言語化の重要性と神代家の柔軟剤について
「オレは類が大好きだ」
放課後、眠くなるような天気だった。司くんはガレージに着くなりぎゅう、と抱きついてきて、そんなことを言った。
勘違いしないでほしいのだが、僕と司くんはれっきとした恋人であり、決してただで大好きと言うような寂しい人たちなどではない。僕の記憶が正しければ2ヶ月前、昼休みに「付き合ってほしい」の言葉を貰ったのだ。今日と同じような天気だった。が、午後の授業はお腹いっぱい司くんのお弁当をいただいたというのに、嬉しさと胸の高鳴りで眠気さえなかったのを覚えている。
「大好きなんだ」
彼は繰り返し、そう呟く。付き合いたては抱きしめるだけで顔を真っ赤にして、何も言えずにいたのになぁ、と思う。初な司くんも好きだったけれど、積極的に愛を伝えてくれるのもかわいい。今日はそういう日なのだろうか。
フフ、と自然と笑みが溢れる。彼の言葉がゆっくり胸に染み渡って、もっと彼が愛おしくなった。触れた体温もくすぐったい。
「……む」
しばらくして、彼は不機嫌そうに声を漏らした。「…………何か、言うことはないのか」
まるで浮気を見抜いている恋人のように彼が声を低くして言うものだから、びく、と体が跳ねてしまう。確実に僕は司くん以外の人に触れさえもしないのだが、知らずに彼が怒ることをしてしまったのだろうか。
「…………」
「………………そうか。」
今度は落胆したようなトーン。彼のテンションがよくわからない。甘々オーラも何処かへ捨て去ってしまったらしい、重い沈黙が部屋に落ちる。
「な、なにか間違ったことをしてしまったかい?」
慌ててそう聞き返すも、フン、と突っぱねて僕の胸に顔を埋めてしまった。返答はもちろん無し。かわいいけど、困ったなぁ……。
そう、呑気に考えていた自分を殴りたい。
何なんだ、この光景は。
「──大好きだぞ!」
「ミクはミクは〜!?」
「もちろん大好きだ!!」
「わーい!!ミクも司くん大好き!」
数日後、司くんと約束をしていたのでセカイに入ると、既にこの状況だった。ユニットの仲間に加え、ミクくん、カイトさん、メイコさん……バーチャルシンガーからぬいぐるみまで彼を取り囲んでいる。本人もまんざらでもないらしく、にっこり笑顔で大好きだとそれぞれに伝えていた。
つい最近、僕に向けられた言葉だった。間違いなく、何かやらかしてしまったらしい。そして、僕はそれに気づいていない。
(うーーん、なんだろう……)
めぐるめぐる様々な出来事。黙って彼のペンケースをびっくり箱にしたこと、最近彼がよそ見している間にサンドウィッチの緑を弁当に忍び込ませていること……もしかして、匂いで特定した彼の使っているだろう柔軟剤を購入して、自宅のものと差し替えたことがバレた!? いや、それは彼を不機嫌にしてしまった後の事だ。
ありすぎる心当たりに、どれだどれだと考え込んでいると、視線に気づいた司くんがこちらを見やる。
彼は僕と目があった後、左手を目の縁に添えて下に引っ張った。口を薄く開けると、舌がその間から覗いてきて──
(あっかん、べー……!?!?)
ズギュン!!と心臓を撃ち抜かれる。ここで笑ってはいけない、彼は怒っているのだ。正直めちゃくちゃにかわいい。だが、怒っているのだ。それも、大真面目に。彼はそういう人だ。
そしてツン、とまた顔をそっぽに向けてしまって、僕のことは完全無視。大好き大会が続行された。
色んな意味で彼の行動に参っていると、寧々とえむくんがこちらに近づいてくる。そのうちの幼馴染の彼女は、呆れ顔で僕に訴えた。
「類。あれ、なんとかしなさいよ」
「なんとかしろと言われてもねえ……」
お手上げだ、の意で両手を上げる。
「司くん、すっご〜〜く怒ってたよ!『類が大好きだって──』もご!」
「こらえむ、それは内緒でしょ!」
「……っそうだった!! ごめんね、類くん!」
司くんの真似だろう。えむくんが腕を組んで、頬を膨らませて台詞をなぞった。とてもその続きが聞きたいのだが、それは僕自身が考えるべきこと……らしい。とはいっても、もう手詰まりだった。考えられる可能性はすべて考えた。それでも的を射ていない気がしたから、次は一ヶ月前まで記憶を遡ろうとしていたところだった。どうにかヒントがほしい。
「ねえ、類くん。あたしたちも・、司くんの事がだ〜いすきなんだ!」
僕の心中を察して、パチ、と綺麗にウインクしながらえむくんはそう言った。寧々もくすりと笑う。「そういうこと!」
(……あ!)
数学や物理の方程式も持ち出してきた僕の頭に答えらしきものが浮かび上がる。とんでもない遠回りをしていたみたいだった。
きっと、二人も司くんから大好きと言われたのだろう。それに自分「も」と返している。先程の会話でもミクくんはそう言っていた。そして、何度も思い出していた、僕が数日前のガレージでしなかったことと言えば。
「──司くんッ!」
叫んで駆け寄って、彼の両手を握った。周りにいたセカイの住人たちはやれやれといった具合で捌けていき、気づけば見える範囲に僕たち二人しかいない。
「僕も、僕も大好きだッ!!」
名前を呼んだ勢いのまま、彼に伝える。でっかいデシベルにも負けていないと思う。驚いた彼の瞳を覗き込んで、本気だと目で伝える。
「それで? その言葉なら他の皆にもたーーくさん貰ったが。」
司くんの怒りはこれだけでは済まされなかったらしい。拗ねた口調で意地悪く返される。
僕たちは恋人同士なのだ。この場所での「大好き」は親愛だけの意味へと化してしまった。司くんと僕のみが持つような、恋愛的なものはない。彼が言いたいのは、そういうことだろう。
今度こそ狼狽えずに彼の意図を把握する。司くんを抱きしめて、その続きを言った。
「大好き。……司くんがステージに立っている時も、緊張で震えながら手を繋いでくれた時も、夜更かしを心配して電話をかけてくれた時も、ずっとずーっと…………愛しているよ。僕の『大好き』には、そういった意味も含まれているんだけどな」
表情を見ようと腕を離そうとするも、彼が離してくれなかった。見える項は真っ赤に染まっていて、どうやら僕の大好き攻撃は効果抜群らしかった。
「そうやって照れると黙ってしまうところも……だーいすき」
追い打ちをかけるように耳元で囁くと、彼は飛び跳ねて僕と距離を取った。僕の顔があった方の耳を抑えて、おどおどしながら「ば、晩御飯の時間だ!!」とセカイから出て行ってしまった。
……いじめすぎたかな。でも、きっと彼も許してくれたから大丈夫だろう。心配も晴れて明るい気分だ。
彼も帰ってしまったことだし、僕も現実世界に戻ろうとスマホの画面を明るくする。一件のメッセージが表示された。
『類! お前、いつからうちの柔軟剤を──』
そういえばセカイのみんなにお礼を言っていなかったな。読みかけの文字をそのままに再度電源ボタンを押して、スマホをポケットに入れた。