さらけ出す素顔(生存IFハドアバ)「取り繕うのに飽いたか?」
耳に届いた声にアバンはゆっくりと振り返った。聞き慣れた、耳慣れた、馴染んでしまった声だ。声の主は楽しげに笑っている。少しでも威圧が少ないようにと選んだ白の軍服。それでもなお隠しきれない圧倒的な存在感があった。
相手の言葉を否定も肯定もせず、アバンは小さく息を吐いた。疲れたような、苛立ったような、そういった類のため息だった。珍しい姿にハドラーはすっと目を細めた。
「別に飽きたわけではありません。……少しばかり、疲れただけです」
「ほぉ?珍しいな。貴様は息をするように取り繕って生きていたと記憶しているが」
「喧しい。誰のせいだと思っている」
「……アバン?」
心底不思議そうにハドラーが告げた言葉に、アバンは不機嫌そうに言い放った。語尾を荒げることこそしないが、不愉快だと顔に書いてある。分かりやすく感情をむき出しにする宿敵の姿に、元魔王は不思議そうにその顔を見た。
ハドラーが記憶している限り、アバンという男は取り繕うのがとても上手い。息をするように仮面を被り、戯けた道化者の所作で他者の毒気を抜いている。その溢れんばかりの才能を、資質を、異端と呼ばれるほどの能力を隠すように、仮面を被るのだ。
それは、親しい人々の前でも変わらなかった。
今や妻となった女王フローラの前でも、かつての仲間であるマトリフやレイラの前でも、愛する四人の弟子達の前でも、変わらない。誰の前でも優しく柔らかな微笑みを浮かべる、戯けた親しみやすい人物として振る舞っている。
それも確かにアバンという男の持つ一面で、嘘では無い。そのことをハドラーは知っている。だからこそ、妙に疲れた素振りを見せるアバンの状態が不思議でならないのだ。
同時に、そんな宿敵の姿を見られるならば、生きながらえた甲斐もあると思ってしまう。
息苦しい、人間の王国の相談役などという意味の分からない立場を受け入れた意味もある。……元魔王であるハドラーがカール王国に留まる理由は、王配となったアバンただ一つなのだから。
そんなハドラーの優越感に似た喜びを知ってか知らずか、アバンはぶつぶつと文句を口にする。
「だいたい、貴方が悪いんですよ。当たり前みたいな顔でそこにいるんですから」
「どういう意味だ?」
「私はこれでもそれなりに上手に世渡り出来るタイプだと自負しています。いますけど、それでも、貴方がいると調子が狂うんですよ」
「何だそれは。言いがかりか?」
「言いがかりじゃありません。歴とした事実です」
心当たりが全く存在しないので、ハドラーは眉間に皺を寄せる。どう考えても八つ当たりをされているようにしか思えないのだ。
そもそも、ハドラーはアバンに何かを取り繕えと言ったことはない。飄々としてようが、道化のようだろうが、今のように多少ガラが悪かろうが、気にもとめない。そのいずれもアバンだと知っているからだ。
分かっていないハドラーに、アバンは忌々しそうに舌打ちをしてから、告げた。
「お前がいると、引きずられる」
吐き捨てるようなその言葉は、鷹揚に微笑む王配でも、弟子達を慈しむ先生でも、人々を救う勇者でもなかった。ごっそりと感情が抜け落ちたような、優しさや甘さが削ぎ落とされた声音は、アバンという男が滅多に見せない一面だ。
だが、ハドラーには何よりも馴染んだ姿でもあった。勇者と魔王として対峙したとき、敵として見えたとき、アバンはこういった一面を見せた。むき出しの闘志を、取り繕わない獣性を宿した姿は、圧倒的なまでの能力を手にした強者としての姿だ。
普段、アバンが決して皆に見せようとしない暗い姿でもある。それは、あと一歩で人を逸脱してしまう何かだ。人間の枠組みの中で、人間として生きていくにはあまりにも不要な何か。アバンが生まれ持ってしまった、そういった歪さだった。
引きずられるとアバンが言うのは、おそらくは、ハドラーがいることで気が緩むからだろう。ハドラーの前でアバンは、随分と自由に振る舞っている。素直とも言うべきだろうか。何の気負いもいらないからこそ、様々なものがぽろりぽろりと剥がれ落ちてしまうのだ。
しかし、ハドラーにはそれが何故困るのかが、分からない。貴様は貴様だろうにと思うだけだ。どんな姿だろうと、どんな態度だろうと、アバンはアバンでしかない。それがハドラーの考えだ。
ハドラーのその考えが分かったのだろう。アバンは面倒くさそうにがしがしと頭をかいた。王配殿下には色々と面倒くさい配慮が存在するのだ。
「怖いと思われたらどうしてくれるんですか……。民に怯えられる王配なんて、無能にもほどがありますよ……」
「別に、誰も怖がらんだろう。貴様は少しぐらい威圧がある方が王配に相応しい」
「バカ言わないでください。私は親しまれる王配になりたいんです」
ふてくされたような口調で告げるアバンに、ハドラーは眼を細めた。親しまれたいというのは、彼の魂に根付いた何かなのだろう。恐れられたくない。愛されたい。親しまれたい。受け入れられたい。
……人として、人に、溶け込みたい。
かつての勇者が抱える愚かな願いを、ハドラーは知っている。それが、彼が必死に取り繕うことでようやっと実現する儚い何かだということも。いやというほどに、知っていた。
だからこそ、ハドラーはカール王国に居座っている。女王フローラの配下にあるという体を崩さずに、かつての宿敵の傍らに居座り続けている。己という脅威が存在する限り、人間はアバンを恐れないと知っているからこそ。
それと同時に、こうやってさらけ出される素顔も悪くないと思っている。敵ではなく、味方というにも奇妙な距離で、共に過ごす。神とやらも粋な計らいをしてくれる、とハドラーは胸中で呟いた。
「ハドラー、聞いてますか?」
「聞いている」
「何だその顔は」
「なに、気にするな。他者を気遣う王配殿が、俺の前では随分とあけすけだと思っただけだ」
楽しげに喉の奥で笑うハドラーに、アバンは瞬きを繰り返す。そして、ゆるりと唇に笑みを浮かべた。それはとてもとても楽しげな笑みで、……笑っているというのに、奇妙な凄みがあった。
「お前相手に、私が何を気にする必要があるというんだ?」
かつて死闘を繰り広げた宿敵を前に、元勇者はにんまりと笑った。伴侶となった女王にも、信頼するかつての仲間達にも、愛する弟子達にも、慈しむべき民達にも見せることのない、戦場がどこまでも似合う壮絶な笑みだった。
どこまでも色あせない、それはハドラーが何よりも求めた宿敵の姿だ。このぬるま湯のような世界で、復興のためにあくせく働きながらも失われない凄絶さに、ハドラーは確かに喜んだ。彼の勇者は、変わらず、そこに在る。
誰も知らないかつての勇者の素顔を知るは、対の存在たる、かつての魔王のみ。
FIN