいない。彼女の行動として、これは今に始まったことではないのだ。
あれ、おかしいわ。いつもだったらとっくに会ってるはずなのに
もしかしてマスターに呼ばれちゃった?
……それなら仕方ないとその場を離れようと、気を緩めたときだ。
「はよーっす! 嬢ちゃん」
「ひゃあぁあ!!」
背後から声をかけた男が勢いよくエレシュキガルへ抱きついた。悲鳴を上げて驚くが嫌悪感は抱かない。なぜなら相手は、
「〜〜もう、キャスター! ひどいのだわ」
「ははっ。可愛い背中を見つけちまったからな」
キャスターのクーフーリン。二人は絶賛お熱い仲というやつである。
「私から挨拶して驚かせたかったのに……」
どうしていつもこうなるのだろう。自身の不甲斐なさに俯き、顔覆ってため息をつく。そんな彼女の頭をキャスターは優しく撫でる。
「そうしょぼくれなさんなって。食堂行って美味いもんでも食おうぜ。今日はたしかあの赤い弓兵のフレンチトーストが出るんだっけか」
「ふれんちとーすと!?」
って何かしら! と、キャスターの美味しいニュースに一瞬で顔を上げて目を輝かせる。エレシュキガルはアーチャーのエミヤが作る料理に目がない(ここのカルデアでにいる大半がそうであるが)。目を輝かせてキャスターを見つめると、にこりと笑い返してくれた。すると慣れた手つきでエレシュキガルの手を取り、そのまま食堂まで連れて行った。
◇
食堂に着くやいなやキャスターはすぐに席を確保。エレシュキガルにフレンチトーストの受け取り方をしっかりレクチャーし、見送った。こういった大勢がいる場所に慣れていないエレシュキガルにとって、キャスターのエスコートっぷりは頼もしいことこの上ない。席取りに関してもマスターの目の前という好ポジション。彼女が一番慣れ親しんでいる相手だ。
少しでも食事を純粋に楽しんでほしいという計らいなのだろう。この男……出来る——と、食堂からの一部始終を見ていたマスターは思うのだった。
ほどなくして、無事に注文を済ませたエレシュキガルが帰って来た。隣の席のキャスターが既に椅子を引いて待ち構えている。お礼を言っていそいそと座り、上機嫌で手を合わせ、さっそく一口ぱくり。味わって食べるエレシュキガルの目元は緩んでおり、彼女を見つめるキャスターもご機嫌だ。
「うまいか?」
「ええ、とっても」
軽快に一口大に切ったトーストを、横に添られた甘さ控えめなクリームにつけて二口目。今まで味わったことのない幸せな甘味が口いっぱいに広がる。
ふと、エレシュキガルは思い出す。やりたかったことのチャンス再来ではないかと。
先程と同じように食べやすいサイズにしてクリームもつけ、フォークに刺す。……ところまできて、手が止まってしまう。正確には小刻みにプルプル震えている。
(どうしよう自然にって……えっどうしたら???)
「あのっキャス、」
「お、口元ついてるぜ」
いつの間にやらエレシュキガルがくっつけていたクリームを、キャスターは人差し指で撫で掬うとそのままペロリと舐めた。あまりにも自然に。
「〜〜!!?」
「ひ、ひぇ……」
これには目の前で見ていたマスターもつられて声を漏らし、赤くなる。そして、マスターに見られていたというのを自覚したエレシュキガルもまた、負けないくらい赤面した。
「ほんと仲いいね……でもここ一応食堂だからさ」
「何言ってんだ。こんな可愛い彼女いたら、いちゃいちゃしねぇ方がもったいねぇだろ」
この言葉が完全にトドメだった。もう何も言えなくなってしかったエレシュキガルは文字通り丸まってしまう。その彼女の頭をキャスターはヨシヨシと撫でる。追い打ちすぎる。
「そうだ。今日、半日でいいから俺らにオフくれよ。マスター」
「あー……」
エレシュキガルは愛のデバフにかかって完全にダウン中、その隣のキャスターは笑っているが圧がある。
怖い。無理やろこんなん。どこから考えてたんだ。この男、策士すぎる。キャスターと長い付き合いであるマスターは、なんだかんだこの男には逆らえない。
「うん。大丈夫です」
キャスターはだよな、という表情でお礼を言う。早々にエレシュキガルを抱えて、律儀にも残りのフレンチトーストかっくらってから去って行った。
◇
エレシュキガルを抱えたキャスターが入っていった部屋は彼女の部屋だ。顔を真っ赤にして縮こまる彼女をそのままベッドへと降ろして、その横に腰をかける。
「お〜い嬢ちゃん?」
キャスターが呼びかけるが丸まったまま返事がない。
「怒ってる……ってわけじゃないよな?」
少し心配になって聞いてみれば頭を縦に振って答えてくれた。
「ごめんな。まさかそんな恥ずかしがるなんて思わなくてよ。嬢ちゃんがかわいいから調子乗っちまった」
「……ううん。キャスターは何も悪くないのだわ。私が変な意地を張ってたというか、その……」
言葉に詰まった様子のエレシュキガル。もぞもぞと手足を恥ずかしそうに動かした末に、意を決して起き上がり、キャスターと向き合う。
「いつもキャスターからいろいろ、してもらってばかりで、私、悔しくて……」
涙目で赤面しながらそんなことを言うので、だろうな、と合点がいくと同時にキャスターの心臓は鷲摑みにされる。内心、彼女の健気な発言にそれはもうお祭り騒ぎ。だが、そんなことを微塵も感じさせない、いつも通りの涼しい顔で笑う。
「それだったら簡単に喜ばせる方法があるんだが」
「えっなに」
「嬢ちゃんからキスのおねだりが欲しい」
サラッと言ってのけたがキャスターにとって少し攻めた台詞だった。しかし言うなら今が好機だろう。普段なら超絶恥ずかしがって無理を連発するに違いないが、今日の彼女はやる気があるのだ。
「おねだりって……う、嬉しいの?」
(よし、かかった)
「おう。めっちゃくちゃ嬉しい」
いかにも害がない、下心など皆無の笑顔で答えるキャスター。だがこの男、必死なのである。全てはエレシュキガルに嫌われないため。丹念に入念に下ごしらえをする。
当のエレシュキガルはあうあうと狼狽えていた。視線を部屋の隅やら目下のベッドと彷徨わせ、口がはくはくと軽く痙攣している。
やっぱりまだ酷な願いだっただろうか。
キャスターの手がエレシュキガルへ伸ばされる。が、触れる前より先に彼女がその手を取ってしっかりと指を絡めた。エレシュキガルの顔はもう真っ赤っかで染まりきっており、潤んだ瞳をぎゅっとつむったかと思えば、小さな花びらのような口でぽそっと零したのだ。
「……キス、して」
気がつけば、繋いだ手を引いてエレシュキガルを己の胸へと寄せていた。これは確実にクソ早心音を聞かれている。いや、その程度のことはどうでもいい。きっとエレシュキガルは「もしかして聞こえてなかったんじゃ……どうしよう、どうしよう!」と思っていることだろう。まずい。早くキスをしてやらねば。いや違う。語弊がある。早く、キスをしたい。
「きゃす、——!」
名を呼ぼうと見上げたその隙を突いて、キャスターはエレシュキガルの口を塞ぐ形でキスをした。逃げられないように、絡みあった手をさらに強く握り、空いた手は彼女の後頭部を支えるようにして添える。
そのまま角度を変えながら長い長いキスをする。可愛らしいぐぐもった声が漏れる度に舌を突っ込みたい気持ちに何度も駆られるが、エレシュキガルの空いた手がキャスターの服の胸元を必死にしがみつくのを感じ、煩悩を打ち消される。こういったことに慣れてもらいたいが、酷いことはしたくない。
これ以上我慢が効かなくなる前にと、キャスターから口を離した。
「っは、大丈夫か?」
「う、ん……キャスターは?」
「俺はそりゃあ……ん?」
エレシュキガルからの質問が腑に落ちない。いつもより長めのキスをして思考がおかしくなってしまったのだろうか。
「え、と。本当に嬉しかった?」
首を傾げて尋ねられる。
キスの後、開口一番に気にしていたのは自分のおねだりでキャスターがどう思ったか。まさか先程のキスで伝わっていないとは。落胆せざるを得ない。いんや、違う。エレシュキガルマスター(この場合のマスターは知り尽くしてる方を指す)は気づく。
(嬢ちゃんが今欲しいのは——)
「嬉しかったぜ。ありがとうな」
そう伝えればエレシュキガルは安心しきった表情で笑った。この笑った顔がキャスターにとっても至上の喜びである。
◇
部屋でまったり本を読んだり、談笑していれば約束の半日はあっという間だった。このまま召集がかからなければ、どこに行くこともなく各自部屋で過ごして、それで終いだ。
「それじゃまた明日」
「ええ、また明日」
名残惜しいが今日はお別れ。いずれ帰らず朝までコースに行きつける仲になりたいとキャスターは密かに再度、目標を胸に刻みつける。いやしかし、今日も確実に彼女との仲をまた一歩進められた。ホクホクのウキウキである。
また明日会えるのが楽しみだ、と浮かれた気持ちで部屋を出た——のだが、急に後ろに腕を引っ張られ、体が傾いた。その刹那、頬に小鳥の囀りのようなリップ音がする。それが何なのか認識する前に引っ張られた腕を離され、拍子によろめいた足が部屋から出ていた。
「〜〜!! それじゃあね! キャスター!!」
バン!と、勢いでエレシュキガルに扉を閉め切られた。自動扉のはずだが自力で無理矢理閉めたのだろう。(もしかしたら壊れてしまっているかもしれない……)。
扉を閉めた張本人はうずくまって絶賛一人反省会を繰り広げていることだろう。
そして、一発かまされた頬をおさえたまま、キャスターは立ちつくしていた。何人ものサーヴァントが横を通るが決して話しかけない。面倒くさそうだからだ。と、そこにランサーのクーフーリンが通り、首を突っ込む。
「んだテメェまさかケンカでもしたのか? ざまぁ! ……ぅわ顔キモ」
即、覚醒したキャスターにランサーは殴られた。その場に居合わせた者は皆、関わらなくて良かったと心から思った。