浮気 その日の任務を終え、治安維持局のビルの外に出ると、僕は視線を真上に向けた。視界の大半を埋めるビル軍の、その隙間から微かに見える空は、まだ澄みきった青さを残している。思考領域を操作し、知識データからアクセスした現在時刻は、まだ午後の二時を指していた。一日の大半をデュエルに費やすあの青年は、今頃街中を彷徨っていることだろう。
まだ人の少ない町並みに視線を戻すと、僕は繁華街へと歩を進めた。歩道をまばらに埋める人間を追い抜かすと、歩き慣れた道を進んでいく。いつもの角を右に回ると、五分もしないうちに広場が見えてきた。この繁華街にしては緑の覆いこのエリアこそ、デュエリストの集まるメインストリートなのだ。
広場に隣接するデュエルコートに足を踏み入れると、僕は中の様子を確かめる。僕をデュエルの特訓に引っ張り出す時、彼はよくこの場所を訪れていたのだ。行動範囲が広いとは言えない彼は、同じ場所を転々と巡っている。まだ日の登っているこの時間帯なら、町で巡り合うことも難しくはないだろう。
目的の人物がいないと分かると、僕は踵を返してその場を立ち去る。半ば早歩きで向かった先も、屋外型のデュエルコートだった。外部から中の様子を覗き込むと、青年の姿がないかを確かめる。目的の人物がいないと分かると、さっきと同じようにその場を立ち去った。
結局、僕が彼を見つけ出したのは、三番目に向かったデュエルコートだった。ピロティのような形をしたスポーツ設備の、四つに分けられたデュエルコートひとつで、あの青年はデュエルディスクを構えている。彼の隣、タッグパートナーの位置に立ってディスクを構えているのは、彼と同じくらいの歳の女だった。
浮気現場とも言うべき光景に、僕はその場で足を止める。屋根を支える柱の影に身を潜めると、顔だけを出して二人の様子を窺った。中睦まじくディスクを構える二人の目の前には、ソリッドビジョンで映し出された三体のモンスターが並んでいる。対戦相手となる男二人組の前には、壁となる低レベルモンスター一体が浮かんでいた。
男の一人がターンを終えると、今度は青年のターンが始まる。勢いよくディスクからカードを引っ張ると、残っていた手札に視線を向けた。手札からモンスターを召喚すると、フィールドのモンスターを使って新たなシンクロモンスターを召喚する。勝ち誇った表情で相手を見つめると、嬉々とした様子で攻撃を宣言した。
下級モンスターで壁モンスターを破壊すると、今度はシンクロモンスターで攻撃する。相手のがら空きになったフィールドは、あっさりとモンスターの攻撃を受けた。何も成す術がないままに、次のモンスターの攻撃が襲いかかる。端から見ても分かるほどのオーバーキルで、彼らのデュエルは決着を迎えた。
ソリッドビジョンが消えると、彼は女の方へと視線を向ける。同じく彼に視線を向けていた女が、嬉しそうな足取りで駆け寄った。目と鼻の先と言っても過言ではない距離で、二人は勝利の喜びを語り合う。これ以上見ていられなくなって、僕はその場から立ち去ることにした。
来た道を戻るように繁華街を歩くと、広場へと足を踏み入れる。空いているベンチに腰を下ろすと、僕は両手を握りしめた。まさか、僕が任務に出ている間に、彼がここまで堂々と浮気していたとは。薄々感づいてはいたものの、実際に目にすると悔しくて仕方ない。怒りに震える手を振り上げようとすると、頭上から声が聞こえてきた。
「ねえ、君。俺とタッグを組まない?」
「…………はあ?」
空気を読まない間抜けな言葉に、僕は思わず声を上げてしまう。不埒者の姿を捉えようと顔を上げると、そこには一人の男が立っていた。流行りの服に身を包んでいるところを見ると、青年と同じくらいの歳頃なのだろう。素早く記憶領域を探ってみるが、その顔に見覚えはなかった。
「君、いつも○○○と一緒にいるよね。今日は一人なの?」
拒絶するような僕の態度にも怯まずに、男は淡々と言葉を紡ぐ。軽薄そうな外見にお似合いな、軽い態度の言葉だった。面倒な人間に絡まれたことで、僕の不満はさらに高まっていく。男の顔を睨み付けると、僕は鋭い声で言った。
「一人でいたら悪いのかよ。子供だからって、セキュリティに突き出すつもりか?」
しかし、僕がどれだけ威嚇の意を示しても、この男に怯む様子はなかった。楽しそう笑い声を上げると、僕の隣に腰を下ろす。流れるように距離を詰めてくる男に、僕の警戒心は高まっていく。正体を知っているのではないかと疑ったが、彼の口から出たのはこんな言葉だった。
「そんな怖い顔しないでよ。暇そうにしてたから、声をかけただけなんだから。恋人が浮気して、寂しい思いをしてるんだろう」
「はあ? なんでそうなるんだよ!」
恋愛脳丸出しの発言に、僕は甲高い声を上げてしまう。一瞬でも刺客を疑ったことが恥ずかしくなるくらいの、馬鹿丸出しの発言だった。そもそも、僕があの青年と恋人関係にあることを、どうしてこの男が知っているのだろう。訝しげに視線を向けていると、彼は再び笑みを溢した。
「見れば分かるよ。……ねえ、君さえ良かったら俺とタッグを組まない? 浮気されて悔しいんだったら、仕返しをする権利があるはずだよ」
僕の言葉を塞ぐかのように、男は弾むような声で語る。その能天気な言葉を聞いているうちに、彼の言い分も一理あるような気がしてきた。そもそも最初に僕を裏切ったのは、あの青年の方なのだ。少しくらい別の人間と遊んでいても、文句を言う筋合いはないだろう。
「そうだな。暇つぶしくらいにはなりそうだし、少しだけ付き合ってやるよ」
男の顔に視線を向けると、僕は淡々と言葉を返す。一瞬だけ感じた罪悪感は、すぐに胸の奥へと消えていった。
見知らぬ男との即席タッグは、案外悪いものではなかった。軽薄な外見とは裏腹に、彼はデュエルタクティクスに長けていたのだ。僕が率先して敵を追い詰めると、男は安定したカードでサポートしてくれる。おかげで、ついさっき組んだばかりとは思えないほどに、僕たちは向かうところ敵無しだった。
「お前、ただ者じゃないだろ。何が目的で僕に近づいたんだ?」
デュエルを終え、広場のベンチに腰を下ろすと、僕は隣の男に言う。僕のデュエルについてこれる人間なんて、どう考えてもただ者じゃなかったのだ。大会常連のプロデュエリストか、それに準ずる存在だろう。そんな人物がどうして僕に近づいたのか、僕には見当がつかなかった。
「そんなの、君とデュエルするために決まってるだろ。大会常連の天才小学生なんて、誰もが羨む注目の的なんだから」
僕の問いを誤魔化すように、男は明るい声で言葉を吐く。顔色ひとつ変えていなかったが、そんなものには騙されなかった。シティに住む一般市民が、僕の存在を知っているはずがない。ましてや、自ら僕に接触してくるなんて、裏があるとしか思えなかった。
「嘘をつくなよ。僕がデュエリストとして活動してることは、ほんの一握りの人間だけなんだから、わざわざ調べて見つけ出すなんて、何か企みがあるんだろ」
詰め寄るように言葉を並べると、男は顔から表情を消した。僕の強行的な態度を見て、逃れられないと悟ったのだろう。冷たい瞳で僕を見つめると、吐き捨てるような声色で言葉を吐く。
「そっか。バレちゃったなら仕方ないな」
言葉が終わるか終わらないかのうちに、男は右手を前へと差し出す。さっきまでとは打って変わった冷たい態度に、僕は一瞬だけ怯んでしまった。しかし、そんな僕の警戒とは裏腹に、彼は指先を頬に触れる。優しく何度か指を滑らせると、彼は誘うように言葉を重ねた。
「君の恋人は、他の女とタッグを組むような浮気者なんだろう? そんな奴、とっとと捨てちゃえよ」
彼の口から零れる甘い囁きに、僕は思わず動きを止めてしまう。その言葉の意味を理解するまでに、少しだけ時間がかかってしまった。額面通りに理解するのなら、そういう意味になるのだろう。最初からこれが目当てだったかと思うと、自分の無防備さに嫌気が差した。
「何を言ってるんだよ。タッグパートナーの話をしてるんじゃなかったのか?」
吐き捨てるような声色で言葉を返すと、彼は意味深長に口角を上げる。少しだけ僕の顔を上に上げると、甘い声で肯定の言葉を発した。
「そうだよ。俺は、君をタッグパートナーにしたいと思ってるんだ。君の恋人と同じようにね」
「っ…………!」
一切の誤魔化しが無い誘いの言葉に、僕は思わず声を漏らす。ここまではっきりと想いを伝えられたら、こちらも誤魔化すわけにはいかなかった。相手と言葉を交わすために、僕は男を見つめ返す。正面から視線が噛み合うと、男は微かに微笑みを浮かべた。
男の細くて長い指が、そっと僕の頬を支える。笑みを浮かべた男の顔が、真っ直ぐに僕の方へと近づいてきた。驚くことに、この怖いもの知らずの人間は、僕に口づけを交わそうとしているらしい。大人しく受け入れてしまったら、交際の許可を出すことになるのだろう。
至近距離で見た男の顔は、思ったよりも美しく整っている。肝心なデュエルの腕前も、そこまで悪くはないように感じた。何より、この妙に察しのいい男には、僕たちの関係を見抜くほどの観察眼があるのだ。イリアステルのタッグパートナーとしては、あの男よりも有用性があるかもしれない。
そんなことを考えているうちに、男の顔はどんどん近づいてくる。青年とは対照的なまでに明るい髪が、目と鼻の先まで迫っていた。このまま一切の抵抗をしなければ、男の唇が僕に触れる。生々しい唇の感触を思い出して、背筋に冷たいものが走った。
「っ…………!」
言い様の無い嫌悪感に襲われて、僕は反射的に首を振った。僕の頬を固定していた指先が、勢いで肌から零れ落ちる。男が顔を離した一瞬の隙に、僕は男の前から顔を引いた。勢いのままにベンチから立ち上がると、呆然としている男を見下ろす。
「悪いけど、お前とパートナーを組むことはできないよ」
大口を開けてこちらを見上げる男に、僕ははっきりと返事を告げた。この簡潔な言葉こそが、嘘偽りの無い本心だった。大して役に立たない人間だとしても、僕にはあの男が必要だったのだ。任務に対する有用性とは別のところで、僕はあの男を必要としている。
「僕は、あいつのタッグパートナーだから」
改めて口に出すと、その言葉は妙にしっくりと胸に収まった。一度契約を結んでしまった以上、あの男は僕のパートナーなのだ。僕にとっての不都合が出てきたからといって、今さら関係を絶つわけにはいかない。それこそ、彼に対して示しがつかないだろう。
「そうか。それは残念だな」
開いていた口を閉じると、男は寂しそうな声で言う。彼の口から出た言葉も、偽りの無い本心であるように思えた。この男は、本気で僕とタッグパートナーになりたくて、わざわざ声をかけてきたらしい。僕の本性を知らないとは言え、なんだか不思議な気分だった。
男に別れの言葉を告げると、僕は真っ直ぐに彼の家へと向かう。繁華街の路地裏に入ると、ワープ機能を起動して座標を指定した。僕の身体を光が包んだかと思うと、次の瞬間には周囲の光景が切り替わる。一歩前に足を踏み出すと、そこは明かりのついたリビングだった。
「ただいま」
眩しい部屋の中を見渡すと、僕は青年に声をかける。丁度食事時だったらしくキッチンで夕食の用意をしていた。左右に歩き回っていた足を止めると、彼はこちらを振り返る。嬉しそうに口角を上げると、いつもと変わらない声で言った。
「おかえり。今日も遅くまで任務だったんだね。お疲れ様」
明らかに何も知らないであろう声色に、僕は心の底から安心してしまう。やはり、僕のタッグパートナーに相応しいのは、この能天気な男しかあり得ないのだ。彼のような間抜けな人間でないと、イリアステルの使命には耐えられない。彼の姿を見つめると、僕は微かに口角を上げた。