一次会で離脱したのは家庭の都合ってことにしたけれど、本当は下心があった。
そうじゃなきゃ、早々につぶれてしまった先輩を送り届ける役なんて引き受けない。
俺は飲み会の会場のある中心街から少し離れた、公園にいた。
背負ってきた先輩の体をベンチに寝かし、スマホで電話をかける。
「もしもし、あ、ビーデルさん。はい、俺です。お世話になってます。
あ、いや、今日飲み会があるって聞いてたでしょう? 孫さん、珍しく潰れちゃって。
もし良かったら、一晩俺のうちに泊めますんで。結構近いんですよ。
いえいえ、全然大丈夫ですよ。すっかり眠っちゃってるだけですし、孫さんにはいつもお世話になってるんですから。
え、迎え? 別にいいのに。あー、そうですか。まあお子さんのことがあるなら、そうですね。えーっと、エリア318に大きい公園があるんですけど、そこの東側の入口入ってすぐのところです。
ああ、はいはい。えっとなんて言ったっけ。ぴっころさん?でしょ? あのすっごく背が高い人。二三度会ったことがあるんで、顔見たらわかります。はい、わかりました。お待ちしてます。」
電話を切ると、俺は無意識に「よし」と口にしていた。思ったより酔っているのかもしれない。
孫さんのほうを見ると、相変わらず静かな寝息を立てて寝ている。
「俺が危ない悪の組織の一味とかじゃなくて良かったですね、孫さん」
悪の組織、だなんて適当なことを言ったけれど、正直なところ孫さんたちが何かと敵対しているのかどうかは知らない。
ただ俺は、孫さんが普通の人でないことは知っている。特に調査地に行くと、その違和感は大きくなる。砂漠の真ん中だろうが間違いなく水を調達してくれるし、孫さんと一緒だと大きくて危険な動物には絶対に遭遇しない。大学での振る舞いにも小さな「あれ?」がたくさんあって、それを合算すれば普通の人でないことは明らかだった。
普通の人でないどころか、人ではないのかも知れない。
それなのに研究室の教授も先輩たちも孫さんの生態に興味を持たないのが、俺は不思議で仕方ない。俺たち生物学者だろ。確かにうちは昆虫学が専門だから、みんな虫にしか興味がないんだろうが。
ところで最近の孫さんは少し変だ。妙な緊張感があると言ったらいいんだろうか。これまでもそういうことは何度かあったけど、今回は、うまく言えないけど今までとは何か違う気がする。そう、例えば今日みたいに、緊張感はあるのに無防備に眠ってしまったり、そういうチグハグさがある。
そんなことを考えているうちに、向こうから人陰。
普通は入り口から来そうなものを、その人は公園の奥から現れた。
サタンシティからの移動時間だっておかしい。車やジェットフライヤーでは、この時間で来られない。
そういうところだよ。この人たちは本当に、詰めが甘い。
「こんばんは、ぴっころさん、ですよね、こっちです。」
「すまなかったな、世話をかけた」
ぴっころさんは、緑色の肌をした、とても背の高い人だ。いつも紫色の不思議な服に、白いマントとターバンを身につけている。どこかの民族衣装みたいな服装だけど、それがよく似合っている。
前に孫さんに誰なのか聞いたら、昔からの知り合いで近所に住んでいて、孫さんの娘のパンちゃんの面倒を見たりしてくれているらしい。
「今日は静かに寝ているだけなので、何も。」
「そうか」
ぴっころさんは孫さんの体を軽々持ち上げると、腰のところで小脇に抱えた。
ずいぶん雑な抱き方だけれど、慣れているようにも見える。
「あの、孫さん、大丈夫なんですか?」
「? おかしなことを言うな。今さっき何も問題ないと、お前が言ったのでは。」
全体的にガードは緩いけど、孫さんよりはよっぽどこの人のほうがしっかりしていると思う。
「今はってことです。最近、孫さん何かあったでしょ? ちょっとちぐはぐな感じなので、勝手に心配してるんです。」
「悟飯の様子がおかしいのか? 大学で何かあったのか?」
ああ、やっぱり。こういう言い方をすれば、きっと食いついてくれると思った。
孫さん、そっちでも大事にされてるね。
「何もないですよ、今のところね。でも妙な緊張感があるし、そうかと思えばこうやってすぐに電池切れになるし。俺の想像ですけど、疲れてるんじゃ?」
「……蟻のレポートに追われていたんだろう? 疲れもするさ」
「徹夜が続くくらいじゃこうはならないでしょ?」
ぴっころさんが口ごもる。
もう一押しかな。
「俺は心配してるんです。この業界、専門分野のことしか興味ない人が多いんで、孫さんのやらかしもスルーしてくれる人が多いんですけど、いつか言い訳がつかなくなる日が来るんじゃないかってね。
俺も孫さんがいなくなったらいろいろ困るんで。そうならないようにしてはいるつもりだけど、俺じゃフォローできないことも出てくるかもしれない。
ねえ、ぴっころさん、あなたが孫さんを、見てくれてるんでしょ?」
ぴっころさんは真剣な顔で俺の話を聞いていた。そして一言、「わかった」と言った。
そっち側の人に意図が伝わったなら、ひとまず安心だ。
「ところで、大学での悟飯はそんなにやらかしているのか」
「まあ、俺から見れば結構。一緒に仕事することが多いから、余計にそう感じるのかもしれませんけど。」
「少し言って聞かせておかなければなるまいな」
苦虫を噛み潰したような表情は、どう見ても口うるさい保護者だ。
俺は思わず小さく笑った。
「まあ大丈夫です。よほど人間離れしたことをしなければ、どうにでもなるので」
「ああそうか。大学ではお前が悟飯をフォローしてくれているから、安心か」
そう言って俺を見て笑むその顔が、何の隠れた意図もなく、正直にそう言っているとわかるそれで、俺は少し面食らった。
簡単に人を信じすぎる。大丈夫か、この人。大丈夫なのか、この人たち。
「それでは、失礼する」
そう言って公園の奥に体を向けたぴっころさんの背中に、俺は声をかけた。
「ねえ、ぴっころさん、今度うちでお茶でも飲まない? 結構いい紅茶が揃ってるんですよ。」
「いや、遠慮しておく。俺は水しか飲まないんでな。」
そう言うと孫さんを抱えたぴっころさんは、風のように公園の木立のほうに消えて行った。
少しすると風が木を大きく揺らす音が鳴り、小さな影が夜空に飛び上がった。
俺はしばらく信じられない気持ちでそれを見上げていたが、その意図を察して、可笑しい気持ちになった。
「俺以外の前で、そんなことさせちゃダメですよ!」
俺は夜空に向かってそう叫んだ。
その声は風に混じって、おそらく影の主には届いていないだろう。けれど、その影が小さく手をあげたように見えて、俺は気を良くした。やっぱり思ったより酔っているらしい。
影は少しずつ遠ざかり、ある時点で急に消えた。少なくとも俺の目からはそう見えた。
俺は妻に電話して迎えに来てもらうのはやめて、一時間かけて歩いて帰ることにした。
そうしたくなるような、愉快な気分だった。