お菓子なプロポーズ
「類がそんなものを食べているなんて珍しいな。」
不思議に思い、隣の彼に問いかける。この彼──神代類が、ラムネ以外の何かを持っているのを見たことがなかったのだ。
彼が食べていたのはリング状のスナック菓子。幼い頃、誰もが指に通したであろうもの。それを類は、一人でむしゃむしゃと食べていた。「結構美味しいね、これ」手についた粉を見つめながら言う。そして、オレの方をゆっくりと見やる。なんだか期待がこもっているように思えて、あぁ、と遅れて理解する。
「……そんな目で見なくとも、ウエットティッシュが欲しい事くらいわかる。ほれ、もう少しこっちに寄れ」
手の粉を拭きたいのだろうと推測し、類の腕を掴んで丁寧に拭いていく。布越しに触れる類の手のひらは、機械いじりが趣味だからか傷が目立っていた。この手がオレたちのショーの演出を作り上げているのだなぁと思うと、なんだか頼りがいのあるものに見えてくる。オレはそんな類の手が好きだった。
頭上で彼が優しく微笑んた気がした。オレは、その顔を想像して顔が赤くなってしまうのを感じる。月色の瞳が柔らかく細められて、伏せられたまつげが驚くほど長い──オレは知っている、類は笑うときに首を少し傾けるのだ。それから、小さく口を開けてフフッと楽しそうに、控えめな声を立てる。
「それで、なんでそのお菓子を買ったんだ?」
粉がつくというのは多分、目的は機械いじりの時の糖分補給ではない。甘いものでもなかったし。それに家ではしているのかもしれないが、お菓子だけ持ってバリボリ食べているのも初めて見た。だから特別な理由があるのかもしれない、と類に尋ねたのだ。
「フフ、これはね──」
待ってましたと言わんばかりに話に食いついて、彼は目を輝かせる。するとそっとオレの左手を取り、突然薬指のあたりに唇を落とした。感触がくすぐったい。見ているのも照れくさくなってしまうので、右手で顔を覆った。
程なくして、指先の方から輪っかが通ってくる。何をしているんだと疑問に思い、指を見やる。
類はリング状のお菓子をそこへ通していて、オレの方を見て微笑んでいた。
「指輪をつけている司くんが見たかったのさ」
沢山食べていたのは君の指の大きさのものを探していたから、と彼は平然と恥ずかしいことを言いのける。
食べ物で遊ぶな、とか指輪にしては脆いし安いだろ、とか。様々な文句が頭の中をぐるぐる回るのに、それは口から出なかった。
嬉しかったから。
類は、オレとずっと一緒にいたいと思ってくれているんだ。その事実を、お菓子の指輪が証明してくれていて。
「大人になったら、それを本物の指輪にできたら良いと思っているのだけれど」
彼は「ここ、空けておいてくれるかい?」と言って、薬指を付け根を優しくとんとん、と打ち付けた。たまらなく愛おしくて、嬉し涙が溢れてしまう。その時が待ち遠しくて、早く大人になりたいと思いさえした。
──なんて話したのは高校時代のいつだったか。とっくに成人したオレたちは、未だに交際を続けている。大学進学と同時に同棲もスタートして、共にいる時間はもっと増えた。
ふとそれを思い返したのは、休みの日にこっそりリビングを覗くと類がそのスナック菓子を食べていたからだった。右手で一つ一つを持って見定めて、少々がっかりした顔をしながら食べていく。ぼり、ぼり、とリビングに響くスナック菓子の音。多分、またオレへ嵌める輪を探している。
というか、類はオレの指の太さがわかるのだろうか。学生の時にも同じことをしていたが、彼にいつ指の太さを教えたっけ。そもそも自分の指の太さがどれくらいかも知らないが。
「……司くん、見てないでおいでよ」
しばらく見ていると視線に気づかれてしまった。類はオレを右隣の椅子に座らせる。
「覚えているかい? 僕たちが出会ったときのこと──」
一つを食べ終わるたびに昔話を類はしていく。屋上での出会い、ハロウィンの一件、告白、初デート……高校2年生から数え切れないくらい、彼とは思い出を作ってきた。
しばらく語っても、まだぴったりな大きさの指輪は見つからないらしく、同じ作業を繰り返していた。そういえば、彼は単純作業が苦手だと話していたことがあった。きっと、これも好きにやるようなものではないのだろう。気づいて類の顔を見るとそんな気配は一切なく、寧ろ楽しそうな表情を浮かべていた。
なんだかプロポーズへのカウントダウンのように感じて、顔が熱くなってしまう。
「……あのね、司くん。今の僕は君がいてこそなんだ。」
スナック菓子を食べる横顔を見ていると、彼はそう話し始める。彼はまたお菓子をつまむ。
「誰も受け入れてくれなかった演出を、君が12000%なんて根拠のない数字を使って、実現させてくれた。僕の世界はそこから始まったんだよ」
「フフ。だからね、本当にありがとう。僕の、スター」
……あ、見つけた。
彼が小さく反応し、オレの方に体を向ける。
「これで間違っていたらとても恥ずかしいのだけれど……」
ティッシュで軽く手を拭く。その後、優しい手つきでオレの左手を取り、薬指の付け根に唇を落とした。あのときの再演だろうか。ふふ、と笑みが溢れる。
お菓子の指輪がはめられて、懐かしさに浸っていた。それから自身の薬指をじっと見つめて、心拍数がグンと高まった。そうだ、オレたちは大人になったんだと実感する。
「どこまでも魅力的な君がずっとここを空けて待ってくれていたって、そう解釈しても、いいかい?」
類は返答を待たずにオレの左手に手をかざして、行くよ、と短く言った。
「1、2、3……」
右手がどかされると、そこには銀色の──紛うことなき本物の結婚指輪が佇んでいて。
『大人になったら、それを本物の指輪にできたら良いと思っているのだけれど』
言葉通り、本物の指輪にされてしまっていた。彼の言う、錬金術。
夢のような光景に、胸の奥がきゅうんとうずいて、いつの間にか口角が上がってしまっていた。ずっと待ち望んでいた、類からのプロポーズだ。若干浮かれていても、仕方がないだろう。
「……っ類、」
すでに大粒の涙を溢しながら、なんとか彼の名前を呼ぶ。どうしよう、幸せに溺れてしまいそうだった。
「あぁもう、泣きながら笑うなんて……器用なことをするね、君は」
彼も涙目になりながら、オレの涙を拭ってくれる。ちらりと見えた彼の左手にも、同じものが控えめに主張していた。
「──幸せにするから」
類はむに、とオレの頬をつまみながら言った。
「……いや、」
その言葉選びが少しだけ気になってしまい、訂正する。どちらも変わらないかもしれないけれど。
両頬にある彼の手に、自身の手を重ねてから、口を開く。
「一緒に幸せになるんだぞ」
これはオレたちの、ちょっとお菓子なプロポーズ。