ロゼミ・ラブロックのティーパーティ 地下寮のひとつである穴熊寮、談話室。人もまばらな就寝前の僅かばかりの時間で集う人影は、皆すぐにでもベッドで横になることのできるラフな格好だ。
自習をする者、寝る前の柔軟に勤しむ者、歓談に花を咲かせる者など、全寮の中でも慎ましやかな造りの空間で各々過ごしている。
その中の一角、暖炉の傍のソファに集まる四人は他の者とはどこか異なる面持ちをしていた。まるで試合前のような張り詰めた空気が漂っているが、実際に鼻腔を通るのは薔薇の芳香だった。
四人の中で唯一立っている桃色の髪の生徒、ロゼミ・ラブロックの両手に収まるポットから、予め用意されていたティーカップへと液体が注がれていく。濃い紅に色づいた液体は光に当てると黄金にも見え、カップの中で揺らめくと暖炉の火を柔く反射した。
ロゼミが眼前に座る三人の前へそれぞれ淹れたばかりの紅茶を置けば、三人は互いに顔を見合わせてからカップを手に取った。
三者三様にゆっくりとカップに口付けて黄金を一口含み、そんな三人の様子を紅茶を淹れた張本人は固唾を呑んで見守っている。いまだ両手で包んでいるポットの中身は空だが、彼女が手を離すことはなかった。
「ど、どうかしら」
どもり気味のロゼミの問いかけに、まず最初に応答したのは彼女から見て目の前に座っていたキョウである。
「──味が無い」
モゴモゴと口を動かし、不可思議な感覚だとでもいうように舌を出したキョウを見、ロゼミはガックリと肩を落とす。とても良い香りがしたので今回ばかりは成功しただろうと思ったのだが、どうやら失敗のようだった。
申し訳なさそうに苦笑いをしている残りの二人――レンとマリアもキョウと同意見らしい。
「香りはすっごく良いよ、ロゼミ!」
「うん。前みたいに無味無臭の色の付いた水じゃなくなってる」
「わたくしは今褒められてるのよね、そうよね?」
一口どうぞ、とマリアから手渡された紅茶を頂くと、ロゼミはほうと息を吐いた。
「……美味しくない!」
決して不味くはない。しかし、べらぼうに美味しくもない味だ。香りはまさに薔薇のそれだが、味は渋みの強い何かでしかなかった。茶菓子として授業後に作った手製のクッキーはなかなかの出来だというのに、淹れた紅茶はそうも言えないのが悲しい。
「いったい何が悪いと言うのかしら」
む、という効果音がつくことを彷彿とさせるような表情を浮かべる本人を見、レンは疑問を口にする。
「そもそも、どうしてロゼミは自分で淹れたがるんだ? 魔法の方が楽だし、食堂に行けばいくらでも飲めるのに」
レンは渋いだけの紅茶とも言えない茶色い水をちみちみ飲みつつ、魔法使いとして至極当然の疑問をぶつけただけなのだが、ロゼミは視線を逸らしてその話題を避けようとした。既に数度ロゼミの淹れた紅茶の試飲に付き合わされている寮生として、キョウも追い討ちをかけていく。
「マグルでも無いのにわざわざ面倒な方法取る意味なんか無いだろ。ミスタだってちゃんとした紅茶の淹れ方は高級店しかしないって言ってたぞ」
ミスタの名を聞き思い出したのか、マリアも肯定するように相槌を打った。
「ヴォックスも普段はマグカップで淹れちゃうって言ってたよ」
ミスタはロゼミ達と同寮のマグルであり、手ずから淹れる紅茶をこの学校で一番知っている人物だろう。獅子寮であり首席でもあるヴォックスは、いわゆる魔法使いとして純血家系の英国貴族の子息だ。
そんな彼等でも常日頃から淹れないと言っているのに、ロゼミが拘る必要性が分からないと言いたいらしい。
何度も付き合わされているんだからそれくらい教えてくれよという無言の何かが見え、ロゼミは目を逸らしたままぽそりと呟く。
「趣味が欲しくて」
「趣味? オマエ趣味多いじゃん。この前ヴェールとカードゲームしてただろ」
「あれは趣味じゃなくて人生」
「コエーよ。言語学習とかは? ラテン語とかもいけるって聞いたぞ」
「それは勉強……」
ロゼミの煮え切らない返答に彼女の答えたくないという意思を感じたのか、気を利かせたキョウがそれ以上何かを追求することはなかった。
クッキーと一緒なら苦くても一応平気だと三人とも慰めてくれ、良い後輩達を持ったなと思いつつも不完全燃焼で眠りについた翌日、ロゼミはふと思いつく。
「お茶って魔法薬学みたいなものだと思うのよ!」
「だからって薬鍋で煮込む馬鹿が居ると思う? あ、目の前に居るわ」
間髪入れず返された言葉で、ロゼミは今しがた立ち上がった椅子へと再度腰を落ち着けた。あたりから漂う香りは昨夜の談話室と打って変わり、薬品と薬草の匂いで満ち満ちている。
(中略)
薬草学に傾倒している者はこの薔薇園を知っているが、逆を言えばこの薔薇を大半の生徒は知らない。せっかくなら一年以上かけて丁寧に造り上げたこの庭園をもっと見てほしいと考えたロゼミが思いついたのは、この庭でティーパーティをすることだった。
以前マグルの話を聞いた際、アフタヌーンティという文化が英国には存在する事を聞いたのである。ずっと魔法界で暮らしているロゼミには縁の無い文化だったが、どうやらそれなりに歴史の長い文化らしい。今では本国よりも日本で流行っているらしいのだが、それを知ったのもルカとアルバーンの親戚がマホウトコロに入学して以来彼等と文通をしているおかげだった。
日本にルーツがあるといえばコトカとメロコだが、コトカは料理が壊滅的だったため上手い事聞けず、メロコも学校に入る前は箱入りのお嬢様だったようで詳しくはないらしい。
魔法で再現する事はおそらく出来るけれど、それでは味気ない。どうせなら自身の力のみで出来た上で魔法を構築したい。勤勉な性格が裏目に出ている気もするが、ロゼミ本人はいたって真剣だった。
ざくざくと土の足りない部分に土を盛り、日当たりの悪い薔薇の苗をより良い場所へ移動させ、無心で手を動かしていると心も凪いでくる。こんなこと普段なら魔法で動かしてしまうが、心に靄がある時は手作業の方がよほど落ち着くのだった。
「なーんて顔してんのよ、ロゼミ」
地面にローブの裾がつくこともお構いなしに作業をしていた彼女の前に人影がひとつ落ちた。薄暗くなった方向へ目を向けると、特徴的なリボンのカチューシャとストレートロングの金髪が目に入る。
「ぽむ!」
「ヤッホー。うちのレプラコーンちゃん達が今日もお邪魔してたみたい。いつもありがと」
「そんな……むしろ、わたくしの庭園を気に入ってもらえて光栄だわ」
ぽむは魔法生物の中でも特に妖精に造詣の深い獅子寮監督生だ。他寮生徒との友好関係も広く、今は引退してルカにポジションを譲っているが、元々はシーカーをやっていたほどに運動神経も良い。まさに監督生の手本とも言える存在である。
彼女が仲良くしているレプラコーンの数匹がロゼミの薔薇園に訪れるようになったのはイースター前だったろうか。新しく咲いた八重咲の薔薇を大層気に入ったようで、人間が居ないときはよく姿を見せていた。今日もロゼミが来るまではキャッキャと声が聞こえていたが、いつの間にか声がしなくなったと思えば、ぽむの下に訪れていたらしい。
わざわざ礼を言うために来てくれたのかと思い立ち上がろうとする前に、ぽむがそのままロゼミの隣に腰を下ろす。どうぞ作業を続けてと言われても、人が居るのに土いじりも忍びない。ロゼミがちらりとぽむの方へ視線を向ければ、気づいたぽむがニヤリと笑んだ。
「ロゼミ様、面白い事しようとしてんだって?」
「What……?」
(中略)
細やかな案が決まり始めたところで、鷲寮七年監督生であり首席でもあるエリーラが大きな問題を投下する。
「そもそも、アンタ家具持ってなくない?」
食器類は蛇寮の浮奇やニナあたりに打診してみようと話している最中の問題投下に、一同は顔を見合わせた。食器類を揃えても配置が出来なければ意味が無い。それに大掛かりな運搬はある程度の人数が必要だ。更にそこらの教室から持ち出すには、教師の許可が必要になるだろう。
「テーブルとかチェアとか、必要じゃない?」
追い打ちをかけるように笑うフィナーナとエリーラを交互に見、観念したのかロゼミは数秒ほど止まった挙句大きな声で返答した。
「も、……も、持ってないわよ!」
「オーケー、それじゃあルカとドッピオあたり誘って家具の運搬はやろう。ベンタも来てくれそうだな」
簡易的に紙を折り、魔法で今述べた人物達へ早速手紙を飛ばしたのは獅子寮六年監督生のサニーだ。アルバーンと共にクィディッチでビーターを務める彼は各寮の選手であるメンツを招集してくれるらしい。
人手があるとなれば、次の問題は家具をどこから調達するかである。書記として随時まとめてくれていたペトラが大きすぎるローブに隠れた手を挙げ、それならばと一つ意見を述べた。
「なんでか今いないけど、霊夢にゴーストから使ってない家具の場所を聞いてもらえばいいんじゃない? 食器をニナ達に相談するなら、私と一緒に蛇寮行こ」
「それでも足りなければあの部屋かな。クロードが最近入り浸ってるはず」
『あの部屋』が指すものはロゼミにはよく分からなかったけれど、シュウからも助言があり、ひとまず全体の流れが整ったところで集会はようやく終了と相成った。
個人的な理由で延長してしまったことにロゼミは頭を下げたが、監督生の面々は気にした様子もない。むしろ面白いことに関われそうだと和気藹々とした雰囲気であった。
どうせならこのまま行ってしまおうとペトラと一緒に蛇寮へ向かう道すがら、ぺたんこの靴をペタペタとなるような形で歩くペトラはロゼミにむくれてみせる。
「なんで私に相談してくれなかったの」
鷲寮六年の監督生であるペトラとロゼミは一年次からの仲だ。ペトラは幼馴染の霊夢と鷲、蛇でそれぞれ寮が離れてから精力的に交友関係を拡げており、ロゼミとは言語学で知り合った。
勉学に対する姿勢が似通っており、試験対策などは得意教科を都度教え合っている。監督生も互いに五年生から続投ということもあり、寮が違うにも関わらず他の者よりも濃い交友を結んでいた。
そんなペトラとしては、ここまで頼ってもらえなかったことが水臭いと感じたようだ。
ロゼミは恥ずかしそうに顔を赤めながら、小さく言い訳を口にする。
「だって、マグルの真似事じゃない。変な目で見られたら悲しいもの」
「マグルの言葉も学んでるのに? そんな偏見あるわけないじゃん。全力で手伝わせてよ」
実際の手より長い袖で背中を勢いよく叩かれ、思わず前のめりになったロゼミだったが、当たり前に手伝ってくれると言われたことについ目頭が熱くなる。
いつも寮内で試飲に付き合ってくれている者達にも臆さず話せば良かったわ。次の試飲の時にでも打ち明けようと頭の片隅に留め、蛇寮のある地下へと下っていった。
(中略)
「ウィルソンが医務室まで運んでくれなきゃ失血死してた! アハハ」
「後輩に迷惑かけるのはお止めなさい……特にヴォックス、あなた首席で、チームではリーダーでしょう」
「監督生に一度も選ばれたことが無い首席という時点で模範的な生徒とは一線を画しているという事実が存在しているのだがな」
「これがエリーラと肩を並べる首席だなんて世も末だわ」
げんなりとした表情を浮かべるロゼミだが、ヴォックスにカリスマ性がある事だけは認めている。今回は彼の知識に頼る手前、それ以上のお小言は控えることにした。
地味に足に負荷のかかる階段を登り切り、とある一角でルカは足を止める。三人でキッチンと家具を思い浮かべながら何度も行き来すると、いつのまにやら知らない部屋の扉が眼前に現れた。
どうやら二人は利用したことがあるそうで、はじめてこの部屋を使うロゼミが恐る恐るなんの変哲もなさそうな扉を押し開けると、室内は多種多様な家具と大きなキッチンが誂えられているではないか。ぽかんと口を開けたままのロゼミを見て、ルカとヴォックスはニヤリと顔を見合わせた。
しかし、ここで全員が知らなかったこの部屋の秘密を知ることになる。
(中略)
いくらか歩けば、庭園の方から笑い声がする。思わず身構えたが、あまりにも特徴的な笑い声しか聞こえず、ミスタは慣れ親しんだ人達であることに胸を撫で下ろした。そうとなればたたらを踏む必要もない。ミスタは更に前進し、ようやく見えた茶会の主に声を掛けた。
「ロゼミ!」
「あら、ミスタ。ごきげんよう! ミスタもティーパーティに? 珍しいね」
「アー、うん。そんなとこ」
本来の目的とは違うけれど、ミスタは小さく肯定した。どうせなら腰を落ち着けて話したい。というのも、同学年で兄弟のように仲良くしている同寮のシュウからお使いを頼まれているのだ。頼まれているというより、彼が忙しそうだったのでミスタが勝手に気を利かせただけなのだが。
「あ、ロゼミ、ミスタは紅茶飲めないって。オレンジジュースとか無い?」
手ずから淹れたのであろう紅茶をポットから注ごうとしていたロゼミを制止したのはぽむだ。ミスタとは学年が二年も離れているものの、既に引退しているがクィディッチ選手だったため交友がある。敵寮とはいえ同じスポーツを嗜んでいた者同士であり、確かにそれなりの交友があれど、まさか好みまで覚えられているとは思わなかった。
ミスタは気にしないでと手を振ったが、それに応えたのはぽむの向かいに座り優雅に茶を飲むアルバーンであった。
「オレンジジュースはなくても、水をその味に仕立てる事くらいは出来るよ。舌が暫く麻痺するけどな」
「アルバーン! わたくしの茶会で妙なものを試すのは止して! そういうのは獅子寮でやりなさい」
「でも良くね? ミスタなら喜んでくれるって」
「次来たら茶菓子抜きにするわよ」
「え〜ん許してロゼミ様〜」
泣き真似をするアルバーンを見つつ苦笑したのは隣に座っていたペトラで、ミスタはそこでこの茶会の意味を悟ってしまう。
「おまえら勉強してるだろ……」
「お、ミスタもする? 今はペトラ・グリン先生の教える日本語講座だよ!」
「なんで茶飲みながら勉強するんだよ! 茶だけで楽しめ! 勉強するならこんな丁寧な茶は飲まんでいい!」
茶と用意されたクッキー以外にテーブルへ広げられているのは羊皮紙と教科書類だ。勉強をする意欲はあれど続けられないミスタにとって、勉強はとにかく苦手なものである。目の前の面々は周囲からも勤勉だと言われている人物であることに気づいてしまい、ミスタは踵を返そうとした。
「ちょっとミスタ! なにか用事があったんじゃないの?」
続く