Bet on you!③「お前セリスに惚れてんだろうが。」
ハッと息を呑んだ俺の狼狽に気を良くした銀髪の男は再びチェアに腰を下ろし、フンと鼻を鳴らして続ける。
「惚れた女守るためには命賭けられるガワだろ、お前。そこを買ってんだ。せいぜいしっかりやれ。」
目の前の男がマホガニー製のテーブルの上に両肘を付き手を組む。体制を変えた際に飴色の古い椅子がギィ、と音を立てた。挑むように見上げてきた紫煙の瞳とかち合う。口元が隠れるような姿勢だが、常は皮肉めいた言葉が飛び出す薄いそれは弧を描いている事を容易に想像させた。
「・・・んなに・・・。」
「ああ?なんだ、自信ねえのか?」
俯きぼそりと零した俺の言葉の端を捕まえ、苛立ちとともに揺するような声色で返答を促す男。のろのろと視線を合わせ、意を決して心中の懸念を露わにした。
「・・・そんなに分かり易いか?俺。」
一拍、こいつにしては珍しくぽかんとしたサボテンダーのような表情を浮かべたかと思うと、次の瞬間不健康そうな白い額に青筋を立て、頬を桃色に染めた俺を視界から外すように天井を見上げ耳を塞ぐようなジェスチャーを取り心底嫌そうに喚き出した。
「あーあーあー!ガキの色恋の話じゃねえんだ!いい年こいた男のそんな気色悪いツラと台詞聞きたくねえよ!」
「聞き返してきてその態度はねえだろ?!」
「うるせえ!てめえ四捨五入したら三十になる男が小便垂らしたガキみてえな反応すんな!」
「だだだだってお前にバレてんならシェールさんにもバレてるかもしれないだろ?!」
「だからそれが気色悪いっつってんだろ!分かった!バレてねえよ!だから胸ぐら掴んでるその手ェどけろ!」
狼狽し切った俺が男の襟元を両手で掴んで前後に揺らせばキレ散らかしながら静止の声が上がる。ブンブンと長い髪が宙を舞い、さながらカジノのショータイムに使われるスモークのようだ。バレてない、という言葉に反応して俺の手は自動的に止まった。このバカぢからがよぉ!という声と高い服のしわ寄れ破れを心配する姿は無視することにする。
「こんな茶番やってる暇ねえんだよ!いいか?セリスはお前がどう思ってるかなんて知らねえ。飽くまで同じカジノで働く従業員だ。お前らが近くにいたところで怪しいところはねえ。クソ野郎を炙り出すのにうってつけだ。」
奴は揺すられた際に痛めた首をさすり、足を組んでチェアの背もたれに体重を預けながら続ける。
「もう騒ぎになり始めていてSNSに留まらず直接ウチに足運んでる野次馬も多く出ている。まあ俺とセリスはこれを利用して集客を目論んでるんだが。」
「おいおいシェールさんは見せ物じゃねえんだぞ!」
「本人が望んでるんだ。それにここでウチが休業したりセリスを休ませたりしてみろ。たちまち世間の笑い者だぜ?『ああ、あのカジノは犯人の脅しに負ける弱いカジノなんだな』ってな。負け犬に客は付かねえ。この業界は信用第一だ。万全な警備体制でセリスを守り抜く事と、胸クソ野郎をとっ捕まえる事で客の信用を勝ち取る。」
「・・・。」
「犯人の思惑とは裏腹に利用してやるんだ。万事上手くいけばこれを真似しようとする馬鹿みたいな模倣犯も潰せんだろ。新規顧客も取り込めたら万々歳だな。」
シガーカッターで気に入りの銘柄をカットしながらつらつらと話す男を見やり、感じたままの一言を放った。
「・・・お前ってたまにオーナーらしい事考えてるんだな。」
「たまには余計だ!俺はいつだってこの船を世界一にする事しか考えてねえよ。」
目の前の男がシガー用のマッチを擦り、神経質そうな骨ばった指に挟まれたシガーに火を付ける。口内に燻らせた煙をふぅ、と吐き出せばオーナー室はたちまち異国の香と燻製に甘味を垂らしたような独特の匂いに包まれた。
「まあ、にしても全くうちの姫さんは肝が据わってると言うか怖いもの知らずと言うか。豪胆な女だぜ。そこが気に入っているんだがな。」
ニヤニヤしながらこちらの反応を伺うように告げてくる男に腹の辺りがむかむかとしてくる。この正体は分かっている。嫉妬だ。現にこいつとセリスの間柄に関する噂話は、スタッフの好奇心と妬心から幾度も耳にしてきた。そのどれもが信憑性がなく、かと言って100%シロだと言い切れる程の根拠もなく、また薄くはない信頼関係がこの2人の間に横たわっているのを俺は感じていた。
「お前ももしかしてあいつの事を・・・」
「安心しな。俺は商品に手ェ出しゃしねえよ。」
以前より己の胸中に存在していた疑いを口にすれば、遮るようにハッ!と鼻で笑って一蹴された。この話はこれで終いだ、とでも告げるような態度に俺の疑念は更に深まる。そんな俺の物言いたげな視線に気付いた男がやれやれ、といった様子で肩をすくめ、ぴしゃりと吐き捨てた。
「刃物向ける先が違ぇぞ。やるのは犯人だってさっきも言ったろ?」
ぐうの音も出ない正論を浴びせかけられ押し黙る。そうだ。今考えるべきはこの事ではない。この世界に彼女を害そうとする輩がいるのだ。俺の中のドロドロとした心情には今は蓋をし、そいつを葬り去る…もとい、そいつから彼女を守り抜く。それが俺に課せられた使命だ。
「セリスにはお前の卓に付いてもらう。異論が無けりゃ今日はこれで帰れ。」
「・・・分かった。」
俺もプロのディーラーだ。ついでに言えばここのナンバーワンだ。鼻にかけるつもりはないが事実だ。表舞台に立つ前に私情は一切置いていく。それが出来る人間だからこそ、ここまで上り詰めた自負はある。
気持ちを切り替え誓いを胸に頷けば、顔付きが変わった俺に満足したように口の端を上げる男が目に入った。オーナー室を辞するため扉へと向かう。
「あとお前。」
ドアノブをひねり、扉を開けて半歩出たところで背に言葉を投げかけられ、ぴたりと止まる。首だけ後ろを向け目線で続きを促せば、くつくつと笑いが噛み殺せないと言った様子のクソオーナーと目がかち合う。
「その「人殺します」オーラ仕舞ってからここ出ろ。客もスタッフもちびる。」
あいつが大事なのは分かったからよ!と揶揄われ、先程押さえ付けたばかりの心情からさっさと蓋を外し叫んだ。
「るっせえええ!!!そいつやったら次はお前だからな!!!」
今度こそ俺は妬心とこの間の連勤の恨みを満載にしてオーナー室の無駄に高そうな扉を全力で叩き閉めてやった。