若きオシリスの悩み オシリスside
最近セトが冷たい。
一体どうしたものか。俺のかわいい弟セトは、ついこの間まで口を開けば「兄様兄様」と俺を慕い、誰から見ても俺のこと大好き!だったはずだ。
これが成長なのか? これが成長ならば俺ははじめからセトに成長を望まなかった。健やかに大きく立派になれと願い続けていた俺が間違っていたのだろうか。
いや、セトが成長によってこうなると分かっていたとしても俺はセトの成長を望んだだろう。それがセトにとっていかに必要なことかを知っているから。
それにしても寂しい。心にぽっかり穴が空いてしまったような感覚だ。
この穴を埋めるモノ……。結局俺にはセトしかいない。セトにしかこの穴は埋めれない。
どうすればいいのか俺なりに考えた。
セトにとびっきり優しくしたり、花をプレゼントしたりしてみたが、あまり結果は芳しくなく、俺を見るセトの表情を思い出す度胸を締め付けられる。
俺のことを大好きだったセトはどこにいってしまったんだ。
俺はセトのことで悩み、昼夜ひとり物思いに耽ることが多くなった。元々瞑想好きなのもあって、俺の変化に気付く者はほとんどいなかったかもしれない。
あの神を除いて。
ある月の夜は、俺は自室の腰掛けでセトに思いを馳せていた。
「……セト」
そう呟いたとき、テーブルに置いた俺の手にそっと何かが触れた。
ハッとしてテーブルの向かい側を見ると、会いたくないあの神がにっこり笑って、俺の手に手を重ねていた。
「セクメト。急に出てくるのはやめてくれませんか?見て分かると思いますが、今は俺のプライベートな時間なんですが」
「やーん、そんなつれないこと言わないで、あたしは呼ばれたんだよ?あんた、オシリスに。そんな悩めるオシリスくんにアドバイスしてあげようと思ってるんだけど聞きたくなぁい?」
「あなたのアドバイスを聞いて、良かったと思ったことがこれまでにありません」
「失礼な子ねぇ!まぁ一切可愛げがないところがあんたのかわいいところだもんねえ。ところでオシリスくんは今回はいったい何があったのかなぁ?」
「……」
「お姉ちゃんに言いたくないの?」
「……俺が言わなくても、分かってますよね?」
セクメトはにっこり笑った。
「あたしは厄災だから、他の誰より感情というものに敏感なの。あんたの悲しみ、寂しさ全てがあたしの糧になる。だからあんたの感情は手に取るように分かるよ。その原因が【セト】なこともね。でもあんたの口から聞きたいから聞いたの」
正直なところ、俺はセクメトが苦手だ。俺のことなど一切言いたくないが、セクメトの言う通り、セクメトは俺のこの悩みを分かってて姿を表したのだろう。
結局、隠すことなどできないだろうし、俺が言うことを拒否すれば、俺の口から言わせるために精神攻撃をしてくるだろう。
セクメトはそういう神だ。
ならば、早いところ言ってしまった方が良いと俺は判断した。
「…………最近セトが冷たい」
セクメトの口角がグンッと上がる。
「そっかぁ、それでオシリスくんの感情が今荒れてる訳ね?教えてくれてありがとう」
分かっていたくせに白々しいやつだ。
「セトちゃんのことで悩めるかわいそうなオシリスくんにお姉ちゃんがアドバイスをあげよう」
***
「オシリス、これはなんのつもりだ」
セトの目の前にはテーブルいっぱいに広げられたご馳走の数々が並んでいる。全て俺がセトのために作ったものだ。
今まで料理などした事のない俺は、夜な夜な料理を得意とする神官に指導を仰ぎ、初心者ながらにまずまずの物ができたと思う。
よく見ると少し失敗している物もあるが、概ねよく出来ていると思う。
「あぁ、セト。待っていたぞ。早くこっちへ来なさい」
「……てめぇ、俺の質問に答えろ。何のつもりだって聞いてんだよ」
セトの表情は相変わらず冷たい。セトの大好物のレタスを使って色々作ってみたのだが……。俺は負けじとセトに畳み掛ける。
「美味しそうだろう。全てセトのために拵えたんだ。たまには趣向を変えようかと思ってね。慣れないことをしてみたもんだから完璧ではないかもしれないが……きっとお前の口に合うはずだ」
「………………なんでそんな」
セトの表情が一瞬、悲しげな表情となるのを俺は見逃さなかった。
その表情は一瞬にして消え、セトはまた冷たい表情になった。
そして今度は手を皿に近付けて指でつまみ上げた。
「これだけいただく。あんまり食うことは好きじゃない」
セトは皿に添えてあったレタスだけをひと口食べて、俺が丹精込めて作った料理のほとんどに目もくれず部屋から出て行ってしまった。
俺は残された料理をひとりで食べ、さっき垣間見えたセトの表情を思い出しながら、その意味を考え続けた。
セトside
俺はある日夢を見た。
俺のために全てを犠牲にする兄オシリスが、俺のせいで傷付きボロボロになり、最終的に消えてしまう夢だ。
俺はオシリスに愛されることが当たり前すぎて、甘えすぎていたのかもしれない。
オシリスも俺だけのために全てを犠牲にするのではなく、自分自身も大切にするべきだ。
俺は守られてるだけじゃダメで、オシリスを守っていかなければならない。
俺はその夢を見た日からオシリスに甘えることをやめた。
不器用な俺は急に変わった自分の態度で、オシリスを傷付けていることを分かっていた。
オシリスを傷付けていたとしても、俺はこれを成し遂げなければならない。オシリスから嫌われるくらいが丁度良い。むしろ俺を嫌ってほしい。
俺はオシリスが消えてしまう恐怖をもう二度と味わいたくはない。そのためには変わらなければ。あの妙にリアルなあの夢を現実にしないように。
俺があの夢を見てからしばらく経ったあの日、セクメトが突然俺の元に現れた。
「セ・ト・ちゃん来たよ〜。お姉ちゃんに会いたかった?」
「セクメト」
「セトちゃん?悪夢を見たんだって?」
「うるせぇ」
「アハッ、うるさいなんて言わないでよ〜。セトちゃんが見た夢、当ててあげようか?…………『オシリスが消える夢』でしょ?」
こいつ……。
もしかして、あの悪夢はセクメトの仕業なのか?俺の精神を乱すために?
俺には未来を視る力はない。でもあの夢は夢にしてはリアルすぎて、胸騒ぎがした。
「オシリスはオシリスで、セトちゃんの気持ち知らないからなんか色々やってるよ。今度はお料理だってさあ。笑っちゃうね? まぁあたしがアドバイスしてあげたんだけどね。心を掴むなら胃袋からって言うよ、やってみたら?って。アイツ料理なんてやった事ないから皆が寝静まってから神官に教えてもらってんの。かわいそうに、そんなことではセトは戻って来ないのにねぇ」
料理をするオシリスが面白いのか、ずっと笑い続けているセクメト。
「あいつ、私の事嫌いで、アドバイスなんて聞きません。って顔しながら、良い子に実行してみてるんだよ。そういうところかわいいよね」
ひとりで喋り続けているセクメトを無視して、俺は聞いた。
「お前があの夢を見せたのか?」
「ん〜?どうだろうねぇ?」
「てめぇ!」
俺はふざけて答えたセクメトの胸ぐらを掴む。セクメトは笑ったまま俺に顔を近付ける。
「セト、オシリスを助けたいんだろう?オシリスを助けられるのは、セトだけだよ」
「あの夢は予知夢なのか?」
「さあね?」
あの夢がもし予知夢なら、やはり俺がどうにかしなければ。
オシリスの運命を変えられるのは俺しかいないことなんてセクメトに言われなくても充分に分かってる。
あいつは生まれたときから俺のためだけに生きてきた。俺はオシリスに生き続けて欲しいし、オシリスはオシリスのために生きてほしい。俺はオシリスを守りたい。
「……セクメト、俺の心の一部を消して欲しい。って言ったらできるか?」
オシリスを想うこの心が消えれば……。大切なオシリスを傷付けて、俺を嫌ってもらいたいなんて、実際俺もつらくてたまらない。
「あら珍しいねセトちゃんがあたしに頼み事?かわいいセトちゃんの頼み事叶えてあげたいの山々だけど、残念ながらそれは私にはできないね。ハトホルか、もしくはあの鏡ならセトちゃんの希望が叶うかもよ」
「鏡?」
鏡とはなんだ?何のことだ?ハトホルに頼む選択肢はないとして、鏡の話なんて聞いたことがない。
「そう。鏡」
「詳しく教えてくれ」
俺がそう言ったときのセクメトの笑った顔が、不穏に見えたのは気のせいか、そうでないのか。その時の俺はまだ分かっていなかった。
おわり