愛を花に載せて(前編)「なあ、バレンタインデーって知ってるか?」
「? なに、それ?」
何の気無しを装ってセリスに聞いたこの言葉が悪かった。
今、ファルコン号の簡易キッチンを震源地として艦内にはチョコレートの甘い香りが充満している。そしてそれと反比例して俺の心はほろ苦くなっている。
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遡る事1週間程前。
1年の中で寒さがピークを迎える2月の初旬、買い出し班として街に繰り出していた俺とセリスは粗方買い物を終え、俺の値切りと彼女の美貌によって想定額より浮いた駄賃で嗜好品を買おうと青と銀色を基調とした品のある老舗洋菓子店のショーウィンドウの前で足を止めていた。
「チョコレート菓子が多いのね。」
僅かに腰を屈めてこの時期特有の煌びやかなそれを眺め入る彼女の言葉に、冒頭の台詞がこぼれ出た。彼女が置かれてきた環境を考えれば知らなくても仕方が無い事かもしれない。
聖人の名を冠した行事だという事、大陸によって様々だが大事な相手(←ここ大切)にチョコレートや花束などを贈る事が概ね共通している事を教えてやると、
「ふうん…。」
と隣から洩らされた声の主をちらりと見遣ると、ショーケース内にある褐色の宝石達を見つめる瞳はその視線の先の菓子に負けず劣らず美しくキラキラと輝いている。うん、これは興味を持った証拠だな。
この時期の洋菓子店に連れて来た打算まみれの俺は内心密かにガッツポーズをしていた。
貰えるかもしれない…!セリスからのチョコレート…!
己の過去に決着を付け合流した後も明確に言葉にしていないが、俺達の間には以前には無かった確かな絆があるのを感じている。
寒いから、と促した店内でわざと離れて菓子を選んでいる振りをしながらもアンテナは全力でセリスの方を向いている。相変わらずショーケースを見つめている。いいぞもっと見ろ。
熱心にチョコレートを選定しているであろう彼女を微笑ましく思い、十分時間を与えたところで皆への土産はチョコレートクッキーでいいだろうと会計へと持っていく。
泳がせていたセリスは結局何も買わなかったようで少々落胆したが、まあ俺といる時には買い辛いよな!まだ1週間あるしな!とちょっとだけ痛む胸を無視しながらそう結論付けてファルコン号へと揃って帰艦した。
それから1週間の月日が経ち、前日の2月13日になった。
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2月13日 19:30
夕食後3人娘に占拠されたキッチンを見て、俺は「伝え方を間違った…!」と大いに反省していた。意中の相手に贈る行事、とはっきり伝えていれば良かったのだ。
きっとセリスの脳内では『大事な相手=仲間』と変換され、あの日持ち帰った情報をティナとリルムと共有したのだ。そして3人で「皆にチョコレートを作って配ろう。」となった。ティナは喜んで提案に乗った事だろう。あの小悪魔…もとい天才少女画家のリルム様は全部分かった上で参加しているのだ。現にキッチンからにやにやクスクスとこちらを見ているのが手に取る様に分かり、俺の機嫌は更に下降している。
2月13日 20:00
席を外している内に3人娘にゴゴが混ざっていて五度見した。
どうやらこの大所帯分の菓子作りとなると人手が足りなかったようだ。ゴゴの手も借りたい、ってやつだ。
リルムが見本となり菓子作りを進めているようで、奴はその手元を忠実に真似ているようだった。
白い三角巾を頭に巻いた目元が真剣だ。
派手な頭巾の上から巻く必要性はあるのか甚だ疑問だが。
2月13日 21:00
悪戦苦闘していた菓子作りが終わったようだ。
銀色のトレーに載せられたチョコレート達をティナが形を崩さないようにそっと冷蔵庫に閉まっている。
「つまみ食いするなよ、ドロボー!」
「うっせ!するかよ!」
ニシシ、と笑いながらエプロンを取り外すリルム。
無事終わってホッとしたような様子のセリス。
冷蔵庫の中身がまだ気になるティナ。
まあ…そんな3人の年頃らしい姿を見る事が出来たのは良かったかな、なんて。
白い三角巾と割烹着を脱いでいるゴゴが目の端に映るのが気になりながらもそう思った。
けれど!俺は!セリスからのチョコレートを諦めてはいない!!
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2月14日 10:00
「さあ、レディ達こちらを。」
談話室の一角にあるテーブルに陣取り地図を広げて修正をしていた俺は、背後から砂の王様の声と3人娘の華やいだ歓声が聞こえ思わず振り向いた。
様々な種類のピンクの花々があしらわれたブーケをエドガーが恭しく渡している。
「わあ綺麗ね!」
「いい匂い…」
「さっすが王様!キザだねぇ!」
受け取った女性陣は一様に興奮し、頬を染め上げている。
俺の機嫌は昨日からダダ下がりだ。握っているペンが軽くミシリと音を立てる。野郎…俺がセリスに気がある事を分かっていながら目の前でやってやがるな?
そんな俺に気付いているであろう王様はどこ吹く風で女性陣に軽やかに語りかける。
「今日はバレンタインデーだからね。今は花も育たない世界となってしまっているが、試作段階だがフィガロの技術で地下でもこんな美しい花が育てられるようになって来ているんだ。もっとも、可憐な君達の前ではこの花達も霞んでしまうが…」
いつもの口説き文句とウインクが炸裂しているが3人娘はきゃいきゃいと喜び合って聞いちゃいない。
「あ、ごめんなさいエドガー何か言ってた?」
「お花貰ったらモブリズの子達に見せたいと思って嬉しくて…もう一回言ってくれる?」
「色男悪いけどもう一回!」
「い、いや良いんだ忘れて欲しい…喜んでくれて嬉しいよ。」
あれを素面でもう一度言えとか地獄の所業だろ。内心俺は震え上がる。
引き攣った笑顔の王様という面白いものが見られたところで溜飲を下げた俺はテーブルに向き合い鼻歌混じりで作業を再開した。
2月14日 11:00
「ガウガウ!おれ、プレゼント!」
「おお、ガウ殿これを拙者とマッシュ殿に?」
「はは、良く描けてるな!」
「ガウ、リルムとかいた!バレンタイン!」
隣のテーブルで朝から年少組2人が何かしているとは思っていたが、どうやら似顔絵を描いていたらしい。聞こえてくる会話に微笑ましくなり思わず頬が緩む。
この3人の間には家族の様な温かい絆が流れているのを感じる。こういうの、いいよな。
「なら、何か俺たちもお返ししなきゃな。」
「そうですな、ガウ殿とマッシュ殿となると…肉料理でも共にしますかな。」
「おれ、肉食いたい!」
バレンタインデーは何も異性同士のイベントでは無い。地方によっては家族愛を祝う日でもある。美味しいものを共に食べ、カードを送り合う。まさに3人がやろうとしている事だ。
昼食担当に断りを入れて街に繰り出して行く3人の背中が温かく眩しかった。
2月14日 12:00
作業がひと段落してひとつ伸びをしながら昼食のためにダイニングに行くと、テーブルの一角に『女子からバレンタインチョコレートです!1人1個まで。※ホワイトデーのお返しよろしく!』と書かれたカラフルなプレートが立てられており、小さくオルトロスの似顔絵まで描かれていた。
よく見ると微かにうねうね動いていて気色が悪い。完全にリルム仕様である事は疑いようも無い。
と、観察している横で街のランチから戻ってきたガウが注意書きを無視してチョコレートを2つ取り、ミニたこあしを食らって壁まで吹っ飛んで行くのが見えた。なるほど防衛機構としてちゃんと機能しているらしい。
受け身を取って無傷の野生児は1つを近くにいたカイエンに渡して走り去っていく。
可愛らしくラッピングされたトリュフチョコレートを1つ手に取れば、
「ロック、持って行ってね。」
と背に花のような笑み声が掛けられた。振り返らなくても分かる。勿論セリスだ。
「昨日随分格闘してたな。」
「やだ、見ていたの?」
彼女に向き直りひょいとチョコレートの入った包み紙を掲げて見せれば恥ずかしげに少し頬を染め口を尖らせる。
見てた見てた。エプロン姿も新鮮で良かった。むっつりぽくてとても口には出せないが。
「出来ればセリスの作ったチョコレートが良いんだけど、どれかなーなんて…」
「ええっ?!えーと…ど、どれかしら…?この形の崩れているのがそうかも?でもティナも同じくらいの出来栄えだったからどうかしら…」
俺にしてはそこそこ踏み込んだ発言だ。セリスも動転しているが満更では無さそうだった。ほの甘い空気が流れる中、セリスに勧められるままに2つ目を手に取った瞬間俺にプチオルトロスのミニたこあしとミニたこすみがクリーンヒットして大事なチョコが粉砕&墨まみれになった。
本家レベルのむかつくタコ野郎に俺の渾身のミラージュダイブが炸裂した。
2月14日 13:00
「あ、シャドウ!チョコレート置いてくなよな!」
俺に平謝りしていたセリスを宥め、洗って溶かして成形すればまだ食えるか…?と未練がましく思案しているところに聞こえてきたのはリルムの声。
「…」
「はいこれ。リルム様お手製だよ。」
小さな手から渡される包み紙を懐に入れたのが見えた。意外と大事そうにしたな?珍しい。
「インターセプターにはこれ!」
にこにことハート型に切り抜かれたビーフジャーキーを差し出され、主人に『もらっていいか?』と確認する黒い忠犬に僅かに頷いて見せるシャドウ。
男の相棒であり愛犬は短い尻尾を喜びで横に振りながらガリガリとあっという間に食べきっていく。
それを嬉しそうに撫でるベレー帽の少女を見下ろす黒頭巾の男を見ていると、こちらの視線に気付いたのか鋭い眼差しが寄越される。
「…行くぞ。」
相棒を促し足早に去っていく黒い影をリルムは慣れた様子で見送っていた。
「ちゃんと食べてよねー!」
背に掛けられる幼い声にインターセプターが一つ短く吠える。
それはまるで主人の代わりに応と答えている様だった。
2月14日 15:00
「ほらよ。」
談話室で作業を再開していると、少し離れたテーブルからゴトリと鈍い音がしてちらりと見遣る。
3人娘(とゴゴ)が今回の失敗作をお供にティータイムに興じているところへ、ファルコン号の現主人であるセッツァーが2本の深いチェスナットブラウン色をしたボトルを彼女達のテーブルに置いているところだった。
「チョコレート味のリキュールだ。お前達2人はもう成人してんだろ?その祝いだ。」
優美な線を描いたボトルはジドールの高級チョコレート専門店のものだ。そこに『Tina』『Celes』と洒落た字体のネームプレートが掛けられている。
こいつ…たまにセンスの良い贈り物とかするんだよな…!現にティナとセリスは経験した事のない未知のプレゼントに心躍らせて目を輝かせている。
「お酒…飲んだ事ないわ。」
「会食の食前酒はあったけど…自分に貰うのは初めてだわ。」
大人としての扱いを受けて興奮気味の2人は美しいボトルを手にためつすがめつしている。その様子に気を良くした傷だらけの男は先端がカットされているシガーに火をつけゆっくりと燻らす。
「最初はミルクとかで割って飲んでみりゃいい。慣れてきたらまた教えてやるよ。」
「おいしそう!リルムも飲みたーい!」
「オラお子様はこっちだ!」
「ケチー!」
同じ店のチョコレートシロップのボトルを頭に乗せられたリルムがぶうぶう言いながらも嬉しそうにそれをキャッチする。
「お前の好きなパンケーキにでも掛けりゃいいんじゃねえか?」
「それいいね!」
いつも小生意気だがウインクをしながらパチンと指を鳴らす様は素直に愛らしい。
朝食のメニューとして御相伴に与れる日も近いかもしれない。
そしてそうか…あいつも大手を振って酒が飲める歳になっていたのか。今度パブにでも誘ってちょっとずつ酒に慣らしてみるかな、とリキュールボトルにちらりと一瞥、対抗の炎を燃やす。
あいつの最初は何でも俺が欲しいんだ。悪いか?
2月14日 16:00
「モグはチョコレート大丈夫なのかしら…」
ことり、と首を傾げながらティナが視線を合わせる様にしゃがみ込み白いモコモコの塊…もといモグに問う。
手元には小さな赤い箱。どうやらバレンタインチョコの最後の受け取り人はこのモコモコらしい。
「モグは犬や猫と違うクポよ?!」
「でも心配だから…」
慌てて自分の種の優位性を説く白い生き物の目の前でティナがそっと箱を開ける。
中身は煮詰めたクポの実に砂糖をコーティングした菓子だった。
「ウーマロと食べてね。」
にっこりと慈愛に満ちた顔で微笑む。本当に…素敵な表情が出来るようになったな。
…なんだかお兄さんは感慨深いぞ…ちょっと泣きそうだ。
「ティナ…う、嬉しいクポ!愛を感じるクポ!」
「喜んでもらえて私も嬉しい…!」
ふかふかふかふかふかふかふかふか!!!
「ぐぐぐぐるぢいグボぉぉモグにはモルルというものが…!」
俺の感動の余韻をぶち壊すような激しいふかふかとギガントードを踏み潰したようなモグの苦悶の声がファルコン号に響き渡った。
2月14日 20:00
「ねえドロボー…昨日からずっとここに居て見てるじゃん…?セリスに穴開いちゃうよ?それってストーカーっぽいよ?」
キモいを通り越して怖いよ…とファルコン号にある談話室で俺が座っているテーブルの対面に腰掛けたリルムに若干青褪めた顔で言われ、手直しの済んだ地図を筒状にして仕舞っていた俺は手を止めた。
「オルちゃんの事は謝るからさあ、また別の機会にチョコ貰ったらいいじゃん。」
一連の騒動を目撃していたらしいオルトロス防衛システムの管理者は少なからず責任を感じている様で、テーブルに両肘をついて華奢な顎を乗せながら少々ばつが悪そうな顔をしている。
そんなに俺は物欲しそうにしているかふと気になって目の前の少女に尋ねてみる。
「俺ってリルムにはどう見えてるんだ?」
「本命チョコ欲しさに今日一日好きな女子の周りをうろちょろする男子。サマサにもいたもんそういう奴。」
「そう見えるか?」
「うん、それにしか見えない。」
「マジか…」
そんなに情けない奴に見えていたのかとがっくりと肩を落とす。
いや確かにここを陣取っていたのはあいつが俺にだけ特別にくれないかなとか、他の奴に渡したりしないよなとか、ちょっとだけ心配になって若干アンテナ張っていたけど、それだけが理由ではない。ちらりと視線をテーブル上に移し、細長い木箱をそっと撫でる。
「違うの?」
「半分当たりで半分ハズレだ。」
「リルムわかんない…」
「大人は複雑なんだよ。本当はもっとシンプルに考えていいはずなのにな。」
「もっとわかんなーい!」
「ま、お蔭で踏ん切りが着いた。ちょっと行ってくる。」
幼さの残る丸みを帯びた頬をぷくっと膨らませたリルムのベレー帽ポンポンと撫で、木箱を手に立ち上がり目的地へと歩き出す。
「チョコの事は気にすんな。お子ちゃまは早く寝ろよ。」
「…今ちょっといい奴、って思ったけどお子ちゃまは余計!セリスに振られても知らないんだからね!」
「へいへい、大人、なめんなよ。」
威勢のいい声をぶつけてくる背後のリルムにヒラヒラと手を振り、談話室のソファで1人本を読んでいたセリスに声を掛け甲板へと上がった。