耳に残るは君の声 扉が開く音さえ、かき消してしまうような吹雪の夜。
「オルシュファン!」
そう声を掛けられて私が顔を上げると、お前は決まって頭に積もった雪を払いながら、こちらを見て微笑んでいた。私がそれに『おかえり』と返すと、お前はとびきり嬉しそうな笑顔を浮かべながら、旅での出来事を話し始めるのだ。
そんなお前の楽しそうに話す声が、私は大好きだった。何気ないようで特別な毎日を、私は愛していた。
しかしこの先お前と話すことは、もう叶わないのだろう。つい今しがた、私は最後の一言を吐き出し終えたところだった。
霞んでいく視界の真ん中に、お前が瞳に涙を溜めながら、必死に笑っている様子が写っている。何かきっかけがあれば、すぐにでも崩れてしまいそうな、あまりにも脆い笑顔だった。それは普段の笑顔からはかけ離れたものだったが、最期に友の無事を確認できたことは、私にとって唯一の救いとなった。
震える声で名前を呼ばれたが、私はそれに答えることができない。自らの腹に空いた大穴からエーテルが漏出し、全身の力が抜けていく。身体が急速に冷たくなってきたのは、私の心臓が血を送る役割を果たしていない為だろう。
友に向かって伸ばした手は届かず、ついには目を開けることも出来なくなって、私は仕方なく脱力感に身を任せた。
視界が暗闇に覆われ、それまで当たり前に感じていた五感が奪われていく。吹き付ける風の感触も、お前が握ってくれた手の温もりも、もう何も感じることができない。ただ、どこかに引きずられるような感覚だけが、私の意識を支配していた。
これが死か。これが星海に還る感覚か──そう己の運命を受け入れ始めた次の瞬間、暗闇の向こう側から、誰かの泣き声が聞こえてきた。
我が最愛の友が、私の名前を呼びながら泣いている。
嗚咽に喉を詰まらせながら、言葉にならない声で泣いている。
それはあまりにも悲痛な叫びで、もう指先一つ動かせないというのに、私は思わず耳を塞いでしまいたくなった。
私は知らなかったのだ。お前がそんな風に、感情を露わにして泣くことがあるという事を。
頼むからもう泣かないでくれ。そんな泣き方をしては、お前の喉が潰れてしまう──そう声をかけようとしても、今は呼吸すらもできない身だ。私はただ黙って、友の泣き声を聞いていることしかできなかった。
ああ、戦神ハルオーネよ。なぜ死にゆく身体の最後に、聴覚だけをお残しになったのか。そう問いかけても返事が来るはずもなく、私は途方に暮れながら友の泣き声を聞き続けた。
そうしているうちに、心の底から悔しさが湧き上がってきて、私の魂はまるで体温を持ったように熱を持ち始める。友とこの先を共に生きていけないことが、そして何より友をここまで泣かせてしまったことが悔しかった。
その想いはやがて激流となって、私の魂を激しく揺さぶっていく。怒りにも似た感情に熱が伴って、まるで熱を失った肉体に、再び血液が流れていくような感覚がした。
そうだ。友の命を守れた事に安堵して、星海に還っている場合ではない。私が死んだために、友は太陽のような笑顔を曇らせて涙を流しているのだ。その涙を晴らすために、そして友が笑って前へと進めるように、この魂を懸けて力にならなくては──そう考えれば考えるほど、私はどこかに引きずられるような感覚に逆らうことができた。
大事な友を泣かせたままでは終われない。たとえこの身が朽ちようとも、私の意識は、私の魂は、まだ此処に留まっている。ならば必ず、私にも出来ることがあるはずだ。
そう覚悟を決めた瞬間、暗闇に覆われていた視界の先に、光が見えたような気がした。
邪竜ニーズヘッグの双眸からエーテルが溢れ出し、天へと昇っていく。それが空中で霧散する様子を見届けて、私はようやく己の為すべきことをやり遂げることができた。
曇りを晴らすことはできただろうか。前へと進む助けになっただろうか。ニーズヘッグの片目を手にして立ちすくむ友を見つめながら、ふとそんなことを思う。
本当は、この先も友の側に在り続けてたかった。しかし、魂だけの存在となっても、ここまで友の旅路を見守れたことは奇跡であり、これ以上を望むのは欲張りが過ぎるのだろう。残された時間も尽き、私の魂はついに星海へと還ろうとしていた。
これで本当にさよならだ。そう心の中で呟くと、これ以上未練が残らないように、私は友に向かって背を向けた。
己のエーテルが、ニーズヘッグの魂と同じように空へと霧散する瞬間。いつかの吹雪の夜に聞いたものと同じ──懐かしくて、暖かくて、泣きたくなるほどに優しい声が、私の名前を確かに呼んだ。
ああ、これならば。
お前はきっと、大丈夫だ。